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3・『 どうして一人の捕囚が? 』

3・『 どうして一人の捕囚が? 』


 午後の陽が射し込む広間が、静まり返っている。

 ナロドニアの望み通り、サナタイは高貴な捕囚達を呼び出させる。猫じみた笑みを浮かべて待ちながら、壇下に集まっているナロドニア家の面々を見ている。

 当惑顔となって父親に何やら訴え続ける、今日の主役のはずのイルシオ。

 その弁を完全に無視し、異様なまでに峻厳な顔を貫くティタン。

 気の毒なのはヴィアだ。可哀想に狼狽して「何とかして」と横に立つ家令のマキスに頼んでいるが、勿論家令には当主に意見する権限は無い。ただ固い顔で展開を見据えるしか出来ない。

 午後の陽射しが傾き出し、室内が少しずつ冷えてゆく。大広間の扉は大きく開けられている。その向こうでは下り階段が冷え冷えと口を開いている。

 やがて、カタカタと武具の鳴る音、そして数人の足音が、階段の下から響いてきた。室内の目全てが、そちらに注視する。現れるのを待ち構える。

 現れた。

 大きく波打つ赤味がかった髪が、豊かに結い上げられている。全身が黒の長衣。胸元を飾る複雑な装飾文様のメダルと、腰に巻かれた刺繍の幅広帯。全てアルグート風だ。その様な装いで女王・ターラは広間に現れた。

 美女だ。誰もが思う。いいや。

 美女などという月並の言葉では足りない。誰もが『これ程の美貌はかつて見たことが無い』と確実に言い切れる美女だ。先代のアルグート王が、臣下達の猛反対を押し切ってまで後妻に娶り、挙句、己の後継者に据えてしまったという経緯も納得しえる、それ程に圧巻な美女だ。

 その後ろには、気持ち悪いほど同じ姿の二人の少年――双子の王子達が続いている。更に後ろには、なぜか例の黒い肌の美しい男・エアリアがいる。しかもなぜか丸々と太った乳飲み子を腕に抱いている。

 五人の捕囚達は、静まり返った堂内に入って来た。

「初めまして。美しいアルグートの女王」

 面白がる笑とともに、まずサナタイが発した。

「貴方だけは、この場に呼ばれた理由について、すでに聞き及んでいるようですね」

 かすかに震える声が応える。

「……。すでに聞いています」

「声も麗しい。正に女王に相応しい方だ。

 ターラ女王。ここに我が最上の忠臣、ルムの誇りである豪族・ナロドニアがいる。彼は、非業の死を遂げた嫡子の魂の為に、貴女に対して血の供儀を執る権利があると主張しているのだが。

 如何思われるかな? 貴女の言い分は?」

 呼吸七回分の重い沈黙が場を支配した。その間、固く強張った女王の美貌が衆目に晒され続け、そして――、

 突然、ターラの身が崩れた。冷たいタイル床に両腕を突いた。

「ルム王の御慈悲におすがりします! お願い申し上げます! 私の息子達はまだ年若く、この戦にも参じていません。なぜそのような子供が責任を負わねばならないのでしょうか? どうぞお許し下さいっ」

「なるほど」

「加えて、私は貴方様の望まれるままに降伏をしました。屈辱を覚悟しながら服従を選びました。

ナロドニア家のイルシオっ、貴方が一番よく知っているでしょう? 私の軍にはまだ応戦の力があったものを、でも敢えて降伏を選択しました。互いがさらなる血を流し合う道を避け、私は敗北を選んだのです。敢えて流血を止めたのです、だからお願いです、貴方がナロドニアを説得して……っ。

