第4話:もう、異世界に心がついていきません……
俺は尻餅をついたまま、女騎士の背中を見つめている。
彼女が右手に持っている光の剣――
宇宙戦争を扱った有名な映画に出てくるものにそっくりだ。
長い蛍光灯を握っているように見えるが、ガラスの筒ではなさそう。
眩しくはなく、美しく輝くネオンのようだ。
あの剣はどのくらい強いのだろう?
触れると熱いのだろうか?
そういえば、刀身のまわりの空気が微かに揺らいでいる。
――とにかく、恐ろしい武器であってくれ……そうあれ!
彼女が巨人どもを一掃してくれなければ困る。
もし敵だったとしても、魚みたいな顔の大男より美人に殺されたい!
湖から吹く風が、彼女の髪と鎧からのぞく服を揺らす。
その時――
湖面の気配が変わった。
俺ははっとして、視線を湖の方へ向ける。
水面に黒い波が盛り上がる――次の瞬間、何かが飛び出した。
「うわっ――」
俺は思わずのけぞる。
巨人が、大砲から打ち出された砲弾のように空中を突進する。
そいつは鋭い歯を剥き出しにして、頭から女騎士に突っ込んでいく。
異常なほど開いた顎は、女騎士の上半身を引きちぎり、丸呑みにするだろう。
俺は反射的に目を閉じ――かけて、硬直した。
視界がぶれた……いや、違う。
彼女の姿が、一瞬、霞んだんだ。
光が閃いた。
巨人の体が――縦に割れた。
そいつは斬られたことにすら気づいていないかもしれない。
突っ込んできた勢いのまま、女騎士をすり抜け、ドサッと地面に落ちる。
巨体が綺麗に左右に分かれている。
空から、どっと液体が落ちてくる。
熱くて、重い。
ぺたりと俺の頬に張りついたそれは――
「……赤い?」
思わず呟いた。
人間と同じ色だ。
それがなんだってわけじゃないけど……でも、自然の摂理に反している気がした。
「沖を見ろ!ヌゥラども!」
女騎士が叫ぶ。
その力強い声に、一瞬、すべてがスローモーションになる。
俺に、雨粒まで止まったかのように感じた。
女騎士が光剣で指した方向。
湖の沿岸沿いに、鎧の騎士が水面を滑るようにやってくる。
水上バイクのようなものに跨っているが、明らかに浮いている。
――次から次へと……俺、そろそろ限界だよ。
めまいがする思いだった。
と――
空から、ひとしずく。
頬を撫でる湿った風。
見上げると、星はすっかり雲に覆われている。
雨――?
「湖の底へ帰れ!」
そう叫ぶ女騎士が持つ光剣が、蒸気に包まれている。
刀身に当たった雨が蒸発しているのだろう。
いきなり、女騎士が光剣を投げた。
それは盛り上がった水に浮かぶ鞍のようなものの近くに刺さった。
水が、ぼこぼこと泡立ちながら光剣を包み、輝きを吸い込んでいく。
水の中に何か生き物がいる。
――否、あの辺の水全部がそうなのか?
水が変形し、首のようなものが滑らかに伸びていく。
しかし異様なことに、その首は、現れた先から朧にかすんで見えなくなる。
光が鞍のようなものの前方に集まり、一気に首を駆け上る。
内側からの光で、一瞬、そいつの顔が分かる。
爬虫類のような、魚類のような――いや、馬?
その口から、輝くばかりの光線がほとばしった。
さっき湖上の塔を破壊したレーザービームだ。
雨の帷の中を、光の奔流が突き抜ける。
雨粒ごと空気を灼き、巨人たちの頭上を、蒸気をまとった光が薙ぐ。
「帰れ!」
三度の大音声。
焦げた水の匂いが、夜の空気に混ざる。
巨人たちは弾かれたように立ち上がり、一斉に湖に飛び込んだ。
同時に、湖上の塔も水の中へ消える。
辺りが打って変わったように静まり返る。
急に、生臭い血の臭いが立ち込めてきた。
コンサートホールの残響のように、苦痛と怨嗟の声が地を這う。
「ルスカ!」
「衛士カスティナ!」
最初はアウラニス、次はオクシト。
二人とも、安堵の表情で女騎士――否、女衛士と呼ぶべきか――を見ている。
賊たちの内、生きているものは逃げ去った。
女衛士――ルスカは腰から短剣を抜き、2人に突きつけた。
「オクシト。巫女を連れ出し危険に晒した罪――罷免だけでは済まんぞ」
「ちがうのルスカ、これはわたしが――」
「黙れ!」
――うわあ、怒ってるよ……
さっき、女衛士ルスカが俺を見た目を思い出す。
あの警戒と疑心に満ちた眼差し――
心臓が肋骨をやけに強く押す。
息を吸ってるのに、いつまでも苦しい。
――何がなんだか分からねえ。
渚に倒れ伏す賊の死体。
まっぷたつになって中身をぶちまけている青黒い巨人。
「…………ウッ……ッ!」
心臓が口から出てきそうになる。
湖には優美に装飾した水上バイクのようなものに乗った軽装の騎士――否、衛士たち。
――あれはみんな、水の化物に乗ってるんだ。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
誰かに後ろから背骨をひっこ抜かれたみたいだ。
その誰かは、俺の背骨を持ったまま走り去っていく。
――逃げたい。
女衛士が俺を見た。
――あれは、何人も殺ってるな――まあ当然か。
この世界では命は軽い。
たぶん驚くほど。
この数十分で理解したつもりだ。
とはいえ、対話から逃げちゃいけない。
――社会人の基本だからな。
話してみなけりゃ、何もはじまらない。
俺は立ち上がった。
スウェットはズタボロだが、傷はすっかり癒えている。
――スーツを着て気合いを入れたいところだよ。
明らかにこの場を支配している女衛士ルスカをしっかりと見すえる。
ルスカもこちらに向き直った。
「巫女アウラニス――と、話をさせて下さい」と、俺は言った。
――よし、先に言えたぞ!
