第7話 能登の錫杖~前編~
《大和太郎事件簿・第7話/能登の錫杖》
〜竹内文献モーゼ伝説殺人事件〜
《 前編 》
アインシュタイン博士も言った。
『近世日本の発達史ほど、世界を驚かしたものはない。この驚異的進展、そこには他の国と相違する、何ものかがなくてはならないと思っていた。果せるかな、三千年の歴史がそれであった。世界の文化はアジアに創ってアジアに還り、それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならぬ。天はわれら人類のために、日本という尊い国を造っておいたのである。』
(〜大本のおしえ〜昭和42年9月発行 編集者 大本教学研鑽所 260頁 より)
※アルベルト・アインシュタイン;(1879〜1955)理論物理学者、相対性理論の提唱者。ノーベル物理学賞の受賞者。大正11年(1922年)に13日間日本に滞在。
能登の錫杖1;プロローグ
石川県押水村(現:宝達志水町);太平洋戦争後1945年8月15日以降のある日
アメリカ占領軍の数台のジープと軍用トラックに乗った一団が、あわただしく宝達山の方に向かって、緑色の稲穂が茂る水田横の道を土煙りを巻き上げながら走っていた。
竹内文献によると、古代イスラエル人であるモーゼの遺体が石川県の宝達山に眠っているらしい。その真偽を確かめるべく、連合国軍総司令本部GHQの最高司令官マッカーサーの許可を受けた一団が調査にやって来たのである。巷ではマッカーサーは秘密結社フリーメーソンの一員であると謂われている。フリーメーソンはモーゼの十戒が書かれた石板とそれが収められた聖櫃を探し求めている集団である。現在のフリーメーソンは社交部会と技術部会があると謂われている。社交部会は一般的な情報交換や会員の親睦を深める部門である。一方、技術部会は西暦674年にイギリスで設立された石工組合が発展してきた、フリーメーソンの本質を引き継いでいる組織とされる。石工組合を遡れば、エジプト・ピラミッドの時代のユダヤ人奴隷に繋がると謂われている。
ある人間に謂わせると「現在のフリーメーソンは18世紀に創設された秘密結社イルミナティに乗っ取られ、影で支配されている。」らしい。一般的解釈では、反キリスト教的である事を理由にイルミナティはその活動を始めてから10年後に活動を禁止され、消滅したとされる。しかし、イルミナティは地下活動によって生きながらえて来た、と云うのが乗っ取り説の根拠である。
はたして、影の世界支配を目指す組織が、自分たちの名前を公にされることを許しておくものであろうか・・・・・?
※竹内文献;
日本書記や古事記などの大和朝廷が8世紀初頭に作成した古文書では、神々の話は別にして、神武天皇が日本国を最初に統一した天皇とされている。しかし、古代の日本国は神武天皇の時代より更に古い昔、超古代において、世界の王として君臨していた歴史があるとするのが竹内文献である。
明治時代に富山県に在った竹内家の養子となった竹内巨麿が竹内家に残されていた古文書(神代文字、古代文などで紙や動物の皮に書かれていた古文書)を漢字仮名混じりの古代文や現代文に書き改めた文書や資料を竹内文献と云う。古代文で書かれていた文書は5世紀後半に武内宿禰の孫である平群真鳥が神代文字の文を古代文に翻訳したものである。竹内家とは、神功皇后が鎮魂帰神法で神憑して神託を口述する時、その神が本物かどうかを審神した武内宿禰の子孫である。八幡神社の総本山である大分県・宇佐神宮には境内摂社・黒男神社の祭神として武内宿禰が祀られている。黒男とは歌舞伎や人形浄瑠璃で云うところの黒子のことか?
竹内巨麿は京都北山の鞍馬山・大悲山などで修験修行を行った後、現在の茨城県北茨城市磯原で天津教・皇祖皇太神宮と云う宗教結社を起こしたが、その布教内容が天皇家を侮辱しているとして昭和11年に、天皇家の紋章である菊花紋を使ったと云う理由で不敬罪に問われた(天津教事件)。ところで、巨麿は山岳宗教である御岳教の管長から神代文字の読み方を学んだと謂われている。当初、竹内文献は巨麿がねつ造した偽書と云う学者の意見もあったが、最終的には偽書かどうかは不明のまま、昭和19年12月に大審院(現在の最高裁判所に相当)で無罪の判決が降りて結審した。判決文は無罪と云うことではなく、宗教上の神に関する問題は国家法で裁判所が裁定できる問題ではないとして、判断を放棄した実質無罪であった。
竹内巨麿が所有していた古文書(5世紀に平群真鳥が神代文字を仮名混じりの古文に書き直した竹内文書)などの証拠資料は裁判所の倉庫に保管されていたが、昭和20年の東京大空襲でそのほとんどが焼失したと謂われている。※
GHQが天津教事件の裁判記録を読んで宝達山のモーゼ墳墓を探しに来たとしたら、竹内文書も焼失しておらず、GHQが手に入れている可能性がある。また、フリーメーソンは明治維新政府樹立以来、日本政府のバックアップをして来たと云う噂がある。天津教事件と並行して起こっていた政府による大本教弾圧事件(治安維持法は無罪、不敬罪は有罪で控訴中であったが昭和20年敗戦の大赦令で判決無効となる。)の大本教教祖・出口王仁三郎は昭和17年に『フリーメーソン本部に(弾圧事件の)予審調書が渡ったから、もう大本教は大丈夫だ(無罪になる?)。』と言ったらしい。それが事実なら大本教弾圧事件と並行して行われていた宗教弾圧・天津教事件裁判の予審調書もフリーメーソン本部に渡っていた可能性が大きい。戦後の昭和25年(1950年)1月にGHQは天津教に対して解散を命じる。何故に解散させたかは不明。
現存する竹内文献は茨城県の皇祖皇太神宮(天津教の本山)に残されていたものである。
なお、北陸の富山市呉羽山麓(城山公園)にも皇祖皇太神宮が存在するが、ここは天津教とは無関係のグループで管理されているらしい。
歴史的観点では、大和朝廷初代の神武天皇は大和(奈良県)の地を支配しただけで、第10代・崇神天皇、第11代・垂仁天皇、第12代・景行天皇の時代に大彦命などの4人の将軍や日本武尊などが九州地方から中部、東北南部までの統一を行ったと思われる。それまでは、出雲地方から北陸、中部、関東方面までを支配していたのは大国主命(大巳貴命)である。
そして、大国主の出雲王朝に支配される以前の北陸地方は奴名川姫が統治する古志の国であった。古志の国とは越前(石川県)、越中(富山県)、越後(新潟県)をまとめた領域と考えられる。
アメリカ占領軍の一団はテントを張り、それから数カ月間に亘りこの宝達地方一帯の発掘調査を行った模様である。宝達山近辺にある古墳や縄文遺跡を掘り起こし、人骨や遺品を探したとされている。当時に発掘を手伝った村人の話では、自分の手伝った範囲では人骨などは発掘されなかったと云うことである。
しかし、アメリカ占領軍の行った調査報告書の所在は現在も確認されていない。
ちなみに、現在は石川県羽咋郡宝達志水町と名を変えた地方自治体が観光目的で『モーゼの墓公園』を管理運営している。
押水の村名の由来は『村に来た旅の僧侶が地面を押すと水が湧き出た泉の村』と云うことであるらしい。おおしみず(大清水)が訛って、おしみず(押水)となったと云う説もある。
この地域が押水村の呼称となったのは戦後であり、戦前は荘村、大海村と呼ばれていたようである。
能登の錫杖2;衝撃走る
中国領海 海南島南端の唖龍湾ビーチ;現地時刻・2008年9月13日(土) 午後1時ころ
海南島南端には東から唖龍湾、楡林湾、三唖湾の三つの湾が並んでいる。唖龍湾の白い砂浜の海岸線は国家旅遊度仮区と云い、高級リゾートホテルが並んだ『東洋のハワイ』と呼ばれている地域である。唖龍湾西側の小さな岬を挟んで楡林湾があり、さらに岬を挟んだその西には三唖湾がある。この海岸線は中国の外貨獲得用遊興地として開発された海岸都市である。三唖湾ビーチから唖龍湾を望むことはできない。この三つの湾岸ビーチを含む都市が人口51万人の三唖市である。
海外からの海水浴旅行者や地元の人々が灼熱の太陽光を浴びながら様々に浜辺や海の浅瀬で遊んでいる。
快い海風を受けながらビーチの砂浜後方に立てたパラソルの下で一人の白人男がカメラ三脚に取り付けた超望遠レンズ付きの一眼レフカメラのファインダーを覗いている。
驚いた表情でファインダーから目を離した男が、東南方向の海上をながめた。
そして、太陽光を反射して、小さくキラキラと光る物体が高速で北東方向に遠ざかるのを確認した。
それから、その男はアロハシャツの胸ポケットから携帯電話を取り出して慌ただしく携帯メールを打ち始めた。
英国ロンドン対外諜報本部 MI6の情報部長室;2008年9月13日(土) 午前6時ころ
「中国海南島にいるコードネーム《タートル》から緊急暗号文がメールで入りました。」と言いながら職員が情報部長に暗号解読文の書かれたA4サイズのペーパーを渡した。
自宅で睡眠中に突然の呼び出し電話で起こされ、急いでMI6の本部に出勤してきた情報部長が目を凝らして文面を読んだ。
「・・・。唖龍湾近くの東シナ海海中の中国原子力潜水艦から巡航ミサイル一機が北東方向に発射された。台湾か日本に向かっている模様。至急に衛星で追跡されたし。・・・・・。」
「CIAに連絡し、人工衛星での追跡依頼を出しました。」と職員が言った。
「判った。その後、米国からの報告は来ているのかね?」と部長が訊いた。
「はい。CIAから国防総省に連絡を入れ、偵察衛星からの映像を監視しているとのことでした。日本の横須賀にあるアメリカ海軍第七艦隊本部にも非常事態発生の電文が発令されたようです。CIAからの具体的な状況報告はまだありません。」
「そうか。香港と台湾、フィリピンそして東京の英国大使館や領事館には連絡したのかね。」
「はい。それぞれの大使館・領事館にいる諜報部員には情報収集指令を出しました。」
「しかし、ブラジル人の夢預言者が言っていた『東京に向かう衝撃』とは巡航ミサイルのことだったのか? ミサイルの航続距離は?」と部長が訊いた。
「種類にも依りますが、最長で5000kmの巡航ミサイルがあります。この場合、東京と海南島の距離は約3800kmですから、巡航ミサイルの航行速度が毎秒300m程度と仮定して、発射後3時間半で東京に到達します。」と職員が言った。
「時間にすると、何時ころかね?」
「はい、英国時間で午前8時半ころです。今から、2時間半後です。」
「巡航ミサイルの爆弾は核かね?」
「はい。海軍情報部からの情報では中国の巡航ミサイルは核弾頭であるとの事でした。」
「うーん。米国第7艦隊は迎撃できるのかな?」
「航行中のミサイルを発見できれば可能でしょうが、発見出来ない場合は・・・・。」
「奇跡を待つしかないのか・・・・。」
「中国政府の公式表明は何か出ているか?」
