第21話:ただ影として
じり、と大男が間合いを詰めた。
バユもわずかに動く。
槍の切先はバユの正中をおさえ、男の視線には捉えどころがない。
長身に加えて、長大な槍。懐は深い。
粗雑な見た目とは裏腹に、相当な手練れだ。
弱者を蹂躙してきただけでは身につかぬ、死合いの呼吸。
影手であっても苦戦は避けられない――
そう判断するのが、普通の戦士だ。
だがバユは、両手をだらりと下げたまま、
まるで挨拶にでも行くように、軽い足取りで前に出た。
槍が、初動もなく突き出された。
時間を飛ばしたかのように、刹那のうちに切っ先が目前に迫る。
普通なら、即死――
しかし、驚いたのは大男のほうだ。
影手の少女が、軟体動物のように身をくねらせて槍を避けた、その直後。
視界を奪われた。
バユの片腕が異様な角度と長さで振り上がり、男の眼球を払ったのだ。
驚異的な柔軟性がもたらす一撃。
同時に、逆の手のひらが、男の股間をすくうように打つ。
防具は厚く、鋼鉄すら弾く仕様だった。
だが、バユの掌打は衝撃を装甲の内側に通した。
鈍い音。急所を打たれた血の気が引く痛み。
だが、それだけではない。
手のひらから熱が入り込み、内側で爆発した。
内臓を焦がすような激痛が、男を存在ごと飲み込む。
次の瞬間には、倒れていた。
股間に傷はない。出血も、損傷も見えない。
だが、肉の焦げる臭いとかすかな煙が、決定的な破壊があったことを伝えていた。
パチッ、男たちが囲んでいた焚き火が、勝負の決着を告げるように爆ぜる。
バユの呼吸は一切乱れていない。平時のまま。
指先と手のひらに衝撃の残滓があるのみ。
やってきた暗虎トカゲが頬に鼻面を寄せる。
バユはその湿った部分を撫でた。
場所は梟の家の門前。
遺跡の入り口は、屋敷の奥に並ぶ蔵のひとつだ。
バユは振り向き、戦火の村を見渡した。動くものはない。
ここまで一直線に来た。すべてを見てきたわけではない。
生存者はいるだろうし、逃げた者もいるだろう。
でも、長年受け継ぎ、守ってきた生活の場は破壊された。
生活をともにした人々、一緒に訓練を積んだ仲間たち、その多くが命を落とした。
「……。」
梟の家へと向き直る。
蹂躙されつくした生家へと、バユは踏み込んで行った。
◆◆◆
バユの手に流星が戻ってきた。
すばやくテグスを巻き取り、袖の中へ収める。
直径五センチの金属球と透明な糸――
この流星垂は、遺跡技術を応用して作られている。
気の流れを通すことで、重さが自在に変わる繊細な武器だ。
それを使いこなせるのは、バユだけ。
少女を影手最強の「影」にまで押し上げた武器である。
蔵の前には、案の定見張りがいた。
すでに頭を吹き飛ばされ、軒下に転がっている。
着ている服は灰色。森で遭遇したヴォルトたちと雰囲気がよく似ていた。
暗虎トカゲが蔵の前で身を伏せている。
バユは東屋の屋根から飛び降りた。
地面に、女中が倒れている。
若い。バユが家を出たあとに仕え始めた者だ。
着衣は乱れ、首元には口を塞ぐように布が巻かれている。
刺し傷は浅くない。
屋敷の中にも、火に巻かれた使用人たちの死体が転がっていた。
燃やそうとしたのだろうが、建材がそれを許さなかった。
壁は燻り、床は焼け残り、殺された者だけが無言で並んでいた。
バユは何も言わず、女中の服を整えた。
目は閉じなかった。
蔵の扉を押し開ける。
湿った石の匂い。古い金属の軋み。冷気が足元を撫でる。
奥の扉は半開きで、その先は暗黒だ。
扉を抜けると、階段が下へと続いている。
古びた金属板でできたそれを、バユと一匹は無音で降りていく。
やがて現れたのは、開いた遺跡の入口だった。
黒茶色の陶器のような壁。全体に走る、細く青い光の線。
人工とも自然ともつかない質感。
壁の青い光が、生きているかのように脈動している。
進むにつれて、戦闘の痕跡が現れる。
扉。柱。通路。天井。
どこにでも血がある。骨がある。肉片が貼りついている。
影手の仮面が割れていた。
頭のない体が、壁にもたれかかっている。
その隣には、灰色の服を着た男。顔は半分、焼け落ちていた。
そして――最奥。
開かずの扉が、開いていた。
その前に、「梟」が倒れている。
「……バユ……か……」
「……父上」
助からぬ、と、見ただけで分かった。
バユは近づき、膝をつく。
「……ロクヤ、だ」
血を吐くように、それだけを告げた。
「ヴォルトという……以前に来た教団の男と手を組んでいた」
「……水の巫女を渡した相手です」
短く咳き込み、息を整えるように沈黙する。
「――お前を梟に指名する」
その言葉に、バユの眉がわずかに動く。
「やめてください」
息が止まりそうな声で言うと、梟は肩を震わせて笑った。
「仮面は渡せぬ。ロクヤが持ち去った」
「なぜ?」
「さあな。だが、梟とは仮面のことではない。お前は分かっているだろう」
梟は苦しそうに息を継いだ。
「女子供と兎のほとんどは、隠れ里へ逃がした……奴らには、村と長が必要だ」
「……承知」
バユの言葉は、静かに落ちる。
「バユ」
父は、娘の名を呼んだ。
その声音に、叱責も期待もなかった。
「逃げる道があるなら、まず逃げろ。そう教えたな」
「はい」
「……死ぬなよ」
父の首が、静かに傾ぐ。
バユの腕に、最後の重みが預けられた。
――この命を代償に、奴らは何を奪った?
その答えは、開かずの扉の向こうにある。
バユは父をそっと横たえ、立ち上がった。
もう振り返らない。
出口へ向かうバユに寄り添う巨大な影――暗虎トカゲだ。
そして、彼女は影の仮面を被った。
――これは仕事だ。
自分から自分への依頼。
殺す二人の顔は、はっきりと記憶にある。




