第四話
「……ですから駅前の店はケーキと言うよりはクッキーの方が断然美味しいんですよ。そう思いません?」
「それは分かるかも」
何個目の質問か。何故他店の批判になっているのかもう闘矢には良く分からないし、考えるのも止めた。きっとその方が幸せになれる。
「あ」
それで四之宮夏陽は何かを感じ取ったらしい。やっと自分だけが質問していることに気付いたのかと思った闘矢に対し、四之宮夏陽は軽く頭を小突きながら、
「すみません。クッキーではなくチーズケーキとチーズタルトの人気についてでしたね」
「違えよ!」
思わず闘矢は声を荒げる。
と言うかいつの間にかに自分はそんな話題をしていたのかと今になって気付く。
「す、すみません。つい舞い上がってしまって」
「あ、いや。別に嫌だったとかそういうわけじゃないんだ」
見ただけで四之宮夏陽が一気にクールダウンしたのが分かった。顔を下げ、下を向いてしまっている。しょんぼりしているのが分かる。
「ただもっと別の話をしたくて」
声に出した瞬間、闘矢に電撃が走った。自分自身に問う。
――別って何だ?
「別って何ですか?」
案の定突っ込まれた。今の口振りなら闘矢側に話したいことがあると取られるのが当然だ。相手の話を中断させてまでする話。それほどまで大事な話。あることにはある。だが、この場で言ってしまって良いのか。
宗司との間に交わされた罰ゲーム。罰ゲームと言うからにはそれを立証するものが無くてはいけない。一番簡単なのは宗司に見られながら告白する。それならば断られても罰ゲームをやったという事が立証できる。だが今の場合、宗司はこの場面を見ていない。
もしここで告白して断られたとなったら、闘矢はそれをどう宗司に証明するか。振った四之宮夏陽に確認するわけには行かない。宗司が個人的に聞きに行けば良いだけであるが、宗司ならついうっかりと言って大勢の前で聞きかねない。
ならば成功するか、と言われてもそれは存外無理な話。考え、闘矢が出来る行動は決まった。
「友達が遅いからちょっと教室に戻ってみるわ」
逃げの一手。この場は一旦去り、次の機会を待つ。今回ほどぴったりな状況は無いであろうが、どうせ振られるのが分かっている。その気になれば何とかなるだろう。
「風も強いし、戻ろうかなって。四之宮さんもこう風が強くちゃせっかくの髪が乱れるだろ?」
闘矢は弁当を布に包み立ち上がる。これで良い。次の機会で頑張れば。これが今出来る最善の手だ。
「待ってください」
去ろうとした闘矢を四之宮夏陽は呼び止めた。思わず闘矢はその声で足を止めてしまう。止まるな、動け。風で聞こえなかったことにすればどうにかなる。今はここを去ることが先決だ。
「待ってください」
背後で四之宮夏陽が立ち上がる気配。先ほどより一層存在感が増した気がする。
振り返るな、さっさと去れ。脳から命令が送られるが、身体が反応しない。
理性が逃走を示唆する。
本能もそれに従えと叫ぶ。
だが、別の何かがその命令を上書きする。
立ち止まれと誰かが言う。
「はっきりと……言って下さい」
《はっきり言って下さい》
雷に打たれたのではないかと思った。先ほどとは比べ物にならないほどの衝撃が体中を駆け巡った。体の中から何かが湧き上がってくる。何かが、闘矢の体の中で変化する。だがその変化に気付くことはできても、それが何であるかは闘矢には理解できない。
先ほどの、四之宮夏陽の言葉と重なるように発せられた声。似ているが、少し違う印象を受ける言葉。おそらくそれが引き金となった。
それがなんなのか、考えるより先に思考が一瞬真っ白になる。そして再び回転を始める。徐々に、だがしっかりと回りだす。新たに打ち出された思考は先ほどとは完全に真逆のものだ。
風は確かに強かった。事実四之宮夏陽の髪は風に煽られ、押さえなければ大変なことになりそうだった。だからこそ闘矢が危惧したことはなんら不思議ではない。相手を気遣うことの何がいけない。
遅い友達を心配することのどこにおかしな点があるのか。約束を守らない友達がどこにいるのか探すのは普通じゃないか。もし何か困っていることがあったらどうするんだ。
これで良い、これで相手も納得するはずだ。今後の事も含めて全部説明できる。行動にしっかりとした理由をつけることが出来る。何もおかしなことはない。
なんてことは無い、自分の取った行動はなんて、
…………なんてクソみたいなものなんだ。
「……」
闘矢は止まっていた足を動かす。前方へ、ではない。方向を変えて逆方向、四之宮夏陽の顔が見える向きに。
四之宮夏陽は真剣な表情で闘矢を見ていた。足元には弁当の中身が散らばっている。膝の上に乗せていたのが急に立ち上がって落ちたためだ。
避けてから立てばいいものを。いや、そうは思わない。避ける暇が無かったと解釈すべき。それほどまで四之宮夏陽は闘矢を引きとめようとしたと考えるべきだ。
「言って下さい」
四之宮夏陽はうっすらと涙を浮かべそうな表情になる。先ほどのまでの屈託の無い笑顔が嘘のようだった。
君はそんな顔をしてはいけない。それが自分のせいである事を自覚しているからこそ、闘矢は四之宮夏陽から眼を逸らさなかった。真っ直ぐとその姿を捉える。
「後悔したくないから。今、はっきり言うよ」
先ほどのまでの逃げの姿勢ではない。しっかりとした口調。
そして、告げる。
「四之宮の事が好きだ」
向き合った言葉。それはこの状況と言う意味であり、闘矢の今の心境でもあった。
おそらく今この瞬間、この場において、桐崎闘矢は四之宮夏陽を好いている。それについては闘矢も認めざるを得ない。
風は確かに強いが本当は気にするほどではない。ただ体の良い言い訳に使った。状況の不満で人は納得する。理由をつけることでその行動が正しいように思わせる。
更に相手の状況を引き合いに出す。四之宮夏陽を心配する素振りを見せてそれを理由に去ろうとした。遅れている友人と言う第三者の心配をすることで相手にも理解を求めた。
そうすることで断れなくした。
相手の心に漬け込もうとした。
何かと理由をつけて、逃げようとした。
自分の行動を何とか正当化しようとした。
つまり闘矢は最悪な行動を取ろうとしたのだ。
「俺と、付き合ってくれ」
全てを省みた。
だからこその、率直な言葉だ。
「はい」
うっすら涙を浮かべながら、四之宮夏陽の屈託の無い笑顔がそこにあった。