「いえ、何もないとの情報です。」
「この時期に開戦はないだろう。暴発か・・・?」
能登の錫杖3
弁慶寿司;2008年10月16日(木) 午後4時30分ころ
東武東上線池袋駅かJR池袋駅の北口改札を出て地下道を通り池袋西口広場に上がると正面にマクドナルドの看板が目にはいる。そこから、右方向に目を移していくと、極上ネタ・格安会計『弁慶寿司』の看板が掛かる間口4メートルくらいの小さなすし屋がある。このすし屋の看板には、もうひとつの案内が書かれている。
《大和探偵事務所 よろず相談、調査を安価にお請けいたします。当すし屋にお尋ねください。》
私立探偵の大和太郎が北辰会館での空手稽古を終え、いつもの様に弁慶寿司にやって来た。
「らっしゃい、旦那。」
「こんにちは、板さん。」
「20分くらい前、外人のお客さんがあったすよ。」
「私に、外人の客?」
「五時半にこの先にあるメトロシティホテルの255号室に来て欲しい、と言って立ち去ったっす。」
「名前は言いましたか?」
「これが、その外人の置いて行った名刺っす。」と言いながら、板前が太郎にに名刺を渡した。
「英語の名刺か・・・。アメリカ大使館の人物のようですね。海外防衛協力部のジョージ・ハンコックか。」と名刺を見ながら、太郎は以前に手伝ったCIAの事件の事や、数日前にあった米国大使館員からの電話による依頼話を断った事などを思い出していた。
「もし、旦那が『ホテルに行かない』と言ったら、次のように答えてくれと言ったっす。」
「日本語で?」
「もちろんっすよ、旦那。あっしは英語はしゃべれないっすよ。英語で話されても理解できませんからね。その外人は日本語がペラペラでしたっす。」
「で、何と言ったのですか、その外人は。」
「田代慶子の依頼の時と同じ部屋で相談したい、と伝えて欲しいと言ったっす。」
「田代慶子さんからの依頼を受けた部屋は、確かにメトロシティホテル255号室だったな。と云う事は、依頼内容は失踪人の捜索か?しかし、何故に田代慶子さんの事を知っているのだろう?」と思いながら、太郎は話を聞いてみることに決めた。
能登の錫杖4:調査依頼内容
メトロシティホテル255号室;2008年10月16日(木) 午後5時30分ころ
「先月、すなわち2008年の9月13日に中国海軍が秘密裏に大掛かりな戦闘訓練を行いました。太平洋沿岸にある海南島の唖龍湾にある中国海軍の原子力潜水艦(原潜)の海底基地を中心に西太平洋上の戦艦、空母との連携作戦の演習でした。また、海南島の五指山の麓には中国の軍事基地があります。未確認ですが、五指山麓の軍事基地と唖龍湾の潜水艦基地は地下トンネルで繋がっており、軍用トラックが行き来していると謂われています。この軍事基地が今回の演習の司令本部であったようです。たぶん、仮想敵国はアメリカを含む東アジアの同盟諸国だったと想像しています。場合によってはR国を含んでいたかも知れませんが。世界の軍事関係者のごく一部の人々の認識では、今後の世界大戦は空母ではなく巡航ミサイルを装備した原子力潜水艦が中軸となった敵本土破壊作戦が戦略の中心になるだろうと云うことです。中国海軍もその事を想定した訓練を行っているようです。」とジョージ・ハンコックが切り出した。
「9月13日と云えば、海南島で大地震が発生すると予言されていた日ですね。」と太郎が言った。
「ああ、そんな話もありましたかね。でも、地震は発生しませんでしたよね。」とハンコックがあっさり言って、更に話しを続けた。
「現在の大型原潜には大陸間弾道ミサイルを搭載しているものがあります。中型原潜には巡航ミサイルが搭載されています。核弾頭を着けた大陸間弾道ミサイルは上空高く飛んで行くので雲や雨天、台風の影響を受けません。核弾頭の巡航ミサイルは複数の固定位置人工衛星から発信される電波を受信して三角測量するGPSにより、自分の位置の緯度・経度を認識し、あらかじめ搭載マイクロプロセッサーにメモリーされた目的地までのロードマップと比較しながら敵国の目標地点まで海上や地表から数十メートルの高さで水平に飛んでいきます。核爆発に伴う電磁波障害の影響を考慮してGPSを用いないタイプもあります。あらかじめミサイル発射地点から目的地までの地表形状や飛行距離をメモリーしておき、巡航ミサイルの搭載映像カメラからの実際の地表形状とメモリーの内容を比較させながら目的地まで飛ばせるタイプです。巡航ミサイルの場合、台風などの落雷の影響を受けて、電子回路が故障したり、あらかじめのメモリー内容と実際の状況が異なることによって目的地に到達しない場合があります。9月13日の中国海軍演習中に操作ミス、あるいは、コンピューターへのプログラムミスがあり、1台の巡航ミサイルが海南島から見て東北方向に発射されました。しかし、幸いなことに、当日の台湾近海には台風13号が停滞しており、雷の影響か暴風雨の影響で巡航ミサイルは台湾近海に墜落した模様です。英国諜報部からミサイル発射の情報を受け取った米国国防省と海軍第7艦隊は直ちに巡航ミサイル発見作戦を開始しました。中国海軍も同様です。ご存じと思いますが、巡航ミサイルは海面上の低い位置を水平飛行しますのでレーダーでは捕捉できません。したがって、墜落地点まで、どのように飛んで行ったかは判明しておりません。ただ、地球を周回している我が国の監視衛星の遠赤外線カメラが偶然に巡航ミサイルのロケット部からの発熱線映像を15分くらい捉えており、落下可能性地点の範囲を台湾近海の50Kmくらいの直線上に絞れています。中国保有の衛生の位置から推察すると、我々のような落下地点の映像は持っていないと考えられます。ただ、巡航ミサイルが固有周波数の位置情報電波を発信しているとなると、すでにミサイルの回修を終えている可能性もあります。」
「巡航ミサイルが航行していた直線の延長線上にある国はどこですか?」と太郎が訊いた。
「日本の東京があります。」
「もし、演習中の潜水艦の近くで大地震が発生したとしたら、巡航ミサイルは発射されますか?」
「潜航中の原潜が直下型の地震を受ければ、何が起こるか判りません。水中で地震による水撃波を受ければ相当のショックが発生するでしょうから、巡航ミサイルが発射装置に装填されていれば、地震の衝撃でスイッチが短絡してミサイルが発射される可能性はありますね。」とハンコックが言った。
「暴発した巡航ミサイルには名前が付いていましたか?」
「ええ、北狄3号です。中国海軍の巡航ミサイルには航続距離別に4種類あります。そして、それぞれに名前が付けられています。東戎、北狄、南蛮、西戒です。古代中国では自国の周りにいる侵入外敵のことを表現するのにこの四つのことばを用いていました。中国は巡航ミサイルが他国に密かに侵入していくイメージからこれらの言葉が当てはまると考えたのでしょう。北狄とは中国の北側にある国や蛮族を意味しています。現在なら、さしずめモンゴル共和国かロシア連邦になりますかね。巡航ミサイル北狄の航続距離は5000Kmです。」
「そうですか、判りました。」と太郎が言った。
そして、
「ブラジルの夢予言者が言っていた『9月13日の海南島大地震後に日本へ向かう衝撃』とは巡航ミサイルの事であったのかな?そして、台風13号を起こした龍神がミサイルを台湾近くの海中に墜落させた。蒙古襲来の時と同じか?」と云う思いが太郎の頭に浮かんだ。
「ところで、私への依頼内容は何ですか?」と太郎が訊いた。
「結局、アメリカ海軍は、海中に落下した巡航ミサイルを発見できないまま現在に至っています。中国当局もまだ発見できていないのではないかと考えています。中国の漁船が多数台湾近海で操業しています。この中には沈没したミサイルを探しているものもあります。」とハンコックが言った。
「中国がミサイルを発見できていないという証拠はあるのですか?」
「それを実際に確認するのも我々CIAの任務の一つです。そして、あなたに依頼したい内容もこれです。ミサイル発見のために役立つ情報収集も含みます。ミサイルが発見出来なかったとしても、ミサイル暴発の背景を確認することができれば我々の任務は完了します。現在、あなたの友人であるスティーブ・キャラハンが我々からの依頼を受け、海南島をはじめとして東アジアの各国で中国海軍の動きを収集しています。しかし、我々アメリカ人と中国人では文化的背景が異なる為、情報分析やそのための行動目標設定に関しての適格性を欠いているのが実情です。そのため、スティーブは東洋人的発想からの推理分析が必要と考え、大和さん、あなたをこのプロジェクトに加える事を要求してきました。」
「そうですか。でも、中国、アメリカ以外の第3国が発見した可能性はないのですか?」
「K国、R国もこの海域で潜水艦を活動させていますが、現在のところは巡航ミサイルの暴発には気が付いていない模様です。しかし、近いうちに情報が漏れて、ミサイル捜索に動き出すでしょう。大陸棚上ですから水深は200メートル程度の海底に核弾頭を搭載した巡航ミサイルが横たわっている訳です。ですから、特に深海艇を出す必要はありません。浮上潜水艦や駆逐艦上から、あるいは漁船を装って、耐圧潜水ビデオカメラを海底に沈めて、艦上のビデオモニターを見ながら海底探索が可能です。」
「お話の内容はよくわかりました。しかし、私は日本人です。中国の主権を侵しかねない捜査に協力するのは気乗りしません。今回の巡航ミサイル暴発事件は偶発的なことでもあり、それほど重要視する必要はないのではないでしょうか。中国が今後注意していけばよいことではありませんか?」と太郎が言った。
「単なるプロジェクト協力なら、太郎は依頼を断るだろうとスティーブも言っていました。しかし、スティーブから貴方へのメッセージがあります。『現在までの調査内容から一つの疑問点が浮上している。確かな証拠はないが、巡航ミサイルは誤操作で発射されたのではない可能性もある。私は、それを確かめるには太郎の東洋人としての推理力が必要と考えている。もし、誰かの意志で日本に向けて核弾頭ミサイルが発射されたとすれば、第2、第3の同様の事件が発生するだろう。これを事前に察知し、世界大戦に繋がる核爆発を防止しなければならない。そのためには多くの人員と経費を投入する必要がある。したがって、今回のミサイル暴発事件が誰かの意図で行われたのか、あるいは単なる誤操作であったのかをはっきりさせる証拠を掴み、場合によってはアメリカ大統領に人員と経費の投入を上奏しなければならない。そのためには海底に沈んでいる巡航ミサイルを回収し、ミサイルのマイクロプロセッサーに記憶されている目標地点とプログラムされた日時、プログラムのために使用されたコンピューターの特定が必要です。ぜひ、太郎の協力が欲しい。これは、日本のためでもあると思っている。』」とジョージ・ハンコックが上着のポケットから取り出したメモを読んだ。
