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秘匿余生

作者: TAKI
掲載日:2026/10/13

人は最期まで醜く、愚かで、温かい。

※この作品はフィクションです。実際の人物、団体とは一切関係ありません。



1番私が傷ついたのは「お前は生きている価値がない。」と言われたことでした。

1番私が救われたのは「あなたらしく生きていて欲しい。」と言われたことでした。

………………死のう………………

 3カ月後に私は死ぬ。そうすることにした。過去の、幼くて平和的で温厚な私なら、500%思いつかない、そして肯定しない結論だと思う。けど今の私は、そんな倫理と道徳に反する結論を導き出した私を否定するようなことはしなかった。いや、おそらく見ようとしないだけで、私の知らない深層心理の奥の奥に潜む私は、そんな結論を導き出した私を否定していたのかもしてない。死んではダメだ。まだあきらめるな!必ず何か、救いはある。そんなわかりきっていることを、そしてどうにもならない水掛け論を、私の知らない私は生に背を向けた私に向かって叫んでいる。たぶん、私は理解していたのだろう。死んではならないということぐらい。けど、過去になんどもそう思って踏みとどまってきた。その結果はどうだ?問題は解決するどころか悪化して、信頼してきた人々に見捨てられ、見知らぬ人から否定と罵倒の声を浴びせられる。精神はとっくに壊れていた。治そうと努力した。なんどもなんども。カウンセリングに行ったり、ネットで調べた改善法やリラックスの方法を試したりもした。だがその度に、人から邪魔され貶され、私はさらに病んでいった。自傷行為は日に日に激しさを増し、頭痛や倦怠感から動けなくなる日も多くなった。大学生活はその延長線上にあり、やはり上手くいかない。相談できる相手もいない。へんな心配性と人間不信が自尊心を傷つけて、相談をすることができなかった。入学してから7カ月。これでも耐えてきたつもりだ。けど、何も変えられない。変えようとしてもいつも何かが邪魔をする。そんな自分に、生き方に、人生にとうとう限界を感じてしまった。もしくは、ようやくその限界を受け入れたのかもしれない。もう自分は限界なんだ。これ以上やっても意味がない。無駄な生き方をするぐらいなら大人しく死のう。ようやく限界を理解できたんだと思う。正直、この人生に未練がないと言えば嘘になる。人間関係が希薄だったとはいえ、人との関わりがゼロだったわけではない。むしろ、少ない人間関係だったからこそ、深い繋がりもある。その人たちにまだわずかに未練がある。そんな未練を残したまま死ぬことは、さすがに死を覚悟した私も許さなかった。まぁ、そんな未練を抱えているぐらいなら、もっと頑張って生きろ。当たり前のことだが、私にはそんな考えがなかった。そんな考えができなかった。それどころか迷妄にとらわれている私の思考は、その3ヶ月の余生でするべき使命なんて、手前勝手な詭弁を弄して自己暗示をかけた。

『誰にも知られることなく自殺する。』

そのための準備がこの3ヶ月である。私は間抜けにも納得してしまった。私の脳内には、私を忘れて私という存在がもともといなかったものとして、これからを生きてほしい。私という人間の存在は関わってきた人たちに迷惑をかけている。いつもいつも自分の行動、言動、存在に罪の意識を抱いている。だからこそもう迷惑をかけたくない。私という人間はいなかった。そう思ってほしい。そんな想いが渦巻いていた。そして先述したような未練を感じていたとはいえ、どうしてもこの結論を捨てる勇気は持てなかった。死ぬ勇気と覚悟はあるというのに。私はそんなジレンマの中で、最後の3カ月を生きることにした。


➀大学の先輩

 私はコーラス団に入っていた。1年生は私ひとりだけで、そのせいもあってか先輩たちからはとても可愛がられていた。よくカラオケやご飯に連れて行ってくれたり、日常の愚痴や雑談を気軽に話すことができた。その会話の中で、私の精神状態について話したこともあった。はっきり言って私はうつ病である。そのきっかけや経過を簡単に話すことが何回かあった。その度に先輩は

『大変だったね。』

とか

『今は大丈夫?』

と言った声をかけてくれた。私はなぜか変に強がって………………強がりというよりか心配をかけまいと思っていつも作り笑顔で

「もう過去のことなんで!症状はありますけど大丈夫です!」

と笑って見せていた。先輩たちがそれを強がりや作り笑顔とわかっていたのかは知る由もない。けど少なくともそのときの私は

『これでいいはずだ。』

と思い、自己暗示をかけていたはずだ。その自己暗示の積み重ねが、私の倫理観、死生観を狂わせていたのだろう。たぶん、当時の私はとっくに理解していたはずだ。入学してから7ヶ月。自殺を決意した日。その日も練習だったのだが、私は練習を休んだ。大学の講義にすら参加できなくて、寮のベッドの上で動けなくなっていた。私は一応サークルのグループLINEに欠席連絡をして、練習に参加できないことを伝えた。体調不良ということで休んだ。嘘ではない。ただその真意は伝えなかった。次の日も練習があった。年末ということもあり、最近の練習はいつもより多めで、この日は2日連続練習という少しだけイレギュラーな日だった。私は何事もなかったかのような顔で練習教室に入った。

「お疲れ様でーす。」

といつも通りのテンションを装って挨拶をした。先に教室にいた先輩Aもいつも通り

「おつかれー。」

とにこやかに、けど少しだけ疲れが感じ取れる表情で挨拶をした。そして間髪を入れずに

「体調、大丈夫?」

と声をかけてくれた。私は内心ドキッとしながらも、

「あぁ大丈夫でしたぁ。心配をおかけして申し訳ありません。」

と作り笑顔で答えた。先輩Aは少し安堵したような表情で

「よかったぁ、いや村岡君なかなか休むことないからさぁ。」

「すみません。もう大丈夫なんで、」

「あ、そー………………。あ、ちなみになんだったの?その体調不良って。」

想定していた質問が来た。私は下手に考え込まず

「ちょっと目眩がしてしまいまして。たぶん眼精疲労の類いかなぁ、と。」

と答えた。あながち嘘ではない。嘘ではないが、得体の知れないモヤモヤとしたものが胸中に渦巻いた。先輩Aは深追いしようとはせず、

「まぁ年末だし大変だよねぇ。けどちゃんと休みなよぉ?」

と笑顔で言った。その笑顔が私の胸中にさらなるモヤモヤを生み出した。得体の知れない何か。けど、やっぱりその正体はわかっていた。が、認めたくなかった。

「はい。気を付けます。」

私は少しだけ小さな声で答えた。それからの練習は何事もなくいつも通りだった。けどその日を境に、私にさらなる変化が起きた。練習を休む日が増えた。何度も身体が動かなくなったり、極度のうつ症状で日常生活そのものに支障が出てきてしまった。その度に先輩たち、特に先輩Aは心配してくれた。おそらく外見というか外面的なものが変わってきたのだろう。日に日に食事の量が減ってきていたため、身体は瘦せていき、明らかにやつれてきたことが誰の目から見てもわかるほどだった。たまに練習に顔を出すと、先輩たちからは心配された。

「なんかやつれてない?」

「ちゃんと食べてる?」

「何かあった?」

色んな声をかけてくれた。その度に私は嬉しいみたいな気持ちと、

『頼むからもうほっといてくれ。』

という気持ちがいつもぶつかっていた。けどいくらぶつかっても、結局最後は後者が勝ち残って

「……………大丈夫です。」

と変に強がってみせた。その強がりが先輩たちも自分も傷つけているというのに。理解していたのに私は強がりを続けた。どんだけ惨めでも、どんだけ無理であっても、誰にも知られずに死ぬ。早く忘れてもらうために。みんなのために。だから噓を突き通す。それが自殺する自分に出来る最善策だと、当時の私は信じて疑わなかった。死ぬ1ヶ月前。私はサークルを辞めた。これ以上、迷惑をかけられない。やつれていく私をこれ以上心配してほしくない。そしてこれ以上は悟られてしまう。そんな焦りと罪悪感で私はサークルを辞めてしまった。もちろん、それによって私のモヤモヤは晴れなかった。それどころかもう真っ暗だった。どうすればいいのかわからない。なにが正解なのかわからない。自分が何をしたいのかわからない。正解だと信じていた思想に、自分が苦しめられているのがわかる。とにかく解放されたかった。早く解放されたかった。そんな無責任な思考、無責任な結論に私はたどり着いたのだと思う。もしくは最後にようやく自分に正直になれたのだと思う。

