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8・『 これからどこへ行けば良いのでしょう? 』

8・『 これからどこへ行けば良いのでしょう? 』


「奴を捕まえろっ」

 叫ぶと同時、ナシードは自ら馬を走らせる。

「イルシオっ、何している、エアリアを捕まえろっ、阿呆が!」

 なぜ? なぜ今エアリアがここに? そう考える間もない。引きずられるように馬の腹を蹴る。ナシードは早くも丘陵の斜面を駆け下り、荷馬車に追いつく。

「その荷馬車、止まれ!」

 ぎょっと御者台にいた爺が顔を上げた。泡を喰ったように皺だらけの口を開け、馬に鞭を入れようとした時、

「逃がすかっ」

 ナシードは強引に荷馬車の前に出、二頭立ての馬は驚いて棹立った。御者はひゃっという間抜けな悲鳴を上げ、車輪はガタリと傾いて止まった。

「イルシオっ、荷台へ――! 奴を逃がすな、イルシオ!」

 だが返事が無い。

 瞬間、ナシードは最悪を予測し呪詛を吐く。彼の気質に躊躇は無い。歯の根を鳴らしている御者をたった一発の殴打で地面に落とすと、素早く泥土の上に飛び下りる。荷台に向かう。

「いるんだろうな、イルシオ! 貴様まさか逃げてなど――」

 イルシオはいた。彼は馬に乗ったまま、ぴくりとも動かないまま、食い入るように一点を捕えていた。

 エアリアだ。本当に。

 ただ一つのランタン光と共に、エアリアは荷台の最も奥に座っていた。老人のように深い灰色の長衣とフードにすっぽりと身を包んだまま独り、こちらを見ていた。相手は、小さく一礼を垂れてきた。静かな態で、話し掛けてきたのだ。

「不思議な御縁ですね。まさかこの様な所で貴方様と再会しようとは思いませんでした」

「――」

「ここで何をなさっているのですか? 貴方様の追放令はまだ解かれていなかったはずです。誰かに御姿を見られたら極めて危険ですよ? ナロドニア家のイルシオ殿」

 この状況にも、エアリアはあくまで落ち着いた、優雅ですらある口調だ。だがそんなこと、ナシードにとって知ったことか。

「俺だって思ったさ。まさかこんな所で貴様にまた会えたとはねっ」

 素早く荷台に乗りエアリアの前に達すると、まずは嬉々と挨拶の一発を見舞った。

 ゆっくりと、切れた唇を指先で押さえる。その血を確認してから初めて、エアリアは不思議そうに返した。

「失礼ながら、貴方はどなたです?」

「そうだな、貴様は知らないだろうよ。だがこれでも俺はアルグートの豪族の下っ端でね。何度かあそこの王城にも行っている。その時に貴様の下卑た面を見かけているぜ、情人のエアリア」

「アルグートの豪族ですか? その様な方がなぜ今ここに?」

「ほんとだな。全くなぜ今ここで会えたのか俺にも謎だ。天使は宙に舞い飛んでいるものなんだな。

本題だ。何だよ、その恰好は? 田舎の爺にでも変装しているつもりか? 護衛もつけずにたった一人で、こんな時間にこんな所で何をやってるんだ? どこかへの密使ってところか? 夜這いには見えないぜ」

「でも……待て。でもなぜ……、なぜ今、この場でエアリアを捕える必要が――」

 ようやくイルシオは初めて、間の抜けた小声を発したのだが、

「貴様も悪魔に蹴られろ、阿呆頭が。

 こいつなんだぞ、ターラ女王と手を組んで、先王が没して以来王城で好き勝手をやらかしてきた最悪の下種は。こいつを締め上げれば、何をしやがったのかが分かるんだよ。どうやってアルグートの宮廷を混乱に陥したのか、国政を乱したのか、一年前にルムとの無駄な戦闘に打って出て、挙句敗戦を招いたのか、その他何でもだ。

 エアリア、訊きたい事が山ほどある。さあ、アルグートへ帰るぞ。あっちでは貴様を恨んでる人間が幾らでもいる。皆が貴様の首をくくろうと狙っているしな」

 だが、エアリアはその言を無視し、イルシオの方を見据えた。

「貴方様はアルグートの側と手を組まれたのですか、イルシオ殿?」

「――」

「今アルグート宮廷は、こちらに逗留中の女王の意向を無視して再びの軍備中らしいと、噂を聞いています。これはつまり、貴方様がルムに背信し、アルグートの豪族達に情報を流して再戦を鼓舞されているという事ですか?」

 途端、イルシオは声を張り上げた。

「私は裏切り者では無い! 我が家を――父と妹を――ヴィアをあんな目に合わせた奴らに復讐したいだけだっ、だから私は違うっ」

「お気持ちは分かりますが、しかしながらやはり現実として、貴方様は祖国であるルムに背信なさっているのでは?」

「違う! 私は違う、黙れ、エアリア!」

 言われた通りに、エアリアは口を閉じる。それ以上は語らず、語らないことで一層に責める。

(イルシオ殿。貴方様のお怒りは充分に理解出来ます。貴方様と御一族の不運には、心より同情を致します。でも、やはり。それは、逆恨みというものでは有りませんか?)

