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第5話:助けて現実!異世界が、絶対ダメなことしてくる!

会話ができないほどの豪雨には覚えがある。

中学生くらいだったか。夏の終わりの台風だ。


面白がって外に出たら、一瞬で下着までびしょ濡れになった。

目を開けているのも大変だったけど、俺は面白がって踊り狂った。


外に出てる無謀なやつは俺だけだったし、

いつもの景色が――そう、まるで異世界になったみたいで楽しかったんだ。


――ヒキガエルを初めて見たのもあの時だったな。


手の平を広げたよりも大きなカエルが道路の真ん中をのしのしと歩いていた。

長い手足で、一歩ごとに前後に揺れながら歩く異形の姿。

いま思えば、あいつも雨を楽しんでいたのだろう。


――でも、今の俺は踊ってなんかいられない。異世界が、俺を本気で潰しにきてる。


目の前には異形も異形、どんな形かも分からない生き物がいて。

しかも、俺にそれに乗れって言うんだぜ。


――こいつも雨を喜んでるといいんだけどな。せめてご機嫌であれ。


俺はその水の化け物を見上げた。


それは半透明の首長竜みたいなものだ――と、一応は思っておく。

というのは、さっき首が伸びるのを見たからだ。


では今はどうかというと、首はない。というか見えない。

馬銜はみと手綱があるので、頭のある位置は分かる。

けど、それも見えたり見えなかったりする。


体の形が大体分かるのは鞍のおかげで、細長い木の葉のような形が水の塊に乗っている。

3メートルかもっとあるだろう。

繊細な彫刻が施された金属の上には革の座部がある。


なんとなく雨が好きなんじゃないかと感じるのにも理由がある。

シャワーのような豪雨が化け物に当たってるんだけど、なんか一体化してるんだよね。

弾くでもなく、流れるでもなく、雨が溶けていってる。


俺の手を縛った衛士が、化け物を観察している俺の背中を強く押した。

不意のことで、俺は踏ん張ることが出来ずに、化け物の体に突っ込んだ。


水が俺をぐいとその中に引き入れる。


――これって食われるってこと?スライム的な?


びっくりして口を開いてしまったのに、何も入ってこない。

すごい力で押さえつけられて暴れることもできない。


俺はにゅるにゅると化け物の体内を移動し、背中の上に出た。

そこにはすでに衛士がいて、俺を鞍上に引き上げる。


「馬には乗れるか?」と、衛士が顔を寄せて聞いた。


「乗れません」


――残念ながら乗馬の趣味はない。


「……足全体で鞍を挟んどけ。落ちるな」


――おい、ちょっと。


「せめて手を――ッ!?」

俺は両手首を前で縛られている。


いきなり、鞍が持ち上がった。

エレベータみたいで揺れなかったが、急だったのでびっくりした。

それだけで落ちそうになる。


――高い。建物の二階くらいあるぞ。


「沿岸…………戻……ぞ!」と、ルスカが号令をかける。

豪雨で聞こえないが、光剣がはっきりと行く先を示している。


化け物が一斉に動き出した。

全部で5頭いる。


他の4頭は一気に加速したが、俺が乗っているヤツだけゆっくり進み始める。

俺は前に乗る衛士の背中を見た。


――こいつ、いい奴なのかも知れない。


真っ暗な空、漆黒の湖面、闇に沈む陸地。

光といえば前を行くルスカの光の剣と鞍のランタンだけ。


上下左右が分からなくなりそうだ。

全然揺れないから、顔に当たる風と雨粒だけが進んでいる感覚をくれる。


――人生で、いまが一番ファンタジーだ。


俺は、この世界に来てはじめて、ちょっとだけ冷静になった。


俺はアウラニスにベッドの中に引きずり込まれた。

てことは、俺のベッドとこの湖が繋がってたということだ。


――誰が繋げた?アウラニスか?


否、おそらく違う。

何度か聞こえた、あの声――あいつが怪しい。


左側に黒い壁が迫ってきた。おそらく崖だ。

昼に、あの崖の上から景色を眺めてみたいものだ。

空飛ぶ島とかあるだろうね、きっと。


――彩奈はいま何をしているだろうか。


あいつは意外に夜更かしだけど、それでも寝ているな。

一緒に鍋を食べたのが随分前に感じる。


唇がふるえ、目頭が熱くなる。


――ちくしょう。泣いてる場合じゃない。俺は元の世界に帰るんだ。


斜め前に、ルスカがいた。

水の化け物はかなり接近して走っている。


暗いし、雨で見にくいが、ランタンのお陰でかろうじて顔が見える。

唇を引き結び、ときおり周囲を警戒するように視線を飛ばす。


俺には、その横顔が怯えているように見えた。

どうしてかは分からない。そう伝わってきたんだ。


そのとき――


崖の上から黒い何かが飛び出すのが見えた。

ルスカは気づいていない。


ひとつじゃない、複数だ。

黒い点は黒い影になり――さらに2つに分かれた。


「――おい……何か来るぞ!」


俺が叫ぶのと、何者かが衛士の前に着地するのが同時だった。


――そこから一連の出来事は無音の内に一瞬で起こった。


衛士の前に立つ影の形が変わった。

衛士の上半身がゆっくりと倒れ、湖面へ落ちていく。

影が俺の目の前にいた。

目がカッと熱くなり、何も見えなくなる。


喉に衝撃――ここで初めて、ゴキリという音が俺の頭蓋骨に響いた。

喉を潰された激痛に、無言で身をよじる。


何かが水に落ちる音が聞こえた。

全身を冷たいものが包む。


喉から熱いものが込み上げてきて、溢れ出した。


――グアアああああ!


口から鼻から、熱いものと空気が出ていく。


――悲鳴くらい上げさせてくれよ!


暗黒の世界で、頭真っ白の俺。

その俺の足を何かが掴んだ。


水が足元から頭に向けて、すごい勢いで流れ始める。

引きずり込まれているんだ。


――やり過ぎだろ、異世界。


切られた眼球が元に戻ろうとしている。

喉の骨が動いている。


――死ぬのか、生きるのか。もう、何がなにやら分からない。


俺は異世界の現実からすら離れて、深い深い水底へと連れて行かれた。

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