先輩たちが全てを知ったのはおそらく、運命の日の3日ほど後だと思う。そうであってほしい。


②大学の友達

 大学の友達であるUもおそらく私の真意を知ることはなかったと思う。Uは私にとって大学で唯一の友達だ。そもそも私はあまり人との関わりが苦手で、俗に言うコミュ障である。それに加えて、自前の自己嫌悪と性格が重なって、先述したように昔から人付き合いが悪く、友達が少なかった。なぜUと親しくなったのか。過去を振り返って、これと言ったきっかけや理由を見つけるのは難しいが、おそらくはお互いに似たところがあったからだと思う。Uも私と同じように人と接するのが苦手だった。私みたいな人間と一緒にするのはおこがましいし失礼だと思うが、入学直後の会話の中でU本人がそう言っていた。お互いに共感できるところが多く、何より話しやすかった。だから、私がうつ病であることも話した。その話をしたとき、Uは変に態度を変えたりせず、いつも通りに接してくれた。大学での人間関係に悩んでいた私にとってUとの会話、友人関係は安心材料となっていた。そんなUにすら、私は自殺することを隠した。先述しているような思想が原因だ。私は平然を装ってUと接した。するといつからか、いつも通りの会話のはずなのに、会話に集中することができなくなった。特にこれと言った話題があるわけではない。そういうわけではないが、例えば同意できる話題や関心出来る内容を聞いたとき、口では

「へぇそうなんだ。」

「すごいね。」

みたいなリアクションをする。そのリアクションが上辺だけの返事なこともあるが、もちろんときには心の底から同意、関心できることだってあり、その感情をきっかけにリアクションすることもある。しかし自殺を決意したその日から

『へぇそうなんだ。』

『すごいなぁ。』

と言った心の底からの感情が消えたみたいだった。内容そのものは理解できる。しかしその内容をまるで脊髄反射のように頭で考えたり、感情を用いようとせず、常に上辺のリアクションをしてしまう。そして常に何かを考えている。先述している思想なのか、自殺の計画なのか。自分でも何を考えているのかはっきりとわからない。けど何かを深く考え込んでいる。それらの理由が相まって会話に集中できないのだ。死ぬ2ヵ月前、私は日に日に心身の変化の激しさに翻弄されていた。徐々に私の会話や発言、リアクションに異常がみられるようになった。誰が聞いても

『今、話聞いてなかったでしょ?』

と言われるようなリアクションが増えた。実際に父との電話のとき、

「お前話聞いてる?」

と言われ

「ちゃんと話を聞け!」

と少し怒られたほどだった。私の自殺を隠すためにも、リアクションや言動には気を付けていたつもりだったが、私の心身は限界を迎えていて、無意識のうちに壊れてしまったのだ。私は焦った。バレてしまう。私は今まで以上に自分の一言一言に注意した。けれども無意識の言動は私の制御の域を超えていて、どうしようもできなくなっていた。おそらくUも気づいていたはずだ。明らかにおかしくなった私と、大学生活中会話しているんだ。

『あれ?』

と思う場面はいくつもあっただろう。しかしUは特に何も指摘しなかった。優しさなのか諦めなのか。その真意はわからない。けどそんな関係性は、当時の私にとってどこか支えになっていた気がする。私はいつも通りの会話をするように努めた。が、死ぬ1ヵ月前。私はさらに壊れた。大学を休む日が増えた。会話どころか対面する機会すら減った。ある日、学校で久々に会ったとき、さすがにおかしいと思ったのだろう。

「大丈夫?なんかあった?」

とUは声をかけてくれた。私は表情筋に少しだけ意識を集中させて笑顔をつくり

「最近ちょっと大変でね。なかなか疲れが取れないんだ。」

と言った。Uは

「………………そうなんだ。」

と相槌を打った。私は次講義に行こうと

「………じゃあ、俺次の講義あるから。…えっと、たしか別々だったよね?」

と言ってその場から立ち去ろうとした。するとUは

「本当に大丈夫?よかったら話聞くよ?」

と私を引き止めようとした。私はすぐに

「いやいやいやいや大丈夫!心配しないで、大丈夫だから!ありがとね!」

と咄嗟の作り笑顔を浮かべて逃げるようにその場を後にした。あんな間違った思想のせいで、私は差し伸べられた手を間抜けにも振り払った。何を考えていたのだろうか。迷惑をかけたくないと思う一方、はっきりといた自殺願望が強かったのだろうか。………………あったのかもしれない。過去に絶望して。今に絶望して。未来に絶望して。そんな絶望に耐えられなくなって、間違いだとわかっていたからこそ、その間違いを正当化するために言い訳を並べた。詭弁だとわかっていながらそれを支持した。自分は一体何がしたいのか。本当はどうしたいのか。死が近づくに連れて、そんな自問自答に襲われる。

Uがそのあとの真意を知ったのかはわからない。けどできるなら、運命の日の後に知ってほしい。そうも思っている。


〇過去

 私の人生、と言ってもそこまで人に誇れるような人生ではないが、私の人生は他者からの否定と嫌悪がほとんどだったと思う。親からは物心ついたときから価値観を強要されてきた。自分がやりたいと思ったことを真っ向から否定されることがほとんどで、ごくたまに

「へぇいいじゃん。」

と賛同してくれることもあったが、基本的には否定スタンスで

「え?そんなことするの?」

とか

「絶対やめといたほうがいいわ。」

と言われていた。それに付け加えて

「こっちのほうが絶対いいよ。」

「こっちにしな。」

と親の価値観に私はいつも流されて、幼い頃は

「いやだ!こっちがいい!」

と駄々をこねることがあったらしいが、私の脳内にそんな記憶はない。私は記憶力には多少自信があり、一番古い記憶は3歳のときの記憶だが、そこまで振り返っても駄々をこねて、わがままを突き通そうとした記憶はない。そのときから親の『言うことは絶対』という認識、生き方になっていたんだと思う。もちろん幼いときなら多少のわがままは通るだろうが、両親に対してはそんなわがままが通用することはなかった。父は理論武装者で幼少の頃から理論的で難しいことを言っていた。説教ともなればその理論はエスカレートする。幼児の理解の範疇を度外視して、おそらく大人でもまいってしまうような理詰めモドキが始まる。それが父の教育方法であり、そんな人間が私の家系、特に家主には多かったので、父も自然とそんな理論武装者になったのだろう。私自身、その教育を長年受けてきてここまで成長したのだから否定する気は毛頭ない。感謝できるところもいくつもある。一方母は理論武装者ではなかったが、自己主張が少しだけ激しい人だった。補足しておくがファッションとかメイクとか外見的な主張ではない。自分の価値観がはっきりとしていて、なんでもズバズバと突っ込むタイプだった。もちろんそれが母の社会的で外面的な顔なのかは、家庭の母しか見ていな私にはわからないが、そんな私の目線からはそんな人に見えた。母の意見は父ほど理論的ではなかったが、母の主張は人々の共感を誘い、賛同してしまう魔法のようなものがあった。だから母の意見を疑うことはなかった。たぶん正しいんだろうなと、勝手に自己完結をしていた。もちろんそれで救われたこともあるし、育ててくれたから、父と同様に母のそんな主張も間違いだと否定しようとは思わない。けど、成長するにつれて、そんな教育と世間、社会とのズレを痛感するようになってきた。当たり前だが、個人の価値観というのはそれぞれが身を投じる環境、社会で生きていくことで変化し、確立していくものである。今まで正解だと思っていたことや、逆に批判してきたことも、その時々の環境や場面を経験することで別の見方が生まれ、そのズレに悩み、最終的に自分なりの答えを見つける。そういうものだと思っている。私もそうだった。今まで親から言われてきたこと、教育されてきたことが絶対正しくて、不変の答えだと思っていた。しかし、小中高、大学と進級、進学し、一般的な教育を受けて、さまざまな価値観に触れ合っていくにつれて、