 慈悲深きサナタイ王、貴方様のお力でお願い申し上げます、どうぞ息子達の命を奪うのだけは――」

「なるほどね。確かに女王の言い分には理が有る。

 ナロドニア。どうだ? これを聞いて考えを変える気はあるか?」

 しかし。

「――」

 ナロドニアは全くの無言だった。女王を貫く峻烈な拒絶の眼、それが回答だ。ターラは引きつる。

「ルムのナロドニアっ、身代金を支払います! 身代金なら……っ、だから慈悲を示して!」

「女王。我が息子もおそらく最期に同じように慈悲を乞うたはずだ。だが貴方の兵は、息子の全身を剣で貫いた」

「そんな事を今、言わないで! だって戦役で……。止めて――貴方の神の慈悲……お願い、何か慈悲の言葉を言って……!」

「いいえ。私は、これ以上貴方の弁に耳を傾ける事を、拒否する」

「女王。残念ながらナロドニアの意志は硬い様子だ。彼の一族は、代々にわたり我がルム王家を支えて来た大権門だ。私もその要望を無碍に下げることは出来ない」

「そんな! ルム王陛下っ」

「貴女は確か、三人の子息をお持ちでしたね」

 ここで全員の注視は、並んだ瓜二つの十四~五歳ほどの少年二人、そして黒い肌の男の腕で眠る赤子へ移った。

 双子は今、初めて、自分達の命運を知ったらしい。同じ顔が全く同じ表情、愕然の恐怖に捕らえられていた。真っ黒の目がぎりぎりまで剥かれていた。

「ナロドニア。貴様は息子の魂の為に、どの王子の血を望む?」

「はい。私は、家門を継承すべき最も重要である嫡子を失いました。ですから同様に、アルグートの女王の長子の命を望みます」

「俺は嫌だ!」

 双子の一人が絶叫する。犬のように歯を剥き出し、素早く右手で片割れの兄弟を指差した。

「俺達は双子だ! 長子も次子もあるかっ。なんで俺だけが殺されるんだよっ、ディルには何も無いのか!」

「止めろよ、見苦しいぞ、ラバスト」

 双子の弟が口を引き上げた。

「お前が嫡子なんだよ。だから今まで俺よりいい思いをして来たんだろう? こんな時だけ逃げるなよ」

「黙れっ、たまたま俺の方が先に母親の腹から出ただけじゃないかっ。お前の方が腹の奥にいたんだから、先に種付けられた長男はお前だっ」

「阿呆な屁理屈だな」

「黙れ! 違う! 嫌だ! お前が殺されろっ、そうだ、俺が貴様を殺してやるっ、俺の代わりの供儀となって貴様が死ねっ、今すぐこの場で!」

「それは俺の台詞だ、死ぬのは貴様だっ」

 最悪の応酬そして双子の本気の殺気に、まさか本気で殺し合う気なのか? と、周囲が啞然とした時だ。

「まあ、王子達。御二方とも」

 穏やかな声が広間に響いた。

 と同時、ふっと何か変わった。

 不思議だ。場の空気の感触が変わったのだ。エアリアだ。女王一族のみが呼ばれたのに、どうしてこの男も同行しているのかという疑問は、気づくと誰もが忘れていた。

 すやすや眠る赤子を抱いたまま、エアリアはまずは伏したままの女王の手を取り、優雅に床から助けて立ち上がらせた。続き、あらためてサナタイ王に、さらにナロドニアに礼を示し、それからゆっくりと喋り始めた。

「初めてお目通りが叶いましたことに感謝をいたします。ルムの国王陛下。そして高名なナロドニア卿。私はアルグート国において女王の相談役を務めるエアリアと申します。

 まずは、過日の戦役にてアルグート国の降伏を受諾下さった事に、心より感謝を致します。捕虜である我が国の女王陛下や王子殿下達の御身柄を、この様に丁重に扱って頂ける事も同様に。

 しかしながら、これ程に御寛容な御両名様におきまして、血の供儀による処刑をお望みになられるとは、畏れながら驚きを覚えました。これは女王に対して、余りにも過酷な御要求なのではと……」

「これを過酷と呼ぶのか?」

 峻厳の眼が睨む。エアリアは慎ましやかにもう一度敬意を表した。

「ナロドニア殿の気高い御矜持ならば、心より畏れ多く覚えます。しかしながら、ルム王陛下。これはあまりにも悲劇的な状況です。まさか母親たられる御方に、己の御子のどなたか御一人を血の供儀の為にお選び頂くなどと……」

と言いながら、エアリアの視線はゆっくりと動く。視線はイルシオに向けられた。

 ふっと、その時初めてイルシオは気づいた。思った。

(変だ)

 だって、この男。どうして?

(どうして捕囚が、この場を仕切っているんだ?)

 いつの間にかそれを皆が、自然の如く認めているなんて。

 それに、この眼だ。現状を無視し、いとも簡単に優位に立つ眼ときたら、

「今回の戦役の武功者であるイルシオ殿。貴方様にこの場での決定を下して頂くのが、一番妥当だと私は思っております」

(一体この男、何者なんだ?)

「え?」

 いや。今、何て言った?

