第五話 変身! 力はなくても、飛鳥馬 駆が、生命を以てお前を倒す!
轟々と鳴る音が続いて、やがてカケルは音を感じなくなった。
永遠とも思える時間が過ぎ去って、視界が晴れる。
カケルの視線の先には、ブレスを吐き終えたドラゴンがいた。
時が止まったかのように、静寂だけが辺りを満たす。
ガラガラと、どこかで岩肌が崩れる大きな音がした。
「……ははっ、耐え切ったぞ。くそっ、身体中がいてえ」
ドラゴンが攻撃してこないのをいいことに、カケルは自らの体を見下ろした。
右後方にブレスを弾いたからか、全身をおおっていた魔導鎧の右半身がボロボロだ。
右腕のガントレットは壊れて手袋のように引っかかっているのみで、前腕も二の腕も赤く爛れている。
(残魔力28%。破損率47%。自己修復を開始します)
「何が『真龍のブレスは防げません』だ、やりゃできんじゃねえかアルカ」
顔を覆っていた魔導鎧も破損して、右側が露出したカケルのボヤきが外に漏れる。
漏れたのは声だけではない。
「……やはり、師匠でしたか」
「カケル兄っ! いま回復魔法を」
顔の半分が見えて、カケルが隠していた正体も漏れたようだ。
ポーションで回復したコロナと、魔力枯渇でふらつくユーナがカケルに近づこうと動き始める。
だがカケルは振り返ることもなく、左腕を伸ばした。
俺一人で充分だ、というかのごとく。
「来んな。コロナ、回復したんならユーナを連れてさっさと逃げろ」
振り返らずに告げる。
それは、絶望的な戦いから二人を逃がそうとする歳上の、師匠と、兄と呼ばれた男の矜持か。
「そんな、師匠、私たちも」
「そうですカケル兄! マジックポーションを飲めば私だって少しは」
「足手まといだ。さっさと行け」
(ブレスの一部を吸収することで真龍の魔力解析が終了しました。弱点は”光属性”です)
カケルの思いを知ってか知らずか、アルカが魔導心話を飛ばす。
二人にカケルの声が届くようになっても、アルカの魔導心話はカケルにしか聞こえない。
「まあなあ、邪龍ってぐらいだし。ただ俺もコロナもユーナも光魔法は使えねえんだよなあ」
黒い鱗で、封印を解いた侯爵が「邪龍」と呼び、自らもそう名乗ったドラゴン。
ダメージを与えるためにユーナは様々な属性の魔法を使ったが、光魔法は使わなかった。
使わなかったのではなく、使えなかったのだ。
魔法の属性には相性があり、「街一番の魔法使い」でも使えない魔法はある。
二十二年間続く運の悪さを嘆いて、カケルは天を仰いだ。
(魔導が使えなくとも、”光属性”であれば、方法はあります)
「師匠……ご武運を」
「そんな! コロナ姉、それじゃカケル兄は!」
「教えろアルカ。このままじゃみんな死ぬだけだからな」
言われた通りにコロナがユーナを抱えて逃げようとして、二人が言い争う気配を背後に感じる。
背中を向けたまま二人にひらひらと手を振って、カケルはアルカに問いかけた。
いつも冷静で無表情なアルカから、ためらうような感情が伝わってくる。
ドラゴンはブレスを防いだカケルを興味深そうに観察するのみで、動く気配を見せない。
(人間の生命力を魔力に変換すると、”光属性”を持ちます。ただし生命力を使用するわけですから——)
「減るのは寿命か? 使いすぎたらその場で死ぬのか? ははっ、なんだ、あるじゃねえか、装備すると寿命を奪われてそのうち死ぬ、超古代文明の”呪いの装備”」
ダンジョン『不死の樹海』で魔導鎧を発見したカケルは、ためらいなく装着した。
超古代文明のマジックアイテムは機能こそ様々だが、使用者にマイナスの効果を与える「呪いの装備」はない、と言われていたからである。
(長くは生きられなくなるでしょう。また、生命力を使いすぎるとダメージの回復も見込めなくなります。枯渇すればその場で死ぬことも)
「使え」
デメリットを説明しはじめたアルカの言葉を最後まで聞くことなく、カケルは言った。
惑いはない。
魔導心話による返事はない。
ユーナを背負って、コロナが戦場から去っていく。
ドラゴンはカケルだけを見据えて、二人の女性の動きを無視している。
「おいマルムドラゴ、いいのか? 余裕ぶりやがって」
『くくっ、仲間を信じて背を見せて逃げ去って……我がふたたび目の前に立ったその時こそ、人間は絶望するのだろう? 仲間の無駄死にと、逃れられぬ死を眼前にして』
「はっ、趣味が悪いことで」
『我は”邪龍”であるからな。それに、封印される前に、何度も魔導鎧を相手にしたことも、倒したこともある。奥の手がソレならば、粉砕して汝を絶望させるまでよ』
絶対の自信と強者の余裕を見せて、邪龍はニヤリと嗤う。
残ったカケルの乾坤一擲を喰い破って、逃げた二人を絶望のうちに殺してみせると。
一人残ったカケルもまた笑った。
四十を迎えて引退間際のEランク冒険者にすぎなかった自分が、邪龍と対峙できていることに。
(拾得人よ、帰るのではなかったのですか? “恥をかいても命が大事”なのでは?)
