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2・『 血の供儀を望むのか? 』

2・『 血の供儀を望むのか? 』


 世界はまだ若く、瑞々しかった。

 ルムという簡素な名を持つその国もまた、幼い世界の小さな存在だった。

 ルム。

 明るい陽射し。麦畑と森林。どこまでも連なる丘陵。

 無数に並ぶ小さな国々の中でも、ルムが神の恩寵を受けているとは、ほぼ間違い無かった。それは決して、肥沃な土地味や豊富な水脈ばかりを指している訳ではない。それらにも増しルムには、誰もが納得する大きな恵みがあった。

 ルムは、王権が安定していた。

 ルムには豪族達の支持を得た、強い王がいた。強い王と、王都ファウロに住む忠実な豪族達が、国を安定させていた。他の国では有りがちな愚かな政争・策謀・謀反とは無縁で、だから周辺の国々との日常的な争いにも、常に優位を保つことが出来た。

 だが、そのルムをしても、時に危機は訪れる。――例えば、この半年。

 家臣から厚い信頼を寄せられていたルム王が、病で急逝してしまった。珍しくも新王の選出に豪族達の意見が割れ、激しく紛糾してしまった。

 そしてこの隙を突いてきた。長年にわたり北の国境線を巡って衝突してきた“蛮族”アルグート国の軍勢が、侵攻して来たのだ。

 勿論ルム側もすかさずに応戦に出たものの、その展開もまた、いつもの単純な戦役から異なってしまった。珍しくも戦闘は混み入り、長引き、両軍に多くの犠牲者を出してしまった。

 その間にもファウロの王城内では、いよいよ激しく、次王の選出の紛糾が長引いてしまっていた。……


              ・       ・       ・


 広い王城の中庭を、ルム国一の豪族であるナロドニア家の新嫡子・イルシオと、ナロドニア家の有能極まる家令・マキスが並んで歩いていた。

 先日に王座に就いたばかりの新ルム王が主催する、祝勝典礼が始まる直前だった。これに出席するために、イルシオはたった今、青色の豪奢な晴れ着へ着替え、王と豪族達の待つ大広間へ向かうところだった。

「そこまで紛糾したんだ。父王の座を息子の王子が継ぐという真っ当な論理を、他の豪族達がそんなに認めなかったとはね」

 イルシオは早口だ。速い歩調も緩まない。何度となく寄って来ては“皆様が待ちかねています、お急ぎ下さい”と告げる王城の人々には、もううんざりしていた。

「あの王子がそこまで嫌われていたとは、知らなかった」

「ええ。サナタイ王子の御気性は、以前より一部の豪族達から露骨な不評の的になっていました」

 質の良い濃紺の長衣姿のマキスが、左側から答える。二人は中庭を横切り、城の南棟に入る。右に曲がり、石造りの大階段を登り始める。

「批判の言葉をそのまま用いれば、あの王子はかなり傲慢で、独善的で、享楽的で、しかも相当に気分屋の質の御様子です。妙に貪欲だったり、逆に大仰なほどに寛容を見せつけたり……。御存知なかったのですか?」