「高潔であられた御兄上の鎮魂の為に、貴方様が選んだ王子をナロドニア殿に差し出すことにしましょう。どうぞ御裁定下さい」

 何て言った!

 イルシオに一斉の視線が集まっている。サナタイも。ターラも。勿論父親も。なんでこんな忌まわしい裁定を自分が!

「待って下さい――、いえ……いいえ、

 私の意見を述べます。私はやはり、この様な形での処刑の即決は回避されるべきではないと思います」

「イルシオ。黙れ」

「父上、お願いします。アルグートの王子の血を欲するのならば、公での裁きにおいて求めるべきです。 この様な前例を作ってしまえば、今後も戦役の度に私的な怨讐――」

「見苦しいぞ。己の小心を衆前に晒すな。それでもナロドニアの血か。悶死した兄を忘れたのか」

「しかし――」

「命ずる。イルシオ。選べ」

「……」

「選べと命じた!」

 ターラ女王が歯を鳴らさんばかりの壮絶な眼で自分を見ている。

 横に立つ双子は、どちらも興奮を剥いて睨んでくる。エアリアだけが不思議な優美の態で自分を見ている。

 勿論、父親こそが、自分を真っ向から見ている。

 その要求が理解出来ない訳では無い。確かに自分達は尊厳を誇る豪族ナロドニア家の者で、一族の非業の死をそのままにしておくのには躊躇を覚える。でも、やっと平和が訪れた今、それでもまだ血を流させるのか? おぞましい遺恨まで残して?

(どうすれば良い……。どうすれば……最良の道が……)

 双子が生存の欲求を剥き出し、獣の様に見ている。父も、王も、女王も、列席者達も、誰もが自分を見ている。ならば自分を見ていないのは?

「ならば……、ならば……そちらの、赤子の王子を」

 途端、双子が叫んだ。

「よしっ、決まった! もう誰も覆すなよっ」

「そうだ、最初からそうすれば良かったんだっ、あのガキが一番合ってるぜ」

 この平然と身勝手をさらす双子!

 思わず睨んでしまう。が、床に崩れて泣き出した女王の方が、よほど目を離せなかった。

「そんなの止めてっ、赤子なのよ!」

「……女王陛下。幼い王子は、よくお眠りのようです。今でしたら、何の恐怖も苦痛も無く、そのまま天上の神の御許へ……ですから……」

「駄目、この子こそが一番無垢で、何の罪も……罪の一片もないのに――。この子は唯一、先代のアルグート王の血を継ぐ子で……なのに生まれる前に父親を亡くして顔を知らないで、そんな不幸な子で……なのになぜ、さらに……こんな……」

「……。お気の毒です。女王陛下」

「お願い、お願いだから止めて……」

 泣き伏し、美貌を上げる力も失った。静寂になった室内に、嗚咽だけが響いた。

 と。サナタイが王座から立ち上がる。

「いかに定めとはいえ、お気の毒に。ターラ女王」

 薄い笑みをたたえたまま、女王に近づいてゆく。

「貴女にこれ以上の哀しみを与えることには、地獄の魔物も二の足を踏むことでしょう。貴女ほど美しく高貴な方にこれ程の涙を流させてしまうとは、ルム王たる私としても大いに不本意で胸が痛みます」

 豪奢な長衣の裾を踏み、サナタイは自ら身を屈め、相手の崩れ落ちた半身に手をかけた。起こし、――女王を抱きしめたのだ。

 しんと、誰もが息を飲む。何を考えているんだ、新王は。

 ターラは青ざめた、それゆえにゾクリと際立った美貌を上げた。微かに唇を動かし、かすれた小声で漏らした。

「もう……私が頼れるのは、貴方様だけです……。ルム王陛下」

「そうしなさい。私もまた貴女を救いたい。

 辛い運命は、これで終わりとしましょう。貴女の言う通りだ。貴女が私の降伏勧告を受け入れてくれた御陰で今、皆が平和の時を迎える事が出来た。貴女方は皆、私の客人だ。このファウロの街でゆったりと日々を過ごされるのが良い」

「それはつまり……お優しい陛下、私どもへの処罰は無いということでしょうか?」

「勿論です」

 途端、静寂を破り、ナロドニアが語調を荒げて発した。

「どういう事でしょう、王! 長いルムの歴史において、敗戦の捕虜が何の論拠もなく咎を許されたなど、前例が有りませんっ」

「口を慎め。ナロドニア」

「いいえ、黙りません! しかも捕虜が客人待遇とはどういう事ですか? そのような独断にはルムの豪族一同、到底納得出来かねます。いえ、仮に他の全ての豪族面々が納得しようとも、私個人は決して納得しえません!

