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暗闇の中、汚い世界を君に

 僕は学校が終わるといつもの場所へと足を急がせた。

 岬に設置された椅子に座っている女の子がいた。

 彼女の名前はサヤという。

 僕はサヤにそっと声をかけた。声に気づいたサヤは「どこ?」と、手探りで僕を探す。声の大きさや質で僕がそう遠くない所に居ることがわかったらしい。僕はわざとサヤの手の届かないギリギリのところに立った。そしてサヤの手が当たりそうになると避けた。サヤを見ていると少し意地悪をしたくなってしまう。サヤの少し困った顔はたまらなく可愛いのだ。

 そろそろかわいそうなので、僕を探し回っている手を握り彼女の中で中途半端だった僕の存在を確かなものへと変えた。サヤはとても安心したような表情を見せた。そしてため息をつき「意地悪しないで」と少し怒ったように言った。

 サヤは生まれついて目が見えないらしかった。


 僕がサヤと出会ったのはほとんど偶然のようなもので、出会った場所は町から少し離れたところにある岬だった。

 僕はその日、死のうかな、などと考えていた。けれど本気で自殺をしたいのかと問われると返答するのに少し間ができる程度の覚悟だった。

 特に不幸な事があった訳ではなかった。強いて言うならば何もないという不幸があった。なんというか生きていくことに飽きを感じていたのだ。やりたいことなんて何もなかったし、何事においても楽しさを感じる事はなかった。僕にとって生きることも死ぬことも同じことのように思えてならなかった。

 僕にこの世界は色あせて見えたし、もう見たくないと思った。

だから僕は考えた。この世界とお別れをしようと。

 僕が自分自身を攻撃するような自殺の仕方は嫌だった。痛いことや苦しいことは嫌いだったからだ。

 電車や車など乗り物を使った自殺や無関係な人たちを巻き込むような自殺も嫌だった。ひとに迷惑をかけずに死にたかった。

 人の目に触れることなく、一歩足を踏み出せば後は勝手に死ねるような、そんな条件が当てはまるような所を探した。そしてぶらぶらと歩き回ったあげくたどり着いたのが、その場所だった。

 岬にたどり着いたときにはもう日が傾いていた。

 せっかく岬にたどり着いたけれど、自殺はせずこのまま引き返そうかと思った。なぜならそこには先客がいたからだ。

 彼女は地べたに座り込んで海の方を向き夕日を全身に浴びていた。不思議な雰囲気がある少女だった。

 彼女も自殺しに来たのだろうか、そう思った。僕と同じ考えでこの場処にきているのかもしれない、そう思うと少し彼女に興味が湧いた。ふと我に返り自分が何かに興味を持ったことを驚いた。昔から何かに興味を持つという事が極めて少なかった。大げさでは無くその対象が人間であることは初めてかも知れない。そして僕に興味を持たせたその少女の事を知りたい思った。

 僕は本来お世辞にも社交的な人間とは言えなかった。

 例えばこういう状況で自ら声を掛けるような人間ではなかった。けれど、寂しげにも悲しげにも見える彼女の背中は、僕に話かけさせる程度の勇気を与えてくれた。

 僕は「あのう」と声をかけた。彼女は僕の声に少し体を強ばらせた。彼女は頭を左右に振り、声の音源を探しているようだった。それは僕にとって理解のできない動きだった。なぜなら僕は彼女からあまり離れておらず、振り返れば確実に視界に入っている場所にいたからだ。

 そこでひとつの仮説を立てた。彼女は目が見えないのかもしれない。

 僕は彼女を驚かさないように声をかけながら近づいた。

 

 いきなり声をかけてごめんなさい。

 隣りに座ってもいいですか?