 そう。同情と憐憫とをたっぷりと込めた視線をもって、自分を責める。

 それをナシードが救った。彼は生来の明快な行動力に訴え、早々にエアリアの頬に二発目を見舞った。

「とりあえず貴様の反吐の出るやり口を、俺達アルグートの者は忘れていないぜ。何でも今、ルムでも同じ様な事をやっているんだって? この分じゃルム王城もさぞ居心地が良いだろうが、悪いな、そことは永久にお別れだ」

 エアリアは反発しない。こちらを見るのみだ。

「ざまあ見ろ。貴様の星はもう闇だ」

 強い風音の中で、ナシードは勝利を宣したが。

“違う、ナシード”

 イルシオは直感のように覚える。

“そんなに簡単には、終わらない”

 そうだ。エアリアがそんなに簡単にこちらの手に落ちるはずがない。吸い付けられたように相手の顔を見ながら、この先を予測する。

 ……いきなり立ち上がり、身を翻して闇の中へ逃げ去るエアリア

 ……唐突に、突拍子も無い交渉話を持ち出すエアリア

 ……もしくは唐突、背後から隠密の兵が飛び出して来て自分に襲いかかるとか?

「分かりました。一緒に参りましょう」

 え?

「今、この状況では、私に選択の余地は有りません。御二人に従います。それを神が望まれているのであれば」

 いつも通りの落ち着きのままに言ったのだ。

「そいつは素晴らしい。イルシオ、奴の懐を調べろ。奴の神も御了承済だぞ」

 神が何だって? 神なんていないのに。

 うまく状況を理解出来ない。何かがおかしい。言われた通りにイルシオはエアリアへと近づく。何一つ抵抗しない相手の、灰色の分厚い外套の下に腕を伸ばす。その時、エアリアの僅かな声が囁いた。

「私はこれまで、貴方様と貴方様の一族と、そして両国の平和の為に尽力してきたつもりだったのですが。不思議です」

 何を? それは。つまり、

「私に、逃がせと……。命乞いを……?」

「いいえ。ただの事実を述べただけです。

それにしても神は、いつも私達の間に面白い状況をお与え下さいますね」

「……事実」

 事実は、何だ?

 事実は――。

 エアリアがルム王城の現状を詳細に喋れば、アルグートは有利になる。アルグートの軍備も早まる。ルムと再び交戦した時、勝利に近づく。ヴィアを断罪したサナタイを、ヴィアの心身を傷つけた双子に復讐できる確率も高まる。――はずだ。

 違うのか?

「――。何を――考えているんだ? エアリア?」

「何の事でしょうか。私は投降すると伝えましたよ。イルシオ殿」

「さてと。訊きたい事が幾らでもある。貴様がどれだけ強情なのかを試すのが楽しみだ、エアリア」

「喋ります。アルグートの豪族殿。私の身の安全を保証してくれるのであれば、何でも喋ります」

「それは笑うほど有難いな」

「この様な境遇に陥った以上、私にはもうターラ女王やサナタイ王への忠義よりも、己の身の方が大切です。卑怯と呼ばれても構いません。己が一番大切とは、人が生きる上に必須の事なのですから。私は貴方がたの利益に協力をします。

 御二方。それで宜しいですね」

 そうゆっくりと言い、笑みながら締めくくった。

 違う、だって。――まただ。

 追い詰められた立場のはずなのに、いつの間にか逆の立場にいる。捕囚なのにいつの間にかもう、同等の立場に立ってしまっている。

 何かが捻じれている。何か。何を考えているんだ、エアリア?

「で。私はこれからどこへ行けば良いのでしょう?」

 金切り声のような風音の中、エアリアは僅かに皮肉めいた口調で言う。応じられないイルシオとは対照的に、ナシードは完璧にすべき事を心得ていた。

「すぐにアルグートへ戻るぞ。俺が御者台に乗る。イルシオ、この野郎は縛って荷台に転がしておけ。さっき殴った御者の爺も連れていくから早く荷台に乗せろ」

 ナシードが荷台から飛び下り、イルシオも続き表へ出たと同時、猛烈な風にぶつかった。上衣が大きくあおられて、思わず身をねじり――

 その瞬間、人影を捕えた。

 西の丘陵、細い一本の線となって残る薄光の中、真っ黒い人影が小さく浮かび上がっていた。

「ナシード! 誰かが居るっ」

「何だとっ」

 途端、人影は動き出す。あっという間に丘陵の向こう側に走って逃げていく。すぐさまナシードは追いかけるべく馬に跨ろうとする。

「無理だっ、ナシード、もう追いつけない!」

「うるさいっ、やって見なければ分るか!」

「無理だ、もう消えてしまった――っ。すぐに去った方がいい、近くに仲間がいたらまずいっ」

 ナシードは猛烈な未練をみせるが、その意見を採って戻った。

「誰だったんだっ、何人連れだっ」

「一人の影を見た。でも、かなり前から見られていたと思う。あちらの丘陵だから、多分私達の天幕も見られている。すぐにもここを離れた方がいい。一人きりだったとは限らない」

