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──僕にとって、唯一、特別な星が今夜、墜ちてきた。五回目、だった。
『・・・ご免なさい』
「えっ、いや、その、全然大丈夫だよっ! ほら、前も言ったけど・・・、これが、僕の仕事だし!」
『でも・・・、私、また、墜ちてしまって・・・、』
「いいんだよ! 気にしないで、またじっくり湶で休めばいいよ!」
他の星達とは違い、柄杓で細心の注意を払いながら掬い、同じく細心の注意を払いながら桶に入れたその星は、本当に、本当に申し訳なさそうに僕に何度も、何度も謝った。銀の桶の中で、いっそ消えてしまいたいと言いたげなか細い声で、小さく震えて、何度も、何度も。僕が星拾いの仕事を始めてから、五回も同じ星を拾った事は、この星以外にはいない。つまりそれだけの頻度で墜ちてきているわけだけど、この星の事だけはどうしても責める気にならなかった。
だってこの星は長い年月の中で、たった五回しか墜ちてきてないのだ。つまり僕が拾った五回以外は墜ちた事がないし、他人を責めたり激しい自己主張をしたりするような、困った星でもないのだ。とても善良な星で、墜ちる度にこんなにも申し訳なさそうにしている。そんな星を責めたりなんて出来る訳がない。
そもそも最初に墜ちてきた時だって、他の星の巻き添えで墜ちてきてしまったくらいなのに。
「気にしないでいいんだからね?」
もう謝ることも出来ない、とでも言いたげな態度で黙り込んでしまった星に、念押しのようにかける台詞は、自分でも笑ってしまうほどセンスがなかった。
天秤座の秤星が最初に墜ちてきたのは、今から半年ほど前、丁度、僕がこの星拾いの仕事をするようになったばかりの頃だった。
地面に墜ちたその姿が、今でも忘れられなかった。一つにはその姿が他の墜ちた星の姿とも、その時、秤星を押し潰すように転がっていた星の姿とも違っていたからだけど、もう一つ、理由があって、それは・・・、のし掛かっていた黒っぽい灰色の星とは違い、とても、とても綺麗な真っ白だったからだ。それこそ夜空に浮かぶ星、そのままの姿で、とても墜ちてきた星には見えなかった。
そして、僕のその印象はとても、とても正しかった。少なくとも、その時の状況にとっては、正しかった。何故なら墜ちてきた秤星は、すぐ隣の、秤と秤の真ん中に位置する支柱星が落下する際、暴れた支柱星の巻き添えとして墜ちてきてしまったのだ。・・・迷惑すぎな支柱星だった。支柱なのに、何にも支えてない状態だし。
まぁ、つまり、秤星は何も悪くなかった。でも、その時ですら・・・、謝っていた。もうそんなに謝らないでいいと言いたくなるくらい、何度も何度も、可哀想なくらい謝っていた。今と、同じように。その前と、同じように。
・・・いや、同じように、ではないのかもしれない。だって、今回も前回も、巻き添えで墜ちてきたわけじゃない。辺りには、秤星以外に墜ちている星はないから、最初の時のように自分以外の理由で墜ちてきているわけじゃないのだ。第一、見た目からして最初の時とは違う。最初の、あの、夜空に浮かんでいるそのままの姿、真っ白な星の姿じゃない。秤星は、自分が理由で墜ちてきた時から、その姿を変えていた。勿論、最後に空に戻す時には真っ白に戻っているけれど、その前までは・・・、今は・・・、
乳白色に、薄い黄色や桃色を混ぜた色、
白のベース自体が違っているし、一瞬ごとに黄色が強まったり、桃色が強まったり、二つの色が丁度混ざり合ったりして、まるで何かのおとぎ話のように綺麗だった。それは芸術的で、夢見るような柔らかな、穏やかな美しさで、見ていると思わず和むというか、優しさを思い出させてくれるというか、そんな色。このまま夜空に還しても、あの藍色の夜空に良く映えるに違いない色。
でも、それなのに墜ちてくる。墜ちて、しまう。
銀の桶の中で微かに揺れる秤星は、本当に綺麗で、夜空だけではなく、桶の銀にすら良く映えていた。おまけに他の星とは違い、愚痴も言わず、罵詈雑言も巻き散らかさず、代わりに零すのは謝罪と謝罪と謝罪、それに、小さな声でのお礼の一言。震えるようなその小さな声が、気恥ずかしそうなその震えが、可愛らしいとすら思える星。
だからこの秤星は僕の中で唯一特別で、墜ちてきても溜息一つ零さないですむ星だった。・・・そう、溜息なんか零れない。迷惑になんて思ってない。ただ、何も思っていないわけじゃない。思う事は、あるのだ。でもそれはこの秤星に対する悪い感情じゃなくて、純粋な疑問と、好意と言ってもいいような気持ちから発生するもの。
──どうして、この星は墜ちてしまうのか?