『自分はこう思う。』

『自分はこれを信じたい。』

『自分はこうしたい。』

という自分なりの価値観を持つようになった。昔から受けてきた両親の教育に疑念を抱きながらも、それもまたひとつの価値観であって十人十色であると認識していた。が、あるとき。私のこれからの人生に関わる話を両親としたとき、両親は真っ向から私の価値観を否定した。

「絶対失敗するに決まってる。」

「自分たちはこう思うからこうした方がいい。」

「意味がない。」

と。私は決して突飛なことを言ったわけじゃない。だから私は反論した。自分の考え、価値観を面と向かって伝えようとした。しかし理論武装者の父と主張の強い母の考え、価値観には響かなかった。そりゃ我が子を想った親の考えなのだろう。そういう類いの優しさであって、私の将来を心配しての発言なんだと思う。わかっている。両親もひとりの人間だ。しかし、私もひとりの人間だ。私にだってやりたいこと、私の価値観がある。そしてここからは私の人生だ。親という立場からすれば、不透明なこの先の人生に我が子を放り出すのは肝が冷えるのだろうし、その気持ちもわかる。けどそんな危険や不安に立ち向かっていくのは、その道を選んだ本人である私だ。心配して助けてくれることは心強いし感謝している。ただ、もう少し私を信用してほしい。私の人生なのだから。私はそんな想いを両親に話した。………………親は聞いてくれなかった。父の理論攻撃で私という価値観は外堀から内側に向かって崩されて、母の主張でまるめ込まれた。その言い合いが長く続き、とうとう私は折れた。私はふたりほど強くなかった。私はそんな両親の価値観を不本意ながらも受け入れようとした。けど、無理だった。何をしていてもそこに自分はいない。その先に自分はいない。

 親だけならまだよかったのだろうか。他に助けが、頼れる何かがあったら壊れなかったのか。今となってはわからない。ただ先述したように、私の人生は他者から否定、嫌悪されてきた。私は学校教育の中であまり教員に恵まれなかった。小学校の時はまだ幼いということもあり、そんなことを感じ取ったりはしなかったが、中学からはっきりと感じ取れるようになってきた。生徒の一挙手一投足に対して、頭ごなしに金切り声で怒鳴り散らす教員、

「くそったれ!」

「馬鹿が!」

と暴言を吐く教員、人間の心、道徳を感じられない指導をする教員。生徒の声に耳を傾けない教員が多かった。私は特に問題児ということもなかったのだが、意見や考えは積極的に発言するほうだった。あるとき、自分の意見を提案しようとしたとき、唐突に大声で

「黙れ!」

と怒鳴られ、聞いてもらえなかった。1回や2回の話ではない。ほぼ毎回と言っていい。意見を真っ当に聞いてもらえないことがほとんどだった。ただそんな対応をされたのは私だけではなかったし、私のクラスの治安もそこまで良いものではなかったので、私の中では

『まぁいいか。』

というように自己完結出来ていた。けれども高校でその自己完結も通用しなくなってしまった。高校の教員は私に罵詈雑言を集中砲火するようになった。あるときは私の意見を聞こうともせず、私を間違いだと言い、あるときは存在を否定され、あるときは殴られ蹴られ、あるときは何もしていない私を悪だと言って糾弾し、笑いものにされて。私の精神が明確に壊れ始めたのはそのころからだったと思う。リストカット、オーバードーズ。毎日毎日私という人間の全てを否定され、罵られ、傷つけ。そして自らの手で否定し、罵り、傷つけた。ある教員は毎日こんなことを言った。

「お前の存在が迷惑で、お前の知らないところで大勢の人間が迷惑している。」

普通なら気に留める必要のない言葉だ。たしかに私は自分のことが大嫌いだ。私の知らないところで迷惑をかけているかもしれない。得体の知れない罪悪感みたいなものを抱えて生きている。だからそんなことは百も承知だ。ただそう思えるのは、私という人間が私の人生を自分の足で歩んできた結果から導き出したからであって、私のことをほとんど知らない教員が、人間が、表面をなぞっただけの解釈と自分の思想感情だけで私の全てを毎日毎日否定したのだ。私は腹が立った。だから最初のうちは反論していた。していたが、いつしか言葉の暴力が物理的な暴力にまで発展し、無意識の領域が『私の存在が迷惑』というあてつけに浸食されてしまい、そして家に帰っても私という人間の価値観が、他者の手でまるめ込まれて消え失せてしまう。だからもう、いつからか本当に私という人間の存在、全てが迷惑なんだと、生きていてはダメなんだと思うようになった。それはいつしかうつ病という形で私を蝕み、治そうと努力してもいつも誰かが

「存在が迷惑。」

「お前の価値観は間違っている。」

と、また誰かからは

「早く死ね。」

「消えろ。」

と言われたり傷つけられたり、心当たりのないことをでっちあげられることだって何度もあった。もちろん中には助けようとしてくれる人がいた。けどそんな人が現れるたびに、先述したような言葉を浴びせる人間が大勢現れて消してしまう。助けようとしてくれた人にまで被害が及ぶ。私はそんな光景を目の当たりにしすぎて

『助けを求めることも迷惑なんだ。』

と自己完結した。あるとき教員からこんなことを言われた。

「お前の味方は一生現れない。現れるわけがない。」

私はそこで悟った。

『あぁ、そうなんだ。』

と理解し納得した。それから私は助けを求めることを辞めた。治らないうつ病、不可解な自分、攻撃しかしない大人。私は疲れた。いつからか見ず知らずの人間からも心許ない言葉を浴びせられるようになった。そしてある教員が

「お前のことを俺は否定し続ける。」

と言った。私はそれが彼らの腹の内だと確信した。否定され続ける存在、迷惑な存在、自分であって自分でない存在。それが私であり生きている価値はないのだと思った。だから死ぬ。だから死にたい。他者から攻撃され傷つけられる人生なら、せめて最期は自分の手で終わらせたい。それが私の唯一の、人生で最初で最後の我儘だ。それぐらいの我儘、もう言ってもいいはずだ。


③友達たち

 ここで言う友達は高校の友達6人組だ。先述したような人間に囲まれ、人間関係が希薄な私にも友達はいる。高校の友達はUと同じように、いやそれ以上に親しく笑い合える仲だった。それこそうつ病の症状が出始めたころ、私はその症状を話していた。話した理由は助けてほしいとか、救済を求めるとかはない。ただ話していたら落ち着けた。価値観を強要されることも、何かを指図されることも、傷つけられることもなく、素の自分でいることができた。高校卒業後、県外の大学に進学した私は友達と会える機会が激減した。もちろん仕方のないことだが、進学先の大学に知り合いや友達が一人もいないというのは、精神的にかなりの負担となった。とは言っても、LINEはしていたしよく電話とかしていた。それが私にとって不満と疑念みたいなモヤモヤ抱え続ける日々の支えであり、少しの楽しみになっていた。他愛のない会話、なんの生産性のない冗談を言い合う。しょうもないことで笑い合う。大学では体験することのできない、俗に言う普通で当たり前の会話だ。正直、友達に

「これから死のうと思う。」

と打ち明けることは簡単だった。先輩やUよりも、精神的なハードルが低かった。なぜなのか、と言えばいろいろあるが、その要因のひとつには私と友達の距離感にあると思う。私たちは良くも悪くもお互いがお互いに深く干渉しすぎないという暗黙の了解があった。たしかに先述したように、私たちはU以上に親しく、いろんな話を気軽にできる仲で、いろんな相談をしたこともあった。ただ干渉しすぎない分、いつしかそんな関係が真の本音を言えなくさせていた。

