小悪魔令嬢、アンネローゼ・フォン・ハミルトン
唐突に現れたルーシーに驚かされましたが……。まぁ、それはそれとして彼女と会いたかったのもまた事実。なにせ、今後のことを考えると、どうしても彼女の助力が必要になります。
「まったく……。相変わらず、人を驚かせるのが好きなんですの?」
「…………ちがうよ?」
わざとらしく、これ見よがしに視線を外す時点で全然説得力が、まったくこれっぽっちもありません。なんというか、この娘。物静かではありますが、仲が良い相手には遠慮がない、それこそ本当に良い性格をしています。もっとも、そこが彼女の魅力なのですけど……。
「それにしても、悪い意味ではありませんがよく学院に通えましたね? 色々と大変でしょうに」
「……ぶいっ」
わたくしが心配するも、本人はどこ吹く風とばかりにVサインをします。いつの間に、そんなこと覚えたんでしょう?
実際、Vサインの意味が分かってないレアは首をかしげています。……かしげた拍子にサラサラとした髪が首筋に当たり、くすぐったいです。間違っても言うつもりはありませんが……。言ってしまうと、それこそ恥ずかしがって、レアは大変なことになりますし……。
「……これでもルーは優秀」
「いや、それはわたくしたちもよく存じてますが――」
わたくしに同意するよう、レアもこくこく、と頷いてます。いくら学生とはいえ……、いいえ、学生だからこそ彼女の仕事振りが理解できるというもの。
そもそも国内限定とはいえ、貴族相手に折衝できている時点で普通じゃありません。なんと言っても、貴族の子女はこの時期になると社交界デビューも珍しくありません。それゆえ、いやというほど理解させられるのです。貴族たちの政争が伏魔殿ということは。
普通の令嬢であれば壁の華、あるいは婚約者を飾る華としていれば問題ありません。しかしルーシーは、そんな伏魔殿で指し手をしているわけです。
ですので、陰で彼女のことを憧れている令嬢は少なからずいます。自身たちと同じ令嬢でありながら、当主や名代たちと渡り合える姿に自身を重ねて。
わたくしが存じている。と言ったのが嬉しかったのか、ルーシーは誇らしげに胸を張っています。まさしく鼻高々、というやつなのでしょう。心なしか鼻が伸びているようにも見えました。
その姿がおかしくて、くすり、と笑みがこぼれます。
それをバカにされたと感じたのか、ルーシーはムッとした顔をみせました。
「むぅ……。アンナさま、わらった」
「いえ、あの、ごめんなさい。可愛らしくて、つい――」
わたくしの素直な反応に毒気を抜かれた、あるいは事実だと感じたのでしょう。ルーシーは頬を赤く染め、にへらと笑いながらも、少し恥ずかしがっていました。
「……痛ぅ、ちょ、ちょっと、レア?」
急にぎゅう、と絡ませていた腕を締め上げてきました。少しの痛みと、柔らかい、それなりの大きさのものを押し付けられる気持ち良さに困惑します。
思わずレアの顔を覗くと、ぶすっ、と不機嫌になっていました。なぜに?
「ぶぅ、アンナさん、ルーちゃんに構いすぎ。もうちょっとボクも可愛がるべきだよ」
いや、可愛がるべき。なんて言われても……。
突然な要望にわたくしは困惑してしまいます。別にないがしろにしているわけではないのです。
とはいえ、そんな言葉が怒れるレアに届くわけありません。
……仕方ありませんわね。
「じゃあ、まずレア。腕を放してくださる?」
「えぇ……」
「それじゃあ、可愛がること出来ませんわ――」
ねぇ、と続く前に、ばっ、とわたくしから離れるレア。欲望に忠実か?
まったく、本当に仕方のない娘ですわね。
まっすぐレアに向き合うと、そこには目をキラキラさせ、鼻息荒くこちらを見つめていました。本当に、欲望に忠実だこと……。
それはともかく、彼女の欲望を満たすためにもわたくしは彼女へ近づきます。そして、ぎゅっ、と抱きしめると、頭を良い娘、良い娘と撫でました。
まさか、レアもここまでされると思ってなかったのでしょう。身体が緊張でピン、となっています。そして、なぜか幻視したふさふさした犬の尻尾もピン、と張りつめ、総毛立っていました。
ここで尻尾を触る仕草をしても面白そうでしたが、そうしてまかり間違ってお尻に当たると大変なことになりそうだったのでここは自重することに。
ただ、それじゃあこちらが面白くありません。先ほどの意趣返しもありますし、わたくしは耳元に近づくとぼそり、と囁きます。
「レア、あなたはあなたが考えている以上に可愛らしいのだから、あまり他の方にこんな姿、見せてはダメよ?」
「は、はひっ……」
囁かれたレアは緊張で身体を硬くしています。また、ぼっ、と身体が熱くなってるのが抱きついているわたくしにも分かりました。
本当、可愛らしい。もっと、いたずらしたくなってしまいました。
「とくに殿方はダメ。襲われて、押し倒されてしまうわ。……知ってる? あなたのこと、狙ってる殿方、結構多いのよ? もし、わたくしが殿方でも同じように狙って……。いえ、公爵家の権力を使って婚約者としたでしょう。あるいは――」
そこで、撫でていた手をうなじまで下げ、つぅ、と触るか触らないか、絶妙な距離で背中を伝い、お尻近くまで下げました。それこそ、そのまますぐに撫で回せる距離まで、です。
そこまで下げて、わたくしはさらに近づくと、彼女にしか聞こえないよう、小さくぼそぼそ、と呟きました。
「――あなたを自嶺まで拐って……。いえ、招待して、籠の鳥よろしく飼ってたかも知れませんわ。ねぇ……、レア・ジョーダン子爵令嬢?」
そこまで告げると、わたくしはレアに気付かれぬよう、流し目で見つめます。そこには瞳に涙が溜まり、はっ、はっ、と短く息をはき、淫蕩に歪ませたレアの顔。
身体自体もがくがく震え、きゅう、と抱きついてきます。そうしなければ、きっと立つことすら覚束ないのでしょう。足も小刻みにぶるぶる震えてますから、ね?