 彼女は少し戸惑いながらも小さく「はい」と頷いた。僕はそれを確認すると彼女の横に腰を下ろした。

 少しの間沈黙が続いた。けれど気まずいとは思わなかった。とても不思議な感覚だった。無理に話す必要はなかったし、これは必要な沈黙だと思った。それは彼女も同じだったようで、緊張感のようなものは彼女から伝わってはこなかった。

 「わたし目が見えないんです」

 そう言って最初に沈黙を破ったのは彼女だった。僕の仮説はあたっていた。

 それから彼女について色々と教えてもらった。彼女の名前がサヤということや、この場所は彼女のおじいさんとの思い出の場所だということなどだ。

 そのおじいさんは去年亡くなられたらしく、天気のいい日はここへ来ておじいさんの事を思い出すのだそうだ。

 思い出す。

 目の見えない彼女にとって思い出すというのはどういう感じなのだろうと思った。視力を持たない人間の思い出というものを全く想像できなかった。もちろんおじいさんを見たことが無いのだろうからおじいさんの姿を思い浮かべることはないのだろう。気になり一つ聞いてみた。

 「変なことを聞くんですね」

 そう言ってサヤはクスクスと笑った。

 「見た目はわかりませんが。匂いだとか声だとか、おじいさんから感じた沢山なことをこの場所で思い出すんです」

 たしかに思い出というものは何も映像だけではないのだ。

 「ここからの景色、あなたにはどう見えます?おじいさんがいつもここからの景色を口で伝えてくれていたんです。あなたにもおじいさんと同じように見えているのでしょうか、それとも景色というものは見る人によって変わるものなのでしょうか」

 僕はどう答えるべきか迷った。僕にとってはここからの景色など色あせた世界の一部でしかなく、見たくないものの一部でしかなかったからだ。けれどそんなことでサヤとおじいさんとの大切な思い出を汚してしまいたくはなかった。僕が答えを返せずに黙っているとサヤがポツリと呟くように言った。

 「一度でいいから見てみたいわ」

 その言葉を聞いて、この世界を見たくないと思った僕と、この世界を見てみたいと願った彼女が同じ場所を目指し、そこで出会うというのは何ともおかしな話だと思った。

 この出会いに一体どんな意味があるというのだろう。いや大した意味なんてないのだろう。一人の人間が生涯に何らかの関わりを持つ人間と出会う数は一万とも二万とも言われているがその全てに意味があるとは思えない。意味とは自らで見出すものであって僕のように見いだせないものにとっては無いに等しいのだ。

 僕はそれからというもの天気の良い日はこの岬に足を運ぶようになった。するとサヤはかなりの確率でその岬で会うことができた。


 僕とサヤは少し話し、そして日が暮れる前にさようならをした。サヤは僕に家まで送らせてはくれなかった。たしかにまだ出会って日の浅い男性に家を教えないというのは当然の用心だと思えた。

 後ろからこっそりと見守るということもできたが、なんだかストーカーのようで気が引けた。少し心配ではあったが彼女の気持ちも組むという理由でこの話題を僕からふるということはなくなった。



 僕とサヤの間に不思議な力が芽生えたのはそれから間もなくしてからのことだった。それは僕が目を閉じている間だけサヤに視力が宿るというものだった。理由はわからない。

 随分SFチックな話しだけれど、実際にそうなのだから仕方がない。

 医者には行かなかった。医学や科学で説明出来る話ではないと互いに思っていたし、なにより騒がれるのが面倒だった。僕とサヤだけの秘密だ。

 僕とサヤの検証の結果わかったことが一つあった。

 それは僕が意識的に目を閉じるとサヤに視力は宿らないということだ。例えば瞬きや、わざと目を閉じたりする好意でサヤの目に視力は宿ることはない。このことを意識的というかどうかは分からないが、簡単に言うと僕が寝ているときにサヤの目に視力が宿るということだ。

 初めて視力が宿ったときのサヤの興奮具合といったらそれはすごいものだった。あんなに取り乱して、勢いよく喋るサヤを初めて見た。

 それもそうだろう、いきなり目が見えるようになったのだ。混乱しないわけがない。実際サヤはそれが見えているという事に気がつかなかったらしい。今まで味わったことのない感覚。聞こえる、匂う、触れるのどれとも違う感覚は強烈に脳を刺激した。そしてそれが見えているという感覚だと理解するのにかなりの時間を要した。