『言っても本気で受け取らないだろう。』

そんな関係の延長線なんだろうか。どこかでそんな気持ちがあった。それぐらいの関係が良かったのは事実だし、もちろん友達が悪いとか、誰かを悪にしてどうこうするようなことは言わない。ただ薬というものは与えすぎると毒になる。そして何より、より親しかったからこそ、ここまで書いてきた思想が脳裏によぎり、真の本音が言えなかった。もう何がしたいのかわからない。何が本心なのか。良いのか悪いのか、救われてると言っておきながらそれがなぜか毒のようになっている。その矛盾が問題であり、欠点であることはわかっていた。そんな自分が嫌いで嫌いで仕方がない。その自己嫌悪を抱えていることを友達は知っていた。けど、その自己嫌悪をどうすれば改善できるのか、その答えが日々の会話ででることも誰かが助けることも、そんな関係性によりあまりなかった。

 自殺を決意する日。夜9時半はとっくに過ぎていたと思う。その日はグループLINEで通話していた。その日はといってもいつものことだった。何気ないいつも通りの会話。そんな会話の中で話題が高校の思い出話となった。ふと友達のひとりであるMがあることを言った。

「そういえば聞いた話だけど、あいつ出世したらしいよ。」

「出世?だれが?」

私は素朴な疑問をMに投げかけた。Mはさらっと答えた。

「あの教員。K。」

Kとは高校在学中、特に私に向かって罵詈雑言を吐き、暴力までしてきた教員だ。うつ病の原因となったひとりでもある。私は嫌悪感をむき出しにして

「あいつがぁ?うわぁ、超腹立つわ。」

とそんなリアクションをしてみせた。するとMが言った。

「なんかあいつ、いろいろ嘘言ってるらしいよ。」

「嘘?なにそれ。」

私の頭の中に次々といろんな疑問と嫌悪感が出てくる。Mは私の問いに答えた。

「自分が可愛がっていた生徒が県外で頑張ってるみたいな話。いろいろ面倒を見てて、先生が特に気に入っていた生徒だったって。あと先生のおかげで県外に行ったとか言ってたんだって。」

「………………はぁ?」

怒りが込み上げてきた。毎日、毎日。私に向かっていろいろと言ってきた。

『死ね』

という言葉こそ言わなかったが、それと同じようなことを毎日私に言っていた。指導と称して頭を殴り、背中を蹴り。あるときはK本人の口から

「お前の命に価値はない。」

と言われたことだってあった。あれがもし虚言だというのなら、あれがよく世間で言われる愛情の裏返しだというのなら………………。なぜ彼の我儘は通用して、私の声は届かないのか。どんどん怒りが込み上がってくる。すると今度は通話に参加していた友達Gが言った。

「聞いたことあるわぁ。なんかあれでしょ?好き放題してるんでしょ?」

「好き放題?」

また別の話だ。Gが続ける。

「出世したのをいいことに変な校則とか作ってるんでしょ?あの高校も終わったね。」

怒りが募りすぎて少し頭が痛かった。

「あいつが、俺をうつ病にしたのに。なんでそんなことできるの?」

怒りの矛先を友達に向けようと思ったわけではない。ただ怒りと同時に増えていく疑問を友達にぶつけてしまった。むしろ疑問に転換しなければ、私はこれ以上に理性を失ってしまう気がした。Gは若干困惑しながらも答えてくれた。

「さ、さぁ?けど知り合いが言ってたけど、めちゃくちゃ話してるんだって。さも自分のおかげみたいな。まぁホントに馬鹿なんでしょ。」

「………………ふざけんな。」

私は小さくそんな一言を漏らした。自分の体温が上がってきているのがわかる。変な汗をかいている。

「なぁ。あいつって考えたことあるのかな?」

私はMとG、そして通話に参加していたYとOに向かって、そして自分自身に向かって言った。

「なにを?」

Mが聞き返す。私は答えた。

「あいつが今、そうやって出世できてるのも、教職にいられるのも、あのとき俺の訴えが通ってたら全部なかったかもしれないってさ。こんなこと、自分で言うのもなんだけど、教師だからってやっていいわけじゃないでしょ?あんなこと。毎日毎日、お前に価値はない迷惑だ嫌いだなんだの言いまくって。気に入らなかったら蹴って、何かあったら殴って。それ見てた周りの人は止めようとしなくて。俺が訴えても『何かの間違い。』だとか『あっそ。』とか聞いてくれなくて。そしたらあいつの我儘は通るの?………………誰のせいで、今こんなことなってんだよ。誰のおかげで今も教職に就けてんだよ。………………クソが。」

シィンとみんな沈黙した。聞きたくもないであろう愚痴を聞かされてたまったもんじゃないはずだ。Gが口を開いた。

「なんかごめん。」

私はようやく我に返ったのか

「………………いやごめん。ここで言っても無駄だしね。」

と謝った。そしてGが

「………………よし!話題変えよう!」

と提案し、その日私は同じような愚痴を言うことはなかった。通話が終わったのは10時半頃だったと思う。そして日付が変わる前、私は自殺を決意した。それから1カ月ほどは今までのように通話に参加した。その方が怪しまれないだろうし。ただ偶然にも、高校の思い出話になることが多く、その中でよくKや私を罵倒し否定してきた人たちの話題が上がった。他にこんなことを言っていただとか、今は何をしているのかだとか。そいつらの多くは出世だとか人生が良い方向に向いているらしい。感じなくてもいい、憎悪、後悔、自己嫌悪、自己否定、そして怒りが日に日に蓄積されていった。それらの感情は自分でもわからないような回路で繋がって

『みんなにバレずに死ぬ』

という思想、生き方の原動力となった。ただそんなことをしていると限界が来る。死ぬ2ヵ月前ぐらいから徐々にやりとりする回数が減っていった。死ぬ1ヵ月半ほど前になると、私の身体はボロボロとなった精神に耐えられなくなり、様々な支障が出てきてしまった。手の震えで鉛筆や箸が持てなくなり、食欲がなくなったことで意識的に頑張らないと食事がとれなくなった。1ヵ月で体重は5キロ以上落ちた。それだけに留まらず、胸が締め付けられるような激しい痛みに襲われることが増え、呼吸をする度に肺がズキンズキンと痛む。肩で息をするようになり、よく目眩や頭痛に襲われるようになった。その目眩と食欲不振からかよく食べたものをトイレで吐き出して、20分ほどその場で気を失うこともあった。死ぬ1ヵ月前、友達と電話できなくなった。声を出すのが辛い。頑張って食事を取り、生活に必要なものを買うために外に出る。天気に関係なく傘を持って、杖代わりにしながら街を歩いた。それだけでほぼ全ての体力と気力が失われてしまう。だから電話もできなくなった。自分でも衰弱しているのがわかる。この身体ではバイトにも行けなくなってしまったが、食事をほとんど取らず、欲という欲も無くなっていたためほとんど金を使うことはなかった。だから金銭の心配はなかった。ただ死ぬまでの終活として使い切りたい。だから身体を引きずってでも買い出しに行くのだ。死ぬ2週間前の夜。YからLINEが来た。

『お前大丈夫か?最近ほとんど連絡取れないけど。』

私は震える手で画面をスワイプし、ゆっくりと一文字ずつ文字を打った。

『大丈夫。ありがと。』

メッセージを送信した。するとものの数秒で返事が返ってきた。

『ホントに?なんかあったら言えよ?』

そのメッセージを見たとき私はため息を吐いた。後悔と安堵が入り混じったため息だったと思う。私はまた文字をゆっくりと打ち込み

『心配すんな。』

と一文を送ったあと、少し魔が差したのかとある一文を打ち込んで送った。

『今はたしかに大変だけど、もう少しで片付くから。そのときまた電話入るわ。』

地味に長い文章を打ち込んだだけで、どっと疲れてしまった。Yからはグッドマークのスタンプが来た。私は鼻で笑って、ベッドの上に寝転んだ。何してんだろ。疑問が浮かび上がった。


④家族

 当然だが、家族には自殺をするなんてこと言う気はさらさら無かった。それどころか私がうつ病であることも言っていない。そもそも家族にそんな発言したらどうなるか、例え私でなくても想定されること、その顛末は明白である。先述したような過去がある私にとってそのハードルはさらに高かった。言いくるめられて終わり。その可能性しか思い浮かばない。もっと話し合うことが出来たのなら、分かり合えたら。こんなことは思わなかったのだろう。それにもしかしたら、今からでも間に合うのだろう。私の抱える闇をなんの躊躇いもなく全て血の繋がった家族に打ち明けることが出来たのならどんなに良かっただろう。が、そんな淡い期待は叶わなかった。どれだけ本音を打ち明けようとしても

