第49話:戦いは成層圏へ――ユリカ、止まれ!
巨大な闇が、薔薇の花のように膨れ上がっていた。
その後ろの空は濃い青色だ。宇宙が近い。
空気は冷たいが、まだ普通に呼吸できる。
このまま浮上し続けたら空気がなくなるし、気温がもの凄く下がるはずだ。
人間は生きていられなくなる。
――こいつ、どこまで上がるつもりなんだ。
俺はいま、瀕死の重症を負っても死なない体だ。
その俺が、もし宇宙に出たらどうなるのだろう。
体は凍り、空気はない。でも死ねない――地獄だ。
――いや、宇宙船の中に避難するという手があるぞ。
即死しないことを祈りながら、地上に飛び降りるのもありか。
世界がある限り、何かしらできることはありそうだ。
まずはあの黒い薔薇の中にいるヴォルトを倒し、異形の神の復活を阻む。
すべてはそのあとの話ってことだ。
ルスカの放ったレーザー光線が薔薇の一部を切り落とした。
闇が捕えられていたヒーちゃんが地面に落ちる。
あそこに、ユリカもいるはずだ。
「どうする?」と、バユが走りながら聞いてきた。
「……俺は炎の巫女のところに行く。
異形の神復活の鍵を握るのは、たぶんあの子だ」
「……オレも行こう」
「分かった、頼む」
俺たちは異形の攻撃を警戒しながら、瓦礫の陰を走ってユリカに接近した。
いったん身を隠して、短く作戦を共有する。
「俺はユリカの心の中に入りたい。そのためには無力化する必要がある」
「オレがやろう」
即答。俺は、その可愛らしい顔をまじまじと見た。
黒髪の美少女は、すっと目伏せた。
「なんで協力してくれるんだ?」
「……命の借りを返す」
地面を見たまま、言う。
俺は泥で汚れた黒髪を見つめた。
思わず頭を撫でそうになったが、自重する。
「多少、傷つけるかもしれない」
「構わない。全部終わったら、お礼をするよ」
彼女は、地面に落ちてる瓦礫に向かってうなずいた。
「あと、俺は水の神ショロトルの加護で死なない。だから守る必要はないから」
それを聞いたバユは、はじかれたように顔を上げた。
「本当か?それどういう――」
「興味があれば後で話す。いまは信じてくれ。
俺のことは気にしないで、巫女に集中して欲しいんだ」
可愛らしく尖った顎が、こくりとうなずいた。
俺は、瓦礫の陰から機をうかがった。
ヒーちゃんはボロボロだ。たくさんあった長い立派な脚は崩れてしまっている。
なんとか立とうとして、転んでしまうのが痛々しい。
ユリカは、そんなヒーちゃんを一顧だにしない。
ヒーちゃんを親友として大切にしていた彼女には、ありえないことだ。
俺たちは、音を立てないように、慎重にユリカに近づいていった。
……ユリカが、顔を上げた。
その瞳に光はない。けれど、意思はある。
「――動く」
バユの声をきっかけに、俺は瓦礫の陰から飛び出した。
バユが黒い風となって、俺を追い抜いていく。
物凄いスピードだ。しかも、滑らかで澱みがない。
バユの手から、黒い線が飛んだ。
クナイを肩に受け、少女の体がぐらりと傾く。
ユリカが無表情にこちらを見た。
ものすごい識心が吹きつけてくる。
だが幸いなことに、まわりには操るべき炎がない。
つまり、炎の魔術は使えない。
バユに迷いはない。まっすぐにターゲットに向かっていく。
俺は、黒い小さな背中のすぐ後ろを走っている。
「跳んで!」
バユが叫んだ。
俺は反射的に、横っ跳びに跳んだ。
今まで俺がいた場所を、瓦礫が物凄い勢いで通り過ぎる。
ユリカが投げたものだ。