「判りました。調査活動に協力いたします。よろしくお願いいたします。ミスター・ハンコック。」
「それは、ありがとうございます。活動の詳細については明日にご連絡いたします。報酬はCIA規定により支払いますが、今回の調査活動は危険レベル2ですので、通常支払額の2倍です。ですから、月額にして200万円になります。活動経費については別途支払います。ただし、今回の活動で障害を負ったり、死亡したとしても、その金額以外の支払いはありません。ですから、ご自分の身の安全はご自分でお護りください。あと、何か質問がありますか?ミスター大和。」
「私への依頼打ち合わせ場所として、この255号室を選んだ理由はなんですか?」と太郎が訊いた。
「私個人の主義の問題です。私はジンクスを重視します。田代慶子さんから田代幸造氏の捜索を依頼されたのがこの場所でありました。そして、無事に田代幸造氏を発見した。この成功体験にあやかりたいのです。それだけです。」
「なるほど、験を担ぐ訳ですか。」
「まあ、そう云うことです。ジンクスとは現実に起こったことです。もう一度発生しても
何等の不思議もありません。もちろん、発生しない場合もありますがね。だから、ジンクスを重視する人間とは現実主義者なのです。自分で言うのも変な話ですがね、あっはっはっは。」とハンコックが笑った。
「田代幸造氏に起きた事件の話は誰からお聞きになりましたか?」と太郎が訊いた。
「それは、業務上の秘密ですからお答えできません。悪しからず。」
「巡航ミサイルの向っている方向が日本と云う事でしたが、日本国内のどの地域を目標地点としていたのか判っていますか?」と太郎が訊いた。
「私の推測になりますが、東京の皇居か神奈川県横須賀の米軍基地のいずれかだと思います。日本国を標的とするならば、経済の中枢である首都東京であり、その中でも、日本の象徴である天皇陛下が居住する皇居を破壊することは最大の効果があります。政治の議決場である国会議事堂もすぐ横にありますからね。一方、米軍横須賀基地にはアメリカ海軍の第七艦隊が駐留しており、実質の太平洋西岸地域から中東地域までをカバーしています。すなわちアメリカ海軍のアジア地域への戦略拠点となっています。第七艦隊にダメージを与えることによりアメリカ海軍の指揮系統の混乱による一時的な戦力低下を狙ったと推測しています。あわよくば、中国とアメリカ・日本の戦争が引き起こされる事を狙っていたかもしれません。しかし、巡航ミサイルの墜落後アメリカ国防省は中国政府にミサイル発射の件を問い合わせをしました。中国側いわく原因不明、目標地点不明、単なる暴発であり自国が無線操作で墜落させたと云う返事でした。しかし、無線操作で墜落させる技術が中国海軍の巡航ミサイル『北狄』には搭載されていないことを我々の調査で確認しています。巡航ミサイルは台風による墜落であると判断しています。」
「標的場所が皇居、あるいは米軍横須賀基地のいずれかとしても、中国にとって日本やアメリカと戦争をはじめても、現時点では何の利益もないと思うのですが?故意にミサイルが発射されたと考えるより、やはり偶然の暴発と考えるのが妥当でしょうか?」
「中国の立場に関して云えば、その通りです。しかし、中国人でない連中が原潜のミサイル発射プログラムの変更を密かに行ったとすれば、その連中にとっては違った目的があると想定できます。」
「たとえば、どのような連中ですか?」
「たとえば、アメリカや日本と中国が戦争になって利益を得る国やテロ集団。あるいは、武器商人。そしてK国。K国は中国の軍需品製造工場として核爆弾の製造や軍需ミサイルの製造を通じて自国の繁栄を画策する狙いをもっています。そして、テロリスト集団へのミサイル売却でお金を儲けるとともに、アメリカにテロ集団の脅威を与へて、自国へのアメリカによる関与を軽減させる狙いが考えられます。そのあたりの事をはっきりさせる事が今回のプロジェクトの目的です。単に、海底の巡航ミサイルを発見し回収することが真の目的ではありません。ミサイル回収はCIA活動の一つの局面にしか過ぎません。」とジョージ・ハンコックが太郎に説明した。
能登の錫杖5;再会
香港国際空港の喫茶ルーム;2008年10月20日(月) 午後3時ころ
「ジョージ・ハンコックが俺のメッセージを太郎に伝えた?そんなメッセージ文をジョージに託した覚えはないな。太郎、一杯喰わされたな。」とスティーブ・キャラハンが言った。
「そうか、騙されたか、ハンコックの奴に。スティーブが頼んでいると云うからOKしたのにな。」
「それほど、太郎をこのミサイル調査プロジェクトに参加させたかったのだろう。CIAはそれだけ太郎の実力を評価していると云うことだろう。確かに、俺も太郎の推理力はこのプロジェクトに必要だと思うぜ。まあ、しっかりやろう。しかし、俺の名前を出汁に使うとはな。ハンコックから特別な謝礼をせしめるか。あっはっはっは。」
東京都内の溜池にあるアメリカ大使館で調査チームに関するブリーフィングを受けた後、太郎はスティーブの待つ香港に飛んできていた。神武東征伝説殺人事件でサウジアラビアのリヤドでスティーブに会って以来、久方振りの再会であった。
「ところで、あのハンコックと云う男は日本語がペラペラだけれど、どのような人物なのか知っているかい、スティーブ?」と太郎が訊いた。
「チームリーダーのジョッシュ・オブライエンから聞いた程度だが、ハンコックの父親がアメリカ海軍の少尉であったころに横須賀基地に住んでいたようだ。そのころは、少年時代で、日本の小学校に通っていた変わり者のようだ。アメリカンアカデミーに通学するのが通常であるが、父親が変人で日本の小学校に4年間通っていたようだ。だから、日本人の友達も沢山いるらしいぜ。大学でも日本語科で日本文学を専攻していたらしい。それに、日本のアメリカ大使館では一番の古株らしい。なにせ、15年間も日本大使館でCIAの仕事をしているらしいからな。長くて8年駐在すればアメリカ本国に召還されるか、他国の大使館に転籍されるのが通例だから、異常な長さだな。俺の睨んだところ、奴は秘密結社ビッグ・ストーンクラブの会員だな。それも、技術部会の会員だろう。だから、米国の影の力の後押しがあり、こんなに長く日本滞在が出来るのだろう。そんな匂いのする人物だ、奴っ子さんは。」
「秘密結社ビッグ・ストーンの会員か、ハンコックは。」と太郎が考え深げに呟いた。
「明日の午前9時から香港総領事館で今後の活動計画についての全体ミーティングがある。その時、プロジェクトチームのメンバーに太郎を紹介する。今日は、ホテルまで送ろう。明日の午前8時半には太郎を迎えに行くからロビーで待っていてくれ。」とスティーブが言った。
能登の錫杖6;調査ミーティング?
香港アメリカ総領事館の会議室;2008年10月21日(火) 午前9時過ぎ
プロジェクトチームリーダーのジョッシュ・オブライエンがチームメンバーに現在の調査状況の概要を説明している。
会議の冒頭でメンバー紹介された大和太郎も100インチスクリーンに映し出された映像を見ながら説明を静かに聞いている。
「太郎の仕事はこの日本人と接触することだ。白人の我々が不用意に近づくとCIAではないかと疑われかねない。その点、太郎は同じ日本人だからな。」とスクリーンに映し出された男の顔写真を示しながら、オブライエンが言った。
「日本人か?」と太郎は呟きながら、この男をどこかで見たような気もするが何処でだったかなと思った。
「山極亮輔、45歳。表向きは輸入雑貨販売会社の社長だが、裏のビジネスは武器商人だ。アメリカ、ヨーロッパ、日本などから雑貨品を輸入して、香港にある自社の店舗で売っている。武器は香港マフィア、中東や東南アジアからの銃器バイヤーなどに売っている。武器の入手経路は80%がアメリカの業者からと想定している。だが、不思議なんだが、それほど大きな取引はしていない。しかし、手広く活動をしているようだ。7年前に香港に来て雑貨商売を始めたようだ。それ以前はアフリカ大陸の国々で傭兵とし2年くらい活動していたらしいが、詳しくは判っていない。傭兵時代に武器の入手先を見つけたようだ。日本に居た頃の事を本籍住所から追いかけて調べたが、両親は死亡。親戚付き合いはほとんどなく、大学卒業後から庸兵までの経歴については不明だ。」とオブライエンが言った。
「この男から墜落した巡航ミサイル関連の情報が得られるのですか?」と太郎が訊いた。
「ミスター山極の取引相手は中国人から東南アジア人、アラブ人、白人、アフリカの黒人と多彩だ。今回の事件に関する何等かの情報を入手している可能性がある。情報を持っていないとしても、取引相手の情報を入手できれば、我々が取引相手を追跡し情報入手に努力する。よろしく頼む。」とオブライエンが言った。
「判りました。」と太郎が答えた。
今回のミーティングの目的は判明している重要情報の報告であったが、各チームメンバーからの報告はほとんどなく、20分程度で終了し、散会した。
能登の錫杖7;国会前庭殺人事件
東京千代田区永田町の国会前庭;2008年10月26日(日) 午前11時ころ
国会前庭は国会議事堂の正門前の道路を挟んで向かい側にある庭園である。皇居の桜田門近くの堀端から議事堂正門に向かって真っすぐ伸びる並木道の左右に広がる庭園である。並木道を挟んで北地区と南地区に分かれている。
南地区は和風の回遊式庭園であり、明治時代以降は有栖川宮邸であった。
北地区は大老・井伊直弼の屋敷跡であり、現在は、三権分立を象徴する高さ30mくらいの3面塔星型の時計塔や憲政記念館、日本水準原点がある。時計塔の前には四角いプール型の噴水池がある。
日本水準原点は水準原点標庫と謂う小さな石造りの古代ローマ宮殿風建物内に収められている日本の土地の標高を決めるための測量原点であり、平均海面から24.4140メートルの高さにある。1891年の明治時代に設置された時は海抜24.5メートルであったが地盤沈下などで、現在値に変化している。
小春日和の秋の日の昼前、『パーン』と北地区の国会前庭から音がした。
国会が開かれていない日曜日と云う事で正門前の通りには自動車がほとんど走っていない為、議事堂周辺を警備する警察官には銃声音がはっきりと聞き取れた。
正門前の信号機が青になってから、走って道路を渡った警察官は木立の茂っている庭園の中へ入って行った。
周辺を探しまわって水準原点標庫の前に来た時、一部が吹き飛んでしまっている頭部から血を流している白人男性を発見した。
その男性の右手にはピストルが握られている。
「自殺か?」と警官は思い、携帯無線で警備本部に事件発生を報告した。
能登の錫杖8;捜査会議?