「いや、けど、それを言うんならあんたはさぁ、」

みたいな話の入りから、価値観というか親の意見を私の意見無視してぶつけてくる。それが愛情で教育なんだろうが、真っ当に私の意見は聞いてもらえない。また親は頑固で自分の意見を曲げようとしない。それに慣れてしまっていたのだが、それが一因とわかった途端、余計に助けを求めたり自殺を考えていることなんて言えなくなった。そして何より変な心配をかけたくなかった。どれだけ愚痴をこぼしても、どれだけのことをされていても、親は親だ。ここまで育ててくれた事実と恩はどこまで行っても変わらない。変えられない。

 自殺を決意した日。時間は夜の10時半を過ぎていた。11時までには寝る準備を済ませようと、歯磨きをして明日の用意を済ませ、薬と睡眠薬を飲んだ。20分ほど経ってスマホでアラームを設定しようとしたとき、父からのLINEが来た。

『何だろう?』

素朴な疑問が湧いた。父からは

『ちょっと夜遅いけどいい?』

と言うメッセージが来ていた。私は

『何?』

と返した。父は文字を打つスピードが遅いので、返信が来るのが遅い。1分から2分ほど待っていると次の返事が来た。

『お前免許は取れそうなのか?』

私は

『またか。』

と思った。私は今教習所に通っている。ただ私の運転の技術、知識はあまり上達していないため、普通よりも少しばかり遅れているのだ。父は何度も

「早く免許を取れ。」

と言う。正直私は今年は免許を取ろうとは思っていなかったし、あまり取りたいと思っていなかった。自分なりに今の精神状態は異常だということがわかっていたので、そんな精神状態は免許取得は大きな壁となると感じていた。しかし父からは

「絶対今年取れ。」

と何度も言われた。私は何度も来年に取りたいと言ったが、同じことを何度も言われ私の方が折れてしまった。そしていざ教習を受ける。予想通り私の精神状態は壁となった。担当教員からは

「ここまで酷い運転は見たこともないからやめたほうがいいよ。」

と睨まれながら言われるほどだった。なんとか仮免許は再試験を何度か受け直して取ることができたが、そこからの路上教習はさらに苛酷に感じられた。ハンドルを握るたびに手の震えが止まらない。何に恐れているのかわからないが、過去のトラウマがハンドルを握るたびに蘇っていた。そのトラウマが余計に免許取得を遅らせてしまった。それにしびれを切らしたのだろう。父のメッセージからそんな感情が読み取れた。私は少し考えてから

『ちょっと年内に取れるかわからないけど、たぶん取れると思う。』

と送った。父は少し頑固で厳格な性格だったのでおおよその返答は予想できていた。しかし返ってきた返答は少し違った。

『お前さ。免許舐めてる?』

父から送られた文を見た瞬間思わず

「………………は?」

と疑問が漏れた。なんでそういうことになるのか。理解できなかった。

『え?なんで?』

と私は率直な疑問を投げかけた。すると今度は父から電話がかかってきた。何を言われるのか怖かった。しかし電話にでなければならない。私は通話を始めた。

「………………え、なに?」

「いや、お前さ。あんまり舐めないほうがいいよ。免許。どう思ってるのか知らないけどさ。」

父の声は思いのほか落ち着いていた。私は返答に注意しながら答える。

「………………いや。舐めてないよ。むしろめちゃくちゃ慎重にやってるよ。」

「その割には超時間かかってんじゃん。なんで?あんまり行ってないの?」

少しだけ父の口調から怒りのような焦りを感じる。

「………………そりゃいろいろ忙しい時期だからさ。行ける日は少ないかも。」

「大学生ってそんなに忙しいの?お父さんのときは普通に夜遅くまで行ってたから結構早く取れたけど。」

若干の時代錯誤に私は少しだけ呆れた。

「いや、いろいろ掛け持ちしてるからさぁ。学外学習とサークルとボランティア活動3つと委員会とバイト、あとその他諸々。年末だから特に忙しいんだよ。それにプラスで免許だから余計に忙しい。」

「ふぅん。けど、暇なときぐらいあるでしょ?」

「………………そりゃあるにはあるけどさ。逆にそのときしか休めないからさぁ。」

「え?けど土日はどっちかは休めるでしょ?」

「………………まぁ、一応教習所も日曜日は休みだし、その日はバイト入れないようにしてる。けどその日以外は大体帰るの夜遅いから、その日は1週間の疲れを取ろうかなって思ってて。」

「けど、日曜日にバイト入れてさ、平日の空きに教習入れればいいじゃん。」

「それじゃぁ身体壊れるよ。」

徐々に私もイラついてきた。

「大学生なんて忙しくてなんぼだよ。それにまだ若いんだからさ。早く免許取るほうが重要だし。」

「いや、いくら若いからって休まないと。」

「でもいつも帰るのは9時前後なんでしょ?」

「最近は10時ごろだけど。」

「でも他の人とかって普通に12時までバイトしてるよ?」

「いや、早く帰る分、ボランティア活動の企画とかサークルの練習とか、委員会のまとめとかしてるんだけど。」

「ふぅぅん。………………え、けど、もっと効率良くできるでしょ?他の人とかと分担したりさ。」

「してるよ。してても忙しい。」

「でもそんなことばっかり言ってるといつまで経っても免許取れないよ。さすがにホントに取れるのか心配になるわ。」

その心配は痛いほどわかっているつもりだ。

「………………大丈夫だって。」

「けど年内に取れるか怪しいんでしょ?」

「………………うん、まぁ。」

思わず曖昧な返答をしてしまった。数秒ほど沈黙が続いた。その沈黙がとても怖い。ようやく父が口を開いた。

「あのさ。こんなこと言うのはあれだけどさ。」

この後の言葉は聞きたくなかった。

「人間確かに休まないと壊れてしまう生き物だけど、人生そんなに甘くないよ。正直言ってさ。今のお前は逃げてるようにしか見えないよ。しんどいことから目を背けてさ。人間生きていくなら多少傷つくことぐらい覚悟しないと。」

怒り、恨み、失望、みたいないろんな感情が徐々に心の内に侵入してきた。

「………………いや。逃げてるつもりないけど。」

「そう?お父さんからは逃げてるように見えるよ。」

「そりゃまぁ、たしかに運転は苦手だよ。正直やりたくないし今でもトラウマが蘇ってくるし。」

「トラウマは運転に関係ない!」

唐突な大声に私は思わずスマホを耳から離した。

「………………そりゃわかってるけど。」

「そんな生半可なことが通用すると思ってんの?てか過去のことじゃん。」

「そうだけど、ただやっぱり未だに怖いし。」

「え?なに?お前病んでんの?」

急に図星を突かれた。私は必死に動揺を隠そうとした。

「…………いや、そんなことないよ。」

「ふぅん。けどさ。それは言い訳にならないからね。実際お父さんうつ病の人にあったことあるけど、正直な話、気の持ちようだよ。」

「………………え?」

私は耳を疑った。父はお構いなしに続けた。

「なんていうのかな。生まれつきメンタルが強い人とか弱い人とかいるけど、実際問題精神なんて鍛えられるからね。筋トレとおんなじだよ。それに耐えたら強くなれる。逆に耐えられない人がうつ病になるんだよ。」

私は高校時代の境遇、あのときの罵詈雑言を受けていた自分が脳裏に浮かんだ。

「………………けどさ。筋トレだからってなんでも言っていいわけじゃなくない?」

せめてもの反論だった。しかし父は

「そりゃお前は学生だったし相手は教員だったからな。そういう一線は意識しないといけない。けど、実社会じゃそれは通用しないんだよ。お前が受けてきたことがちっぽけに見えるほどのものが存在するんだよ。それに耐えることで人間強くなる。耐えられないと社会で生きてはいけないんだよ。事実、うつ病の人間は弱いだけだよ。」

