第54話:さようなら、語られた異世界
口の中に砂の味が広がって、俺は顔をしかめた。
耳元を風がかすめ、ざり、と砂の擦れる音がする。
息を吸おうとしてさらに砂を吸い込み、咳き込んだ。
吐き出したくても口の中が渇いていて、うまくいかない。
俺はやっとの思いで体をひねり、空を見た。
狭い空――両側から視界をふさぐ、背の高い建造物。
なんだか懐かしい光景だった。
――現実に帰ってきたのか?
いや、違った。
一瞬、高層ビルを見上げているのかと勘違いしたけど、
それは墜落した宇宙船だった。
俺は体を起こした。
ここは大きなクレーターの中だ。
砂場に皿が刺さっているみたいに、巨大な半円が大地に突き立っている。
あたりは街の残骸と思われる瓦礫でいっぱいだった。
舞い上がった砂が目に入って、反射的に目を閉じる。
ごおおという地鳴りのような音に混じって、人の声がした。
俺は眼球を傷つけないように気をつけながら砂を取って、
声のする方に目を向けた。
砂まみれの人たちが、互いに支え合って立っていた。
鳥のような見た目の風の衛士を、水の衛士が引き起こしている。
肌の青い湖の巨人が瓦礫をどけると、鎧姿の遺跡探索者が這い出てきた。
闇は――どこにもなかった。
ようやく訪れた朝の光が――
……!!
胸が一気に冷えた。
首が捻れ飛びそうな勢いで、空を見上げる。
――あった。
居た、と言うべきかも知れない。
太陽が、白い光を放って天空から世界を見下ろしている。
(そうか……俺昨日の夜に来たから、太陽をまともに見るの初めてなんだ)
いまさらそんなことに気づいて呆然としていると、
「ナレ!」
黒髪の美少女が駆け寄ってきて、俺の首に抱きついた。
「バユ……良かった」
俺は黒装束の、細いが引き締まった体を抱きしめた。
――いいだろ?こんなときくらい。
「死んだかと思った」
バユは涙声だった。
「俺もだ。バユはどうやって生き残ったんだ?他のみんなは?」
少女はひとつの方向を指差した。
そこには、栗色の髪の衛士がいた――ルスカだ。
彼女は横たわっている人の様子を見ているようだった。
「気がついたら生きてた。でも……」
バユが言葉を継いだ。小さな唇が微かに震えている。
「……死んだ奴は生き返ってない」
俺はルスカの方へ歩き出した。
バユも後からついてくる。
「ルスカさん」と、俺は声をかけた。
ルスカが、びくりと顔を上げた。
横になっているのはナティラだった。
俺を認めて、微笑みかけてくる。
俺は生き残った戦友を見て、ほっとした。
「お前のおかげで、世界が助かった。礼を言う」
ルスカはそう言って、頭を下げた。
否定しようと口を開きかけたところに、ナティラが言葉をかぶせる。
「識心で大体分かってる。訓練を積んだ人には伝わってると思う」
「……そっか。なら分かるだろ。俺は何もできなかった」
「そんなことはない」バユの声には、意外なほど感情が込もっていた。
「ナレの……その……愛情が強かったから、語りが届いた」
ぷっくりとした頬が赤くなっている。
「――あ!」
俺は気づいた。
つまり俺は、彩奈との思い出を心波に乗せて放送したわけか。
……ま、いいか。
「アマヤは行ってしまったよ」と、俺は言った。
「ああ」
ルスカは目を伏せた。
その頬には、乾いた涙の跡が残っていた。
見れば、ナティラにもバユにも、煤と涙が入り混じった筋があった。
「ユリカは?」
俺は思い切って聞いた。
ルスカが視線を移した。
そこに、鷲の頭を持つ白い翼の男とサリナがいた。
サリナの足元に、小さな体が寝ている。
俺はユリカの元に駆け出した。
炎の巫女は静かに眠っていた。
「目を覚ましません。識心も感じられない」と、サリナが言った。
「ユリカの身柄は我らが責任を持って炎の神殿に届ける。
――大丈夫だ。奴らは、その野良巫女のことが大好きだよ」
俺が不安な表情をしたのだろう。ルスカはすぐに説明してくれた。
「無事でしたか、ルスカ殿」
低いよく通る男の声がした。
「カダン殿、ヴァッサ殿」
やってきたのは、髭の生えたダンディな壮年と、人型のトカゲだった。
壮年が、俺を見て頭を下げた。トカゲもそれに倣う。
「あなたには、いずれ丁重に礼をさせていただく。風の神殿にお招きしたい。
だが今は、今後について協議をしたいのだ」
「俺のことは構わず、どうか話をしてください」と、俺は言った。
「ルスカ殿、カルナカン覇国が動くと考えているんだが、どうだ。
早急に他の神殿と連絡を取る必要があると思わないか」
ルスカはうなずいた。
「私も同じことを考えていました。これだけの識心の揺れです。
ナレの――この勇者のことも伝わったかと思う」
「神殿はもう把握してるだろうな」
艶のある芯の通った女の声――キーマンだ。
魔眼は、布を裂いたらしい端切れを巻いて隠している。
隣に、黒い金属のような皮膚の男と蛙人間がいた。
「影の連中が見ていたはずだ。すぐにここにやってくるぞ。
私の知ったことではないが、のんびりしてると後手に回るのではないか。
こちらもギルドメンバーを集めて、各神殿都市と連絡を取るつもりだ」
「……ナレ、後でゆっくり話そう」
そう言うとルスカは、壮年と竜人、キーマンたちを伴って離れていった。
「……これだけのことが起こったばかりなのに、忙しないな」
と、俺はつい愚痴った。
「アマヤがいなくなったってのによ」
「ルスカも悲しいのよ、もしかしたら一番」
ナティラが起き上がって、こちらにやってきた。
「ユリカもこんなだし、ヒーちゃんもウユも死んじまった。カオリオだって……」
俺は、込み上げてくる涙を堪えることが出来なかった。
口はカラカラに乾いているのに、涙はあとからあとから溢れてきた。
「ナレ……」
バユが俺の手を握ってくれた。
俺はユリカの額に触れた。
「ごめんな、何もできなくて」
そのとき、世界が変わった。
◆◆◆
俺は、真っ白な識心空間にいた。
涙を拭って立ち上がる。
「また、あんたか」
いつか見た白い岩の玉座に、彩奈の顔をしたショロトルが座っていた。
「……そっちは誰だ?」
そこには、クヴァにそっくりな女が立っていた。
ただし肌は俺たち日本人のような肌色で、背は俺と同じくらいだ。
「ミオール」
と、その女が言った。
制服のように見える、しっかりとした服を着ている。
「ナレ、ありがとう」
ショロトルが玉座から下りて頭を下げた。
続いて、ミオールも。
「おかげで、世界は救われた」
「……救ったのはアマヤだ。
それに、お前はアマヤを救うために俺を呼んだんじゃなかったのか?」
俺の中で、怒りがむくりと頭を起こした。
「それとも、すべてはこのためだったのか?