「知らなかった。私はほとんど王城に出仕していなかったから」

「ですからサナタイ王子は今回の王位継承に当たり、必死にナロドニア殿に泣きついて支援を求めてきた訳です」

「で、父上はサナタイ王子を強く推し、皆を説得した訳だ」

「はい。“長子がその父を継ぐのは正道”と言われて」

「父上らしいな。いつでも必ず理を優先させる。何より正論を尊ぶあの人らしい」

「確かにその通りです。でも理由はそれだけだと思いますか?」

「え?」

 上階にたどり着くまであと数段という所でイルシオの足は止まり、振り向いた。マキスの知的な顔が、意味有り気にこちらを見ていた。

「どうやら今回の即位にあたり、殿はナロドニア家にとって素晴らしく有利な条件を新王から引き出したようですよ」

「条件って何だ?」

「それは私も知りません」

 嘘だ。知っている。ナロドニア家に関わる重要事項をマキスが知らないはずはない。まだ自分には隠していたいという事か。

「でもイルシオ、ナロドニア家がサナタイ王から何かしらの恩恵を受けたとしても、それは当然ではないですか?」

「言い切るんだな」

「だってそうでは有りませんか。

 ナロドニア家は、王国軍を総将に任命された貴方の兄上・ムリオ様を戦死で失うという、最悪の憂き目に遭いました。さらにその後任として唐突に、若く経験の浅い貴方を指名されてしまいました。もしも貴方まで戦場で落命という事態に陥ってしまったならば、ナロドニア家はどうなってしまう事か。

 それでも殿は、王城からの要請に従いました。その上でようやく戦役に勝利し、同時に王権も安定させる事が出来たのですから。新王はもはや、ナロドニア家への恩を忘れられる立場にはありませんよ」

「……。そうか」

「本当にナロドニア家にとっても、危機と不穏に覆われた時期でした。しかしようやく暗雲は消えた。殿が望んだ通り、貴方は見事な勝利と共に無事に帰還した。ルムにおいて王家に次ぐ名家であるナロドニア家は、今後も一層の名声と権威――

 イルシオ。続きは後で。ほら、また督促が来た。さあ。このまま広間に入って下さい。神の栄光の許に祝福を」

 最後の数段を促した。イルシオは頷く。突き当り、城内で最も大きな広間へと連なる扉に達すると、扉は待ち構えていた従者の手によって勢いよく引き開けられた。

 ――

 眩しく目を貫く真昼の光。そして一斉にこちらを振り向いた、無数の目。

 と同時、歓声が沸き上がった。

「ナロドニア家のイルシオ!」

 格子天井を持つ王城の大広間は、着飾った豪族達によって埋め尽くされていた。その全員が、心よりの拍手と歓声をもってイルシオを迎え入れたのだ。

「ナロドニア家の栄光、イルシオ!」

「ルムの勝利者、イルシオ!」

 その中を、眩しそうな眼で入室しする。四方からの賛辞に誇りと恥ずかしさの両方を覚えるのだろうか。澄んだ青色の晴れ着をまとい進んで来るその姿は、如何にも初々しかった。若い勝利者に相応しい、清々しさを帯びていた。

 そのまま薄色の床石の上を、広間の半ばまで歩んだ時だ。

「イルシオ」

 前方の左手、自分を真っ直ぐに見ていた。その瞬間、はっと鼓動が高まった。

「ただいま戻りました。父上」

 ルムの豪族達の中でも最も権威を持つ者、そしていまや新ルム王に対して多大な影響力を持つ者であるナロドニア家の家長ティタン・ナロドニアが、常通りの峻厳な姿で立っていた。

「よく、帰って来たな」

「はい。無事に戻りました。父上に約束をした通り、勝利を収めて戻りました」

「そうだな。こうなる事を信じていた。お前は我家が保つべき栄誉を、保った。賞賛を受け取るに値する。見事だ。……だが……」

 銀色の髭を持つ口許が、言葉を止めた。

 解っている。父親の言いたい事。――失われた兄だ。

 戦場での死という悲報がもたらされた時、誇り高い父が人目も憚らずに慟哭した。怒り、嘆き、号泣をした鮮烈な姿を、イルシオの脳裏は忘れることが出来なかった。

「申し訳ありませんが、イルシオ殿、そのまま奥へお進みください。さあ」

 王城の儀典官が告げる。指差した先・部屋の最奥は、一段分だけ高い場が設えられていた。そこには今、ルム王国の支配者が座すべき王座が麗然と置かれ――

(王座? そんな物がこの城にあったか?)

 記憶違いでは無い。かつて数回王城を訪れた時、先代ルム王はいつも臣下の豪族達と同じ床面に立ち、同じ卓を囲んでいた。ではつまり玉座は、新王が作らせたのか?

(で、王は?)