鋭利な刃物みたいな言葉が私の中に刺さる。それでも父は続ける。

「最近の若者はすぐうつ病とかパワハラとか言うからさ。やりにくい世の中になったよ。そういうこと言うから俗に言う社会不適合者ってやつが増えるんだよ。」

「社会不適合者?」

その言葉に引っ掛かった。

「そう。なんでもかんでも権利を求めるだけ求めて何にもせずに被害者ぶる。ただ本人が弱いだけなのに。お父さんはそういう人をたくさん見てきた。最近そういうやつが多くなってさ、マジで使えないやつが増えてて困るんだよ。すぐうつ病とか言って逃げる弱いやつ。」

もう辞めてほしかった。

「だからお前はある意味よかったんじゃない?大変だっただろうけど、あぁいう環境にいたから強くなって、県外に進学できてさ。ある意味感謝だな。」

「………………は?」

感謝?何に?なんで?誰が誰に?意味が分からない。いろんなものを失って、奪われて、それでいて未だに報われない。あのときも報われなかった。あの環境に身を投じたことで、私は精神を病み、人として大事な何かを多く失った。感情の一部を失った。そのくせあいつらは良い人生を送っていて。自分はあいつのせいでいつも苦しんで。なのに感謝?鍛えてくれてありがとうって?罵倒してくれてありがとうって?殴ってくれてありがとうって?蹴ってくれてありがとうって?うつ病にしてくれてありがとうって?私を殺してくれてありがとうって?分からない。わからない。全く意味が分からない。

「お前は病んでないんでしょ?だから社会不適合者と違う。」

父の何気ない言葉がどんどん私を壊していく。

「まぁとにかく早めに免許取れよ?あ、あとミッション車のも取りなよ?」

「………………………………え?なんで?」

「男はミッション車取っておけ。絶対使えるから。」

理解が追い付かない。

「じゃあまぁ、もう遅いからそろそろ切るよ。まぁ頑張ってな。おやすみ。」

私は小さく

「………………………………オヤスミ………………。」

と言った。ブツンと電話が切れた。脳内に様々な記憶や感情が駆け巡る。そうだ。あの教員たちは言っていたな。私の存在が迷惑だって。生きている価値がないって。私の味方は現れないって。1番身近だと思っていた存在から私みたいな人間は社会不適合者だと、弱い人間だと言われた。味方のはずの人間から。みんなの言った通りだ。社会不適合者で弱くて迷惑で自分勝手で何もできなくて内気でコミュ障で情緒不安定で無力の私は生きていても意味がない。父はそんな人間が使えないと言った。使えないんだ。使えない人間がどうやってこの先を生きていくんだろう。生きていていい理由はあるんだろうか。分からない。わからないし考えたくない。たぶん日頃から自分の存在意義とか生きていていい理由は考えていたのだと思う。それがうつ病の一因でもあり、自我を保つためのプロセスでもあった。しかしいざ他人から言語化されて、はっきりと言われると。何人もの人間から何回も何回も言われると。狂ってしまう。わけがわからなくなってしまう。何が正解なのか信じられなくなってしまう。壊れてしまう。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は迷惑な存在なんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。私は生きていたらダメなんだ。そんな私なんて死んでしまえばいい。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。

「………………死ね。………………死ね。………………死ね。………………死ね。………………死ね。………………死ね。……………死ね。……………死ね。……………死ね。……………死ね。……………死ね。…………死ね。…………死ね。…………死ね。…………死ね。…………死ね。…………死ね。…………死ね。………死ね。………死ね。………死ね。………死ね。………死ね。……死ね。……死ね。……死ね!」

気が付けば心の声が漏れていた。本音。正真正銘の本音。願望であり本心だった。


『あぁそうだ。………………私は弱い人間なんだ。………………もういいよな。………………少しぐらい、ひとつでもいいから我儘を言いたい。………………ていうか言ってもいいよねぇ。………………うん………………………………死のう………………。』


もうどうでもよかった。それが私にできる最大限の我儘であり最高の善行だと確信した。神のお告げでも受けたかのように、絶対的な使命感が湧きあがった。けどせめて、あと3ヶ月は生きよう。やり残したことを全部したい。少しでも未練を残さず、誰にも迷惑をかけないように。これが本心だと、これこそが本心なんだと思った。不思議と身体が軽くなった気がした。何にも囚われていないようなそんな感覚があった。

『とにかくまずは3カ月を生きよう。』

そう思ってベッドの上で横になり目をつぶった。

 翌日、大学の昼休み。私は食堂でミニカップラーメンを食べていた。するとLINEの通知音が鳴った。誰からだろうか。スマホを見るとそれは母からだということがわかった。

『昨日お父さんがいろいろ言ったみたいだけど、すごく心配しているだけから、あんまり重く捉えなくて大丈夫よ。とにかく頑張って!』

私は微笑んだ。

『わかった。ごめん。ありがとう。』

と私は返事をした。すぐに既読がつき、母から可愛らしいスタンプが送られてきた。私は既読だけつけてスマホをポケットにしまった。それから運命の日までこれといったやりとりをすることがなかった。何回か母から体調を心配するメッセージが来たが私は

『大丈夫。』

と一言返事で答えていた。見かねた父が何度か電話をしてきたが、その度に

『忙しいから無理。』

と言って電話をしなかった。何回か

『電話に出ろ。』

と言ったメッセージが来たが、それも無視をしたり何かと理由を付けて拒否していた。そんな雑な対応はどんどん私を追い詰めていった。これでいいはずだ。そんな確証のない自信を少しでも抱えながら、私は運命の日まで生きた。


➄彼女

 なぜ3カ月だけ生きることにしたのか。その大きな理由は彼女の存在があったからだと思う。ここまで散々死にたいだの絶望しているだの書いて来た。もうこの世に未練なんてないしこの世で生きることに諦めているとも言った。けどたぶん、そんな言葉たちは私が私に向かって言っている言い訳だ。正直に言うなら未練はある。たったひとつと言っていい未練。それは彼女を残して死ぬということだ。なんて自分勝手で我儘な選択をしたんだろうと、死を決意したときから毎日毎日考えていた。もともと彼女とは大学進学前からの友達だった。数少ない私の理解者で、私の人生で1番信頼できる人だった。毎日毎日、感情を失っていく私を笑わせてくれて、悩んでいたときは相談に乗ってくれて。そして私のうつ病にも親身になって向き合ってくれた。頼りない私を嫌な顔ひとつせず、いつも支えてくれた。彼女は私にとって完璧な人だった。付き合い出してからも彼女の優しさ、完璧さは変わらなかった。むしろ今まで以上にその優しさに触れ、その完璧さに助けられるようになった。そんな彼女のおかげで、大学に入学してから4カ月ほどして、少しずつうつ病の症状が和らいでいった。

『彼女のためにもうつ病を克服したい。』

唯一無二の味方である彼女のためにも、そんな私は小さな希望を持って生きていた。けれど周囲は残酷さを増す一方だった。家族との衝突、厳密にいえば一方的な攻撃だが、そんな出来事が増えてきた。その度に私は過去を思い出し、治っていた症状が悪化した。そして高校の友達との会話によく私を攻撃していた教員たちの近況の話題が出てきて、

『なんであいつらだけ………………。』

と劣等感や恨みが湧き上がった。その感情は治りかけの精神を壊していった。いつしか鉛筆を握って文字を書くことが難しくなり、記憶障害になってしまったり。私の身体の不調は深刻さを増していった。それでもギリギリのところで完全に壊れず、まだ私と言う人間、理性を保っていられたのは、傷つく度に支えてくれた彼女がいてくれたからだ。それだけ苦しくても、絶対的な味方がいる。そんな確実な安心感と信頼が私を生かした。自殺を決意した日の昼の12時頃。その日も彼女とLINEでやりとりをしていた。私の体調不良を知った彼女は

