【BL】勇者の後ろで恋を育てる
第三王子は少し前を歩いている。落ち着きなく聖剣を握りしめているが、護衛に囲まれ、不安の色は薄い。
エルドとノインは、その少し後から続いた。
ノインは、チラリと少し離れたところを歩く背の高い男を見上げた。
剣士エルド。王族の護衛騎士なのに、実戦が馬鹿みたいに強い男だ。日差しが、エルドの赤茶色の髪を照らし、姿が浮かび上がって見える。
咄嗟に、ノインは視線を逸らした。しかし気づかれたらしい。エルドは、さりげなくノインとの距離を詰めた。
足取りに乱れはない。
「よう、魔法使い殿」
「……何か用ですか?」
エルドは面白そうな顔をした。
「王子のお守り、お前も大変だよな、ノイン」
また唐突に。彼の悪い癖だ。
「……不敬ですよ、エルド」
「否定しないってことは、お前も同罪だろ」
彼は肩をすくめた。
ノインは、ため息を吐く。
「おい、ノイン、次の宿はいつだ?」
王子レオンが呼びかける。
「ちょっとお待ちください」
ノインは、地図を広げた。
「このペースだと、次の村は明日です」
「何? また野宿か」
レオンは不満そうに唇を尖らせる。
「まあまあ、殿下は聖剣を持って、立派にお勤め果たされてるじゃないですか。きっと明日は歓迎してもらえますって」
エルドが軽く言う。
「そうか?」
機嫌を直したレオンは、前を向く。
「……知らんけど」
ボソリと付け加えられた言葉に、思わずノインはむせた。
ゲホっ、ごほっと咳き込むノインをエルドは面白そうに見ている。
「……あなたね」
じっとりと睨むと、彼はあははと笑った。
「同罪」
不意に落とされた言葉が、思えぬほど甘くて、ノインは一瞬歩調を乱した。
気のせいだ、気のせい。
胸をさすり前を向く。
だから、この人は、苦手だ。
夕方に差し掛かった時だった。日の淡いが変化を見せる。そろそろ野営の準備をしなくては。
見晴らしのいい丘に陣取った時、それは起こった。
どどどっという地鳴り。
魔物だ。
複数いる。
「迎えろ!」
レオンが聖剣を抜き、指示を出すが、腰が引けている。
エルドがすっと前に出た。
ノインは杖を構えた。
狼型の魔物。群れだ。
「……ひっ」
レオンが目をつぶったまま聖剣を振りかぶる。
ちっと聞こえる舌打ち。
「前に出ないでくださいよ」
一閃。
エルドの刃が群れを裂いた。
鈍色の剣が、淡々と魔物を屠っていく。
返り血が、宙に舞う。
ノインは、魔力を込め、返り血の挙動をそっと逸らした。
エルドの腕は信頼している。
これは、快適な旅のための心得だ。
剣についた血をエルドが払った時、彼は驚くほど普通だった。
肩を回すが、その服に汚れはほぼない。
「さんきゅ。助かった」
にっと笑う。
ノインは思わず、目を逸らした。
「……別に。倒したのは、あなたですし」
エルドはチラリとレオンを見る。
レオンは、落ちた狼の首を見て後退りし、騎士を盾にしている。
「……まあ、無事ならいいだろ」
そうですね。と同意しかけて、ノインは慌てて言葉を飲み込んだ。
毒されている。
「この調子じゃあいつらは使えない。野営の準備するぞ」
ノインは頷き、二人は、その場を離れ、新たな野営場所を探しに行った。
焚き火がパチパチと燃えている。
ノインは、火に照らされたエルドの彫りの深い顔を気づかれないように見つめた。
影が彼の顔を彩っている。
黙っている彼は、男前だ。
ふと、枝を投げ入れたエルドがこちらを見た。
「……王子、寝たな」
ふはっと笑う。
ひとつだけ豪奢なテントからは、微かないびきが聞こえてくる。
「……もう」
思わずノインがクスッと笑うと、エルドはさらに嬉しそうに目を細めた。
それがあんまり優しそうで、ノインは視線を伏せる。
「なあ」
ふとエルドが言った。感情の見えない声だ。
「ノイン。もし王子が死にそうになったら、お前どうする?」
一拍。
「助けます。当たり前でしょう」
何を言っているのだろう、この人は。自分たちは、そのための護衛だ。