とイルシオが侍従に訊ねようとした時だ。

 唐突に、甲高い金属音が響いた。

 大仰なラッパの音に、列席者達もざわめく。全ての目が奥にある扉に注目する。一体何が始まるんだ? こんな事初めてだぞ、と戸惑いを覚える。

(そういえば新王とは、かつて一度も言葉を交わしたことが無かったな。行事の時に時折、姿を見かけただけだ。いつも、あまり人好きのしない雰囲気だった。瘦せ型で、華奢で、どちらかというと冷質で神経質な顔立ちの)

 その顔が、目の前に現れた。

 ――

 ルムの新王・サナタイ。

 見た瞬間、真っ先に覚えたのは、『子供っぽいな』という印象だった。確か自分と同い年のはずだが、その年齢より遥かに若く見えた。そして陰湿そうに見えた。

 なぜだろう? 何とも派手な真紅のローブを纏って、堂々と王座に腰掛たというのに。 あの目付きのせいか? やけに用心深そうで、我ながら言葉が悪いと思うが、『地を這う物』の様に人好きのしない視線のせいか?

 そのルム王の眼が、まずは室内を一瞥した。宗主の余裕を示すべく大きく微笑み、それから発した。

「諸候よ。我がルムの戦勝の祝賀に、よくぞ登城してくれた。我が軍を指揮した勇猛な総大将も現れたようだな。

 ナロドニア家のイルシオ。壇上に登ることを許可する。ここに控えるがいい」

(“許可する、控えるがいい”!)

 何て時代がかった大上段からの言い回しだ。しかも大仰そのものの儀礼をこちらに取らせるのか? 

そう思いながら、言われた通りに進み出てゆく。膝を落とす。

「よくやった。今回の対アルグート国戦役に、見事な勝利を収めてくれた。私と私の軍勢にとって大いなる名誉だ。讃えるぞ」

「――。いいえ。勿体無い御言葉です。私が行ったのはただ、当初より参戦していた諸卿の意見を受け入れて、王軍を一つに纏めた事のみです。

 今回の勝利は、王軍が誇る有能な諸卿に力量があった故です。私の様な若輩者が急遽総大将に任ぜられるという事態においても、彼らが纏りを欠くことなく、一丸となって愛国心を発揮してくれたからこその勝利です」

「良い謙虚さだ。今後も私と私の王国の為に尽力をしてくれ。

 では、その武功に相応しい報奨を賜ろう。私のメダルを下賜する」

 サナタイは自分の胸元にかけていた緑石のメダルを外す。自ら進み出ると、たっぷりと間をもたせ、散々に衆目を引き寄せた上で身をかがめるイルシオの首へとメダルを掛けたのだ。

(どこまで芝居がかっているんだ、言葉も、動作も)

 礼を保ちながらそう思った時だ。

「新王よ、万歳!」

「サナタイ王よ、万歳!」

 今度こそ、イルシオは驚いた。

 大きく発せられた賞賛の声は“イルシオ”でも“ナロドニア家”でもなかった。“サナタイ王”だったのだ。

 上がる歓声は全て王の側近達と王城の衛兵達によるものだった。列席者達もまた虚を突かれたよう、驚いている。それらの声すら上回るように、サナタイは大きく笑いながら叫んだ。

「さあ、私の勝利を祝ってくれっ。ルムの栄光だ。私の勝利だっ」

 ティタン・ナロドニアの厳格な顔もまた、不興に歪んでいた。彼は厳しく口許を引き締めると、前方の王を見据えたまま息子のの横まで進み出た。

「サナタイ王。我が息子への余りある賞賛の御言葉に感謝を致します」

 皮肉交りとはサナタイも気づいたはずだが、笑みは続けている。ナロドニアもまたこれを上回る悠然の笑みで続ける。

「本日は王国の――いいえ、貴方様の勝利を祝う目出度い場となりそうです。王、この機にほんの少しだけで結構ですので、御耳を傾けて頂けますでしょうか?