先手を取るのは、交渉においてとても大事だ――と研修で習った。
「私はたぶんこの世界の住人じゃありません。
巫女アウラニスが私を連れてきました。たぶんですけど」
ルスカはじっとこちらを見ていたが、不意に目を逸らした。
「オクシトとこの男を拘束しろ」
「はっ」
「ちょっと待ってくだ……!?」
と、言いかけた俺のもとへ、くだんの美少女が駆けてきた。
――なんとまあ、ボロボロになって。
純白のドレスは、泥と血とよく分からない色で見る影もなく汚れている。
肩紐が裂けて布が垂れ下がっていて、目の置き場に困る状態だ。
でも、アウラニスに気にする様子はない。
「あの、わたしが連れてきてしまったんですよね?
実は、よく覚えていないんです……」
「助けてって言ってましたよ」と、俺は言った。
「そう……ですか。追われていたから、きっと……」
雨音が大きくなってきた。
河原の上を雨粒が跳ねまわっている。
「詳しい話を聞きたいんですが――って、おい、やめろ!」
衛士がやってきて、俺の腕を捻り上げる。
「待ってください! この人は怪しいものじゃないんです」
アウラニスが衛士を止めてくれる。
そのアウラニスの肩に、いつの間にかやってきたルスカが手を置いた。
「それはあっちで我々が判断する。早く戻るぞ」
「でもっ……ッ!?」
反論しかけて、アウラニスがぐっと唇を噛む。
「巫女アウラニス――すみません!」
すでに拘束されて水の化物に乗せられている、衛士オクシトが言った。
「頼むから、立場をわきまえてくれ」
アウラニスに、ルスカが疲れたように言う。
衛士が俺の背中をこづいた。
「ちょっと待っください。早く動きたいのは分かります。
でも、あなたは話ができる人のはずだ」と、俺はルスカに言った。
「……断ずれば良いというわけではないぞ」と、ルスカ。
俺はその声から、かすかに迷いを感じ取った。
おそらく、話をしてくれる人だ。
「私は景山汝と言います。日本の会社員です」
「知らんな」
「でしょう?」と、俺は笑みを浮かべた。
「私は、あなたの知らない世界から来た」
ルスカがアウラニスを見る。
彼女のさっきの言葉が俺の言葉を裏付けている。
「――おそらく、あなたの神によって」
ルスカが一歩前に出て俺を睨みつける。おお、背が高い。
「……お前は何者だ?」
「知りません。だけど、囚人のように扱われるいわれはないと思う」
雨が強くなってきた。
雨粒が全身を叩き、頭からシャワーを浴びているみたいだ。
ルスカが手を挙げる。
衛士が俺を湖の方に連れていく。
ルスカは自分の水の化け物へと歩いていく。
彼女はオクシトは罷免だと言っていた。
つまり、彼女が上司だ。
アウラニスへの態度を見ても、おそらく悪いやつじゃない。
俺の社会人経験がささやくんだよ。
――この世界で生き抜くなら、彼女を味方にしとけ。
神殿とやらに着いたら、せいぜい上手く立ち回るとしよう。
でもその前に確認したいことがある。
「――巫女さん!俺は自分の世界に帰れるのか?」
アウラニスは弾かれたように顔を上げた。
金の縁取りのある瞳が、真っ直ぐに俺を見る。
「ごめ……さ……。……りま……。たぶんショロトル………し…助…………に」
アウラニスの言葉は、激しい豪雨にかき消された。
大量の水が、まるで敵意でもあるかのように、俺たちの対話を阻んでいた。