東京千代田区桜田門前警視庁捜査一課;2008年10月27日(月) 午前10時ころ
捜査一課円谷班の7人の刑事が会議している。
「死亡していたのはアメリカ大使館のリチャード・ケネディ氏、28才、独身。遺書は無かったが、現場の遺体の状況から拳銃による自殺である可能性が高い。頭を貫通し、遺体の近くに落ちていた銃弾の線条痕は遺体が握っていた拳銃の線条痕と一致している。ただ、国会前庭で自殺する必然性に疑問が残る。」と班長の円谷係長が言った。
「他殺の可能性で捜査を進めますか?」と山中部長刑事が言った。
「ああ。着衣の乱れは無かったが、上着の両腕部分と背中部分には本人が着ていたものとは異なる糸くずの付着があった。他人に抱え込まれた可能性があると云うことだが断定はできない。誰かと待ち合わせをしていた可能性も考えられる。拳銃を握っていた右手からはかすかな硝煙反応が出ている。待ち合わせの相手は二人以上。すなわち、一人の人物がケネディ氏を後ろから抑え込み、もう一人の人物が拳銃をケネディ氏に握らせ、強引に引き金を引かせて彼の頭を撃った可能性もあると云うことだ。気を失わせておいて、引き金を引かせたのかもしれない。まあ、断定できないがな。」
「国会議事堂を警備中の警察官はそれらしい人物を目撃していないのですか?」
「ああ、国会前庭は道路を渉った側にあるので、あまり注意を払っていなかったようだ。時々は出入する人間を見かけたようだが、銃声がする直前の国会前庭への人物の出入りは記憶にないらしい。憲政会館側から出入りしたので警察官は気が付かなかったのかもしれない。」
「しかし、死亡した時刻にその糸くずが付着したとは限らないですよね。だから、他殺とも言い切れない。」
「ケネディ氏の自宅の捜査とアメリカ大使館員への聞き込みが必要ですね。」と川角刑事が言った。
「そう云うことだが、大使館と云う治外法権を持つ相手だから、その相手の了解がないと調査活動はできない。現在、外務省を通じて駐日アメリカ大使からの回答を待っているところだ。」
「自殺と云うことで決着ですかね・・・。」と山中刑事が言った。
「まあ、そんなところに落ち着くかな。アメリカ大使からの回答が来たら活動中止になる可能性が大きいから、今のうちに事件の手掛かりを集めておきたいな・・・。」と円谷係長が言った。
「それじゃ早速、ケネディ氏の自宅マンションを調べておきますか?」
「ああ、管理人に言って鍵を開けてもらえ。マンションの管理会社には俺から連絡しておく。場所は千代田区4番町のパールバレー市ヶ谷の903号室だ。メトロ有楽町線の市ヶ谷駅から徒歩5分くらいのところにある。証拠は持ち帰れないからデジカメで写真を撮ってきてくれ。」と円谷係長が言った。
能登の錫杖9;調査ミーティング?
東京溜池のアメリカ大使館内会議室;2008年10月29日(水) 午前9時ころ
巡航ミサイル調査プロジェクトのアジア地域メンバーが緊急に東京へ呼ばれていた。
プロジェクト統括責任者のジョージ・ハンコックがメンバーに向かって話している。
円卓状の会議テーブルの各座席には17インチのモニターTVが置かれている。
「東京で調査活動を行っていたCIA職員のリチャード・ケネディが殺された。日本の警察へはノイローゼによる自殺と判断すると伝え、警察捜査の中止を要請してある。日本の警察が変に動いて、我々の調査活動に悪影響があっては困るからな。」
「殺されたのは確かですか?」とスティーブ・キャラハンが訊いた。
「米国軍の軍用拳銃で自分の頭を撃ったように装っていた。リチャードの所有拳銃はS&Wボディガードと云うレボルバーであり、死亡現場に在った軍用拳銃のベレッタ92FSではない。今、モニターTVに写っている拳銃がベレッタ92FSだ。リチャードは誰かに殺されたと考えるのが妥当だ。」
「こころ当たりはあるのか?」
「彼の調査対象組織はこのTV画面に示してある4組織だ。何か気が付いたことがあれば意見がほしい。これらの組織が犯人とは限らないが・・・。」とハンコックが言った。
17インチのモニターTVには次の4組織の名前が英語で映し出されていた。
1. K国秘密情報部『KISS』日本基地
2. 中古自動車輸出商会『アラビアン・ビークル』東京本社
3. 香港マフィア『蛇尾』日本基地
4. 『サラ・シスターズ投資社』東京支社
しばらくの沈黙のあと、大和太郎が口を開いた。
「4番目にあるサラ・シスターズ投資社ですが、どのような組織ですか?」
「アメリカに本社を置いています。秘密結社『ブラッククロス』の下部組織で合法的なM&Aによる起業乗っ取りを画策している世界企業です。日本、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、香港、そして中東のドバイに支社を持っています。彼らの謂う経済的大東亜共栄圏構想に向けて、東南アジア諸国、台湾、日本、香港などの企業買収や投資活動を精力的に行っている。そして、サラ・シスターズを隠れ蓑にして、ブラッククロスが本来の目的に向けた活動を東アジア各国で行っていると思われる。その活動目的や実体は不明だ。」
「秘密結社『ブラッククロス』とは?」と太郎が訊いた。
「文字通りの意味では、『黒十字』と云う事になります。18世紀に生まれ、消滅した秘密結社『イルミナティ』の流れを汲む秘密結社と謂われています。CIAは数回にわたって潜入捜査員を送り込みましたが、事故死や自殺などを装って、すべて殺害されました。CIAの情報がブラッククロス側に漏れているのかもしれません。したがって組識内部の実体はよく判っていません。彼らの活動目的も不明です。ブラッククロスの結社員は右腕の付け根の胴体側に小さな黒い十字の刺青があると謂われています。今回もサラ・シスターズの動きを調べていたのですが、リチャード・ケネディが殺されてしまいました。もちろん、ブラッククロス以外の組識によって殺されたのかも知れませんが・・・。」
「ヒットマンが存在するのでしょうか?」
「殺人の手際の良さから見て、たぶん殺し屋が存在しているでしょう。」
「実は、2週間前に調査していた殺人事件にサラ・シスターズ投資社が関係していました。」と太郎が言った。
「静岡県での妖刀村正による殺人事件ですね。」
「そうです、ご存じでしたか。」
「日本の自衛隊と協力しながら、サラ・シスターズの動きは監視していますから情報は入っています。巡航ミサイルの暴発に関係しているかどうか、現在のところは不明です。」
「自衛隊からの報告はないのですか?」
「巡航ミサイル暴発事件に関して、自衛体はご存じないと思います。現在のところ、この事件を知っているのはアメリカとイギリス、そして当事国の中国です。」とハンコックは言った。
「サラ・シスターズ香港支社の動きですが、中国のIT関連企業『龍唖通信計算機系有限公司』に多額の投資をしています。」とジョッシュ・オブライエンが言った。
「そのIT企業は中国政府と関係がありますか?」と太郎が訊いた。
「ああ、過去に中国海軍のネットワーク監視ソフトの制作を請け負っていた。現在のところこれと云った情報は掴めてない。」
「成程。要注意の企業ですね。香港チームでの調査担当者は誰ですか?」
「今、君の隣に座っている馬沢東だ。」とオブライエンが言った。
能登の錫杖10;捜査会議?