 喜びや疑問といった色々な感情が渦巻くサヤにまたしても混乱が押し寄せた。なぜならまたサヤの視力はなくなってしまったからだ。いきなり見えるようになったと思ったら今度はまた見えなくなってしまったのだ。その時サヤの混乱具合を容易く想像できる。

 その原因は検証を終えた今の僕たちにはすでに分かっている。夜が明けて僕が目覚めたのだ。

 もちろんそんな事を知る由もない僕はその日サヤに会い、出会うやいなや凄い勢いで喋るサヤをみて心底驚いた。

 随分と突拍子のない話ではあったけれど、サヤがそんな嘘をつくとは思えなかったし、あんなに一生懸命に話すサヤを信じない理由がなかった。

 その日の内にいろいろと試したけれど視力を宿す方法は分からなかった。僕が寝ている時にだけサヤの目に視力が宿るとわかったのは、その日から何回かの夜が終わった後だった。

 サヤの話をきいて彼女の目に視力が宿る期間が誰かの睡眠時間ということに辿り着くまでにかなりの時間を費やした。けれどそこからその睡眠時間が僕のものであるということにたどり着くまでにはそうかからな

かった。

 僕はその日から睡眠時間が多くなった。多くなったといってもそんな大げさなものではなく、例えばサヤと岬で会うとき僕が昼寝をするという程度だ。僕が寝ている間サヤはそこからの景色を堪能した。

 その日も僕とサヤは岬に来ていた。いつものように少し話した後僕は昼寝をしようと目をつぶった。しかし睡眠というものは寝ようと思ったらすぐに寝れるような便利なものではないらしく、瞼の裏側を見るだけでなかなか寝付くことができなかった。その様子を感じ取ったのか、サヤはクスッと笑って僕の頭を自分の膝の上へと誘導した。

 僕は初めての体験に少し動揺したが、時間とともにそれは安らぎへと変わっていった。サヤの膝枕は瞬く間に僕を夢の世界へと誘った。

 サヤは僕が近くで寝ているとき以外、外の世界を見て回っていないようだった。理由は僕がいきなり目覚め、視界が閉ざされることは恐怖だった。それに基本的には僕の睡眠の時間帯は彼女の睡眠時間帯でもあった。

 僕の寝ている時にしかサヤに視力が宿らないという制約のせいで、僕とサヤは同じもの二人で見ることはできなかった。

 サヤは僕と二人でこの景色を見たいようだった。けれどサヤの同じ景色を見たいという言葉、気持ちにに僕は否定的な言葉を返してしまった。そしてその言葉はサヤの思い出となるこの景色を、美しいと信じてやまないこの世界を否定する言葉でもあった。

 その日僕は初めてサヤと喧嘩をした。

 今考えればあの時すでにサヤの心の中では何かが生まれていたのかもしれない。

 運の悪い事に喧嘩をした日の夜から雨が続きサヤに会うことができなかった。雨の中一度だけ岬に足を運んだけれど、もちろんそこにサヤの姿はなかった。僕たちに連絡手段はなかったし、お互いの家も知らなかった。

 それから一週間ほど雨が続き久しぶりに晴れたある日僕は岬へと向かった。そこにはサヤの姿があった。

 サヤは久しぶりに聴く僕の声に安堵のような表情を見せてくれた。けれどその後すぐに不安の表情を浮かべたことを僕は見逃さなかった。

 その日のサヤは、久しぶりに会うせいか少しいつもと違って見えた。

 それから何日かたったある日の出来事だった。

 いつものように岬でサヤに会い、膝枕をしてもらって僕は昼寝を始めた。

 僕の意識が遠のき、寝てからどのくらいの時間が経過したかは分からないが、その時僕が目覚めたのは単なる偶然だった。いやどうなのだろう。何かしらの予兆や予感、気配といった言葉では表しにくい実体無い何かによって目覚めさせられたのかもしれない。それほど偶然というにはあまりにも出来すぎたタイミングだった。