生命力を「使え」とためらうことなく指示したカケルに、アルカがようやく反応を返した。
口元を歪めるカケルの笑みは消えない。
「学生の頃、学校がテロリストに占拠されたらって妄想したことがある。俺なら『その時』、うまく立ち回るのにってな」
ポツリと、カケルが独りごちた。
この世界に存在しないはずの単語だらけでも、アルカは表情を動かさずじっと聞いていた。
「通学路に通り魔が現れたら。『その時』俺は、こうするだろうって。事故に、事件に巻き込まれたら、『その時』が来たら俺は動く、役に立つって」
半ば目を閉じて脱力しているのに、ドラゴンも動かない。
自ら「邪龍」と名乗るドラゴンは、敵対者の覚悟が決まるのを待っているのだろう。
すべてを喰い破って、絶望を与えるために。
「でも俺に『その時』は来なかった。いや違えな。俺は『その時』が来ても動けなかった。異世界に来て、目の前で人が襲われてんのに動けなかった」
目を細めて、昔を思い出して、カケルがポツリポツリと語る。
コロナとユーナの姿はなく、聞いているのは魔導鎧”アルカ”と邪龍だけだ。
「あれから二十二年。『その時』動いてればって後悔して、今度こそと思いながら動けねえで、力がないからって言い訳して逃げてきた。付いた二つ名が『生き恥』だ。はっ、言い得て妙ってヤツだな」
右腕を持ち上げて、カケルがじっと手のひらを見つめる。
魔力で自己修復されて、魔導鎧はすでにカケルの腕を覆っている。
「いま、俺には力がある。借り物の、魔導鎧の力だけどよ、こうしてドラゴンの前に立てるほどの力がある」
持ち上げた手で、カケルは拳を作った。
ぐっと握りしめると、Eランクの冒険者ではあり得ないほどの力が流れる。
「守りたいものがある。二十二年間暮らした街を、こんな俺を受け入れてくれた人たちを、俺なんかを師匠や兄と呼ぶ人たちを」
カケルの背後にはコロナとユーナがいるはずだ。
避難した人たちや、街に残ってそれぞれの役割をこなす人たちも。
「俺は四十年も逃げてきた。都合のいい妄想をして、『その時』動けなかった自分に言い訳して、現実逃避してきた。でもよ」
カケルが、わずかに足を開いて腰を落とす。
「いま、ここからは逃避しねえ。いまここが、この時が、俺にとっての『その時』だ」
カケルが、腰のベルトに手をかける。
「俺が『生き恥』って呼ばれてまで生き残ってきたのは、きっといま、『その時』のためだ」
すでに魔導鎧は機能解放——変身している。
だからきっと、この動きに意味はない。
けれどきっと、カケルには必要なことで。
カケルが腕を伸ばしてゆっくりと動かしていく。
『マギア』に変身する時とは違う動きで。
それは幼い頃に憧れた、食い入るようにテレビを見つめた、カケルにとってのヒーローの。
体に力を、気力をみなぎらせる。
これまでの後悔を振り払って、二十二年の、四十年の過去と決別するために。
決意に満ちた目で、覚悟を決めた表情で、幼い頃に憧れたヒーローのように。
拳を突き出した。
「変——身——ッ!」
カケルの叫びに魔導鎧の変化はない。
すでに魔導鎧は全身をおおっている。
けれども確かに、カケルは変身した。
四十を迎えた引退間際のEランク冒険者ではなく、カケルにとってのヒーローに。
「力に溺れて害なすヤツは、総てを掛けて殺してやる。力はなくても、飛鳥馬 駆が、生命を以てお前を倒す!」
自己修復した魔導鎧が変化する。
赤く光るラインの色が、青へ。
(”生命炉”を起動しました。残生命力100%、残魔力13%)
「さあ、逃げずに行って殺してやる! 『生き恥』が、死に誇れるように!」
見得を切って、見栄を張る。
文字通り命を掛けたカケルを前にして、邪龍マルムドラゴの唸りに喜色が混じる。
『くくっ、だからヒトは面白いのだ! 絶望に挑む者よ、ならば名乗ろう! 我はヒトが”邪”と定めし真龍! “邪龍”マルムドラゴが汝の希望を手折り、絶望を与えてくれよう!』
後脚で立ち上がり、龍の翼を広げて、ドラゴンが咆哮した。
カケルとアルカに、マルムドラゴの名乗りが届く。
「ははっ、絶望がどんなものか、嫌ってぐらい知ってらあ! おっさんを舐めんなよ!」
ドラゴンの迫力に怯えることなく、カケルが駆ける。
背後に青い残光を曳いて。
太陽を隠す曇天の下、龍と人、一対一の戦いがはじまる。