 ――ヴィア。ここに来なさい」

 途端、窓際に立っていたヴィアがびっくりした。

「きちんと手袋をはめなさい」

 慌てて手袋をはめて進み出てきた娘の手を取ると、ナロドニアは穏やかに告げた。

「サナタイ王。紹介をさせて頂きます。当家の一人娘でヴィアといいます。当年十五歳になります。どうぞお見知り置きを」

(あ、解かった。そういう事か)

「ヴィア。何をしている。無礼だぞ。新ルム王陛下に御挨拶をしないか」

「ナロドニア。そんなに厳しい声を出すな。場馴れしてない姿もまた初々しいぞ。

 なるほど。日頃からお前が自慢するだけの事はある。愛らしい令嬢だ。」

「その様に仰って頂けるとは恐悦です。その御寛容に甘えまして、一つお願いを申し出てもよろしいでしょうか」

「なんだ」

「この後の戦勝祝賀の宴席で、是非ヴィアに貴方様の御隣の席を賜れないでしょうか」

(そういう事なんだ)

 緊張した顔で王に挨拶をする妹を見ながら、イルシオは充分に理解した。

 つまり、『新王擁立支援への報酬』だ。目の前でぎこちなく微笑む妹は、近い未来にルム王妃に擁されるという訳だ。さすがに父上らしい、賢明な交換条件じゃないか。

 ――と、ここまでを思った時、イルシオの体の中に冷えた、嫌な感触が走った。

(なぜだ?)

 あの空色の衣装を可愛らしくまとった妹が王妃の座に就くなんて、彼女にとっても素晴らしい栄誉の未来じゃないか。それに、一族にとって最大の名誉だ。一族の将来も、自分の将来も、大きく開けるはずだ。

 なのに?

(……どこか、嫌な予感? なぜ?)

 サナタイは文字通り、大上段からの笑顔でヴィアを見ている。それを確認した上で、ナロドニアは付け加える。

「サナタイ王。もし許されるのであればもう一つ、私には願い出たく思っている事が有ります」

「願いは幾つだ、ナロドニア。二つか? 三つか? 百にもなるのか?」

「御冗談はお止め下さいませ。ただもう一つだけ、どうしてもお聞き入れ頂きたく申し上げます。今まで私が王へ捧げた忠功をお認め頂けるのであるのならば是非、御耳をお傾け下さい」

「だから何だ。分かっている。お前が私の最高の忠勤者であるとな。さあ言ってみろ、何が望みだ」

「有難うございます」

(珍しい。父上の顔が強張っている。緊張している)

 そう読み取った直後だ。突然ナロドニアは自分の腕を掴んだ。強い勢いで一歩前へ突き出し、大声で発したのだ。

「これは――この息子は、幸運の女神に愛されていましたっ。補佐を勤める諸卿と兵士達の助力の許、非力ながらも勝利に浴し、栄誉と共に帰還する事が出来ました。

 ですが、これの兄は、我が長子は女神に愛されていなかった」

「だから何だ。ナロドニア」

「敵軍の卑劣な罠のゆえに落命しました。

 堂々の戦闘での落命ならば、受け入れましょう。しかし我が長子は、野営へと戻る夜道において卑怯な待伏せを受け、有無も無く蛮族の剣で体を貫かれました。その非道な遣り口こそは、天上の神々の眼にかけても赦されるべきものでは無く、およそ死者の魂も安楽に眠りにつくとは到底に思えません」

「それで?」

「王は既に、アルグート国の捕虜と接見をされましたでしょうか?

 サナタイ王陛下。私は、願い上げます。是非、私とこの場で対面させて頂きたい。アルグートの女王と、女王の子供達に」

 サナタイの眼が露骨な興味を示した。その目の前でナロドニアは欲した。

「私は、一族の誉たる最愛の嫡子を失った。故に、女王にも同じ運命を辿って欲しいと願います」

 室内が、しんと静まる。

 たった今までの華やかな空気は一変し、不穏に覆われだす。列席者の誰もが予知する。つまり、

“ナロドニアは死んだ嫡子の為に『血の供儀』を執り行う気だ。

 アルグートの女王の子供を、その面前で殺すつもりだ”




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