 僕の目を通して網膜に映し出されたものは、包丁を振り下ろそうとするサヤの姿だった。

 僕は反射的に寝返りをうち避けたおかげで包丁は僕へ刺さらず岬に設置されてある椅子へと刺さった。

 サヤはいきなり視界が見えなくなり、包丁も僕に刺さってないとわかってその場であたふたしていた。これからどうすればいいのかわからないといった様子だった。

 僕はサヤを見た光を失った目からは大きな涙をボロボロとこぼしていた。それから僕は自分の顔が何かの水滴のようなもので濡れていることに気づいた。多分僕が目覚めさせたものは偶然なんかではなくサヤの涙だったんだと思った。

 サヤはそのままわんわんと泣いていた。

 僕はその光景を黙って見守ることしかできなかった。サヤが僕を殺そうとした理由は何となくわかっていた。

 しばらくして落ち着いたサヤは話し始め、僕はそれを黙って聞いていた。僕は殺されかけたことを怒ってはいなかった。僕はもともと自殺をしようなどと思っていたような人間だ。命が惜しいわけではない。別にあのままサヤに殺されても良かった。

 ただサヤの心の中が知りたかった。あの日から僕のこの世界に対する関心は彼女だけだった。

 懺悔のように話終わったサヤは、椅子に刺さった包丁を抜き何かを決心したように刃を自分自身へと向けた。



******


 わたしは生まれてからずっと真っ暗な世界で生きてきました。でも一人の男性と出会って世界が変わりました。文字通りの意味です。なぜか理由はわかりませんがその方の寝ている時、わたしに視力が宿るのです。わたしは初めて人を海を鳥を空を色を見ました。それはとてもとても美しいものでした。

 わたしはあなたと会うたびに、この世界を見せてくれたあなたを、目が見えなかったわたしと関わってくれたあなたを愛おしく思うようになっていきました。けれどそれと同時にあなたがわたしのもとからいなくなる事にとても恐怖を感じました。あなたがわたしのもとから去ればこの世界もわたしから去っていってしまうんじゃないかと思ったからです。きっとこの力はわたしとあなたの繋がりによって発揮されているものなのではないかと考えました。それを考えてしまってからは地獄でした。わたしとあなたの繋がりが切れてしまったらまたあの真っ暗な世界に閉じ込められるんじゃないかって。それを思うとそこから先に希望なんてありませんでした。こんなことを思うくらいならこの世界なんて見えないままのほうが良かったと思いました。そしてわたしは思いついてしまいました。このつながりを、あなたがわたしを思ったまま死んだら視力はわたしに宿ったままなんじゃないかと。

 わたしは自分の欲のためだけにこの世界と愛を教えてくれた人を殺そうとしてしまいました。自分がこんなに汚れた人間だとは思いませんでした。わたしはそんな自分を許せなかったしひどく恥ずかしく思いました。美しい世界にこんなわたしは似つかわしくありません。何より彼にこんなわたしを見られたくありませんし、顔向けもできません。

 わたしは椅子から包丁を抜き自分へと向け一気に引きました。

 けれど包丁はわたしに刺さることはありませんでした。なにか凄い力によって抑えられているような感覚でした。するとその力はわたしから包丁を奪い去りました。そしてその力の持ち主はこう言いました。

 「やっぱりこの世界は君が思ってるほど綺麗ものではないよ。とても汚くてひどく残酷だ。僕はには美しいとは思えない。それでも見たいと言うなら、僕の世界を半分あげるよ」

 その言葉が聞こえ終わると同時にわたしの右目にだんだんと視力が宿ってきました。そしてわたしの右目に飛び込んできた光景は手と右目から血が溢れ出ている彼の姿でした。

 「けどごめん。全部はあげられない。こんな世界でも、たった一つだけ見たいものができてしまったからね」

 そういってわたしの目を見つめニッコリと笑いました。

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― 新着の感想 ―
[一言] すごく感動しました! こんなハッピーエンドもあるんですね。面白かったです!
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