アマヤを寵愛したのも、狂ったふりだったのか?」
顔から血の気が引いていく。
無意識に噛み締めた奥歯が、キリキリと音を立てた。
「だったら――俺はお前を、絶対に許せない」
ショロトルは、彩奈の顔で微笑んだ。
「その外見もだ!ショロトル!」
彩奈の目が、すっと細まった。
「原初の神が世界を再構成したばかりで、マナスがまだ柔らかい。
今なら、わたしとミオールが管理する貯蔵エネルギーで、ナレを元の世界に戻せる」
俺の心臓が跳ねた。
――なんだって?
「わたしとミオールは停止し、消滅する。
現在の我々を保持する全エネルギーも使う必要があるからだ。
だが、ナレが成し遂げたことに報いるためなら惜しくない」
俺は事態が飲み込めなかった。
「待て、俺を元の世界に戻すのか?
いつだ、まさか今すぐってわけじゃ――」
「早くしなければ間に合わない。我々のエネルギーはほとんど枯渇している。
このときを逃して、ナレを戻せる機会はない」
――え?え?え?
「さらばだ、ナレ」
「ちょっと、待……」
「すぐに行くのだぞ。寸刻も惜しむな」
◆◆◆
目の前に長方形の箱があった。その箱を俺は覚えていた。
この世界に来たあのとき、湖の底へ沈んでいった箱だ。
それが目の前にあった。
蓋が開いている。
中に水が溜まっていて、白い布が漂っていた。
「それ、巫女のマントだよ」
「びっくりした!」
俺は文字通り、飛び上がった。
ナティラが、俺の隣で箱を覗き込んでいる。
「おま……俺は、どうしてた?」
「識心が急に動いたからびっくりしたけど、
交信してたでしょ。これ、神からもらったの?」
「瓦礫がぐにゃっと変わって、これになった」と、バユ。
「……巫女のマントって言ったよな」
俺の言葉に、ナティラがうなずく。
「そうだよ。神と交信するときに使う特別な遺物」
――俺、あのときここから出てきたのか。
心はすぐに決まった。
帰れるんだ――その喜びで、胸はいっぱいになっていた。
――なるべく早くしなきゃいけないんだよな。
「バユ、ナティラ――」
箱に片足を入れて、きょとんとする二人に言った。
「みんなによろしく」
「ちょっと待って、どういう――」
バユのうろたえた声。
ごめんよ。
本当は怖いんだ。
この世界のみんなと一緒にいることに、
後ろ髪を引かれて、戻れなくなってしまうのが――
俺は全身を水に沈めて、巫女のマントを被った。
◆◆◆
……妙に頭が重い。
かなりリアルな、長い夢を見ていた気がする。
頬が冷たい。
うつ伏せで寝ていたせいで、涎が垂れたみたいだ。
……ん?
(俺、泣いてるのか?)
枕が、ぐっしょりと濡れていた。
いや、ジャージもシーツも湿っている。
随分、汗をかいたみたいだ。
瞼の隙間から、白い光が割り込んできた。
やけに明るい――
一気に目覚めて、飛び起きる。
サイドテーブルの時計を確認すると――
「10時半かよ……半休だ」
完全に寝過ごしてしまった。
スマホは鳴らなかったのだろうか?
いや、ちゃんと設定してある。
俺が目覚めなかったんだ。
「ふう……午後に会議、あったよな」
俺は杉崎課長に午前半休の連絡をするために、
重い指を動かして、会社の番号を入力した。
――ん、いや待て……
「あああああ!!」
俺は立ち上がって、叫んだ。
俺が着ているのはジャージなんかじゃない。
血と泥で汚れた、ずぶ濡れの服。
荒い布でできた短衣と、腰を紐で縛る七分丈のズボンだ。
手から滑り落ちたスマホが、ごとりと音を立てて床に落ちた。
「夢じゃなかったのか……」
俺はベッドに倒れるように腰掛け、頭を抱えた。
「帰ってきた……でも……」
胸に大きな塊がつかえていた。
外へ出したいんだけど、大きすぎて出てこない。
異世界の夜、異世界の風、異世界の人々――みんな。
「……もう二度と……」
一度堰を切れば、今度は止められなかった。
俺は嗚咽した。
どんなに泣いても、胸の塊はいつまでもそこにあった。




