第33話:交渉決裂、門開く
緩やかな山道を登り切り、峠から村を見下ろす。
暗虎の足だからこの程度の時間で来たが、自分で歩けば丸一日かかっただろう。
暗殺者クガツは、巫女アマヤの故郷の村を見下ろしていた。
巫女アマヤは、故郷の村が戦禍に巻き込まれてしまったことを知り、
村人たちを助けるために神殿を抜け出した。
だが、巫女誘拐の依頼を受けたクガツたちに捕まってしまった。
その過程で巫女に命を助けられたクガツは、義理を果たすことにした。
その結果、クガツはここにいるのだが――
村は静かだった。燃える家も、泣き叫ぶ声もない。
鳥が鳴き、畑には人影がちらほらと見える。
戦禍のあとは見られない。
村へ下りて確かめる必要もないだろう。
「……無事、か」
小さくつぶやくと、クガツは踵を返した。
――巫女アマヤは騙された。誰に?
目的は巫女を神殿の外に連れ出すことだ。
より安全に、確実にさらうために。
影手の村に戻り、バユに報告だ。
そのあとどうするかは、それから考えればいい。
クガツは暗虎にまたがり、来たばかりの山道を下り始めた。
◆◆◆
遺跡探索者ラドーの先導でトラブルを避け、一行は無事に風の神殿に辿り着いた。
見上げるばかりの塔の屋上が、まるで森のように仕立てられている。
そのため風の支院は、空中庭園と呼ばれていた。
ルスカたちは、その入り口の前で待たされていた。
扉の両脇には風の衛士が立ち、警戒心に満ちた視線を向けている。
やがて鉄扉が開き、背の高い鳥の亜人が出てきた。
「お久しぶりです、ハール=ヴィレオ」と、サリナが親しげな笑顔とともに会釈した。
白い鷲の顔が無言で見下ろす。
「君の訪問は嬉しいが、サリナ。我らにはまだ眠りの時間だ」と、低い声が言った。
ルスカは前に出て、頭を下げ、顔を起こして告げた。
「私は水の神殿の神衛士副長、ルスカトリ・カスティナ。朝早くに大変申し訳ない。
だが、いまは話を聞いてほしい。水の神殿の存続に関わる火急の用なのだ」
ハールはルスカの言には答えなかったが、サリナを見てうなずいた。
「友との信頼に免じて、上に話を通そう。ただし入れるのは、
ルスカトリ殿と湖の巨人の代表者、そしてサリナのみだ」
そうして、ルスカ、クヴァ、サリナの三人が支院の奥へと導かれた。
待っていたのは、カダン・フェリス。
そしてその傍らに立つ、竜人の交渉官ヴァッサ=ノルン。
「歓迎する……とは言い難いが、交渉の余地はある」
カダンが、穏やかな声で言った。
一同は立ったまま話し始めた。
ルスカは水の巫女誘拐の経緯を語った。
ヴァッサが、シュルルと鋭く息を吐いた。鱗に覆われた喉元がわずかに震えた。
「我らは教団との交渉の可能性を探り続けてきた。日の出を待って、話を持っていくことはできる」
ルスカは一拍置いて、首を振った。
「遅すぎる。それに、交渉の余地などない。こちらは犠牲になった者もいる」
ヴァッサの金色の瞳が、ルスカを見つめた。
鱗に覆われた人の顔は表情が乏しく、人間の尺度では感情が読めない。
「我らにどうしろと?」
「教団の本拠地を叩いて巫女を奪還する。力を貸して欲しい」
「できない」
即答だった。
ルスカは、カダンを見た。カダンは、静かに首を振った。
サリナが、そっと間に入った。
「……私たちは心都に来たばかりです。せめて、教団の情報を教えて頂けませんか」
カダンがわずかに眉を寄せ、そして静かにうなずいた。
「いいだろう。だが、これも交渉の内。ことの成否に関わらず、見返りはいただく」
「具体的には、なんだろうか」
「水の神殿の今後の協力、それから湖の巨人との情報交換だ。我らにとって未知なのでな」
