ブラッドフォードの、ヴィクトルの忠義
ふわふわ、とした独特な感覚。どこにもいなかったわたしの存在が確立される感覚。
どこか浮わついた意識が、明瞭になっていく。どうにも、この感覚は好きになれません。一応、慣れているのですが……。
じり、と足で地面を踏みしめます。転移が完了したようで、わたしは目蓋をうっすらと開きました。
そこにはお嬢さまの実家。ハミルトン公爵邸ほどではありませんが立派な建物。四伯爵家のひとつ、ブラッドフォード家の屋敷が鎮座していました。
そう、4通のうち3つはお嬢さまの私兵、三ツ者衆へ届けるものでしたが、最後のひとつはここ。ブラッドフォード家へ届けるものでした。
当然ですね。いくらお嬢さまが主導することとはいえ、ハミルトン公爵家が関わらない、というのはあり得ません。つまり、公爵家でも把握しておかなければいけない訳です。
そして謀略、策略に関してはブラッドフォード家の領分。こちらへ情報を流すのは必然でした。
「あれ、あなたは……?」
ブラッドフォード家の門番のうち、ひとりが突然現れたわたしを警戒します。どうやら、新人さんのようです。
ですが、もうひとりの門番さんは顔見知りでした。彼はすぐ新人さんにわたしが怪しい者じゃないことを言ってくれました。
「おい、大丈夫だ。彼女は客人だ」
そして門番さんはわたしに問いかけてきました。
「それで、今回のご用向きは?」
「えぇ、お嬢さまからご当主へお届け物です。開けてもらってもよろしい?」
「……そうでしたか」
そう言うと、彼は後ろを振り向き声をあげます。
「開門、開門!」
ぎぎぃ、と重苦しい音を立てて門が開きました。
……いつも思うことですが、防衛のためとはいえここまで重い門を開くのは大変そうです。
それはともかく――。
「いつもご苦労さまです」
「いえ、これも仕事ですので……」
門番の方へ労いの言葉を掛け、先に進みます。早く仕事を終えて、お嬢さまのもとへ帰らないといけませんから。
そして、ご当主への引き渡しは恙無く終わりました。もっとも、渡された当初は困惑されておいででしたが、簡潔にお嬢さまの思惑を説明すると納得されてもいました。まぁ、お嬢さまが西部になんの用事があるのか、首をかしげてもおられましたが。
それはともかく、ここでのお使いが終わった以上、長居をする必要は……。
「エリスさん……?」
「あら、あなた様は……」
急に名前を呼ばれたことでそちらへ目を向けると、そこには赤髪を短くまとめ、黒系統の統一された服を着こなす少年。ブラッドフォード家ご嫡男、ヴィクトルさま。
かの方がわたしに声をかけるなんて珍しい。
「あなたがここにいるなんて珍しいね」
「そうでしょうか?」
「うん、珍しいよ。それに、いまは魔法騎士学院に通ってるんでしょ?」
そうでしたね。わたしも学院へ通っている以上、ここにいるのはちょっとおかしい。という考えになるのは普通でしたね。
「それでアンナさ――、ううん。アンネローゼさまはお元気?」
お嬢さまのお名前を言い直すヴィクトルさま。まぁ、当然の話ですね。お嬢さまはブラッドフォード家の主家たるハミルトン家の令嬢にして、ジュリアン殿下の婚約者。
いくら幼い頃から知ってる、いわゆる幼馴染みといえる仲であっても、呼び捨てや愛称で呼んで良い御方じゃありません。……もっとも、お嬢さまご本人はきっと、気になされないでしょうけど。
それに、ヴィクトルさまにはルーシーさまという婚約者がいるのですから、なおさら他の女性と親しげにするものではありません。
「えぇ、お元気ですよ。今日もルーシーさまと楽しくお喋りされておりましたから」
「そっか、ルーシーと……。うん、良かった」
ルーシーさまのお名前が出て、柔らかく微笑むヴィクトルさま。しかし、どこか影がある笑顔のように思えました。わたしの気のせいでしょうか……?
