第三十九話
「なに!?」
突然の変わり身に呆気に取られた闘矢。だがその間に悠獅は半身の体勢になり、拳を闘矢に向けるように構える。それの姿を見た時、闘矢は勇魚の言葉が偽りではなったことを確信した。
型に嵌った武術の構え。しかし体全体に余計な力はかかっておらず、安定した隙の無い立ち姿。悠獅の放つ重圧がより一層増したように感じた。
その時、それとは別に闘矢の頭に何かが過ぎった。
「今ここで俺がお前を叩き潰す方が、何倍も楽しめそうだ」
過ぎったものが何か―それを考える暇もなく悠獅が半歩引いていた右を床に叩きつけ、床にヒビが入る音が響き渡った瞬間、闘矢の眼前に左拳を突き出しながら迫る。
ギリギリで動きに反応、さらに絶対拒絶の反射運動もあり、悠獅の突きを身体を傾けて回避。そして間髪入れずに繰り出される裏拳をのけぞりながらこれも回避して距離を取る。
悠獅から離れた闘矢だが、その背中には嫌な汗をかいていた。悠獅の動きが想像以上に速く、久しくくらう事の無かった一撃を貰うところだったからだ。
そこで悠獅が不敵に笑い始める。
「貴様の回避能力が異常なことは既に知っている。確かに普通の一撃を入れることは容易では無いようだな」
「――ッ!!」
言葉の終わりに闘矢は突然妙な息苦しさを感じ、思わず僅かに膝を曲げる。まるで体の周囲にある空気が闘矢を締め付けるような異常なほどの圧迫感。御門気功術、獅帝鳴だ。
先ほどまでは自然と漏れていた余波に過ぎなかった。本物の、対象を絞った志向性の獅帝鳴が闘矢を襲ったのだ。
「この重圧の中いつまで避け続けられるか。見物だな」
再び構えを見せる悠獅の威圧はまさしく百獣の王、獅子の如く闘矢を射抜く。闘矢の喉元を食い破らんとする鋭さと力強さがあった。
その重圧に晒されている中、そこで闘矢は気付く。悠獅は先ほどと同じ半身の体勢ではあるものの左手は突き出すように、そして右手は頭上に掲げるように構えている。まるで弓を射るような構え、型が先ほどとは異なっている。
そして再び頭に何かが駆け巡り、今にも倒れそうな体勢でありながら闘矢は頭に手を当てる。思い出せそうで思い出せないそのもどかしい感覚、喉まで出掛かっている何かが闘矢の脳を支配する。
その感覚が邪魔をしたのか、闘矢は悠獅の動きに一瞬出遅れてしまう。瞬間的に間合いを詰められ、タメの無い左の貫手が襲い掛かる。紙一重―何とか貫手を回避するが、次の瞬間闘矢は戦慄する。この左手が罠だと気付いた。
右の手刀が振り下ろされる。寸前で回避するが、獅帝鳴の重圧は確実に闘矢の動きを阻害しており、明らかに闘矢の動きは精彩を欠いていた。次々と繰り出される右の貫手、そして左の手刀。絶え間ない二つの攻撃は徐々に闘矢を捉えつつあった。
回避に手一杯である闘矢は攻勢に回る事が出来ない。いや、例え攻勢に出たとしても闘矢には悠獅を攻め続けることは出来なかった。
今まで闘矢は相手の攻撃を回避し、可能ならば隙を突いて倒すという戦い方を行ってきた。桐崎の戦いはあくまで勝つためのものではない。相手を倒すためのものではない。ただ逃げるだけ、自身に危害を加えるありとあらゆる物から逃げるための技術。
それを追求し、完成させたものが闘矢の持つ、絶対拒絶だった。
故に闘矢は祖父から攻勢での戦い方を学ばなかった。祖父が常に攻勢に立ち、それを闘矢が避け続ける。そうして逃げる技術を研磨、洗練させていったのだ。その期間7年。その消極的な戦い方が身体に染み付いてしまった闘矢には自ら攻めるという戦い方が出来なかった―――出来なくなった。
その時、数十手に及ぶ攻撃の末、悠獅の貫手が闘矢の額の右側を掠める。有効打には程遠い一撃。
しかし祖父に鍛えられ、ここ5年ほど攻撃はおろか他者から触れられたことのなかった闘矢にとってそれは決して小さくない負傷だった。




