第2話 どうしてこうなった
ドキドキバクバク……。
あれから約1時間が経過して、バスは高速道路を抜けて、目的のバス停付近まで来ていた。しかし僕の心臓は変わらず鳴り続けている。
「…………」
左隣を横目で一瞬だけちらりと確認して、すぐに車窓へと目を戻す。窓から見える街並みはまだ薄暗かった。
「はあっ……」
と一つため息。さっきからこの一連の行動を繰り返している。
あれからバスが高速に入るまでの間、車は三駅ほど停まって、車内の人口密度を補助席を使うほどまで上げると僕たちは口を閉じた。
もともと多くの会話をしていた訳ではないから、言い方としては喋る努力をしなくても良くなった、と言ったほうが正しいかも。
何にせよ気張らなくてもよくなった僕だった。
がしかし。
そんな僕にさらなる課題が突き付けられた。
――睡魔、である。
高速道路に入ると、外の景色はほぼほぼ同じようになり――とても退屈になった。
しかも時間は早朝で去年までの僕なら、まだ布団の中ですやすや眠っている頃だ。そんな空間の中にいたのなら眠くなってしまうのは仕方ないことだろう。
現にさりげなく辺りを見回した限りでは、他の学校の生徒やサラリーマンたちも目を閉じて寝息を立てている。
もうこれは眠るしかない!
即断即決。僕はすぐに目を閉じて、できるだけ寝やすいポジションになる様に座席の上でもぞもぞする。
そして数分。そろそろ夢の世界へ飛び立てそう、という時、車は大きな左カーブに差し掛かり、
――ポスン。
僕の肩に何か重いものが乗っかった。首筋には筆先のようなくすぐったい感触。
……こ、これは!
ある予感がして、恐る恐る僕は閉じていた瞼を開いた。
そして案の定、僕の予感は的中して、僕の肩には美少女――徒然命さんの頭があった。
「⁉」
いやいやいやいや隣道運命、変な気を起こすな!
これはきっと神様が僕に与えた試練なんだ。
ここで仮にも肩に頭を乗せた美少女さんに少しでも触れてもみろ?
すぐにでも手に縄をかけられる事になるだろう。
だからとりあえず落ち着け、落ち着くんだ僕。ちょっとした好奇心で上げたその右手を下ろそう。
さっきよりも早鐘を鳴らすその心臓を鎮めろ!
むしろ止めてしまえ!
そうだこのハアハアうるさい呼吸も止めよう。
もともと僕みたいなのが徒然さんみたいな美少女と席を隣にして、あまつさえ肩に頭を乗せられている、なんていうシチュエーションが間違っているんだ。
そうと決まったら実践に移すだけだ!
僕は一回だけ大きく息を吸うとすぐに口を閉じ、さっき気の迷いで上げたその右手で鼻をつまむ。こうすればうるさい心臓もそのうち鳴りを潜め、一石二鳥だ! なんて頭がいいんだ僕!
………………。
…………。
……。
「って、死ぬわッッッ!!!!!!」
つい自分の行いに大声で突っ込んでしまった。
そのせいか、後部座席の方でびくっと、誰かを起こしてしまったような気配がしたが、ここは許してもらおう。こちとらあと少しで三途の川をクロールで自らわたってしまうところだったんだから。
「…………」
「……すぅ、すぅ」
どうやら後ろの人は起こしてしまったらしいが、隣の徒然さんは起こさないですんだようだ。
心なしホッとする。
危ない危ない。あと少しで要注意人物になってしまうところだった。……他の座席の人にはもう手遅れかもしれないけれど。
しかし、同じ学校の徒然さんにばれなければさして心のダメージはない。
でも、この状況をどうしよう。
今の自分の肩に女の子の頭が乗せられている、という状況は僕にとって嬉し恥ずかしなことなわけで、絶対ないやなことではない。これは断言できる。
でも、だが、しかし、だ。
徒然さんの気持ちになってみろ? それは小学生のころから言われてきたことだ。『人の気持ちになって考えてみよう』っていうやつだ。
僕は別にいい。しかし徒然さん(しかもかなりの美人)が眠りから目を覚ました折に僕(特にイケメンでも何でもないような男)の肩を枕にしていた、なんてことになっていたら……僕だったら恥ずかしさで死ねるね! なんてったって目立ちたくないからね!
その時、隣から――厳密には肩の上から、うめき声が聞こえた。
「う、うぅ……ん」
「⁉」
目を覚ました‼
徒然さんはうめき声をあげたのち、まだ半分閉じた瞼をごしごしとこすっている――僕の肩に頭を乗せながら。
「ぅ……ん? ここ……どこでふか?」
まだ徒然さんは寝惚けている! もしかしたら彼女は寝起きが悪いタイプなのかもしれない。
そしてようやっと徒然さんは、あたりを見回すためだろうのろのろと、そのままの意味で重い頭をあげた――そしてあたりを見回そうとして。
僕と目が合った。
「……?」
「……(ゴクリ)」
ぱちくりと、彼女は僕の顔を超至近距離で見ている。まだ今の状況に頭が追い付いていないらしい。首を傾げてなんかいる。
「……ふむ」
「……(ドキドキ)」
次はなぜかしきりに頷きはじめた⁉ しかも頷いて判ってるようなそぶりをしながらも、まだ瞼は半分閉じたまんまだ。……絶対にまだ何も理解できていない!