「そうだよな。お前はそういうやつだよ。……だから嫌なんだ」
エルドが目を伏せた。
嫌な未来がその瞼に映っているかのような。
「あなたは、助けないんですか?」
「場合による」
即答。
あまりにもらしくて、笑ってしまった。
小さく声を上げて笑うノインを、エルドは優しい顔で見つめている。
「……なんですか。その顔」
「ちょっとな」
言って、エルドはノインの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「や、やめてくださいよ……」
不服を示すが彼は我関せずだ。
「ノイン、俺は大事なものは、選べる」
「ええ……はい」
なんのことかわからず、きょとんとする。
エルドは、気にするな、と手を振った。
夜に時間は溶けていった。
村に着いた時、空気がおかしかった。どこか怯えていて、扉が閉まっている。
どうやら人喰いオーガが出るらしい。
「行くぞ」
王子が震える足で先陣を切る。
ノインは、不吉な予感を覚えた。
荒れ果てた荒屋、そこにそれはいた。
中には若い娘が一人、オーガに捕まれ、怯えている。
「エルド!」
ノインは咄嗟に短く呼んだ。
レオンでは、敵わない。
「殿下、下がってください」
エルドの緊迫した声が響くが、彼は、そのまま突っ込んだ。
「うぉおお!」
オーガが腕を振りかぶる。
ノインは、術式を展開し氷塊を投げる。
オーガの視線が、ノインを捉えた。
「エルド、殿下を」
「馬鹿っ」
エルドはノインの前に立った。王族の護衛としては、失格だ。
「エルド……」
「来るぞ」
短く言って、構える。
ノインには、エルドの背中が大きく見えた。
詠唱。
ノインの手元が光り、青い光の粒子がオーガの足元に出現する。
氷がパリパリとオーガの足元を縫い止める。
エルドは、まずは腕に一閃。
掴まれていた娘は取り落とされた。
かろうじて、生きている。
ノインは確認する。氷をさらに展開させ、オーガの傷口を固める。
エルドがもう片方の腕を避け、眼を穿った。頭まで貫いたそれに、オーガが咆哮を上げる。
レオンは、尻餅をつき、耳を両手で塞いでいる。聖剣は投げ出され、寂しく光を放っていた。
「終わりだ」
エルドがオーガの首を落とすと。
ズンっと大地が鳴った。
シンと沈黙が落ちる。
流石に今回は、エルドも息が乱れている。
ノインは今更ながら震える手で、胸を押さえた。
「大丈夫か?」
返り血を浴び、それでも心配そうにこちらを覗き込むエルドに、ノインは、なぜか胸がいっぱいになった。
レオンを助けなきゃいけないのに。なんでレオンを優先しなかったんだと、責めるべきなのに。
「あなた……私を助けましたね?」
「当然だろ? 言っただろ。大事なものは、選べるって」
ノインは息を呑んだ。
この人はこれだから。
「やったのか?」
ノインを我に返したのは、レオンの声だった。
「ありがとうございます」
娘の声に。
「当然だ」
と、高笑い。この人は変わらない。それがおかしくて、ノインはようやく笑った。
エルドも笑顔を見せる。
村で一泊した後も、旅は続く。
返り血を落としてさっぱりしたエルドが、風に心地よさげに目を細めた。
「俺、結構ノインのこと好きなんだけど、知ってる?」
さらりと。
「……知ってますよ」
何気ない風に返した言葉は、自分でもびっくりするほど、柔らかかった。
「逃げちゃう? 二人でこのままどっかへ」
「あなたね」
呆れたようにノインは肩を落とす。
「相変わらずですね」
「おかげさまで」
エルドは、ノインの手に指を絡めた。
「こういうの、好き?」
ノインの頬は真っ赤だ。
「かーわいい」
「……うるさいですよ」
一拍。
「まあ、旅も悪くないんじゃないの?」
彼が言う。
「……あなたがいるなら」
珍しく素直な言葉に、彼が息を呑んだ。
王子との距離は少し空いている。
何かあれば行ける。
しかし、振り返らなければ、見えない距離。
ノインは、エルドの手に指を絡め返した。
今日の道は、穏やかだった。
風が、鳴いた。