東京千代田区桜田門前警視庁捜査一課;2008年10月29日(水) 午前10時ころ
天井から吊下げられた50インチの液晶モニターにはパソコンに入っているピストルの映像が映し出されている。
リチャード・ケネディの部屋で撮影してきた写真を見ながら円谷班の刑事たちが会議をしている。
「この拳銃はスミスアンドウェッソン(S&W)ボディガードと云う名称で、一般的なアメリカ人が護身用で持っているピストルだ。」と円谷係長がパソコンを操作しながら言った。
「自殺で使ったピストルと合わせて二丁持っていたわけか?」
「いや、現場にあったベレッタ92FSは殺人犯が持っていた物と考えることもできる。ピストルは一つあれば充分じゃないか。それと、ベレッタ92FSは軍用拳銃だ。文官であるケネディ氏が持っているのはすこし変じゃないか?」
「まあ、殺人の可能性が大きくなったと云う判断にしておこうか。それから、面白いのがこの本だ。机の上に置かれていた。」と円谷係長が言った。
「L&S出版『秘密のモーゼ書』ですか。日本語の本ですね。ケネディ氏は日本語が読めたのでしょうかね。」
「まあ、それは置いといて。エジプトからユダヤ人奴隷の脱出を指導したモーゼは聖書にモーゼ五書を残した。しかし、モーゼは七書を残していたと云うのがこの本の内容だ。この写真を参考にして、L&S出版社から本を借りてきた。今は刑事局長のところにある。」
「残りの二書とはどう云った内容のものなんですか?」
「残りの二書はキリスト教の総本山バチカンが禁書扱いとし、黒聖書と呼ばれているらしい。」
「黒聖書?」
「第六番目の書は『神を召喚する術』、第七書は『神を支配し命令を実行させる術』だそうだ。ローマ皇帝コンスタンチヌスが西暦330年にキリスト教を公認した時、この二書を絶対禁書に指定したらしい。それ以来、バチカン図書館の禁書庫に眠っているらしい。閲覧許可はローマ法王が出すらしいが、今まで許可された例はないらしい。」
「ほんとうですかね?」
「まあ、そう云うことにしておこう。」
「それじゃ、この本の著者はどうやって禁書の内容を知ったのですかね?」
「ロシア皇帝の親戚筋の人が自分の家に代々受け継がれてきた古代ヘブライ文字で書かれ写本を著者に見せてくれた人物がいたらしい。著者はヨーロッパ人で、その友人である日本人が翻訳して出版されたのがこの本だ。ヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国にある出版社はバチカンの権威を怖れてこのような本は出版しないらしい。日本語でしか出版されていないようだ。」
「ふうーん、古代ヘブライ語の写本ですか。」
「それから、次がこれ。英文で書かれた報告書のコピーだ。机の上に置いてあった紙だ。」
「英語は判りません。」と川角刑事が言った。
「バカヤロー。いい若い者が、この国際時代に英語が読めなくてどうする。まあ、俺もよく判らないから、刑事局長補佐の半田警視長に翻訳してもらったよ。あの人は学生時代に英会話サークルのESSで活動していたから英語はペラペラだ。」と円谷係長が言った。
「なーんだ、係長も英語はだめなんですか。それで、内容は?」
「太平洋戦争後の石川県押水村古墳調査報告書のコピーらしいが、GHQの名前は入っていない。報告所の日付は1949年3月10日となっているから戦後の落ち着いて来た時期だな。報告相手の宛名はミスターBと書かれている。ミスターBとは誰なのか不明だ。古墳調査報告書の内容をB氏宛てに概要としてまとめ直したもので、B5サイズ2枚にまとめられている。内容は石川県押水村、現在の宝達志水町にあるモーゼの古墳についての調査報告書だ。赤線が引かれている個所だけを説明すると。一部木炭化した杖が古墳から出てきたそうだ。まあ、その杖はボロボロに朽ちかけていたらしい。これが、モーゼが用いていた魔法の杖かどうかは不明と報告されている。人骨も出てきたらしい。大柄な人物の骨であったと書かれている。そして、その人骨はイギリスに運ばれたと書かれている。」
「どの年代の人骨かは判らなかったのですかね。」
「それは書かれていない。戦後の間もないころだから、現代のような科学技術はなかったのだろう。現代の技術でもう一度その人骨を調べれば、その人物の生存年代が判明するかもな。」
「他にもいろいろな写真があったが、この2点が机の上にあったところから推測して、ケネディ氏はモーゼについての何かを研究調査していた可能性があるな。」
「それが理由で殺されたと?」
「いや、それはどうか判らない。殺人と断定するのも、現在の証拠からは無理がある。しかし、殺人であってもおかしくない状況であることは確かだな。」
「でも、モーゼの墓が何故に日本にあるのですか?よく判らないな。」
「竹内文書と云う名前を聞いたことがあるか、川角。」
「竹内文書ですか?知りません。」
「竹内文書とは神武天皇以前に世界の王として君臨した日本国天皇がいたことが書かれている古文書のことだ。そして、それにはユダヤ人モーゼも日本に2度修行に来ていたと書かれているらしい。また、モーゼは天皇の娘・大室姫と結婚し、3人の子供をもうけたらしい。大昔の神代文字で書かれていた古文書を5世紀ころに平群真鳥と云う人物が漢字仮名交じりの文に書き改めた古文書が富山県にある竹内家が保存していたらしい。それを明治時代に生まれ、竹内家の養子になった竹内巨麿という人物が天津教と云う宗教を起こして、古文書を世間に公表したのでその存在が社会に知られることになった。竹内巨麿も神代文字を読めたらしく、自分で集めた神代文字で書かれた古文書や竹内家にあった古文書を漢字仮名まじり文にあらためた文書を作成していたらしい。この為、学者からは偽書であると批判されたようだ。古文書だけでなく『モーゼの十戒』が神代文字で彫り込まれた十戒石とかが存在しており、古文書や十戒石を含めて竹内文献と呼ばれているらしい。」と円谷係長が言った。
「へえ、係長は博識ですね。」
「いや、これも半田警視長から教えて頂いた内容だ。アメリカ大使館からはケネディ氏は自殺と云うことで処理するように要請がきているが、警察としての今後の活動方針については半田警視長と朝海刑事局長が種々の情報を参考にして検討されているところだ。明日には方針発表がある予定になっている。」と円谷係長が言った。
「あとは、本棚にあるのは日本道路地図を除けば英文の本ばかりですか。特に、殺人に関係ありそうな本はなさそうですね。」
「まあ、そういう風に断言するな。今後の展開によっては何があるか判らんからな。」と円谷係長が言った。
能登の錫杖11;背景?
東京市ヶ谷の自衛隊統合幕僚長室;2008年10月30日(木) 午前10時ころ
「突然だったのですが、お時間を頂きありがとうございます。」と大和太郎が礼を言った。
「いえ、予定の会議がキャンセルになったので、丁度時間が開いていたところでした。あなたは運の強い方だ。あなたの今日の運勢は『大吉』ですかな、あっはっはっは・・・。ところで、お電話では的場史朗の件と云うことでしたが?」と竹下統合幕僚長が訊いた。
「よろしければ、外の庭園でも散歩しながらお話いたしましょうか?」と、暗に盗聴を警戒しましょうと云う意味を込めて太郎が言った。
「ええ、そうしましょうか。」と竹下が同調した。
二人は、防衛庁市ヶ谷庁舎の敷地内にある庭園を並んで歩いている。
「この写真を見てください。」と言いながらポケットから4つ折りにしたA4サイズのペーパーを取り出して、広げて見せた。
「デジカメで撮った映像をプリントしたのですか?」と言いながら竹下が写真を見た。
中国人街と思われる雑貨店の前で大和太郎ともう一人の男が並んで記念撮影した写真である。
「私の横に居る人は山極亮輔という方で、後ろの雑貨店の社長さんです。」と太郎が言った。
「なるほど。それで?」と竹下が訊いた。
「お会いになったことはありませんか?」
「どこかで会ったような気もしますが、他人の空似かもしれませんね。あっはっはっは。」と竹下が笑った。
「私は的場史朗さんと思っているのですが。似ているでしょう、この写真の方は。」
「この方がそう名乗ったのですか?」と竹下が訊いた。
「いえ、その名前をこの方には言っていません。」
「それでは、やはり山極さんなんじゃないですか?」
「今月の初めころ、的場史朗さんのご実家でご両親から見せて頂いた写真の方に似ているのですが、違いますかね・・・。ご両親からは的場史朗氏の消息が判ったら教えて欲しいと頼まれています。」
「大和さんは何処でこの写真をお撮りになったのですか?」
「いえね、旅行で香港に行った時、土産物を買おうと雑貨店に入ったら、その店の社長であるこの写真の方が日本人だと判って現在の日本の話を種々させていただきました。また、来週も香港に仕事で行きますので、会いに行こうかと思っています。その時に的場史朗さんかどうか確かめてみようかと思っています。よろしいでしょうかね、統合幕僚長・・・。彼の正体が判ると何かと不都合が起こる危険性がありますが・・・。私と彼が話をする香港の雑貨店に盗聴器でも仕掛けられていると、彼の正体がバレテしまうかもしれませんが・・・。」
「うーん。弱りましたなあ・・・。大和さんは何がお知りになりたいのですか?」
「いえ、私も依頼主への守秘義務がありまして、はっきりと物が言えない立場なのですが、最近の中国海軍に関する情報などがあればなあ、と思っているのですが。」
「最近の中国海軍ですか・・・。」
「ええ。」
「原子力潜水艦の件ですか?」
「何か御存じですか?」
「参りましたな・・・。まあ、いいでしょう。他国の方じゃないから、あなたは。」
「すいません。」と太郎は頭を掻いた。
「中国に龍唖通信計算機系有限公司と云う通信ソフトを開発するIT企業があります。この会社に勤めている技術部長に宋理永と云う人物がいます。中国語での発音はソンリヨンです。香港マフィアに個人的な弱みを握られている人物です。この男は中国海軍の通信ソフト開発チームの責任者ですから、中国海軍にとってはかなり危険な人物と云うことになります。原子力潜水艦に搭載されている巡航ミサイルの発射管理ソフトの開発を担当しているらしいですね。先月はかなり頻繁に海南島の潜水艦基地に出入りしていたようです。何か事故でもあったのかも知れません。何があったのかを追跡中です。今月はすこし落ち着いていますがね。これらの情報は的場史朗からのものです。」
「サラ・シスターズは関係ないのですか?」
「サラ・シスターズはこの通信ソフト企業に投資しているだけです。まあ、M&Aによる企業買収を狙っているのかも知れませんがね。」
「サラ・シスターズに関してCIAが掴んでいる情報は自衛隊には流れて来ていないのか?それとも、竹下統合幕僚長がとぼけているだけか・・・?秘密結社ブラッククロスとの関連を知らないのかな・・・?」と太郎は昨日アメリカ大使館での打ち合わせで聞いたサラ・シスターズの話を思い出していた。
「香港マフィアとは『蛇尾』のことですか?」
「ええ、そうですが・・・。」
「『蛇尾』と協同している組織はありますか?」
「鋭い質問ですね。ありますよ。オメガ教団と云う新興の宗教団体です。本拠地はモンゴルです。オメガ教団の中枢は日本人です。十数年前に桜田門や永田町界隈で毒ガスによるテロ事件を引き起こしたアルファ真理教のモスクワ支部にいた日本人たちが、ロシア連邦からモンゴル国のウランバートルに逃げて、新しくオメガ教団を興しました。富山県高岡市と北海道札幌市に日本支部があります。表向きは世紀末救済の宗教団体ですが、例によってテロ活動を行う可能性もあります。警視庁の公安部も監視している宗教団体です。」
「モンゴルですか。中東などのテロ集団ではないのですか?」
「香港マフィア『蛇尾』は中東にも手を伸ばしている模様ですが、我々はその実体を把握できていません。オメガ教団は香港には支部を持っていませんが、時々、香港に来て『蛇尾』と密会しています。それから、中国政府が漁船をチャーターして台湾近海の海底を調査しているらしいのです。何を調べているのか、それとも何かを探しているのかは不明です。海軍の船ではなく漁船で秘密にコソコソと動いているのが気になります。中国の秘密工作部隊なのかも知れません。9月13日に中国海軍の大規模演習がありました。その時、巡航ミサイルが暴発したのではないかと云う未確認の情報も入っています。中国政府が探しているのがその巡航ミサイルかもしれませんがね。もしそうだとすれば、大変です・・・。そのミサイルの目標設定地点はどこであったかです。そんなところが現在の我々が持っている情報です。」と顎を擦りながら竹下統合幕僚長が言った。
「ありがとうございました。山極亮輔氏の件は他人には話しませんから、ご安心ください。」
「しかし、あなたには参りましたな・・・、大和さん。」と竹下が改めて呟いた。
「ところで、この中国海軍に関する情報はどのような事件の参考になるのですか?」と竹下が訊いた。
「ちょっと、守秘義務がありますので・・・。申し訳ありません。」
「はっはっはっは。野暮なことを訊いてしまいましたな。」と竹下は言いながら、先日CIAのジョージ・ハンコックからあった依頼の事を思い出していた。
「あれは確か、静岡市と松阪市で起こった殺人事件から『大和太郎を解放して欲しい。』と云う依頼であったな。殺人事件から手を引かせて、CIAは大和探偵に何を依頼したのだろう。CIAは中国海軍の何を追いかけているのだろうか?」と竹下統合幕僚長は考えを巡らせた。
能登の錫杖12;捜査会議?