「……はて?」
「…………」
瞼を8割がた開いた徒然さんが、やっと明確な意識をもって疑問形を口にした。僕はもうただただ成り行きを見守るしかない。僕にできることはもう全部やった。
「……え? ……え!」
「…………(うぅ)」
みるみるうちに徒然さんの顔が羞恥で赤く染まり始める。瞳のふちにはうっすらと涙もたまり始めている。……ごめんごめんよ。君を守ってあげられなくて本当にごめんよ……! 僕はもう心の中でひたすらに謝ることしかできない。
僕に力があったなら!
「あ、……あう、あう…………きゅう」
「気絶した⁉」
徒然さんがあまりのショックに再び目を閉じてしまった。
しかもそのまま背中を後ろに倒してしまっていく――このままだと後頭部をひじ掛けにぶつけてしまうかもしれない‼
とっさの判断で僕は徒然さんの背中に腕を回し、彼女の細い腰を抱きとめて、そして赤い顔で、目いっぱい開いた瞳と目が合った――どうやら徒然さんが気絶したのは一瞬のことだったらしい。
「ご、ごめん!」
すぐさま僕は彼女から手を放し、銃を向けられた人間のように両手をあげた。やましい気持ちはありませんよ、と。
「…………!」
徒然さんはものすごい剣幕でこちらをにらんでいる。なんだっけこんなのを歴史か国語の教科書で見たことがある。
「……あ、般若!」
「なんですって……?!」
あ、口に出てた……。思い出した時に嬉しくて口につい出してしまうことってあるよね。でもみんなはそんなことがあったとしても口に出してしまわないようにね☆ なんていっても後の祭り。……後悔先に立たず、ってやつだ。
今の徒然さんときたら、最初の凛とした雰囲気の美人さんはどこへやら、般若のようだ、どころかすでに般若そのものだ。
こめかみに血管なんか浮いちゃってるし、もうすでに美少女がやっていい顔じゃない気がします。
「……こんな屈辱を受けたのはあなたが初めてです」
「す、すす、すみません‼」
ぼそぼそと呟く彼女に返せる僕の言葉はこんななものしか残っていない。こんなのでもまだ、噛まなかっただけでも評価してもらいたいぐらいだ……どもってはしまったけれど。
「…………もう許しません。あなたには………………」
「え、……あのすいません。……も、もう一度言っていただけないでしょうか?」
ぼそぼそ喋る彼女の声は後半かすれて、僕の耳には何て言っているのか聞き取れなかった。決して鈍感難聴主人公ではない。現に聞き取れずに質問してしまったことをこんなにも後悔している僕がここにいる。
もう徒然さんの後ろには幻覚か錯覚か、漫画の効果のようなまがまがしくおどろおどろしいオーラが見える気がする。
「…………あなたには、責任を取ってもらいます」
「! えっ、責任‼」
「どうして喜んでいるんですか……」
「よ、よよ、喜んでないですよ?」
嘘です。少しドキッとしました。責任、という言葉に少しエッチな気持ちになってしまうのは思春期男子にとっては仕方のないことなんですぅ!
言いませんけれどね!
「そうです責任です。寝顔を見られ、あなたの顔を枕にさせられ」「いや、それは――」「黙ってください」
割り込んで突っ込もうと思ったけれど、遮られてしまった。
「さらに般若などと罵倒の言葉を述べられました。これはもうあなたには死んでいただかないといけません。万死に値します。あなたを殺して私はどこか遠い国に逃げます」
「せめて一緒に死んでよ!」
「は? 何で初対面の失礼な方と一緒に心中なんてしなければいけないんですか。馬鹿なんですか? 死ぬんですか――失礼。死んでください」
「死んでください、と言い切られた⁉」
全力で突っ込む僕に対し、それと反比例するかのようにクールダウンしていく徒然さん。
「さっきから小賢しいです隣堂さん」
「小賢しいなんて生れてはじめて言われたよ! ていうか今どき小賢しいなんて言葉を使う高校生なんてかなり稀だと思うんだけれど⁉」
「…………ふう」
心底面倒くさい、というように深いため息を吐く徒然さん。
「リアクションばかり先ほどから大きくて、車内の皆さんに迷惑だとか考えないんですかシツレイドウさん」
「誰⁉ シツレイドウって僕の事なの⁉ あと、うるっ際のはほんとごめんなさい」
「謝れば何でもかんでも許される思っているんですか? 残念な頭ですね。NASAでも行って解剖されてきたらどうですか? もしかしたら新種の人種かもしれませんよ」
「辛辣なお言葉! 一体どうしたら許していただけるんでしょうか……?」
「そうですね。まずこの車からすぐ降りることが必須条件でしょうか。そうですね、そこにちょうどいい窓があります。開けて飛び降りてみてはどうですか?」
「そこの窓って僕の隣にある車窓のこと⁉ しんじゃうよ! そんなことしたら人間だったらみんな死んじゃうって!」
「さっき言ったじゃないですか、あなたは新種の人種です。今の人間と一緒にしないでください。今の隣堂さん、改めRINDOUは原子爆弾の直撃を食らってもなお生きていられます。無敵です。良かったですね、今どきの主人公みたいです」
「僕強いなあ! 何本当のにここから飛び降りれば許してくれるの⁈」
「ええ許してあげます。むしろ飛び降りなければ許してあげません、さあ死んでください」
「死ぬしか道はないのかッ!」
僕は軽く窓を開けて窓の外をうかがってみる。
……よし!
「って死ぬわあああああああああああ!!!!」
飛び降りてから僕は叫んだ。
そして死を覚悟した脳内がスローモーションで写す景色の中、徒然命が少し驚いた顔で――冗談ですよ――と口を動かすのが見えた。
彼女を乗せたバスが緩やかに自分を残して遠のいていく中僕は、かなりの衝撃でアスファルトに叩き付けられた。