第41話:死闘、始まる
「ルスカ!」
幼い頃から自分を守り続けてくれた光の衛士の姿を認めて、アマヤは叫んだ。
子供のように駆けより、首に手を伸ばして抱きつく。
「アマヤ、無事だったか」
ルスカの逞しい腕を背中に感じながら、アマヤは回復術をかけた。
識心が入っていく様子で、ルスカがひどく傷ついていることが分かった。
「お前、体に異常はないのか?」と、ルスカが心配そうに聞いた。
「大丈夫」とアマヤがうなずく。
そこへ、バユとクガツが歩み寄ってきた。
「アマヤ、仇を見つけた。オレたちは行く」
ルスカが立ち上がり、短刀を構える。
「わたしを助けてくれたの。バユも教団に騙されたんだって」
ルスカはバユを睨みつけた。
「仲間たちを――リュミナを殺したのはこいつらだぞ」
「でも――」アマヤはルスカの目をまっすぐに見て、言った。
「いまはそれを言っている場合じゃない……でしょ?」
ルスカは歯をくいしばって、構えを解いた。
「……話が分かるじゃねえか、さすがは名高き光の衛士だな」
クガツが応じた。
「……世辞などいらぬ。許したわけではないぞ」
暗殺者は肩をすくめた。
そのとき、バユが指笛を吹いた。
「いたぞ!」
二人は、やってきた暗虎に跳び乗った。
「光の衛士」と、暗虎の上からルスカを見て、バユが言った。
「ヴォルトはオレたちの獲物だ。手を出すなよ」
二匹の暗虎は、巨体に似合わぬ俊敏さで駆け去った。
その姿が見えなくなったころ、ルスカが静かに腰を落とし、アマヤと視線を合わせた。
「アマヤ、衛士をつける。お前は戦場から――」
「わたしも戦う」
アマヤがきっぱりと言った。
ルスカが首を振る。
「お前は再生と回復を司る水の巫女だ。戦場から逃れた仲間を救ってやってくれ」
ルスカの金冠の瞳が燃えるように輝いた。
耳の後ろにエラ、手足に水かきが出現する。
後頭部に水滴型の光が輝く。
「おい、やめろ……やめなさい!」
まるで母親のようなルスカの叱責を無視して、アマヤは呪文を唱えた。
すると、あたりから「水分」が湧き上がり、アマヤの頭上に集まってきた。
「水分」は赤黒い渦となり、その場に留まった。
「なんということを……」ルスカが呆然と言った。
それは、周囲に倒れている死体から集めた血だった。
人体の水分を利用する禁術。それが、水の魔術のおぞましい側面だ。
「ルスカ、わたしは穢れたの。もう神殿の巫女ではいられない。
でも、力はまだわたしの中にある。わたしは今もショロトルの巫女だよ」
アマヤは、すっと目を細めた。
「5歳で神殿に連れ去られたときから、わたしは心を部屋に閉じ込めた。
そこは息苦しかったけど、安全だった。わたしは心地良さに甘えた。
でも、そのせいで、みんなが傷ついて、世界まで壊れそうになってる」
アマヤの声質が変わった。
一段低い、威厳に満ちた声があたりに轟いた。
「ショロトルの巫女として、世界に仇なす教団を討つ!」
ルスカは一歩下り、ひざまづいた。
「承知しました。巫女アウラニス、ルスカが共にあります」
いつの間にかやってきたカオリオも、ルスカの後ろで膝をついていた。
「ヴォルトはひとまずバユとクガツに任せて、まずは異形を一掃します。
ルスカ、カオリオ、手伝って下さい!」
「はい!」
アマヤが腕を大きく振った。頭上の血の渦が、刃と化して、すぐ近くの異形を切り裂いた。
ルスカは光剣を拾い、カオリオは剣を抜き、それぞれ異形に向かっていった。
そのとき――
薬草屋の瓦礫の中から、飛び出してきた人影があった。
「ユリカ!」
男――景山ナレが叫んだ。
その声に導かれるように、アマヤは空を見上げた
「あれは……巫女ユリカ?」
黒い鉄線のような霊獣アーマ=ヒの脚がつくる籠の中で、少女が黒い炎を吹き上げていた。
アマヤとユリカは、アマヤが水の神殿に入ってからの仲だった。
ユリカは何かとアマヤの世話を焼き、神殿の外の話をしてくれた。
二人は友人だった。
ユリカは相変わらず、初めて出会ったときの姿のままだ。
だが、表情はまるで人形のようで、その空虚な瞳には何も映っていないように見えた。
「あなたの捜索に力を貸してくれていたのです」と、カオリオがそばに来て言った。
「……教団がなにかしたのね」
「ユリカ!」と、またナレが叫んだ。
今夜、アマヤが異世界から連れてきた男。
おそらく、ショロトルがこの事態のために呼んだ、鍵となる人物だ。
「アアアアアアア!」
ユリカが叫んだ。
そして、アーマ=ヒから離れて、ナレに向かって突っ込んでいく。
ナレとユリカの関係を知らないアマヤに状況は把握できないが、
ただ、ユリカが危険な暴走状態にあることだけは分かった。
「アマヤ、上だ!」
つい、ユリカを目で追っていたアマヤは、ルスカの言葉に再び目線を上げた。
そのとき、アマヤの視界の端にも、ルスカの背後に巨大な異形が迫っているのが見えた。
「ルスカ、後ろ!」
今度はアマヤが声をかける。
「バカ!」ルスカが叫ぶ。
黒く細い獣が、闇を巻き上げながら飛びかかってきた。
カオリオが、咄嗟にアマヤの前へと身を投げ出す。
キイイイイ!