この身体能力――識心で強化してるのか。
考えて見れば当然だ。
俺にできることが、ユリカにできないわけがない。
ユリカが突っ込んできた。
バユが間一髪で避け、外れた拳が地面を殴りつけて、土砂が吹き上がる。
「肉弾戦でも人外かよ!」
だが、バユはまったく怯む様子を見せない。
ユリカの攻撃をすり抜け、蛇のように絡みつく。
「ナレ!」
見れば、さっき地面を殴ったユリカの拳が砕けている。
体が傷つくことを無視して攻撃しているのだ。
俺はユリカの頭に手を伸ばした。
そのとき――地面が捲れ上がった。
闇が棘となって突き出してくる。
俺は跳び上がって避けたが、組み合っていた2人は貫かれた。
ユリカは腹を、バユは肩を。
ユリカは腹の棘が体を引き裂くのを無視して、拳を振りかぶった。
バユは避けることができない。
次の瞬間、黒装束の男が割り込んで、ユリカを殴りつけた。
ユリカの拳も男をとらえる。
男は顎をくだかれて吹き飛んだ。
「クガツ!」
バユが叫んだ。
「……バユ、こいつを殺ればいいのか」と、男が言った。
ユリカがまた、バユを殴る準備にかかった。
口から血を溢れさせながら、クガツが走る。
その体を、地面から突き出した無数の闇が貫いた。
同時に、頭上からも闇の塊が襲いかかってくる。
――あまりにも、でかすぎる!
なすすべもなく潰されそうになったとき、赤い膜が、ばっと目の前に広がった。
膜は闇を受け止め、反転して飲み込み、消滅させた。
「逃げて!」
アマヤだ。
彼女の体を、赤い液体が渦状に取り巻いている。
バユは、棘を引き抜いて飛びすさった。
ユリカは、盛大に血を撒き散らせて脱出し、距離を取る。
「……クガツ」
バユがつぶやく。
黒装束の男は、ぐったりとして動かない。
明らかに死んでいた。
「大切な人なんだね」
バユがうなずく。
「………。」
俺は何も言えなかった。
「ナレ、行くぞ」と、バユが言った。
言葉に微塵の揺らぎもない。
そうだ――
いまはただ、目的を果たす。仲間の死に報いる方法は、それしかない。
「ナレ、空が……黒い……」
アマヤが言った。
空は紺を過ぎて黒になってきていた。
地平線が丸く見える。
成層圏――宇宙関連のニュースでしか聞かない言葉が頭をよぎる。
そのときだ。
ヴォルトがまとう闇が、まるで宇宙と繋がろうとするかのように吹き上がった。
空を覆うように広がっていく。
地面からも闇が滲み、噴き出し、世界を覆っていく。
「こいつら、宇宙に近づくと力が増すのか!?」
ガッ!
突然の衝突音。
ユリカがアマヤに襲いかかっている。
アマヤは血の盾を広げたが、攻撃はしない。
友人のユリカを攻撃できないのだろう。
ユリカの手刀がアマヤの腕を切り裂いた。
「俺が相手だ!!」
突如現れた衛士がユリカに体当たりした。
拳銃(やはりこの世界にもあった)を抜いて、ユリカを攻撃する。
ユリカは左右に素早く跳躍して弾丸をかわし、すぐに攻撃に移った。
狙いは、またしてもアマヤ。
衛士がアマヤの前に立ち塞がった。
ユリカの手が、衛士の心臓を貫く。
「ぐうぉ!」
衛士はユリカの手を掴み、投げた。
ユリカを瓦礫に叩きつける。
「オクシト!」
胸の真ん中から大量に血を流して倒れる男を、アマヤが抱き止めた。
――!!
いきなりだった。
目の前にユリカがいた。
キスしそうな距離。
無表情な黒い瞳に、俺が映っている。
瞳が一瞬、煌めいた。
まるで、いたずらをしようとワクワクしている、いつものユリカみたいに――




