第二十四話
反射的に振り向いた闘矢の眼前、鼻先数センチの空間に、小さな黒い物体が出現――いや、飛来してきた。
闘矢の体が即座に回避しようと動き始める。闘矢の思考速度を越え、意思を反映しない回避行動をとろうとする。
だが、その動きは何故か鈍かった。物体が闘矢の絶対拒絶を上回る速度で飛来してきたからか、このままでは回避が間に合わない。
闘矢には分からなかったが、この時飛来した物体は秒速300メートルを越え、文字通り弾丸として闘矢に迫っていた。
日常生活で体感したことのない速度。そもそも避けるという概念が通用しない世界。
闘矢の体が回避行動を中断した。
避けるのを断念したのか?
いや、そうではない。
―気の接近を確認
―解析……既存の情報と照合……合致件数1
―神永の指氣弾と判断
脳裏に何かの声が響き渡り、
―通常行動では回避が困難と判断、回避行動の変更
―幻虚姿を発動
気付けば、闘矢は夏陽を抱えて地面を転がっていた。
いつ夏陽を抱き寄せたのか、そして飛来する物体をどのように避けたのか。その過程は省略され、物体を回避したという結果だけが闘矢の意識に残った。
先ほどまで座っていたベンチを見る。そこには、あるはずのベンチが存在していなかった。かつてベンチであった残骸があるだけだ。木で作られていたベンチは粉砕され、細かい木片になっていた。
そして爆発が起きたかのようにその周囲にはクレーター。いったい何が……という疑問が沸いた。
「え? 何……これ?」
夏陽もクレーターを見て目を丸くする。一体何がどうなったのか、2人には理解が出来なかった。
「あの状態から回避された?」
そこで、あまり抑揚を感じさせない第三者の問いかけが投げかけられた。
声の主はベンチがあった場所の正面の位置に立っていた。僅かに青みがかった肩口で揃えられた髪にカチューシャをつけ、セーラー服に身を包む少女。小首を傾げて闘矢たちを見ている。
「誰だ、あんた?」
「お初にお目にかかります。私、名を神永海里と申します」
神永、脳裏を一瞬駆け巡った名前だ。しかしそれが何を指し示すのか見当もつかない。少女はお辞儀をし、スカートの裾を軽く持ち上げた。貴族のような挨拶の仕方だった。
「神……永……?」
呟いたのは夏陽だった。夏陽は、神永海里を知っている?
「まさか御門家の?」
「はい。私は悠獅様の守り目をさせていただいております。本日は夏陽様をお迎えに参りました」
「お迎え……ですか?」
夏陽の問いに、海里は微かに頷く。
「本日、御門悠獅様ならびに御門康成様が四之宮邸にてご夕食の用がございます。ぜひその席で夏陽様にもご挨拶という形でお会いなさりたいと言う事で」
御門康成、その名前に闘矢は聞き覚えがあった。それも当然、御門康成は今現在の内閣総理大臣。日本政府の頂点に立っている名前だ。小太り加減の男で、いかにもふてぶてしい顔をしている。テレビで何回も見た事があり、しっかりと目に焼きついている。
すると御門悠獅はその子供と言うことか。ではその親子が、夏陽に一体何の用があるのか。
闘矢は二人の会話から少しでも情報を探ろうと必死だった。それがこの状況を理解する最短だと感じた。
「そのような話は聞いていませんでしたが」
「何分急なものでして、こうして私がお迎えへと出向いたのでございます」
夏陽の問いに対して海里は淡々と答える。まるで答える内容が決まっているかのように機械的に答えている風に見える。
「ですが夕食にはまだ時間があります。迎えにしては早すぎるのではないでしょうか?」
「私が、御門に縁ある者が迎えに出向いたと言う事で、納得していただけないでしょうか? それとも、何をやったのかわかりませんが、先ほどのように逃げ回りますか?」
この海里の回答に対し、夏陽は一瞬体を強張らせたように見えた。そして何か口惜しそうに唇をキッと結ぶと静かに立ち上がる。
「分かりました。あなたの迎えに応じます」
制服に付いた土埃を払い、夏陽は立ち上がる。それに対し、海里は手を前に添え、黙って一礼した。
それを闘矢は呆然と眺めていた。
何が起きているのか闘矢が理解していない状態で事態が進んでいる。海里の言葉、それを納得した夏陽。相互関係が全く掴めない。ただ呆然と地面に座り込んでいた。
「ごめんなさい。闘矢君」
声をかけられ、夏陽に目を向ける。どこか寂しそうな目を向ける夏陽。だが何かを決意したような目にも見えた。
「何が、どうなってるんだ?」
「ごめんなさい闘矢君。ごめんなさい」
「―っ!」
謝り続ける夏陽に、闘矢はそれ以上何も言えなかった。
何で説明してくれない!?
さっきの会話は何だ!?
御門とは一体どういう関係なんだ!?
問いが、口から出ることは無かった。答えを聞きたくなかったわけではない。聞くのが怖くなったわけではない。聞いたら、夏陽を困らせるように感じた。
何故そう思ったのか分からない。だが、聞いてはならない。そう感じた。
「さようなら」
夏陽が、寂しげに告げる。
そうして何も言葉を発しないまま、闘矢は呆然と二人の後姿を見送った。