東京千代田区桜田門前警視庁捜査一課;2008年10月30日(木) 午前11時ころ
円谷班と半田警視長が会議室で打ち合わせをしている。
「捜査方針を説明します。」と半田警視長が言った。
「結論を先に申し上げます。捜査は継続します。ただし、円谷班のみでの極秘捜査で、事件名称は『アメリカ人死亡関連事件』とします。捜査本部は設けません。アメリカ大使館への聞き込みは禁止します。アメリカ大使館にはケネディ氏は自殺と判断した旨を連絡してあります。」
「継続の理由は何ですか。」
「今年の4月に米軍横田基地で爆弾騒ぎがあった。文書や電話で数日間に亘って脅迫があったようだ。不必要な低空飛行をする空軍機に対し抗議する、として時限爆弾を仕掛けたという内容だったらしい。結局はいたずらと云うことで終結したが、その時に捜査した立川署の刑事が基地内で、ある事についてミリタリーポリス(MP)が話しているのを立ち聞きした。そのある事とは、爆弾騒ぎが起こっている数日の間に基地の銃器庫からマシンガンやライフル、軍用拳銃が大量に紛失したらしいという話であった。爆弾事件とは関係がないかもしれないが、今回の死亡事件の凶器が軍用拳銃であることから、何らかのテロ集団が動いているかも知れない。爆弾事件の継続と云う前提で横田基地周辺や関連個所の捜査をしてほしい。捜査の目的はテロ集団の存在確認です。立川署には爆弾事件継続班が警視庁で発足させたと連絡してあります。捜査をよろしくお願いします。以上です、何か質問はありますか?」
「米軍横田基地への聞き込みを行ってもよろしいのでしょうか?」
「構いません。ただし、表向きは爆弾テロ捜査と云うことでお願いします。」
「殺されたかもしれないケネディ氏が住んでいたマンションへの聞き込みはどうしますか?」
「マンション関連場所へは、自殺の裏付け捜査名目で行ってください。」
能登の錫杖13;
埼玉県比企郡鳩山町の農村公園;2008年10月30日(木) 午後2時頃ころ
アメリカ大使館での打ち合わせ後、再度香港に行くための準備で埼玉県東松山市にある探偵事務所に戻った大和太郎は昼食を取りに愛車バイクのホンダ・リード80で外出した。
隣町の鳩山町にある『峠の蕎麦屋』で大盛天ぷらそばを食べた後、大和太郎は近くにある鳩山町農村公園に来た。そして、町民用研修棟の横にある駐輪場にバイクを止めた。
農村公園には30m×50mくらいの池があり、その近くには芝生の広場がある。さらに、芝生広場の横には子供が遊べる遊具も設置されている。
いつもの様に、昼食後の散歩を楽しむため、太郎は研修棟から200mくらい離れている鳩川土手の方向へ歩き始めた。研修棟から鳩川土手に通じる道の傍には鳩山窯と呼ばれる古代窯の遺跡がある。
250mくらいの低空を米軍横田基地へ向かう軍用輸送機が轟音を響かせながら飛んで行くのを太郎は見上げながら歩いていた。
飛行機の騒音が小さくなったその時、
「助けて!」と言う大声が太郎の耳に入った。
そして、太郎は声のした方向を見た。
古代遺跡である鳩山窯の木製小屋近くの道路上で争っている3人の男の姿が目に入った。
「こらぁ、何をしている・・。」と大声を上げながら、太郎は40mくらい先にいる3人の方向へ走って行った。
そして、慌てた二人の男が近くに停めていた黒塗りの乗用車に乗って走り去った。
「大丈夫ですか?」と太郎が、道路上に座り込んでいる中年男性に声をかけた。
男性の傍らには錫杖が転がっている。
「お陰さまで助かりました。有難うございました。」とその中年男性は言った。
「今の男たちに見覚えはありますか?」
「判りません。顔に目出しマスクを被っていましたから。」
中年男性から5mくらい離れた道端に転がっているピストルが太郎の目に入った。
そして、太郎は見覚えのある形をしたそのピストルに近づいて行った。
「このピストルは、アメリカ軍用拳銃のベレッタ92FSだな。リチャード・ケネディを殺したものと同型だな・・・。」と太郎は思った。
そして、太郎は中年男性の方を振り返って言った。
「このピストルは?」と太郎が訊いた。
「私を襲って来た人間の一人が私に突きつけた拳銃です。咄嗟にこの錫杖で拳銃を持っていた奴の手を払い除けました。それで、そこまで飛んで行ったのでしょう。」と中年男性が錫杖を握りながら言った。
「警察を呼びますが、よろしいですね。」と太郎が携帯電話をポケットから取り出しながら言った。
「ええ。お願いします。」
「ところで、お名前は?」
「宝達君広と云います。」
駆けつけた西入間警察署の警官に事件の状況を説明した後、中年男性は西入間署まで警官に同行して行った。
太郎は自分の名前と住所を警察官に教えて、散歩は中止して事務所に戻ることにした。
宝達氏の話では、襲った二人の男は目だしマスクをかぶっていたので顔はわからなかったらしい。
自動車のナンバープレート番号もカバーで隠されていたため不明であった。
宝達氏はこの近くの古代遺跡を研究しているらしく、鳩山窯跡やその近くにある氷川神社を見学していたとの事であった。
その後、警察は黒塗りの乗用車をオービスシステムの記録写真を調査したが、犯人らしき二人ずれの乗用車を割り出せずに捜査は中断され、今後の事件発生を待つ形となった。
能登の錫杖14;
東松山市の大和探偵事務所;2008年10月30日(木) 午後5時頃ころ
西入間署から東松山の探偵事務所に戻った大和太郎は、宝達君広から電話を受けた。
宝達氏は相談があるから探偵事務所にこれから向かうと言って電話を切った。
そして30分後、「ジャラン・ボン、ジャラン・ボン」と音を立てながら、錫杖を持った宝達君広が大和探偵事務所を訪ねる為に東武東上線東松山駅に降りた。周りを歩いている人が目ずらしそうに錫杖を見ている。
錫杖とは修験道の山伏が持っている護身用の杖のことである。断面直径4センチの八角形で長さ1.8mくらいの杖(棒)の先端に長さ20センチ程の鉄製の共鳴筒が被せてあり、その鉄の筒には直径10センチくらいの鉄のリングが4個ついている。この杖が揺れるとジャラン、ジャランと鉄リングが鉄筒とぶつかる大きな音がする。山の中に居る熊や鹿はこの音に驚いて、山伏には近づいてこなかったようである。高下駄を履いた役行者の銅像や石造には必ずこの錫杖が持たせてある。
駅の改札を出て、西側階段を降りると正面に『大和探偵事務所 〜よろず相談、調査を安価でお請けいたします〜』の看板が目にはいる。宝達君広は『事務所ココ→』と書かれた方向にある3階建ての小さなビルに入り、2階へ上がった。
「改めまして、宝達君広と申します。」と言って、名刺を太郎に渡した。
「大和太郎と申します。」と言って、太郎も名刺を宝達氏に渡した。
「名刺に書いてありますが、私は富山県のT大学古代文化研究所所長・人文学部大学院教授であり、縄文土器、弥生式土器などを研究している考古学者です。昨日から比企地方の古代遺跡の現地調査に来ています。この比企地方は日置部と云う雨乞などの火継神事を行う豪族が支配していた土地です。日嗣神事と云う文字を用いる場合は太陽神からの託宣を受ける場合です。先ほどは鳩山窯と云う焼き物の窯跡を見学に来ていて襲われました。鳩山町は古代の焼き物の産地でした。この武蔵地域だけでなくかなり広い範囲、例えば能登地方から長野、新潟、群馬、栃木あたりまで使われていたのではないかと私は考えています。そのあたりの確認の為の調査研究の旅行をしていました。何故襲われたのか、私には全く心当たりはありません。」
「それで、相談事とはあなたを襲った犯人を見つけることでしょうか?」と太郎が訊いた。
「いえ、違います。人探しをお願いしたいのです。赤ん坊の時に行方不明になった妹を見つけたいと思っています。」
「はあ、妹さんを・・・。」と意外と云った表情で太郎が呟いた。
「先ほど、西入間警察署の方から大和探偵は優秀な方で失踪人の捜索を得意とされている、と聞いたものですから、ちょっとお願いしてみようかと思いました。本日は、参考となる資料を持っていませんので、もしも捜索をお引き受け頂けるようでしたら、日を改めて資料を持って参ります。」
「赤ん坊の時に行方不明になられたと云うことはかなり以前の事になりますよね。」
「ええ、かれこれ48年くらい前ですかね。」
「と云うことは、妹さんのお歳は47才か48才くらいと云うことですか?」
「ええ、誕生日が昭和35年8月9日ですから、正確には48才ですね。」
「そうすると赤ん坊の時の失踪ですから昭和35年、1960年に行方不明になられた訳ですか?」
「ええ。その時、私はまだ3才でした。」
「そうすると、宝達さんは51才ですか。それで、妹さんだと確認する方法はありますか?」
「母が申しますには、左脚の付け根に丸い痣があるらしいのです。生まれたばかりの赤ん坊の時のことですから、現在はアザが消えているかも知れませんが・・・。この写真のような形に似ていたらしいのです。」と言って、宝達君広は16弁の菊花紋が彫り込まれた丸瓦の写真のコピーを太郎に見せた。
「この写真は?」
「鳩山町の古代窯遺跡から発掘された丸瓦の写真をコピーしたものです。」
「天皇家の紋章に似た菊花紋に似たアザがある訳ですか、左脚の太ももに。」
「以前、何回か新聞の尋ね人欄に広告を出したのですが、回答はありませんでした。2週間くらい前にも新聞に出しましたが、回答はありませんでした。もう諦めかけていたのですが、図らずも大和探偵にお会いできて、神のお導きではないかと思いました。如何でしょうか、妹を探して頂けますか?」
「まあ、一般の人は新聞の尋ね人欄をあまり見ませんからね。妹さんが最後に目撃された場所は判っていますか?」
「ええ。生まれた病院です。」
「生まれてすぐに失踪したのですか?」
「そうです。母の話では、生まれて三日後に誰かに連れ去られたようです。」
「その病院の場所や名前は判っていますか?」
「富山県高岡市にあった病院で酒井病院と云いましたが、院長先生がお亡くなりになった後は閉鎖されました。現在は存在していません。高岡市は母の実家があるところです。へその緒とか、病院で書いたカルテの写しとかは私の手元に残っています。妹が発見できればDNA鑑定はできるのではないかと思っています。当時は警察にも八方手を尽くして探して頂いたらしいのですが、結局は見つからなかったようです。私は3才だったので、失踪騒ぎのことは記憶にありません。」
