貴族のご令嬢の恋愛模様
あの後、エリスはそう時を待たずに戻ってきました。本当、時間停止と空間転移っていうのはチートですわね。
それと、ブラッドフォード伯爵家でヴィクトルとも会ってきたようですが、相変わらず物腰の柔らかい少年だったようです。
そういえば……。
「わたくし、そこまでヴィクトル。彼と話したことありませんわね……」
「そうなんですか?」
こぽこぽ、とエリスはミルクを入れながら、頭に疑問符を浮かべてます。
「えぇ、そうですわね。三ツ者衆を立ち上げる時は、何かとブラッドフォード家へ赴いてましたので、話す機会もあったのだけど……」
「立ち上げた後は疎遠になった、と?」
かちゃり、とミルクを入れたカップを差し出してきたのをありがとう、と受け取り、こくり、と飲みました。……あら、美味しい。
「えぇ、そうですわね。……どうしても、あちらに赴くこと、お父さまには良い顔をされませんでしたから」
「なるほど……。でも、その割には――」
何か不思議そうな顔をしているエリス。どうかしたのでしょうか?
「……いえ、ヴィクトルさま。お嬢さまのこと、気にかけていたようでしたから」
「……ふぅん?」
これは、あれかな?
暁プリ原作のヴィクトルは当初、卑屈なキャラだった。それは御家のブラッドフォード伯爵家が暗部、謀略の家だったから、表立って報奨を与えられることがない。後ろ指差されるような扱いだったことに端を発していた。
そしてヴィクトルルートでは、主人公。クロエがそんなヴィクトルの自己肯定感をあげることに腐心したことによって、最終的に彼はクロエへ永遠の忠誠を誓い、いつ、いかなる時も彼女を守る、という決意を固める。
そして第二部ではクロエは一軍の将に、ヴィクトルはそんな彼女を支える副将、ならびに軍師として辣腕を振るうことになる。主に謀将として、……といった流れです。
しかし、ヴィクトルの反応だと、そのようになったとも思えますが……。まさか、どこかでそんなフラグを踏んだんでしょうか?
とくに覚えは……。
「……あっ」
「お嬢さま?」
間抜けな声をあげたわたくしを、エリスが心配そうに見つめてきます。
はた、と昔のことを思い出しました。そういえば、あんまり卑屈だったから、鬱陶しく感じて発破をかけたような……?
……でも、まさかあの程度で?
いやいや、あり得ないでしょう。
そもそも、ヴィクトルの生家。ブラッドフォード伯爵家はハミルトン公爵家の情報、諜報面を一手に引き受ける御家です。
そして現代に産まれたのであれば分かると思いますが、情報というものはなによりも重要です。
攻勢に、防衛に、諜報に……。あらゆるところで情報というものは必要とされます。いわば、情報を制するものが世界を制するのです。……本当に、冗談でもなんでもなく。
いわば、ハミルトン公爵家にとって――他の四伯爵家もそうですが――ブラッドフォード伯爵家とは生命線に等しい。そんな御家の嫡男が卑屈では任せるものも任せられません。だから、発破をかけたのですが……。
「いや。小さい頃の話だし、おかしくない、かしら……?」
子供、というのは存外単純、かつ、本質を見るものです。発破をかけたことと、それが本心であることを理解したのならば、あるいは……。
それと……。
「はぁ…………」
「あの、お嬢さま? 今度はどうされたので? 深々とため息をつかれて……」
「いえ……。ただ、本当にただ自身の無能具合にあきれ果てただけです」
本当に……。
いまのいままで、お父さまがブラッドフォード家へ行くことに難色を示していたのは、暗部を軽視。あるいは、わたくしに後ろ暗いものを見せたくなかった、と判断していました。しかし……。
「そうですわよね……。かわいい娘。しかも、婚約者まで決まっている娘に悪い虫がつきそうだというなら、それは遠ざけますわよね……」
なんてことはない、ヴィクトルがわたくしに恋心をいだいている。だからこそ、遠ざけようとした。当たり前の話です。
幼い娘――実際には、前世のこともあって人格は確立してました――が、間男に感化され、なんて可能性。否定できませんもの。なら、遠ざける。危険な芽は早めに摘むのは当然の話。
わたくしの頭を整理するための独り言。それを聞いたエリスはあらあら、まあまあ、と口ずさみ、キラリ、と目を輝かせてます。
まぁ、年頃の娘ですし、色恋沙汰の話なんて大好物ですわよね。……一応、釘を刺しておこうかしら。
「念のため、言っておきますけど。まかり間違ってもヴィクトルのもとへ押し掛けよう。なんて考えてはいけませんよ?」
「ひゃ、ひゃいっ……!」
最低限の剣気を込め、威圧します。
まさか、そこまでされると思ってなかったのでしょう。あきらかにエリスは狼狽えていました。
……そもそも、現状わたくしは誰にも身体を許すつもりなどありません。だというに、下世話な勘繰りをされては迷惑です。多少怖がらせようとも、どでかい釘は刺させてもらいますとも。
「まったく……。ハミルトン公爵家のメイドとあろうものが。よりによって主君の色恋沙汰に現を抜かすとは何事ですか」
「あ、ははは……。申し訳ありません、お嬢さま」
「わかれば宜しい。はしゃぐな、とは言いませんが、それ相応の冷静さくらいは身に付けなさい?」
「おっしゃる通りです……」
……まぁ、この世界では娯楽という娯楽がありませんからねぇ。こういう、貴き血の色恋沙汰、ということだけで何かと娯楽になるものです。
だからといって、すべてを許容するわけでもありません。我々、貴族の令嬢というのは客寄せパンダだという一面があるのは確かですが、だからといってぶしつけに見られると不快というのも確かです。
ただ、下級貴族に関しては、そんなこと言ってる場合ではないでしょうが……。
なにしろ、彼女らの場合。いまだ婚約者が決まっていない可能性は十分あります。それが本人の器量のせいか、近場に丁度良い家格の殿方がいないのかは分かりませんが。
それに、この騎士学院で家格が上の殿方を捕まえればそれだけで万々歳でしょうし。なおかつ、世継ぎまで産めれば立場は磐石。ご当主の親族集として、ある程度の裁量は任されるでしょうし、もしかしたら、資金援助で領地を発展させる、なんてことも出来るでしょう。
実家を発展させるとともに嫁いだ家での立場も磐石に出来る。まさしく、この世の春ですわね。わたくしには関係ありませんが。
「それはともかく、エリス」
「はい、お嬢さま」
「お手紙、すべて渡してきたのでしょう?」
「もちろんです。ブラッドフォード卿はともかく、他の皆さま、やる気満々でしたよ」
「ならば、よし」
えぇ、今後のことを考えるならば、どうしても西方に手を出す必要がありますから。
さてさて、どうアプローチするか。そして彼らがどうエスコートしてくれるか。楽しみですわねぇ……。
「くっ、くく……」
「……お、嬢さま?」
思わず漏れ出た笑いに引いてるエリス。
……あの、そうまで引かれると、さすがに傷つくんですけど。そんなに怖かったです?
そっかぁ、怖かったですか……。
涙目でこくこく頷くエリスを見て、わたくしもまた涙目になるのでした。
……どうして、こんなことに。