繰り返される謝罪と、小さなお礼の言葉以外を発さない秤星。色だって、夜空に浮かぶ時とは違う色になってしまっているけれど、とても綺麗で、他の星のような墜ちる理由が見当たらない。でも、見当たらなくても墜ちているのだから、理由はあるはず。それにいくら綺麗だといっても、白以外の色を滲ませている以上、やっぱり理由になってしまうものはあるのだ。こんなに、綺麗な色でも。
どうして、墜ちてしまうのだろう? 何が、理由なのだろう?
軽やかに夜空に浮いているべき星が、墜ちてしまう理由。重さを持たないはずの星が、重くなって浮かんでいられなくなってしまった理由。さり気なく、何度も聞いているけれど、今まで秤星がその点を答えた事は一度もない。尋ねる度に、ただ謝るだけだ。申し訳なさそうに、震える声で謝罪を重ねるだけ。その何回も重ねられる声を聞く度に、聞いてしまったことを申し訳なく感じてしまい、僕も結局、何も言えなくなる。話したくないことを聞いてごめんね、と謝り返す事しか出来なくなる。
──僕はただ、この秤星の力になってやりたいと思うだけなのに。
まるで腹立たしい人間のように罵詈雑言を繰り返す星達に対して、そんな感情を持つ事なんてない。早く夜空に還れ、とは確かに思うけど、それはただ煩いから、腹立たしいからという僕の精神状態の向上に必要だから思っているだけで、相手の事を思っての事じゃない。でもこの秤星だけは別なのだ。罵詈雑言なんて一切口にする事なく、一言だって愚痴を漏らさず、僕の手間を増やしている事に対する謝罪を重ね、僕は払った労力に対するお礼を小さく口にする。
何て言うか、とても可愛らしいというか、いじらしいというか・・・、正直、なんとしても力になってやりたい、と思わせるのだ。墜ちてくるという事は、抱える感情が重くなってしまったという事。不満や怒り、悩みといった強い感情が溜まってしまったという事。勿論、湶の水で晒せば溜まったモノは流れ、また軽やかな姿に戻り、夜空に還る事は出来る。その為の湶だし、その為の星拾いだ。
でも、繰り返しているのだ、この秤星は。それはつまり、いくら溜まった重みを流しても、また溜まるという事。原因となるモノが解決されない限り、繰り返すしかない、という事。・・・解決、してあげたかった。たとえそれが完全には無理だとしても、力になってやりたいし、他の星達のように溜まっているものを自分の言葉で吐き出せば、それだけでも多少は違うだろうし・・・、勿論、他の星達は洗い流しても吐き出しても、何度でも繰り返している。アイツ等の抱えているものは、溜まる重みは、解決出来るようなものでもないのだ。ただの際限のない、不満だし。
でもきっと違うのだ、この秤星は。もし他の星みたいに際限のない不満や愚痴が重みとして積み重なるような星なら、もっと以前に何度でも墜ちてきているはず。長い年月、そうならなかった星が今、いきなり他の星のようになるとは思えない。巻き添えで墜ちてきた最初の時、あのたった一回からこんなに頻繁に墜ちてくるようになったのだから、これはもう、何か他に確固とした原因があるとしか思えないし、きっちりした原因があるなら、解決だって出来るかもしれない。そう思うから、理由を聞かせてほしいのに。
黄色や桃色を滲ませた乳白色の秤星は、今日も謝罪するばかり。
だから今日も僕は僕個人としては何も出来ないまま、星拾いとして出来る事をとりあえず行う。到着した湶にいつもの何倍も丁寧に桶を浸し、そっとそっと、沈めていく。少しでも秤星が嫌な思いをしたりしないよう、気をつけて、そっとそっと、息すら止めて、そっとそっと。徐々に沈んでいく秤星の姿は、その色と相まって、澄んだ湶の中で夢のように綺麗だった。湶の深い藍色の中、優しく輝く、秤星。
湶の底に辿り着き、静かにその場で輝く星は、僕に小さく『ごめんなさい』と『ありがとう』を告げる。水を通している所為か、震える囁きのように聞こえるその声は、優しい笛の音に似て、耳に心地好い。この声なら、歌でも歌ってくれればさぞかし綺麗だろうと、今は全く関係ない想像をしてしまうのは、僕が夢心地だからかもしれない。星拾いの仕事をするようになってから、一度として眠った事のない夜。もしこの秤星の輝きと歌で眠れたなら、きっと夜の楽園の夢を見られるのに。
でも、僕は眠ることが許されない。だからそんな夢を、目を開けたまま見ていた。




