プロローグ『華ノ探偵少女』壱
プロローグ
反町友香は殺人事件に遭遇していた。
現場は商業ビル二階にある食品スーパー、その奥にある男子トイレだった。
悲鳴を聞きつけた彼女は、躊躇いもなく男子トイレへと突入する。
胸から血を流し、仰向けに横たわっている死体。そしてそれを見て、恐怖に震える第一発見者。それが、彼女の目に飛び込んできた最初の光景だった。
遡ること10分
「全く……買い物を押し付けられるとは思いもしなかったわ……」
少女は愚痴をこぼしながら中華街中央通りを歩いていた。
小柄な体躯に整った顔立ち、鋭い紅い瞳に腰まであるピンク味を帯びた白い髪。と、彼女は特徴的な容姿を持っていた。そのためか、すれ違う人々は振り返っては、物珍しげに彼女を見ている。
少女の名前は反町友香。神奈川県にある、とある中華街に暮らす女子中学生である。
彼女は、一緒に暮らしている叔母に頼まれ、買い物に行く途中だった。
「折角の休日なのに……しかも暑いし……」
友香はつい三ヶ月前、進級したばかりの中学二年生だ。貴重な日曜日を、朝から潰されて友香はゲンナリしていた。
太陽の光も、いつもより鬱陶しく感じた。前日に雨が降っていたせいか、空気がジメジメとして、長い髪の毛が頬にくっつくのもまた鬱陶しい。
七月も下旬、まだ朝とはいえ、夏が苦手な友香を萎えさせるには十分な気候だった。店の場所を書いてもらった紙が、汗で滲む。少女は、なるべく日陰を探して歩いた。
買い物袋をブラブラさせながら歩いていると、目的地へと到着したようだ。友香が建物を見上げる。そこは、中華街中央通りから横道に入ったところにある商業ビル。路地裏にあるためか、薄暗い印象を受けた。一階部分はシャッターが閉まっていたが、スナックのようだった。
彼女は、二階部分にあるスーパーに用があったので、コンクリートが剥き出しになった階段を上る。手すりが、埃をかぶっていて汚かった。
二階部分に到着すると、目の前にダンボールの山が現れた。エプロンをつけた中年の男が、空のダンボールを潰している。店はどこにあるのだろうかと左を向くと、二台のレジがあった。その奥にはいくつかの棚が並べられており、パッケージに漢字が書かれた商品が大量に陳列されていた。3階は封鎖されているようで、階段の前にロープが張られていた。店の前には大きな水槽あり、我が物顔で泳いでいる薄汚い魚が、横切る友香を見る。その足元に、看板が置かれており「金華市場9時開店」と書かれていた。
彼女は、買い物カゴを持ち商品棚へと向かう。朝10時前という時間帯のせいか、来客も数人しかいないようだった。しかし、いることにはいるようで、「店長!レジお願い!」と男の客が叫んでいた。
そんなことを尻目に、友香は商品棚で作られた通路を歩き、目当ての品を探す。
「えーと、頼まれてたのは……」
(生姜、鶏ガラ、ほうれん草…今晩は餃子ね)
メモ紙から晩御飯のあたりをつけつつ、彼女は商品棚を物色していた。事件が起こったのは、そのときだった。
「うああああああああああああ!!」
突然聞こえた悲鳴に、彼女は肩を震わせる。
レジにいた店主と客が悲鳴が聞こえた方を振り向いていた。その方向は、店奥にあるトイレ。
友香はカゴを床に置くと、一目散にトイレへと駆け込んだ。
そして、物語は冒頭へと至る。
立ち尽くす目撃者を横切り、被害者へと駆け寄る。首筋に手を当て、脈拍を確認する。肌には若干の温かみがあったものの、もう還らぬ人となっていた。
「心臓をひと突き……即死ね……」
友香が眉間にしわを寄せる。
「なんだなんだ、一体どうした?」
先ほどレジにいた店主や客が、トイレへと入ってきた。それからバイトだろうか、エプロンをつけた青年が入ってきた。
「な、お、おい……人が倒れてんじゃねーか!」
彼は驚き尻餅をつきつつ、死体を指差す。友香を除く他の人物は、みな血の気の引いた顔をしていた。
「一旦ここを出ましょう。気分を害してしまうわ」
彼女の提案に、みな無言で賛同した。友香、店長、客、目撃者、バイトの四人はトイレから出る。
「店長さんは、あなた?」
「あ、ああそうだが?」
全員が出たことを確認した友香は、レジの男、店長に話しかけた。
「このお店にいる人はこれで全員かしら?」
「た、多分そうだが……」
「そう、それなら全員店を離れず、警察が来るまで待ちましょう」
友香が極めて冷静に提案する。
「け、警察?」
「ええ、そうよ。これは殺人事件なんだから」
彼女の発言にざわめく。その間にも、彼女は携帯電話を取り出しボタンを押し始める。
だが、警察を呼ぶことに反対した人物がいた。店長だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「何かしら?」
「警察を呼ぶってことは、この店がしばらく使えなくなるってことか!?」
「そうなるかもしれないわね」
「そ、それだけは勘弁してくれ…!この通りうちは閑古鳥なんだ。これ以上客が来なくなっちまったらやっていけねぇ……!」
彼は友香に訴えかけたが、
「店長、人が死んでるんだぞ?それにこの場に殺人犯がいるかもしれないんだ。警察を呼ぶべきだろう」
常連客らしき人物が異を唱えた。
「いや、ほんとに頼む……警察を呼ぶのだけは勘弁」
「店長……」
すがるような店長に、客が困ったような声をあげる。
しばらく沈黙して、彼を見ていた友香だったが、フッと笑うと
「わかったわ。いいわよ、別に呼ばなくても」
「ほ、本当か!?」
店長が一筋の希望を見出したような顔をする。
「ええ、この場で事件を解決すればいいんでしょ?なら私が解決するわ」
不敵な笑みを浮かべ店長を見つめた。
「じ、事件を解決する?お嬢ちゃんが?」
友香の発言に店長が驚きの声をあげる。
「ははは……面白い冗談だけど、探偵ゴッコなら余所でやりな?」と優しく諭す客。
「あら?ゴッコじゃないわよ?こう見えて、私、中華街で探偵業をしているの」
「き、君がかい?」
「何かおかしかしら?」
「だってどう見たって…」
「このご時世、人を見た目で判断するのは、差別、犯罪と同じよ?その上で聴くわ。私が子供に見えるかしら?」
相手の目を見つめ、自信満々に啖呵を切る友香。その態度に客は狼狽えてしまう。
「ほ、本物……?」
「ええ、だからこの事件、私に任せてくれないかしら?そして、協力してくれないかしら?」
友香は少し嘘をついた。探偵業を営んでいるのは友香自身ではなく、彼女と一緒に暮らしている叔母のことである。
そもそも彼女は中学生である。営業なんてできない。
「きょ、協力って……」
「ああ、ああ!是非とも協力させてくれ!」
客は納得していない様子だったが、店主は警察を呼ぶことがないならと協力的だった。
「で、協力って何すればいいんだ?」
仕方がないといった態度で、エプロンをした青年が問いかけてきた。
「そうね、じゃあまずは全員の名前を教えてもらおうかしら?」
こうして、探偵少女の捜査が始まるのであった。