「糞……っ。この辺はほとんど人けが無いはずなのに、何で今に限って!」

 舌打ちと同時、ナシードは即座に動く。泥の上で怯えている爺に命じて、御者台に戻らせる。

「イルシオ、貴様は荷台でエアリアを見張っていろ、行くぞっ」

 荷馬車は動き出した。ガタついた轍音は瞬く間に悲鳴じみた音に変じ、動揺するイルシオの心に拍車をかけた。

(どこまでを見られた? 自分の顔を見られたのか? 自分の顔を知っているのか? ナロドニア家のイルシオと気づかれてしまったのか?)

 狭い灌木の中の道を、荷馬車は大きく揺れながら走って行く。甲高い風音とがたつく轍音が響き渡る。

辺りは夜の闇に落ちていた。無為の一年の果て、時が大きく動き出した。


            ・         ・         ・


 夜の闇の中、ルム王城でも時は動き出した。

 ……

 北の丘陵地で劇的な光景を目撃してしまった者。

 それは、ファウロに出入りする薪業者だった。たまたま近郊のカル村を出るのが遅れ、日没の閉門にファウロの街に到着することが出来ずに、野宿の場所を探しているところだった。その中、全く偶然にもこの劇的な光景に遭遇してしまったのだ。

 イルシオにとって最悪な事に、薪屋はイルシオの顔もエアリアの顔もしっかりと認識していた。殊勝極まりなくもその足で街へ向かい、事情を話して市門を開けさせると、王城へ駆け込んでしまった。

 拉致されていくエアリアと、アルグート人らしい間者と、ナロドニア家の追放者と。それらの全てについて、ルム王とアルグート女王に報告してしまった。そして。

 サナタイは動揺した。

 ターラは激怒した。

 ――

「どうしよう、ターラ……」

「――。大丈夫です」

 大きな寝椅子の真ん中に身を置きながら、女王は艶然と微笑んだ。腹の中の煮えくり返る怒りと焦りと心配とを押し殺しながら、余裕を装った。横に座るサナタイの怯えた表情を見つめ、その腕を取ってゆったりと言った。

「大丈夫ですから。心配なさらないで」

広い室内に、灯火は一つのみだ。サナタイは今宵も常と変わらず未熟な、不健康な顔だ。享楽と驕慢に溺れ切った、青白い顔だ。

「でも……嫌だ……。今のままが良いのに……」

 この一年間、幸福だった。昼も夜もターラと肌を重ね合わせていた。わずらわしい政務はエアリアに委ね、全てが上手く行っていた。自分の前に何の不安も無く、ただ幸福を味わっていれば良かった。

 だから嫌だ。エアリアを拉致されたなんて。しかもアルグートがまた軍備を始め出したとの噂も聞き出したというのに。悦楽の日々を奪われるなんて嫌だ。

「嫌だ……。アルグートは本当にまた戦役を仕掛けてくるのか? だからこんな強引な拉致に出たのか? また戦なんて、そんなわずらわしい事は嫌だ……」

「大丈夫だと言いましたでしょう?」

「だってアルグートの間者もいたんだ。そいつがエアリアを拉致したんだぞ。ナロドニア家のイルシオも生きていたんだっ」

「例えアルグートが本気でルムに攻め込む気でいるとしても、今直ぐにどうなるというものでは有りませんわ。愛する貴方。

 忘れないで。アルグートの女王は私です。私ならば、本国の豪族達を諫めて戦いを阻止する事も出来ます。でもそれはまだ先の話。今はまだ大丈夫です」

「じゃあ今は、何をすればいいんだ?」

(エアリアの救出よ! 今直ぐの!)

 叫びたさを、歯ぎしりで抑える。

 最愛の男を奪い取られた。まして、過去から現在に至るまで自分へ反感を剥き出しているアルグートの者の手によって。

 せっかくこのルムで、万事が自分とエアリアの思い通りになっているのに、それを台無しにさせるか!

「愛する御方、心配なさらないで。策なら幾らでも作れます」

 ターラの笑みは息を飲むほど美しく、怪しかった。白く細く長い腕が、サナタイの首に蛇のように巻き付いていった。

「策なら、あります。大丈夫ですわ」

 奇妙な抱擁だ。

 一体どちらがどちらに耽溺しているのか。

 どちらがどちらに画策し、どちらがどちらを支配しているのか。

「私たちはずっと勝利者でいましょう」

 不穏を表すように、隙間風に灯火が大きく揺れた。王と女王は熱く長い接吻を交わした。

 長い夜に、闇の女神が動き出した。



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