「手掛かりはそれだけですか?」
「いえ、母の話ですが、妹が母の胎内に居る時に妙な夢を見たそうです。」
「どのような?」
「修験装束の山伏が現れて、『昔からの約束じゃによって、この娘を貰っていく。しっかり育てるから心配するな。ゆめゆめ、疑うなかれ。』と言ったらしいのです。
「娘と言ったのですか、その山伏は。生まれる前から女の子と判っていたのですかね?」
「ええ。母はその夢を見て、女の子が生まれてくるのかなと思った、と言っていました。母は生きている間に、どうしても妹の姿を一目でいいから見たいらしいのです。山伏の言が正しいなら、娘はきっと生きているから是非にも会いたい、と申しています。大和探偵、ぜひ捜索をお引き受けください。」
「判りました。何とか、調査してみます。ただ、現在、他の事件の調査を行っています。その件と並行して調査を進めますから、時間はかかりますし、また、妹さんが発見できると云う保証はありません。調査費用は基本料が25万円で、あと、経費は実費請求。成功報酬は70万円です。それで如何ですか?」
「結構です。よろしくお願いします。」
太郎は犯人が持っていた軍用拳銃ベレッタ92FSの件が気に掛っており、宝達教授と関わっておけばケネディ氏殺害に関する何かのヒントが得られるかも知れない、と云う思惑があって調査を引きうけたのであった。
「ところで、今日はどちらに宿泊されていますか?」
「箭弓神社の近くにある紫雲館ホテルです。」
「じゃあ、この事務所から5分くらいですね。夕食をご一緒しましょうか?」
「そうですね。それじゃ、後で電話します。体が少し汚れていますので、ホテルで軽くシャワーを浴びてきます。」
「また、襲われるといけませんから、ホテルまでご一緒しましょう。ところで、その錫杖はいつもお持ちになって歩かれるのですか?」と太郎が宝達氏の横に置かれている杖を指して、訊いた。
「ああ、これですか。じつは、修験道の修行を時々やっております。これは、その時に持っていく錫杖です。それで、長距離を歩く時はこの杖を持って歩く習慣が付いてしまいました。この錫がじゃらじゃらと煩いですが、山中に居る熊や鹿を追い払うだけでなく、私の元気の素になる音です。まあ、私の『お守り』と云ったところです。」と宝達君広は大事そうに杖を擦った。
「その錫杖は、どこで購入されたのですか?」
「あっはっは。これは買ったのではなく。能登にある石動山で修業をしている時に錫だけを見つけました。火の宮跡近くにあった岩場の隙間に落ちていたのです。少し錆びていましたが、私が丁寧に磨いて使える様にしました。見つけた錫に合わせて杖を修験道具業者に造ってもらいました。火の宮には火具土神あるいは、大物主神が祀られていたと云うことです。」
「石動山は能登のどのあたりにあるのですか?」
「七尾市の南側にある山です。住所は鹿島郡中能登町に属しています。町村合併以前の住所名は鹿島郡鹿島町です。昔から修験道の山として知られています。この山には伊須流岐比古神社や石動山天平寺跡があります。」
能登の錫杖15;
東松山市の紫雲館ホテル内のレストラン;2008年10月30日(木) 午後6時頃ころ
大和太郎と宝達君広が向かい合って食事をしている。
「先ほどの写真にあった16弁の菊花紋の年代はいつ頃なのですか?」
「出土した丸瓦は16弁ではありますが、正式には複弁8葉軒丸瓦と謂います。現在の天皇家の16弁の菊花紋と同一ではありません。もともとは単弁8葉が始まりです。単弁の真ん中に入っていた細い長方形をした一本の萼が長く伸びて単弁が複弁に変化し、さらに16弁になりました。元は8弁の花紋だったのが16弁に変化したのです。鳩山町赤沼地区の古代瓦窯遺跡が発見されたのは昭和25年です。ここの赤沼古代瓦窯遺跡からは単葉8弁、単葉8弁に近い形の複葉8弁、そして16弁に近い形の複葉8弁の3種類の丸瓦が出土しているのです。私個人の説では、この3種類が同じ場所から出土したことは注目に値します。単葉8弁から複葉8弁、そして16弁への変化の流れは何を意味するかです。この意味を私は現在研究中です。来年春には論文にして日本古代史学会総会で発表する予定です。瓦の製作年代は7世紀後半から8世紀初頭と推定されています。藤原鎌足から藤原不比等に裏の権力が移行していく時代です。」
「その論文の内容はどう謂うものですか?ちょっと興味があるのですが・・・。」
「それは来年の春まで秘密です。悪しからず。」
「判りました。来年の春を楽しみにしてます。ところで、明日はどうされますか?」と太郎が訊いた。
「八丁湖近くの黒岩横穴群やポンポン山近辺の古代遺跡を調査します。このあたりが日置部時代の磐座祭祠跡だと推測しています。」
「確かに、あの辺りは大きな岩がありますね・・・。しかし、平日は人通りがあまりありませんから、注意してください。どなたか一緒に行かれますか?」
「ええ。今日の夜に富山から修士課程の大学院生が4人来ます。彼らと一緒に行動しますから、今日のように襲われることはないでしょう。」
「それなら、安心ですね。ところで、今日、拉致されそうになった理由にこころ当たりはありますか?」
「いえ。何故に私なのか、全く見当が付きません。」
「相手はピストルであなたを撃ち殺すことも出来たはずですが、そうはしませんでした。と云うことは、あなたに何かさせたい事があったのかも知れません。失礼ですが、宝達さんは資産家ですか?」
「いえ、単なる大学教授ですから、貯金はしれていますし、富山の自宅もローン返済中です。」
「とすると金銭目当ての営利誘拐ではなく、やはり、あなたの知恵を借りたい事があるのかも知れませんね。何でしょうかね?」
「いや、見当がつきませんが・・・。」と宝達教授が言った。
「宝達教授のご出身は富山県ですか?」
「いえ。石川県の七尾市です。現在は富山市に住んでいます。」
「石川県七尾市ですか。お名前が宝達ですから、旧押水村、現在の宝達志水町にある宝達山とは何か関係でもお有りですか?」
「宝達山をご存じですか。」
「ええ。学生時代にモーゼの墓と謂われる三つ子塚古墳を訪問したことがありました。学生時代は神学部に在籍しておりました。それで、聖書関連の勉強のために夏休みに能登半島の旅行を兼ねて押水村や宝達山にも行きました。」
「神学部の学生さんだったのですか。なるほど、イスラエル人の出エジプト記やモーゼの十戒のご勉強をされた訳ですね。」
「ええ、ユダヤ教についての勉強をいたしました。京都にあるD大学の藤原教授をご存じですか?」
「京都ですか・・・。確か、藤原教授は日ユ同祖論の研究で日本の古代史も研究されている方でしたね。以前、教授の古代史に関する論文を読んだ記憶があります。そういえば、過去にあった日本古代史学会総会の懇親会で二度ほどお話したことがありましたかね・・・。」
「藤原教授は私の卒業論文の指導教授でした。」
「なるほど、それで大和さんは私の論文にも興味がお有りなのですね。」
「まあ、そう云ったところです。先生の研究内容が藤原教授への土産話にでもなればと思いましてね。」
「大和さんは京都ですか・・・、なるほど。判りました。それでは、現在までの論文下書きの概略をお話して差し上げましょう。この論文では京都も関係しますからね。藤原教授以外の方には秘密にしておいて下さいね。お約束ですよ。」
「はい。判りました。お約束いたします。」
宝達教授が研究論文の概要を太郎に話し始めた。
「明日調査に行く八丁湖の横にある吉見町黒岩横穴群は十六穴とも呼ばれています。」
「16弁の菊花紋と関係があるのですか?」
「いえ。それはどうでしょうか?現在までに調査され、確認された横穴は48穴です。明治10年、根岸武香氏らがはじめて調査した時に確認された横穴が16基でした。そのため、十六穴と称されるようになった訳です。以前から知られていた4基を加えると20基の存在が確認された訳です。当時は住居用の穴と推定されました。穴には人骨などがなかったからでしょう。しかし、昭和32年、44年の調査では50基の横穴が確認され、この地域全体では200基以上の穴があると推測され、墓穴であったと云うのが現在の定説です。これは、吉見町に隣接する東松山市の横穴群・吉見百穴が墓穴と認定された影響でしょう。私は黒岩横穴群の16基はその構造から住居説が正しいと考えています。」
「住居ですか。」
「また、この16穴の傍の共同山と呼ばれる丘の上に原伏見稲荷社の祠があります。私はこの神社は京都の伏見稲荷大社の基社であったと推理しました。」
「その理由は?」
「8世紀の和同4年(西暦711年)に創建された京都の伏見稲荷の由諸には渡来人である秦氏が登場します。秦氏は養蚕と製糸、絹織物を日本全土に伝えた氏族です。この吉見町を含む比企地方にも戦前は水田の他に桑畑があり養蚕や製糸業が盛んであったようです。また、秦氏は加茂一族とも婚因関係を持ちます。加茂一族は大国主命が支配していた出雲国の出身です。伏見稲荷大社は2月の初午が大祭ですが、原伏見稲荷社は3月の二の午が例祭です。そして、この比企地方にいた日置部も出雲国の支配下時代にこの地へ来ています。横穴群からは渡来人が伝えた土師器が発見されています。また、八丁湖近くの山には和銅年間に創建された伊波比神社があり、祭神は大己貴命、天穂日命、誉田別命とされています。平安時代以降は岩井八幡宮とも呼ばれていたようです。西暦534年には天皇直轄の屯倉が現在の吉見町にありました。ポンポン山には高負彦根神社があり、大国主の御子である味鉅高彦根命、大己貴命(国土平定をした時の出雲王朝の王。王位の呼称が大国主。国譲り後に出雲大社に入った後は大国主と呼ぶ。)、須佐之男命が祭神です。武蔵国造系図では高負彦根命(五十根彦命)は天穂日命の六代目の孫とされています。
天穂日命は天照大神と須佐之男命が誓約した時に天照大神の八尺勾玉から生まれ落ちた神とされています。大国主神のところへ国譲りの交渉に行きますが、逆に大国主神に惚れ込んで3年間も高天原に帰らなかった神です。日本書記では『出雲臣、武蔵国造、土師連などの遠祖なり』とされています。また、天穂日命の御子は建比良鳥命とか武夷鳥命と云い、大鳥信仰の神です。