 王っ。血の供儀の執行を御許可下さい。ナロドニア家はこの戦いで嫡子を失いました。下手をすれば次子であるイルシオすらも失いかねない事態であったものを、我がナロドニア家はルム王家への忠勤を貫きその勝利の為にと貢献してきたものを。さらにそれ以前にもナロドニア家は如何なる時も愛国心をもって王国へ貢献――」

「“ナロドニア家、ナロドニア家”ばかりだ。お前の頭の中はいつでも自分の家の事だけで精一杯なんだな、ナロドニア」

「その様な事を今、私――」

「だから血の供儀などを持ち出すという事か、貴様は。

 詰まるところ貴様は、自家の誇りの為ならば、無垢の赤子を殺してその高貴な母を張り裂けんばかりに悲しませることなど、塵ほどにしか思わないのだろう? 何をおいてもナロドニア家という事なのだろう? ならばおそらくはこの私や私の王国を差し置いても“ナロドニア家”という事か? そうだろう、ナロドニア?」

「いえっ、父は――。サナタイ王陛下、父が奏上した言葉は決してその様な意図――」

「貴様は黙っていろっ、イルシオ!

 王。まさかお忘れではないかと信じております。貴方様がルムの王位に就くにあたっては、豪族面々より多数の反対が挙がりました。それでも貴方様をして玉座に登るべく豪族達に支持を訴えたのは、この私です」

「うるさいぞ」

「まさかお忘れになったとは仰りますまい。そう固く信じております、サナタイ王陛下。貴方様を後援したのがこの私であると、まさかお忘れではあるまいっ」

「うるさいと言ったぞ。それに――」

 敢えて口を閉じ、充分の間を取った。たっぷりの軽蔑を含ませながら、サナタイは言い切った。

「何の事を言っているんだ? 私にはさっぱり解らない」

 この瞬間、この場の列席者の誰もが確信するところになった。

“新王は、ナロドニア家を排斥する気だ”

 これから起こるだろう暗雲を予感した。

“ルム最大の、最高の権力を誇るナロドニア家を排除する方へと出たのだ、この恐ろしく強気の新王は”

 広間の真ん中、ティタン・ナロドニアの全身が硬直してしまっている。それをサナタイは見捨て、もう見る事も無い。女王の手を取って立ち上がらせ、柔らかに告げる。

「さあ。西の中庭に祝勝の宴席を設けています。貴女には是非とも出席して欲しい。ルムとアルグートの両国に平和の時が来たことを、共に祝いましょう」

「……王。私の話はまだ終わっていない。お聞き頂きたい」

「まだ言い足りないのか。貴様の高慢には神も不興を覚えられると自覚が無いのか?

その態度を反省し、私と神とに傲慢を詫びるまでは、貴様と話す気は無い。もちろん赤子の王子に血の供儀など執行させない。

 さあ、女王。貴女の愛らしい王子の件ならば、何も心配も要らない。安心して全てを私に任せなさい。さあ、早く宴席へいきましょう。貴女には是非、私の隣の席に掛けて欲しい」

「……待って下さい。……貴方の隣の席には私の娘を座らせると、つい先程貴方はそう仰ったはずだ」

「そうだったな。ならばお前の娘には、ターラ女王の隣の席をやろう。それで満足だろう?

 皆も中庭に移ろう。アルグートの貴紳達も呼べ。さあ、平和の到来を皆で祝うぞっ」

 ルム新王は女王の手を取ると、歩を進め出してしまった。

(これは、おかしいっ)

 真横で全て見ていたイルシオもまた、なぜこのような顛末になるのかが、全く分からない。ここまで自分の一族が蔑ろにされる理屈が、全く理解出来ない。

(いくら何でもおかしいっ、おかしずぎる!)

 思わず、退出してゆくサナタイ王の後ろ背を追いかる。その肩を――王の緋色のローブを掴もうと腕を伸ばす。

 だが、腕は遮られた。

 黒い手が、自分の手首を握っていた。びっくりして振り向いたイルシオの視界には、エアリアの柔らかく穏やかな笑顔があった。

「お止め下さい。今は」

 今は?

「まだまだ動きますから」

 何が? 