『ホントに大丈夫ー?無理しないでよ?』

と心配してくれた。なぜなのかわからないが、彼女とのやりとりが体調を回復させている気がした。

『ちなみに症状はどんな感じ?』

彼女からのメッセージが届いた。私は素早く文字を打ち込んだ。

『胸の痛みと激しい頭痛かな。たぶんいつものやつ。』

すぐに既読がつき、数秒後返信が返ってきた。

『あーなるほどね。最近ちょっと追い込み過ぎたんじゃない?』

図星だった。

『たぶんそれだね。』

私はメッセージを返した。またすぐ返信が返ってきた。

『やっぱり。もう少し自分を大切にしなよー?』

そんな一言がとても嬉しかった。私は返信した。

『おっしゃる通りです笑、気をつけます』

『とにかく休むのも大切だから、今日は良く休みなよー』

私は少し微笑んでメッセージを打ち込んだ。

『ありがとう。ごめんよ。迷惑かけて。』

すぐに既読がついた。が、今度は少しだけ遅く返信が返ってきた。とはいっても1分もないほどだ。

『迷惑とか思ってないから気にするな!とにかく自分を大切にしなさい!』

少しだけウルッと来た。私は少しだけ考えて、メッセージを打ち込んだ。

『わかった。ありがとう。』

既読がつくと

『まぁ今日は良く休んでね、お大事にー』

というメッセージとともに可愛らしい猫のスタンプが送られた。私もグッドマークのスタンプを送った。自分を大切にしろだなんて、これまでの人生で言われたことがあるだろうか。家族も教員も大人もそれぞれの価値観を押し付けてきて、私と言う人間を殺すように言われてきた。誰からも認められることはない。そう思っていた。しかし彼女は違った。真っ当に私を見てくれて、『私らしい私』を愛してくれる。そんな人が私の人生にいるだなんて思っていなかった。そんな彼女を私は傷つけたくなかった。守りたかった。

 夜。父との会話のあと。私のなかの希望は崩れ落ちて行った。抜け出そうとしていた地獄に連れ戻された。そんな感覚だった。何をどのように考えても

『私は迷惑な存在なんだから死ななければならない。』

という結論に行き着く。こんな迷惑な私が生きていていいはずがない。そう思った。それから自問自答が始まった。

『多くの人間が私と言う人間の存在を迷惑だとか嫌悪しているのなら、今まで私が信じてきた人たちも私の存在を迷惑だと思っているのだろうか。早く死んでほしい。迷惑だから死んでほしい。嫌いだから死んでほしい。目障りだから死んでほしい。そう思っているのだろうか。父の口から私みたいな人間は使えないと聞いた。あの教員からは私みたいな人間に価値はないと聞いた。他の人たちもそう思っているのだろうか。家族も恩師も先輩も友達も。彼女ですらも………………。いや………………。いや!それだけはない。絶対にそれだけはないはずだ。いつも私の味方でいてくれた。彼女だけは味方でいてくれた。本当の私を見てくれて、どんなときでも支えてくれた。彼女だけは味方なんだ。だからまだ希望はある。まだ生きていていいはずだ。まだ死ななくてもいい。だから大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………イヤ………………………………むしろ、私のために悩んでほしくない。いろんな人から否定され、後ろ指を指されている私の味方をしていては巻き込まれるかもしれない。個人の価値観や精神を度外視する人々の攻撃を受けるかもしれない。私のせいで苦しんでほしくない。それこそ、私のせいで迷惑をかけることになる。………………これが彼らが私に言っていた言葉の真意か。私の存在が人に迷惑をかける。そういうことか。誰かのために、死ななくてはいけないんだな。そうか。あいつらは、私の存在が彼女にまで迷惑をかけると言っているんだな。』


私は救われたらダメなんだ


そんな迷妄に陥ってしまった。だからこそ、この3カ月は彼女を大切にしたい。最期の私の善行として。それからの3カ月間。毎日のLINEや電話のやりとりが感慨深くなった。一言一言を大切にした。死ぬ2カ月前には一緒に旅行に行ったりもした。心の底から楽しめた。そのときだけは自分が自殺を考えていること、あと少しで死ぬことも忘れていた。むしろ

『この時間がずっと続けばいいのに。』

と生を渇望したこともあった。本当に私という存在はいないほうがいいのか。一度結論付けたその思考を彼女との時間を過ごすなかで何度も疑った。そのなかで、ルールを破ろうと何度も思った。自分が自殺を考えていることを正直に白状するべきなのか。………………いや、正直、助けてほしかった。しかし重荷になり迷惑になってしまうという不安と、自分のような人間は死ぬべき思考が助けを求めるという勇気をかき消してしまう。死ぬ1カ月前になると身体の支障により彼女となかなか会えなくなった。死ぬ8日前、LINEにメッセージが来た。

『最近大丈夫?』

と彼女が心配していた。私は

『ちょっと最近体調が悪い。』

と返信した。数秒後、彼女は

『うつ病?』

と尋ねてきた。私は良い言い訳が思いつかなかったから

『そう。』

と送った。すると彼女は

『最近なんか嫌なことあった?』

と尋ねた。その途端、私は泣きそうになった。そして少しだけルールを破ることにした。

『ちょっと最近嫌なこと続きでね。いろんな人から否定されまくって。なんかいろいろ嫌になってさ。どうしたらいいんかなってわからなくなった。』

そんな文を打ち込んで送った。すると既読がついたが数十秒ほど時間が空いて返信が来た。

『あほ』

その二文字に少しだけ動揺した。そしてすぐに次の文が送られてきた。

『助けてほしいって言えばいいんだよ!』

私は泣いた。手の震えと涙で文字が打てなかった。その涙は悔し涙と嬉し涙だったと思う。彼女はまた文を送ってきた。

『どれだけ助けになれるかはわからんけど、絶対助けてあげるんだから。変な心配せずに助けを求めな!』

どれだけ心強い人なんだろうか。私はただ

『ありがとう。本当にありがとう。』

としか返信できなかった。そのメッセージを見た彼女は

『とにかく自分を大切にしてね。』

と言ってくれた。そこからのやりとりははっきりと覚えていない。泣きすぎたのと、いろんな感情が混在していたことが原因だと思う。

 死ぬ2日前。私の決心は揺らいでいた。彼女は私の味方でいてくれた。そんな彼女を放って先に死ぬなんてできない。ようやくあの迷妄から抜け出せるそう思っていた。その日の昼。身体を引きずりながら買い出しを済ませ、部屋に戻った。するとLINEの通知音が鳴った。確認してみると父からだった。

『なんで最近電話出ないんだ?』

私はため息を吐いた。

『ごめん。忙しいからもうほっておいてほしい。』

と私は返信した。すると1分後、父から返信が来た。

『じゃあもう知らん。勝手にしろ。お父さんはほっておいてって言われたら、もう何も助けないからな。もう助けを求めに来るなよ。助けないから。』

その途端、辺りが真っ暗になるような感覚に襲われた。その言葉が私の存在価値を再確認させるような気がした。重く受け止めることのないただの言葉。しかしそのときの私の精神状態は、他者の一言一句に一喜一憂してしまうようになっていた。やっと揺らいだ決心が、あの負の思考から抜け出そうとしていた私は、その一言で一気に深いところまで落とされていった。ただ、もう自分で定めた3カ月は過ごせた。もういいはずだ。結局、これが周囲の声なんだろう。私は最期の準備に取り掛かった。私は遺書を遺すことにした。いろんな人に書きたかったが、なかなか鉛筆が握れないので文字を書くのがとても負担だった。だからひとりにだけ、彼女に宛てて書くことにした。そこら辺にあった茶封筒に彼女の名前を書き、本文を書き始めた。長文は書けない。一文字一文字に想いを込める。



 こんな彼氏でごめんね。今まで本当に楽しかったし助けられた。今までありがとう。俺の彼女になってくれてありがとう。こんな俺を愛してくれてありがとう。どこにいても、ずっと愛してるよ。



さようならは書けなかった。唯一の味方を心配にさせて、大切な人を置いて死んでいく。なんて醜くて愚かで薄情なんだろう。後悔と自己嫌悪と悲しみを抱えながら、震える手をぐっと押さえて読めるか読めないか曖昧な字を書いていく。どれだけの時間が経ったのかはわからない。ようやく書き終えた手紙を茶封筒に入れて机の上に置いた。気が付けば、もう明日が運命の日だ。私は涙を流しながらベッドに寝転んだ。


