表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/55

第15話:鳴動する闇、別れゆく黒と白の少女たち

月の光が、彼の背を白く縁取っていた。

街にいそうな男に見える。果物屋か、小さな書店の主か――


優しげな口調と、緊張感のない佇まい。


――けれど、違う。


アマヤの背中を汗が伝う。

暗虎が小さく鼻を鳴らし、前足を一歩、地につけ直した。


「ようこそ、巫女アウラニス」


男はなめらかに近づいてきた。アマヤは思わず後ずさる。


太い腕が、男とアマヤの間に割って入った。


「おっと、旦那。まだ引き渡しの確認が済んでませんぜ」


クガツが男を脅すように言った。


「これは失礼した……割符です」


男が懐から取り出したのは、長四角の木札だった。

ハンカチに包んで、触れてはいけないもののように持っている。


クガツがカゲ――黒い少女に目配せする。


少女もそっくりの木札を出し、男の木札と合わせた。


木札は合わせられた瞬間、ぴたりとくっついた。

そして、継ぎ目から煙が立ち上ったかと思うと、両方が燃え上がった。


炎が青い。少女も男も、平然と掴んだままだ。


アマヤは息を呑んだが、二人の手が焼けていないことに気づいた。


――契約の炎。


木札はすぐに燃えつき、黒い石が草原にぽとりと落ちた。


「ヴォルト」と、石をのぞき込んで少女が言った。


「ええ、わたしの名です。あまり言って欲しくはないですけどね」と言って、男が鼻を鳴らす。

男は手に残ったハンカチの燃えカスを草原に捨てた。


「では、報酬を」と、少女。


男は無言で布袋を取り出し、少女に渡した。

少女は重さを確認し、中を見て、うなずいた。


「わたしの方は確認は結構ですよ。その美しき金冠の瞳だけで十分です」


舐めるような口調と視線。アマヤは思わずクガツの方を見た。


クガツは無言のまま目を伏せた。


(これで終わり。わたしはこいつの物になってしまった)


アマヤは、また自分の知らないところで誰かの手に渡される。

一度目は村から神殿へ。そして今度は神殿から――どこへ?


――ろくな場所じゃないのは確かだ。でも――


と、アマヤは心を強くする。


(いまのわたしは何も知らない村娘じゃない)


巫女アウラニス・アウレサ。

水の神ショロトルの加護を受けた神聖なる巫女だ。


(思い知らせてやる)


だが、識心が膨らんだ瞬間、何かが全身を駆け上がってきた。

足元に穴が空いたようだった。そこから、魂がするりと抜けていく。


アマヤは倒れたことすら分からなかった。


◆◆◆


「おいッ……!」


クガツの怒声が響く。

駆け寄ろうとするその前に、ヴォルトがすっと立ちふさがった。


「巫女は我らのもの。手出し無用です。――そうですよね?」


バユ――影と呼ばれる黒い少女は一拍だけ黙ってから、わずかに目を伏せてうなずいた。


その瞬間、背後でバキリ、と音がした。

クガツが、歯を砕きそうなほど強く噛みしめている。


バユの胸に、かすかな痛みが走る。

その気配が身体に深く沈んでいくのを、バユは観察した。


ヴォルトの顔からすうっと表情が消えた。

次の瞬間、喉が――そこだけ別の生き物のように蠢き、震え出した。


人間のものとは思えない異様な唸りが、まるで蛇のように夜の草原に這い出していく。


「気持ちわり……」


ぽつりとつぶやいたのは、イタチ――オロだった。

諜報が得意なくせに、言いたいことを口にする。


いつもなら眉をひそめるところだが、このときばかりは、バユも心の中でひっそりとうなずいた。


唸りに応えるように、森の中から、馬を連れた灰色の集団が滲み出てきた。

統一感があるのは色だけで、あとは思い思いの服装だ。みな、フードや布で顔を隠している。


二人が進み出て、アウラニスを持ち上げて馬の方へ運んでいく。

布袋でも持ち上げるような雑な扱いを見て、バユの心が波立つ。


――仕事、これは。


「では。今後ともよろしくお願いします」


そう言って、ヴォルトは振り返りもせずに去っていった。

灰色の集団も一緒に移動していく。誰も一言も発さないのが異様だ。


「西へ行ったな」クガツが小さくつぶやいた。


「すぐ街道だ。どっかの神殿にでも向かうんだろ」と、オロ。


バユはわずかに首を向けて、言った。


「帰ろう」


部下たちは、それだけで動く。

命令はいつもこの程度で十分だった。


クガツが空を見上げる。月が、雲の影に溶けていた。


「俺は、巫女の村に行く」


「……そうだね。お願い」


「借りを返してくる」


そう言ってクガツは、ひらりと暗虎に飛び乗り、森の奥へと消えていった。

振り返ることもなく。


夜が冷えていた。

草を踏む音が、湿り気を帯びて響く。


バユは口を開かない。

オロも何かを言いかけて、やめたようだった。


「……」


不意に、闇の端で音が跳ねた。

わずかに違うリズム。違う足音。軽すぎる。速すぎる。


「ッ!」


オロが、動いたのは一瞬早かった。

けれど、それでも遅かった。


ざん、と何かが空を裂く音。

次の瞬間、オロの体が沈んだ。


「……」


バユは動かなかった。まだ、見ていた。


それは、ウサギだった――名をハルイチ。たぐいまれな戦闘技術を見込まれて、チームに参加した少年。

あどけない顔。歪んだ笑み。ほんの少し、乱れた呼吸。


彼の足元には、暗虎が倒れている。腹を裂かれ、動かない。


「……!」


暗殺者の戦いに、言葉などない。


バユは何も言わず、一歩だけ踏み出した。


ハルイチの姿がブレる。次の瞬間には、いない。その場で、足元の草が揺れているだけ。


「ガッ――!!」


目を払われ、ハルイチの姿勢が崩れた一瞬――


少年の首が裂けた。


バユは背後から、ハルイチの額を抑えている。


叫び声はない。人が倒れる音すらない。

バユが、ぐったりした体をそっと横たえたからだ。


(もう、こんなのは嫌だったのに)


何も守れなかった現実だけが、そこにあった。


残ったのは、ただ一人と一匹の暗虎。


「急ぐよ、トカゲ」


村で何かが起こっているのは明らかだ。


黒い少女は、白い少女が連れ去られたのとは逆方向に駆け出した――風のように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