 簡潔な、しかし酷く意味深長な言葉だった。エアリアは静かに微笑んでいた。


          ・           ・           ・ 


 一日はまだ終わらない。夜の時間は遅々としか進まない。

 ……

 ファウロの王城ではようやく、ルム王主催の祝勝の宴が終わったところだった。眩い篝火と酒の匂いと大騒ぎの嬌声は消え、途端、打って変わった静寂が覆っていた。

 その頃。王城の最上階の、その一番隅の一室では。

 一人は、木製の卓に突っ伏し、死んだように動かなくなっていた。

 もう一人は、長椅子にだらりと身を預けたまま、まだ酒の杯を握っていた。

 そしてエアリアの黒い眼が、この双子を静かな微笑みをもって見つめていた。

 開け放した窓からは、冷えた風が流れてくる。たった一つだけの灯が揺れ、エアリアの端正な横顔を、光と影に縁どっている。

 その手が、蝋燭を引き寄せた。囁くように柔らかに告げた。

「お二人とも、そろそろ寝台に入られた方がよろしいのでは?」

 途端、長椅子の上からはね起きる。双子の弟・ディルが大声で笑い出した。

「寝台! 寝台だぜ、羽根布団か? 毛織か? 真っ当な寝台があるって事は、俺達は捕虜じゃなく客人って訳かっ。運命の女神が!」

「女神もおそらくこの時間には眠っていらっしゃいますよ」

「違うぜ! 女神はあの女さ。俺達を産んだあの腹、麗しのターラだ。あの色香には俺の金を全部やるぜ――いやっ、俺の命も差し出すぜ、俺を産んだあの体になっ。ターラはどこだよ、エアリア!」

「女王は今、ルム王の私室におられます」

 途端、甲高く笑い出した。

 その声に、死んだ様に動かなかった兄・ラバストが長い呻き声を上げる。身を起こしかけ、やはりまた眠ってゆく。

「おい、エアリア、いいのかよっ。愛人を寝取られたぜ。いいのかよ。おい、すかすなよ、この薄汚い黒い悪魔がっ」

「ディル王子。私は女王の相談役ですよ。恋人などとは滅相も有りません」

 揺れる光の中で、静かな笑みもまた揺らめいている。下卑た笑いと喚きを続けるディルは勿論、知らない。その夜、月が出る前にこの男と母親との間にどんな会話が交わされたのかについて、知るはずも無い。

『これでいいのね、エアリア。でも最初からこんなに簡単に事が進むなんて、あの阿呆な王のせい? ナドロニアの下らない執念にも笑ったわ。血の供儀を持ち出すなんて本当に悪魔に魅入られた愚かさだこと。本当に運命の女神ときたら!

 ……愛しているわ、エアリア。なんて冷やかで、頭が良いの? そして美しいの?

 お願いだから私から離れて行かないで。大丈夫、あの馬鹿なガキの王なら、今夜の内に私から離れられなくしてしまうから。全て貴方の計画の通りに行くから――。

 貴方に従うから、貴方から離れないから、だから貴方も私から決して離れないで。お願いよ。絶対よ。お願い、エアリア』

 すっとエアリアは立ち上がった。

 冷えた夜風を受けながら滑るように木卓の横まで達した。小声で語りかけた。

「ラバスト王子。起きて下さい」

「無理だぜ! 奴は飲みまくってたぜ、ルムの女はどれもアルグートとは比べられない美人だらけだって喚きながらっ。もっとも貴様には、俺達の母親以外はどれもただの豚か?」

「ですから、私はただの相談役ですよ。

 ラバスト王子。さあ起きて下さい。そうすれば、貴方に御褒美を差し上げられます。貴方が大好きなものですよ」

 丸切り、獲物の臭いを嗅ぎ付けた犬だ。ぐったりと寝ていたのが急に身を起こし、相手を見据える。

「褒美って何の事だよ」

「ご興味が有りますか?」

「だから、何だよ」

「そういえば、今宵の宴会の続きとして、明日は大々的な狩りを催すとルム王陛下が仰っていましたね。見て下さい。美しい月が出ています。明日も上々の天気になりますよ」

「――。何なんだよ、早く言えよ、エアリア」

 酔っぱらった口許が、大きく引き上がった。犬の様に敏感な臭覚で、双子は揃って目を輝かせて笑った。

 冷えた月の舞う夜更けだ。王城の全体に、物音は無かった。



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