……あるいは、お寂しいのかもしれません。ルーシーさまは学院に入学する前から東奔西走されておられました。なので婚約者としてともに過ごす時間など、捻出することなどできません。
言い方を変えれば、それだけセント・クレア家はルーシーさまを評価している、ということでもありますが。
「それでは、わたしはまだお仕事が残ってますので……」
「そうなんだ、じゃあね」
その言葉とともにわたしは転移魔法を起動します。そのまま意識も薄れていき――。
「行っちゃった、か……」
ぼくはヴィクトル。ヴィクトル・ブラッドフォード。ブラッドフォード伯爵家の嫡男だ。とはいえ、まだ魔法騎士学院は入学できる年齢じゃないから、半人前もいいところなんだけどね。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。エリスさんが羨ましいよ。彼女はあの人、アンナさんのすぐ側にずっと居られるんだから。
正直、ぼくのこの心は恋愛とかそんなんじゃなくて、憧れ、なんだと思う。
なにしろ、ぼくがアンナさんに会った頃には既に婚約者が、ジュリアン殿下が側に居た。……初恋と失恋、それを同時に経験した、とでも言うべきかな?
それでも、ふとした時、彼女の姿を追ってしまう。ダメだと、分かってるのに、ね。
「……運命って、残酷だよね」
なぜ、出会ったのがあの場面なんだろう。なぜ、もっと早く出会えなかったんだろう。
理不尽だ、と叫びたくなる時もある。
もう少し早ければ、と嘆きたくなる時もある。
「それもこれも、ブラッドフォード家の――ううん」
ぼくたちブラッドフォード伯爵家は、いわゆる影の伯爵家。ハミルトン公爵家の暗部として活躍してきた家柄だ。
そして、その暗部とは多岐にわたる。諜報、防諜はもちろん。流言、謀略、そして……暗殺。
そうやって国外、そして国内のハミルトン公爵家の邪魔になり得るものを始末してきた。
それ自体、悪いというつもりはないし、重要な仕事だと理解している。でも――。
理解と納得は別物。それに……。
「結局、日陰者。だなんて、思ってたのに……」
ぼくらの功績は表に出ない、出せない類いのものだ。なにしろ、下手に表へ出そうものならハミルトン公爵家の急所になりかねない。それも分かってる。
……でも、それでも許せなかった。
父上が、父祖がどれ程公爵家へ挺身してきたか。それに対して、どれだけ報われたのか。
――主家の、公爵家のため、我らはどれだけの血を流したのか。
悔しかった、悲しかった。そして、虚しかった。
これから、いずれぼくが家督を継いでも、きっと変わらない。影として、暗部として、日陰者として続いていくのだと――そう、思ってた。
――でも、違った。
「アンナさん、アンネローゼ・フォン・ハミルトン……」
その名を口ずさむだけで、とくん、と心臓が跳ねる。
彼女がかつて、ぼくにかけてくれた言葉を思い出す。
――暗部、日陰者のどこが悪い。
――俺は知っている、貴様らブラッドフォード家の献身を。
――ハミルトン公爵家は知っている、貴様らの挺身、忠義を。
――そして、貴様らの力。活躍は我が家、そして王国にかかせないものだ。
――口さがない者、頭が足りん者には好きに言わせるといい。だが、貴様らが、貴様ら自身を卑下することは許さん。
――なぜなら、貴様らの存在こそ、公爵家に、王国に必要不可欠なものなのだ。
「その言葉にぼくが、父上が、家中の者たちがどれ程救われたか……」
かつての言葉を思い出して、目頭が熱くなる。それだけじゃない。ブラッドフォード家が暗殺をしなくなったのも……。
――まかり間違っても、貴様らを暗殺、等ということで消耗させるのはあってはならない。
――貴様らの弱体化は、転じて公爵家の、王家の弱体化であると知れ。
「だからこそ、なんだろうね。アンナさんが三ツ者衆、なんて私兵を組織したのも」
アンナさんが独自の兵を持ちたい、というのも事実だと思う。でも、それ以上にブラッドフォード家が消耗するのを嫌ったのだと思う。
彼女にとって、公爵家にとってぼくたちの業はそれだけの価値があった。だから、少なくない私費を父上に渡し、技術の継承を依頼したのだと思う。それは少し、寂しく思うけど――。
「でも、それは。それだけブラッドフォード家を大切にしている、ということでもある」
そう考えると、嫌な気持ちにはならなかった。
それは父上も同じ。だからこそ、アンナさんのお願いを聞き入れたのだから。
だからこそ、アンナさん――。いえ、アンネローゼ・フォン・ハミルトン公爵令嬢。
「我が忠義、いつまでもあなたのもとに」
この命、尽き果てるまで。そのためにぼくは使おう。我が命を、我が家命を、我が業を。あのお方のためだけに。それこそが我が忠義なのだから。