……ここで止めても良いのですが、画竜点睛を欠くというのも面白くありません。総仕上げ、と参りましょう。
わたくしはレアの頬に唇を近づけて――。
――ちゅぅ。
頬にキスを落とします。
ふふっ、レアは知らないと思いますが、わたくしの唇はまだお父様や他の家族はおろか、婚約者のジュリアン。ジュリ坊にすら許していないまっさらなもの。わたくしの初めてをあなたに捧げたんですから、誇って良いですわよ。
そこまでして、わたくしはレアからするり、と離れます。そして、くすくす笑いながら、ふたりへ告げます。
「さて、名残惜しいですし、できればもう少し堪能したかったですが、わたくしも用事があるのでそろそろ失礼しますわ。それと――」
そこで呆然とこちらを見ていたルーシーへ話しかける。
「あなたには少し頼み事があるので、後から部屋に来てくださいます? 寮長にはこちらから話を通しておきますわ」
突然のお願いにビックリしていたようですが、こくり、と頷いてくれました。これで、良し。ルーシーの件は後で良いでしょう。
「ではおふたりとも、ご機嫌よう――」
そこでわたくしは立ち去る振りをして、ことさら思い出したように、レアへ振り向きます。
「そうそう、レア。実はわたくし、キスというもの、今のが初めてでしたの。どうか、存分に堪能してくださいまし。それでは――」
少し恥じらう振りをして告げ、そのまま今度こそ立ち去ります。
後ろで、どしゃり、という音が聞こえました。力尽きたレアが倒れたのでしょう。
その音を聞いて、くふ、と笑いが漏れます。気付かれないよう、気を付けませんと。
本来なら、ここまでする必要なかったのですが。まぁ、好きな娘ほどイタズラしたくなる、というあれです。
そも、わたくしが転生する前。俺という男だった頃、一番のお気に入りは彼女、レア・ジョーダンだった。
彼女はアンネローゼの取り巻きながら、同時に主人公。クロエに攻略対象の情報をくれる、恋愛ゲームの親友枠だった。
そこでは彼女は天真爛漫で場を盛り上げるムードメーカーであると同時に、とあるルートでは……。
……いけません、過去の残滓が出てきてしまいました。それはともかく、早くここから去りましょう。
最後に見た光景。
レアの股から足につたう一筋の滴。武士の情け、ではありませんが、彼女の尊厳のため忘れてあげよう、と思いながら。
……立ち去るアンネローゼの背中を見て、力が抜けたレアはどしゃり、と倒れ込む。
「あ、はぁ……」
喘ぎ声が漏れてビックリしていた。自身の口からこんな艶やかな声が漏れたことに。
火照った身体に、ふわり、と冷たい空気が当たり心地よい。しかし――。
「うぅ……」
耳元で囁かれた数々の声。それを反芻して、また身体が燃え上がる。
「こんなの、反則だよぅ……」
思わず漏れ出す本音。今、思い出しただけでも背中がぞくぞくする。危なかった、これでお尻を触られようものなら……。
その、想像だけで燃え上がる。ぶわ、と全身から汗が出て気持ち悪い。とくに下の方は、汗以外にも……。
正直、バレなくて良かった。そんなことを思いながら、足に力を込め――。
「えっ……?」
――力が入らない。もしかして……。
そんなことを思うレア。そして……。
「ルーちゃん、助けてぇ……。腰、抜けちゃった」
ルーシーに助けを求めるレア。そこで、初めて彼女はルーシーが冷たい視線を向けていたことに気付く。
「ルー、ちゃん?」
「…………へんたい」
「うぐぅ……。ちょ、ちょっと。ルーちゃん、急になに――」
いきなりの言葉攻めに困惑したレア。
そんなレアを無視し、肩を貸し、助け起こしたルーシーではあるが、その時。さわ、と股を触り、ぬちゃりとした水気を掬う。
まさかの行動にぼっ、と顔どころか全身が真っ赤になるレア。そこに、ルーシーはとんでもない追撃をした。
「……アンナさま、気付いてた」
「えぅ……?! う、うそ……」
まさかの事態に動揺するレア。しかし――。
「ここで、嘘ついても仕方ない」
バッサリ、と切り捨てられる。思わず涙目になったレア。そんな彼女を見て、ルーシーは聞こえないよう、ひとりごちる。
「…………朴念仁」
「……えっ、ルーちゃん?」
「なんでもない」
ルーシー。ルーシー・セント・クレアは今でも国内の貴族と折衝する才媛だ。そんな彼女だからこそ、人を見る目は同年代の誰よりも優れている。
そんな彼女の人物眼が告げているのだ。誰でもない、アンネローゼ・フォン・ハミルトンは、レア・ジョーダンに友愛以上の感情を向けていた、と。
……ただ、それは一瞬だけだった。だから――。
「……見間違い? でも……」
良く、分からない。と結論付けた。そうだったのかもしれない、そうじゃなかったのかもしれない。そう思いながら。