〇運命の日

 この3カ月の間。私はどこで死ぬか、ぴったりの場所を探し回った。自分の部屋、学校の屋上、近所の踏切、空き家、山の中、どこかの知らない場所の道端。いろいろ見て回った。徐々に体力がなくなってきて、もっと近場が良いと判断した。そこで見つけたのは堤防の赤灯台。人が死ぬには十分の高さがあり、波が荒れていればさらに確実性が上がる。私は自然に還りたかった。いろんな手段を考えた。やったことがあるものなら手首を切ったり首を切ったり。ドアノブで首をくくったり頭を金槌で殴ったり、市販薬を大量に飲んだり。やったことがないものなら練炭や身投げだ。けど死ぬときぐらい華やかに、少しぐらい格好つけて死にたい、そう思っていた。だから自然に還るような手段で死にたいと思っていた。そんなとき見つけたのが堤防の赤灯台だった。自宅から徒歩20分ほどの場所にあり、散歩道として使われている。実際に散歩で訪れる人は多い。しかし時間帯によって人の流れは極端に変わり、特に昼頃は誰も来ない。仮に来たとしても1人2人程度で気にする必要はない。そして何より、そこからの眺めは絶景だった。私もよく散歩していたから思い入れがある。晴れている日の昼は、ブルーサファイアのような海が見事で、夕方は少し雲がかかると絶妙なコントラストを生み出し、夕焼け特有のオレンジや黄色だけでなくピンクや夜空になりかけようとしている藍色が空一面に広がる。夜になれば街明かりがあるとは思えないほど綺麗な星空が見える。赤灯台から発せられる赤い光と夜空が独特のバランスで混じり合い、スマホで写真を撮ると幻想的な風景が撮れる。そこに小さなベンチがひとつ設置されていて、病んでいた私が唯一その地で魅了されていた場所だった。そこで死ねるなら、そんな風景を生み出す自然の一部になれるのなら、ある意味本望だ。自殺を決意した日から3カ月後、私はそこで死ぬことを決めた。そこから身投げする。自然の一部となる。そんな幻想と狂気を計画の中に混ぜ合わせて、運命の日を待った。

 そして今日、その日。私の脳内に先ほど述べた幻想はそこまでなかった。人間死ぬ前は意外と冷静で、やってしまえばあっという間に終わるものだと思っていた。未練を残さないために、そんな幻想の中で死ねるように3カ月生きてきたつもりなのに。どうだろうか。未練だらけだ。まだまだやりたいことがある。残してきたものがある。裏切ってしまったものがある。取り戻したいものがある。謝りたいことがある。向き合いたいものがある。生きたいと思えるものがある。全部はっきりとわかっているし、明確に私の中に存在するのに、


私の存在が迷惑


という絶対的で間違った思考がそれらを全て否定してしまう。そして周囲の人たちがそれを否定する。私はそれに耐えられなかった。弱い弱い人間だ。自分勝手で臆病で心配性で迷惑をかけまくる最低の人間だ。それもわかっている。死の直前、いやおそらくずっとずっと前に、その両方の側面を抱えて生きていくのが人間なんだと悟っていた。とっくのとうにわかっていた。けどそれをわかっていても、それが人間なんだと理解していても、私にとってこの世の中は生きづら過ぎた。どれだけ理解していようと現実はいつもその理解の範疇を超えてのしかかってくる。私にはそれに耐えるだけの強さがない。その強さがなければ生きていけない。その強さがないと他者にとって迷惑な存在となる。それが現実であるこの世で私は生きていけない。死ねば楽になる。本心からそう思っているとは言えない。だが、この世よりもマシな世界があるとは思っている。そこに行ければもう誰にも迷惑をかけないで済む。だから死ぬ。

 今日の天気は幸運にも大雨。ザァーザァーと波に雨粒がぶつかる音が聞こえる。私は傘もささずに赤灯台まで歩いて行った。持ち物はスマホだけ。ずぶ濡れになりながら赤灯台にたどり着いた。そこから海を見た。荒波だ。波の高さは2メートルを超えているだろう。好都合だった。私は堤防に登る前にスマホを取り出しLINEを開いた。かじかんで震える指で濡れた画面をスワイプし、ゆっくりと文字を打ち込んだ。何回か雨粒に濡れた画面をずぶ濡れになった上着の袖で拭き、送信ボタンを押した。私のもうひとつの我儘だ。私は近くに設置されているベンチに向かってスマホを投げ捨てた。様々な感情が死ぬ直前だと言うのにまだ渦巻いている。けれど身体は堤防によじ登り立ち上がった。海面までの高さは5メートルほど。怖くはなかった。ただやっぱり無心ではなかった。


じゃあ。さようなら。


私の左足が動き出した。

プルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル

割れたスマホ画面が光り、雨音よりも大きな音が響いた。

(追記)

遺書


この作品中にもあった遺書、そのモデルとなった実際に筆者が遺している遺書、そして詩を載せておきます。




お別れです。

私にはこの人生は少し重すぎました。いろんな人に裏切られた。人の命に値段をつけられました。どうやら私の値段は1万円以下らしいです。1万円、木のかけら1枚と同じ値段、それ以下だそうです。1万円なんてそこらへんにころがっています。

はじめて死ねと言われたのは小学1年生の春からでした。1つ上の男子からでした。理由は私のことがムカつくからだそうです。会うたびに死ね、殺すと言われ、なんどか頭をなぐられました。そのとき信頼していた先輩は笑っていて助けてくれませんでした。次に思い出すのは小3のときです。保育園のころからの友人が約束をやぶったら殺す、自分のいうことをきかなかったら殺すと言われ、ハサミでおどされました。私は縁をきりました。次はたしか4年からです。弟からいわれました。というよりも、そこから言い始めました。早く死んでほしい、なんでお前が兄なんだ、キモいから死ねいろいろいわれました。中学からは死ねといわれることはなくなりましたが、そのかわり周囲から迷惑、ジャマ、頭おかしいといわれるようになりました。高校に入る前、はじめて親から殺すといわれ、その手口もすべていわれました。高校に入ると、私の存在は迷惑、消えろ、ゴミ人間、命に価値はない、お前のことを否定する、それにあたいすると言われ続けました。親からはそれが当たり前、弱音をはくなっていわれました。友達だと思っていた人も私をだましました。最後は親から裏切られました。みんなみんな私を裏切って。みんなみんな私の存在を否定して。そのとおりだと思います。私は弱い人間です。みんなのような強い人間ではありません。みんなの言うように迷惑だと、そんな存在だと思います。これ以上迷惑をかけられません。なので死にます。あなたたちの理想通りに死にます。なのでお別れです。もう会うことはないので。もう迷惑をかけないのでご安心してください。

どこかの誰か、もしくは支えだっただれかへ

こんな人間でごめんね、こんな人間とすごさせてしまってごめん。迷惑だったよね?自分でもそう思う。こんな私と少しの間いっしょにいてくれてありがとう。こんな私を支えてくれてありがとう。忘れないよ!!私がいなくなってもいつまでも、ずっと元気で、ずっと幸せでいてね!!

さようなら!!






















辞世の詩 ”迷妄のさき”


花咲き乱れるかの季節

我が身この浮世に生まれ落ち

殿下のごとく蜜を吸い

この浮世こそ我が物と

愚かな迷妄に溺れる


幾度となく花は色を変え

我が背丈も心根も変わる頃

あの蜜は毒へと変わり

否毒であったのだとようやく気付き

毒に侵され我を失う


傲れる者に成り果てていた我に

天も師も飲めよ飲めよと

美酒のごとく毒を勧め

肉体も心根も朽ちたころ

死生への渇望はその迷妄の中で消え失せた


墓場探しの人生を生き

ここいらで寝るかと横になった刹那

自らが渇望せぬ我を渇望し

我の死生を説き改めさせた人の存在を

この長く短い道のりで漸く見出す


毒によって侵された我を

毒によって狂い植え付けれた迷妄を

乗り越え生きることの意味を

乗り越えた先にあるものを

教えてくれたその人へ


生きてていいと

生きてて良かったと

あなたのそばにいると

深い愛の薬で我を癒してくれたその人へ

我は表せられないような敬意と感謝と


愛を抱いて生きていきたい

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