ルスカが、クヴァを見る。
「我らの都に案内しよう」と、クヴァが言った。
「よし。では簡単な契約書を用意する。我らは慣れている。寸刻も待たせないから安心しろ」
時間の心配をするルスカの先手を打って、カダンが言った。
ヴァッサが奥の扉に消えた。
ハールがサリナのもとに来て、頭にぽんと手を置き、巨大な翼をばさりと動かした。
◆◆◆
「まだかよ。もう時間だろうが」
赤い顔に黒い角の生えた男が、木の椅子にふんぞり返って唸った。
窓際に立って外を見ている髭面の男が、ひらひらと手を振る。
「いいや、まだだ。日が昇りきってねえ」
「ちょっとでも遅れやがったら、許さねえぞ」
髭面は軽く鼻を鳴らして、角の男の正面に座った。
「そう焦んなよ。金はたんまりあるんだ」
角の男はたちまち破顔して机の上の銀貨を撫でた。
怒っているのは演技だったようだ。
「あのガキ、意外に持ってやがったな」
「ツイてたな。いいか、俺はこいつを今日、使い切るぞ」
歓楽街でのあれやこれやを想像して、門衛は笑い合った。
「痛って……ちくしょう、目にゴミが入った」
角の男が、目をぱちばちさせ始めた。
「お前、ちゃんと扉を閉めたのか。ゴミが舞ってるぞ」
「閉めて来てくれよ」
髭面の男が、仕方ねえなあ、と席を立ったそのとき――
部屋中のありとあらゆるものが舞い上がった。
「なんだっ!?」
その間隙をついて、二人の完全装備の男が扉を破って駆け込んでくる。
目にゴミが入った二人の男は、構える暇もなく殴り倒された。
「縛り上げてください」と、壁のロープを指してサリナが言った。
「私は跳ね橋を下ろします」
◆◆◆
ぎいい、と音を立てて門が開いた。
わずかな隙間から青い指が出てきて門を掴む。
そこからは早かった。
外の世界と心都が繋がり、後詰に残った部隊が入ってくる。
「よお」と、ガル=ソゥグが珍しく上機嫌に挨拶をした。
「こいつが、そわそわしていた。号令なしで入ろうかと話していた」
アーマ=ヒが、ゆっくりと入ってくる。
焼いた鉄を捻り上げたような細い体にオレンジの体毛。頭の高さはガルよりも遥かに上だ。
恐ろしげな見た目の霊獣だが、いつもはなんとなくお茶目な空気を漂わせている。
それが、いまは静かだ。
「巫女ユリカのことが心配なんでしょうね」と、サリナが言った。
「で、ルスカ隊長は?」と、カオリオ。
「歓楽街の外れにある教団の本拠地を急襲します。本拠地はダンジョンに直結しているとのことです」
「……やっかいだな」
「はい。本体はすでに展開しています。合流しましょう」
「承知した」
カオリオがうなずいた。
そのときだった。
ガルが、ぴたりと動きを止めた。
大きな体が、微かに震えている。
「ガル?」とカオリオが呼びかける。
ガルは応えない。
まるで、遠くから何かを聴き取ろうとするかのように、耳を澄ませている。
突如――
どん、と地響きのような音が轟き、街中から悲鳴が上がった。
石造りの建物の向こうに、黒い煙がのぼるのが見えた。
「クヴァが傷ついた。先手、取られた」とガル。
キィィィ……
突然、アーマ=ヒが全身から甲高い音を上げ、空中に飛び上がった。
「くっ――落ち着け。まずは静かに接近して……おい、ガル!」
ガルが走り出し、巨人たちが着いて行く。
「私たちも行きましょう!」
サリナの顔が、朝日にらんらんと輝いている。
「……分かった。せめて隊を崩すな!」
その号令で、衛士たちも走り出した。
巨人たちが石畳を鳴らして走り、そのあとを二列縦隊の完全装備の衛士が追う。
朝の心都は、いきなり戦場になった。