この比企地方は大和朝廷が支配する武蔵国の以前には出雲系の大国主神が支配していた土地だった訳です。そして、京都の伏見稲荷大社の祭神は、稲穂の神様である宇迦之御魂大神の他に、出雲系の佐田彦大神と大宮能売大神を祭神としています。出雲国風土記では佐田大神とされていますが、佐田彦大神は猿田彦大神のことであり、大宮能売大神は天鈿女命です。いずれも天孫降臨に関係する神様です。また、古事記では味鉅高彦根命は賀茂大神の別名としています。余談ですが、賀茂一族の系統からは西暦634年に役小角と云う呪術を扱える日本修験道の開祖と謂われる人物が生まれています。賀茂一族に関係する伝説では弓矢が共通して出てきます。伏見稲荷大社の由諸では、伊呂具秦公が餅を的にして矢を命中させたところ、餅は白鳥になって飛んでいき、その止まった山の峰に稲が生えた。その場所に祠を立てたのが伏見稲荷大社です。この比企地方にある箭弓稲荷神社の由諸にも矢の形をした白雲が敵陣に向かって飛んで行ったと云う逸話があります。
原伏見稲荷社の目の前にある八丁湖は白鳥湖から変化したのではないかと私は考えています。この比企地方に在った白鳥の霊魂が伊呂具秦公と共に京都の伏見に旅発ち飛んで行った。白鳥の霊魂が住まなくなった白鳥湖は発鳥湖となり、更に八丁湖へと名前が変化したわけです。江戸時代の文献には広さ八丁八反の溜井と書かれています。溜井とは人工的な湖沼のことで、八丁湖は古代に人工的に造られた大きな池であったのでしょう。それは、伊呂具秦公がこの地域を管理していた時代に造られたのかもしれません。この吉見町は西暦600年頃に大和朝廷の直轄地・横渟屯倉が設置され渡来系氏族である壬生吉志氏や難波吉志氏などが古代難波より移住してきました。難波吉志氏は海外との交流に活躍した新羅系の氏族で、住吉大社近くに住んでいたと思われます。吉見町は古代には横見郡高生郷とよばれ、摂津国嶋上郡高於郷との関連が考えられます。奈良時代の西南解領解と云う文献に『秦伊美吉継手摂津国嶋上郡高於郷三尾君麻呂戸口』とあり、渡来系の秦氏の名前がみえます。
長さの八丁は約900mに相当します。八丁湖の池の周囲の長さが900mくらいですから八丁湖と呼ばれていると云う説もありますがね。伊呂具の伊呂は炉の炉です。現在は家の中にあるので囲炉裏と書きますが、かつては屋外にあったので戸の外にある火と云う意味を込めて炉と書いていました。ですから、炉具とは火具であり、火具土神に繋がります。日置部であるこの地の秦氏の職務は火継神事を遂行することです。黒岩横穴群の横穴から人骨が発見されなかったのは火葬の風習が行われていたからと想像できます。山の上で燃やされた遺体は灰になって空中に飛び去り、骨は残りません。風に吹かれて飛んでいく白い灰が白鳥のように見えたのでしょう。この火葬を司っていたのが日置部である伊呂具秦公だったのです。伏見とは不死身である霊魂を、人は頭首を垂れて、あの世へ見送ることです。そして、この白い灰が水田の土と混ざり、白い灰の霊魂が稲穂の神となること祈り、風葬を行う場所を伏見稲荷社と名づけたのでしょう。また、稲荷神のことを宇迦之御魂大神と云います。宇迦とは羽化の意味で人魂に羽根が生え天に昇ることを意味します。すなわち、宇迦之御魂とは『羽根が生えた魂』と云うことで、弓矢に通じます。
京都北山にある賀茂別雷神社、いわゆる上賀茂神社の逸話では、川上から流れて来た丹塗の矢と玉依姫の間に生まれた神が賀茂別雷神と伝えられています。また、佐田大神は天の壁を打ち破る金の弓矢を射ると謂われています。」
「なるほど。京都の伏見稲荷大社の元祖は武蔵国黒岩横穴群にある原伏見稲荷社と云うのが宝達教授の説ですか・・・。そして、京都、出雲、比企地方を結び付けるのは賀茂一族と秦氏ですか。うーん、天の壁を射る金の弓矢ですか。」と太郎は感心した。
「黒岩横穴群は6世紀末から7世紀のものと推定されています。大化の改新で武蔵の国が制定されたのが7世紀。崇神天皇時代の四道将軍による全国平定が2〜4世紀ころとすると、出雲王朝に支配されていた年代は紀元前から1世紀ころと推定されます。神武東征が紀元前666年頃とされていますが、8世紀初頭に制作された古事記、日本書記には地方の歴史が残されていません。各国風土記や神代文字で書かれていたとされる竹内文書、宮下文書、九鬼文書、上記、物部文書、東日流外三郡誌などを参考に古代史を推定検討するしかないのです。神示は科学に含まれませんが、それを参考にして、歴史的資料を発見するのも研究活動のひとつです。」と宝達君広が言った。
「神代文字と云うのは?」
「まあ、漢字が発明される以前からあった絵文字みたいなものです。古代の石に彫られている文字はペトログラフと呼ばれ、この神代文字で書かれています。一口に神代文字と云っても、いろいろな種類があります。日文、天名地鎮、阿比留文字、石窟文字、象形文字、豊国文字、サンカ文字、モリツネ文字、越文字などがありますね。まあ、数百種類あると謂われています。竹内文書では象形文字や阿比留文字など100種類の神代文字が使われていると称されています。」
「宝達教授は神代文字を解読できるのですか?」
「古代史を研究する為にある種のものは勉強しましたが、すべての神代文字を読めるわけではありませんが・・・。」
「なるほど、古代史を研究するのは大変そうですね。」と言いながら、太郎は宝達氏が襲われた理由を考えていた。
「宝達教授を殺すつもりなら、拳銃を発砲していただろう。拉致誘拐しようとしていたのだから、金銭要求が狙いでないとすると、犯人は何かの手助けをさせるつもりであったのかも知れないな。例えば、他人には知られたくない何かの秘密が書かれた古代文字の解読とか・・・。そうであれば、解読後は教授を殺すかもしれないな。明日は東松山署の警察官に宝達教授たちを警護してもらったほうがいいかな。林刑事に頼むことにしよう。」と太郎は推理を巡らしていた。
「ところで、単弁8葉丸瓦から複弁8葉丸瓦への変化が意味するところと云うのは?」と太郎が訊いた。
「これは大変に重要です。現在、世界の古代遺跡で発見されているのは16花弁紋です。イスラエルのヘロデ門にある紋章、バビロンの遺蹟であるイシュタル門の壁や現在のイラン南西部にあるスーサ遺跡から発掘された戦勝碑にあるシュメール王の紋章などが16花弁紋です。エジプトのツタンカーメン王の墓からも青銅製の菊花紋が発見されています。また、モーゼ十戒石の収められた契約箱、即ち聖櫃を担ぐ為の2本の刺し渡し棒の端面部には16花弁紋が彫られていたと謂われています。シュメール文明の創世はBC3500年頃と謂われています。エジプト文明の創世がBC3000年頃ですから、かなり古い文明であった訳です。また、西洋占星術はシュメール人の発明とされています。このシュメール人の神をディンギルと称します。シュメール人は楔形文字を使っていましたが、この神ディンギルを表す象形文字として中央に丸い円マークがあり、その周囲に尖端8葉弁とその8葉弁の間に(花)弁を支える長方形の萼が配置された16花弁紋に似た紋章が用いられていたようです。中央の丸はアンと謂う天の神、周りの尖端8葉がディンギル神を表わしていると謂われています。これをアン・ディンギル紋と呼ぶ学者もいるようです。シュメール人が存在したのは、中東アジアのチグリス・ユーフラテス川のある地域でメソポタミアと呼ばれています。世界の古代文明発祥の地ともされています。メソポタミア地域がバビロニア王国に支配されるころには複弁8葉に近いヘロデ紋のような16花弁紋に変化していた訳です。しかし、私はこの説とは異なる考えを持っています。それが、来年の3月にある日本古代史学会総会で発表する内容です。古代鳩山窯の丸瓦の変遷と比企地方の古代史、出雲王朝に征服された古代の越王朝、そして竹内文書の総合的関連性を考察しています。」と宝達教授が言った。
「あの、偽書と謂われている竹内文書も含まれるのですか・・・。これは面白そうですね。うーん。面白そうだ・・・。」と太郎が言った。
「戦前に狩野博士が偽書と判断した文献は竹内文献の中のたったの5文献に対する考察からです。平群真鳥が神代文字から古代漢字仮名交じり文に翻訳した文献はもっと多くあったはずです。確かに、裏十戒石などの怪しげな石もありますが、これらは明治生まれの竹内巨麿が創作した可能性がありますが、残りの多くの資料を分析すれば、本物が出てきた可能性もある訳です。また竹内巨麿はボロボロに成りかけていた古代文書を将来のために再度新しい紙に書き直したのかも知れません。その新しく書き直された文献をみて偽書と判断したのかどうかです。その点の考察が狩野博士の論文には欠けている訳ですから、さらなる研究の余地があると云うことです。批判はされるでしょうが、日本古代史学会に一石を投じる覚悟でいます。」と宝達教授が真剣な顔をした。
「鳩山窯跡の近くにある氷川神社も見学されたとか?」
「ええ。神社横にあった由諸書板には祭神が建速須佐之男命、迦具土之神、大雷神となっていました。予想通りでした。須佐王命は草薙の宝剣で有名ですが、土器の焼き物も創ったとされています。すなわち火具土の神とも親しいのです。そして、大雷神とは火具土の神を生んだ時に死んだイザナミ大神の遺体が黄泉国で腐りかけていた時の頭部に生まれていた神であります。また、大国主に国譲りを迫った鹿島神宮の祭神である建御雷命はイザナギ大神が火具土の神を御剣で斬った時の血から生まれた神です。謂って見れば、大雷神は建御雷命の影御魂みたいなものでしょうか。さる霊能者に謂わせると、人間は肉体と霊と魂の三層構造で出来ているとのことです。肉体を持って生まれた建御雷命の霊魂は大雷神だったのでしょう。かつての武蔵国である埼玉県内の町村には須佐王命を祀る氷川神社が多く存在します。この3柱の神がこの鳩山町にある氷川神社社祠に祀られている事実が私の研究のキーポイントになります。そして、出雲王朝が祀る大国主の先祖である須佐王はどこから来たのか。大国主とは出雲王朝での王位の呼称です。」と宝達教授が言った。
〜能登の錫杖:前編 完〜
目賀見 勝利
(中編に続く)