甲高い咆哮とともに、アーマ=ヒの口が開かれる。
その前方の空間が歪み――圧縮された何かが、弾丸のように発射された。
アマヤが展開した血の盾は、それに触れた瞬間、
まるで最初から存在しなかったかのように霧散した。
空間弾が迫る。
そのとき――
バオオオ!
凄まじい爆音が空気を裂き、熱風が怒涛のように押し寄せた。
「ぐうっ」
カオリオが膝をつく。
あたりはもうもうと立ち込める熱い蒸気に包まれていた。
「ウユ!」
水馬ウユが、アーマ=ヒとアマヤの間に立っていた。
ウユは、もう一度水のブレスを吐いた。
ブレスは、アーマ=ヒの前で真っ白い蒸気に変わり、吸い込まれるように消えた。
「しっかり、カオリオ」
アマヤはカオリオに回復術をかけた。
「ありがとうございます」
カオリオが立ち上がる。
(ヒーちゃんまで暴走してる)
巫女の気配に反応して、アマヤに向かってきたのだろうか。
(どうする?ヒーちゃんはもの凄く強い。それに――殺したくない)
ユリカは、いつもヒーちゃんと一緒に遊びに来ていた。
ユリカの友人は、アマヤにとっても友人だ。
そのとき、巨大な瓦礫がアーマ=ヒのそばに落ちた。
黒い獣は、跳びすさって距離を取る。
ずん、と重い足音。
槍を持った青い巨人が、アーマ=ヒに近づいていく。
「ガル、気をつけろ。ヒーちゃんは暴走してる!」と、カオリオが叫んだ。
ガルと呼ばれた巨人は、小さくうなづき、アーマ=ヒに近づいていった。
顔の側面近くについている黒い目が、まっすぐに見つめている。
とても繊細な識心の動きを、アマヤは感じた。
『大丈夫だ、友よ。我とともに来い。戦場を離れよう』
巨人は、識心でそう呼びかけていた。
アーマ=ヒが動きを止めた。
まるで彫刻のように、瓦礫の中に立ち尽くしている。
巨人はなおも近づきながら、腰の袋から何かを取り出した。
『干し魚だ、好きだろう』
識心を介しているからこそ、巨人の想いが本当であることが伝わってくる。
亡くなった母親や、ルスカや、オクシトが向けてくれた想いと重なって、アマヤは泣いた。
水馬ウユも識心を感じているのだろう。
巨人の様子を見守っている。
アーマ=ヒは、巨人に応えようとしていた。
全身から吹き上がる闇を、必死に抑えているように見えた。
やがて、その黒鉄のような頭をおずおずと差し出し、口の先で干し魚を咥えた。
『いい子だ』
ほっとしたような、巨人の識心。
だが――
「間違っているぞ、巨人」
突然聞こえた男の声に、アマヤは首をめぐらした。
アーマ=ヒの背後に、影をまとった灰色の男――ヴォルトが立っていた。
「アーマ=ヒは殺戮のために作られた生物だ。愛玩するためではない」
男の影がアーマ=ヒへと伸び、侵食した。
巨人が、手に持った巨大な槍を投擲する構えに入った。
そのたくましい胸に、アーマ=ヒの鋭い前脚が突き刺さった。
巨人は槍を取り落として、背中まで突き抜けた脚を両手で掴んだ。
「ガ……ア……」
アーマ=ヒの口から干し魚が落ちた。
キィィィ……
干し魚があった場所の空間が歪んでいく。
「ヒーちゃん、やめて!」
アマヤが叫んだ。
アーマ=ヒの咆哮が止んだ。
その小さな黒い目に迷いが見えた。
しかし――
「殺せ、アーマ=ヒ」
ヴォルトの影が膨れ上がり、アーマ=ヒの体に食い込んだ。
空間弾が発射された。
巨人ガル=ソゥグは上半身を失って絶命した。
巨人の最後を見届けると、ヴォルトはアーマ=ヒの背中に飛び乗った。
しかし、ヴォルトは獣の背に降り立つことはできなかった。
その直前に、黒い影が跳び上がって、短刀で切りつけたのだ。
ギイイイイン、というアーマ=ヒの咆哮とは違う、もっと荒々しい金属音が轟いた。
少し離れた地面に着地したヴォルトの手には短剣があったが、それは半分から先を断たれていた。
「バユ!」
高周波ブレードを持った暗殺少女がそこにいた。
「巫女さん、ちょっと下がっててくれよ」
クガツも現れた。
水馬ウユがアマヤの隣に、寄り添うように移動してきた。
「――実に、くだらない」
包囲されているというのに、ヴォルトの声には緊張のかけらもなかった。
まるで散歩の途中で石につまずいたような、興味のなさそうな口調だった。
「真実も知らず、与えられた幻想を正義と信じて生きる……救えないほど愚かだ」
彼はゆっくりと懐に手を入れ、何かを取り出した。
アマヤは、異形から感じるものを煮詰めたような、異様な気配を感じ取った。
「仕方がない。ならば――導いてやろう。影の中の、真の意思へと」
それを口元へ運ぶと、ためらいもなく嚥下する。
直後――ヴォルトの足元から、影が噴き出した。
まるで体の内側から闇が破裂したように、全身を覆い尽くす。
服が裂け飛び、片腕のない上半身が露わになる。
黒い血管のようなものが皮膚の下で脈打ち、何かが這い回っていた。
脈動はやがて、肩口へと集中する。
ぐにゅ、と音を立てて肉が蠢き――
螺旋を描くように、ねじれた黒い腕が生えた。
「堕ちろ」
そして、暴力が襲いかかってきた。




