第9話:ようし、巨人たち。俺が話を聞いてやろう!
「あのう……すみません」
俺は会社の癖で、つい手を挙げて言った。
ふ……と、空気が緩むのを感じる。
だが、糸はまだまだ張り詰めたままだ。
いぶかしげな視線が集まる。
これにも俺は慣れている。というか、むしろ想定通り。
――3mの人外巨人10人の視線ってのは、初めてだけど。
俺はひるまずに全員の目を見回した。
「俺のことで揉めてますよね。理由を教えてくれませんか?」
キョトン――という音が聞こえた。
巨人たちは、クヴァもガルも含めて、じっとしたまま俺を見ている。
笑顔を作って、マナスだか心波だかに両手を広げたイメージを乗せて、言う。
「俺が理由なら、俺が気をつければ、なんとかなるかもしれないでしょ?」
一瞬の間――
ガル=ソゥグの圧倒的なプレッシャーがぶつかってきた。
知らぬ間に一歩下がってしまったが、俺はそこで踏ん張った。
次の瞬間、目の前にクヴァ=ソンが青い手があった。
クヴァの手には優美な槍が握られている。切先は俺の鼻先1センチ。
――やばいだろ?
でもさ、俺は動じてないんだ。
『修羅場から逃げるな。修羅場は人を成長させる』
現実世界のある作家の言葉だ。
なかなか実行できないけど、ずっと忘れられない。
立ち向かえたわけじゃないけど、この短時間にとんでもない修羅場を何度も経験した。
たぶんそのせいだ。さっきから妙に落ち着いている。
もし精神的に急成長してるなら、異世界にきた甲斐も――ちょっとだけあったかな。
クヴァの手をそっとどけて、前に出る。
「俺の番、てことでいいか?」と、俺はガルに言った。
ガルが、なぜか後ずさりする。
「このヘリドは……なんだ?」と、聞いた声に動揺がある。
クヴァから笑いの波が伝わってくる――これが心波っやつか?
横目で見れば、口角がぐぐいっと上がっている。
――この子、分かりやすいよな。
自分がリラックスしていることを感じながら、俺はガルの目の前まで進み出た。
そのときだ。ガルの隣に立つ女が、唐突に俺の喉を掴んだ。
冷たい手――
ぶっとい手首は、俺の手では半分もまわらないだろう。
その太いのを、俺は掴んで、思い切り握った。
ミシリッ――と骨が軋む音がした。
「ぐあう!」
女が、驚きと苦痛の混じった声を上げる。
しかし次の瞬間には、逆の手を振り上げて俺を殴りにきた。
握った手首を引く。思ったよりも、ずっと軽い。
女は振り上げた手の勢いもあって、ぐるりと回って転がった。
巨人たちがどよめき、戸惑いと驚愕が心に響いてくる。
――実は、一番びっくりしてたのは俺。いや、まじで大驚愕だよ!
相手は、女性とはいえ、3mの巨人だぞ。
体重なんて200キロ以上あるんじゃないか?それを片手でポーンだ。
――これも神の加護か?……でも、なんか感触が違うんだよな。
「ヘリド!」
巨人たちが一斉に槍を構えたが、手を挙げて制したのはガルだった。
俺をまっすぐ見ながら、痛そうに手首を押さえる女を引き起こす。
「ヘリド、話をしろ」と、ガルは俺の目を見て言った。
――えっと今更だが、ヘリドって俺のことだよな。人間をそう呼ぶとか?
俺はうなずいて、話し出した。
「お前たちは心波というものを使って話をしている。そうだな?」
ガルがうなずく。
「で、クヴァとガルは意見が違って仲が悪くて、お互いに心波を拒否してる。
心波というのは相手の中に入るから、嫌なら拒否できるんだな?」
これは、牢で目覚めてからここまでのことからの推測だ。
いちかばちかだったが――無言は肯定と取ろう。
「なら、2人で俺の中に入って話すことはできるか?」
ガルが目を見開く。
クヴァを振り返ると、彼女もギョッとしていた。
「できるんだな?なら俺の中で話してみてくれ。俺も参加できるなら間に立とう」
巨人たちがざわめき、空気が震える。何かがザワザワと動いている。
心波が響き合い、俺のまわりで揺れている――そんな気がした。
「拒否する!」と、さっき俺に手を出した女か叫ぶ。「ガルはクヴァと交わらない!」
――ほほう。
巨人にも色恋があるんだね――そりゃそうか。じゃなきゃ子供ができない。
「俺が言ったことは変なのか?」と、クヴァに聞く。
クヴァは少し間を置いてから、静かに答えた。
「お前が言ったこと。我とガル=ソゥグをすべて入れること。我らは……しない」
「なぜだ?」
「それは……とても個人的なことだからだ」
なるほど。つまり、心波ってのはけっこう深いところまで入るわけだ。
正直、こっちは怖くもある。でも、いまの俺にできるのはこれしかない。
「構わない。俺はどうすればいい?」
巨人たちが、俺に向けて意識を集中してくるのを感じる。
その波に濁りがあるのは――たぶん、戸惑いとか、警戒とか、そういうやつだ。
だがその奥に、わずかな期待みたいなものも混ざっていた。
……分かってきた気がする。
この場にいる誰も、決められないのだ。
クヴァも、ガルも、他の誰かも――お互いに見合って、動かない。
俺はこの都市の全体像なんて知らない。
でも、この場に関して言えば、空気がずっと止まってる。
水やら波やらを使いこなす連中でも、人間関係にせき止められて滞るのだ。
「試すだけでいい。もしだめなら、それで終わりにしてくれて構わない。
でも……誰かが動かないと、何も変わらない」
一瞬の沈黙のあと、クヴァがわずかにうなずく。
ガルも黙ったまま、視線をそらさずに俺を見ている。
「さあ、やろう。みんな、困ってるんだろ?」
俺は二人のあいだに立って、目を閉じた。
そうすればいい気がした。そして、心の中で静かに言った。
――さあ、どうぞ。俺の中で話をしてくれ。
………………。
…………。
……。
静かだった。
何も聞こえない。けれど、満ちてくる。
泡立ちうねる青い光。きらめき輝く赤い波。
熱――ではない。でも温度に似た何かが浸透してくる。
クヴァのものだ。優しくて、でも鋭い。
拒絶と誇りがまざった、澄んだ波。
そのあとに、ガルが来た。熱い。ぶつかる。重い。
傷だらけの手で、何かを引きずるような……そんな、懇願に近い何か。
それらが、俺の中で交わって、反発して、滲み合っていく。
断片的な像が浮かぶ。
――巨大な水路。機械類に見える有機的な空間。
白い世界。薄いピンク色の人影。
赤く揺れる影の群れ。血。
倒れてゆく巨人たち。
天井が、落ちてくる――
誰の記憶かも分からない。
――怒っている。
怖れている。
震えている。
立ち上がる。
守る。
育てる――
それは同じだ。
――でも、違う。
そうじゃない。
間違っている。
いや、これで正しい。
進むべきだ――
勇気と信念。
俺の中に、言葉にならない二つの意志が在る。
俺はいま、想いに触れている。
――ん、なんだ?
二人の他に、何かがある。いや――何かが来た?
そんな気づきも一瞬のこと。
軋むような心波の渦に引き裂かれそうになって、俺は必死で自分をつなぎとめた。