苦くて甘くて大きい焼夷弾
それは、俺がとある理由から、ほくほく顔で帰って来た時のことだった。
幼馴染みのアイツが、俺の部屋を尋ねて来た。
「これは……なんだ?」
彼女に手渡された物。見た時に俺が思わず漏らしてしまった言葉がそれだった。
「え、えっと、バレンタインデーの……チョコレート……です」
おどおどしながら、自信なさげに彼女はそう告げる。
「ち、チョコレート……ねぇ」
その言葉を受けて、思わず引きつった顔になる俺。一方、彼女の目は涙で濡れていた。
もう一度、彼女曰くチョコレートと言うものへ目を向ける。
それは。チョコというにはあまりにも大きすぎた。
大きく、分厚く、重く、そして大雑把過ぎた。
それはまさに鉄塊……というよりも。
「炭だ。明らかに炭だ。チョコなのに」
「ごめん……なさい」
シュン。としながら、彼女は俺の机を盗み見る。そこにあったのは、可愛くラッピングされた山盛りのチョコ。義理から本命まで選り取りみどり。今日の収穫だ。うちの高校は、バレンタインやらそういったイベントには、結構寛大だから嬉しい。
俺は受験生。来年の春にずっこけないため、甘いものは入り用なのだ。
「う……うぅ……」
一方、今年の春から大学生になる彼女は、お先は薔薇色な筈なのに、どんよりしている。いや、原因は分からなくもないけれど。
歳上なのに、威厳ないなぁなんては思わない。
たとえ炭であっても、俺は他でもない彼女からのチョコが嬉しかったのだ。多分気づいてくれないだろうけど。
よくも悪くも、彼女は鈍感だった。
「嬉しく……ないですよね。こんな食べられないようなもの。最初はチョコだったんです。すっごく甘いミルクチョコで……」
それが予想以上にビターになったと。神秘だ。
「創君、モテるから。私は今年からいないから……何とか手作りチョコ渡したくて……」
そういえば、彼女からのバレンタインはいつも既製品のプレゼントだった。手作りは初めてかもしれない。もしかしたら、作れないからだったのだろうか?
「い、いや、嬉しいよ」
「嘘です。どうしよう、コレ? って顔に書いてありますよぅ」
当たらず遠からずだから、笑えない。思わずぐうの音も出なくなった俺に、彼女は哀しげに溜め息をつく。
嬉しいのは本当なんだ。だけど、何て言えばいい? どうあっても、彼女は悪い方にしか取らなそうだ。そういう性格なのである。
今こそ俺の想いを告げるか? いやダメだ。やはり大学に合格してから。そう決めているのだ。
そうやってグルグルと思考を巡らせていると、不意にプチッという音がした。なんだ? と目を向けると、彼女は制服のブラウスを脱ぎ始めていて……いや、何やってるのお前!?
「だって、いっぱいアタックしてるのに。チョコはこんなで。来年から離ればなれで。創君はモテるし。もう他にどうすればいいんですか!」
待て待てウェイト! 何言ってるのこの子?
「きっと受験勉強中に予備校で他の可愛い女の子に誘惑されちゃうんです! 一緒に受験頑張ろうって言いながら、片方だけ受かるんです!」
「何かリアルでヤダよ!」
ブラウスのボタンが、どんどん外されていく。彼女の妄想は止まらない。
「それか、大学に入るなり美人な先輩にサークルで勧誘されちゃうんです! 散々弄ばれて、最後はポイされて……」
「止まれ! 頼むから止まれ!」
「嫌です! 振り向いてくれないなら、もうこうするしかないじゃないですか! 他の人に取られるなんて嫌です!」
気がつけば、ベットに押し倒されていた。はだけたブラウスから覗くそれに俺の目が釘付けになる。いずれ想いは伝えるのだ。そんな決意がガラガラと崩れていく。
彼女は、今まで見たこともないくらい、蠱惑的な表情で。扇情的な眼差しで。甘やかな指使いで、俺を追い詰める。
そんな彼女、俺は知らない。いつだっておどおどしながら、俺の半歩後ろをついてきた彼女。その面影は、今やどこにもなくて……。
「チョコは、苦いですけど……こっちはどう、ですか……?」
そこは、高校生というには、あまりにも大きすぎた。
大きく、柔らかく、重く、そして平均以上過ぎた。
それはまさに……。
※
「俺、受験頑張るわ」
「どうした急に。気味悪いな。有馬先輩と何かあったか?」
翌日。友人宅にて勉強しながら俺が決意表明すると、友人から思いがけない返答が来た。
「……なぜわかった」
「マジか。やっとくっついたか。てことはあのわがままボディを……ふざけんな死ね」
罵倒しながら消しカスを投げ付けてくる友人。どうやら、俺。あるいは彼女の想いは、周りには筒抜けだったらしい。恥ずかしくて死にたくなってきた。
「……大学入ってから告白するつもりだったのに」
「はっ、無駄無駄無駄。そんな安いプライドや男の虚勢が、女に通じるかよ」
弾切れを起こしたらしく、友人は無駄に消ゴムを動かしては、カスを投げ付けてくる。そろそろ鬱陶しい。
「そういえば、お前も彼女いたっけか。茶髪のショートカットで、名前は……」
「ああ、アイツな」
乾いた笑みを浮かべながら、友人は肩を竦める。そうして天井をぼんやり見上げながら、ボソリと呟いた。
「猪。いるじゃん?」
「は?」
思いがけない切り返しに、俺は面食らう。が、友人は構わず話を続ける。
「恋した女は猪と一緒だ。だからあしらうのも簡単だ。何て言う奴は、実際に野生の猪の前に立ってみるといい」
視線の先には、小さな写真立て。そこには友人と、件の彼女さんが写っていた。
「そう簡単に避けられたら、苦労しないんだよ」
……要するに、こいつも押しきられた口らしい。
惚れた弱みというべきか、つまるところ俺達に勝ち目はないということか。
認めがたい哲学にげんなりしながら、俺は持ってきた炭のようなチョコを食べる。とても苦い。けど……。
「甘いし。でかかった……」
「何の話だ?」
キョトンとする友人を尻目に、俺はペンを取る。やっと一緒になれた……。涙ながら笑う彼女の笑顔が、二度と曇らぬように。そんな願いを込めながら、俺は今日も戦うのだ。
結局、男ってやつは単純な生き物なのだろう。