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仮面恋愛 ~好きになった人は、一番嫌いな人でした~

作者: 鍵ノ宮ファング

 朝陽の差し込む窓際に、生徒達の視線が向けられる先には、クラス一の美女・天道(てんどう)綾音(あやね)がいる。

 ぱっちり二重が特徴的な凜とした美しい顔立ち。186センチという男子顔負けの身長。胸まである金髪ロングの髪は艶やかで、朝陽を受けたそれは黄金の絹糸のように輝く。

 すらりとした長身を着飾る制服ははだけ、スカートは太ももが全体的に見えるほどのミニサイズ。目立つには目立つが、あまりに過激すぎて逆に目のやり場に困ってしまう。そんな服装をしている。所謂、ギャルだ。

 そんな彼女は今、小柄な少年と睨み合っていた。

「如月もホントしつこいわね。いい加減諦めてくれないかしら?」

「いいえ、そういうワケにも行きません。大体この注意だって、今年に入ってからもう45回目ですよ!」

 少年、もとい如月翔は目を尖らせ、綾音を睨む。

彼の身長は155センチ程度。綾音と比べて約31センチの差がある。

 顔立ちは特筆すべき特徴も無い。強いて言えば、眼鏡とショートボブの中性的な印象がある程度。胸ポケットの位置には「風紀委員長」の小さなバッジが付けられている。

 そう、今まさにこの空間では、風紀委員長とギャルの口喧嘩が繰り広げられていた。

「もう一回、ちゃんと校則手帳に目を通したらどうかしら?」

「言われなくても記憶してます! 第9条、服装は石護学園の学生として相応しいものとする。です!」

「じゃあ訊くけど、これのどこが相応しくないのかしら? その証拠は? 根拠は?」

「はだけきったシャツ、派手で長すぎるネイル、極めつけはそのミニスカート! どこからどう見たって校則違反です!」

 翔は指摘し、綾音の身体に勢いよく指を突きつける。すると綾音は、わざとらしくため息を吐いて、大袈裟に両の手を上げた。

「またその話? だから、それがどういった形で学業に支障をきたすのかしら?」

 その態度に苛立ちを覚えた翔は反論しようと口を開ける。が、その前に綾音が言葉を紡ぐ。

「あれぇ、今気付いたけどアンタの爪、人のこと言えないんじゃあないかしら?」

「な、なんですか急に! ボクはちゃんと手入れして――」

「へぇ。手入れしている割には、ネイルのしがいがあるくらい長くて、やけに綺麗な気がするけど?」

 綾音の指摘通り翔の爪は長く、他の男子の爪と比べて光沢があった。綾音のネイルで彩られたルビー色の爪には負けるものの、ピンクパール色に輝いている。指先にはささくれ一つなく、すべすべとした肌は女子の手だと一瞬錯覚するほど。

 翔はそれを指摘された瞬間、慌てて両手を握り、爪が見えないように人差し指を突き出す。

「とにかく! そのスカートは、破廉恥すぎです! 中のパンツが見えたら一大事です!」

 次の瞬間、綾音の顔が真っ赤に染まり、スカートを下げる。

「は、はぁ⁉ なによ、人のショーツのこと危険物みたいに言って! てか、別に見せたくてミニスカにしてるわけじゃないし!」

 そして、怒りのあまり声が裏返る。

「それにアンタが気にすることじゃないでしょ! ほんっと、デリカシーの「で」の字から勉強して出直してきなさい、この豆粒ドチビ!」

「んなっ!」

 豆粒と言われ、翔はピクリと反応する。その瞬間、教室のどこかで「ぷっ」と誰かが吹き出す。翔はそれを聞き、顔を赤く染める。

 翔自身、身長のことはバカにされると腹が立つくらいには気にしていた。まして、それを自分の身長を優に超える綾音に言われたのだから、その苛立ちと恥辱は想像に難くない。

「だ、誰が豆粒ドチビですか! 確かに背は低いけど、今はそんなこと――」

「どうだっていいわよそんなこと! いい加減アタシに構わないで、このミジンコ眼鏡!」

「み、ミジ……⁉」

 更に罵倒される。その瞬間、またガヤの中から吹き出す声が聞こえる。次第に翔の拳が震え、彼の怒りはまさに限界値まで達しようとしていた。

 だが、ホームルーム開始のチャイムが、ゴングの代わりに二人の口喧嘩の終わりを報せる。

 本日の勝敗は引き分け。二人ともに睨み合って火花を撒き散らした後、ぷいっと顔を背けて自分の席へ戻っていく。

「はい、お前ら席に着けー。出席取るぞー」

 そんな中、教室に中年の教師がやって来る。この一連の流れは、いつしか石護学園高校2年B組の名物となっていた。

 そして、お互い口喧嘩をし合っていた二人は、心の中でその怒りを滾らせながら、放課後のことを考える。これもまた、二人の密かなルーティンとなっていた。


 放課後になり、家に帰った翔は真っ先に宅配ボックスを確認する。

「あ、届いてる」

 小さく呟きながら箱を取り出し、翔は家の扉を開ける。

「ただいま~」

 翔の家は、いつ帰っても静かである。

 帰ったことを伝えても、「おかえり」と返してくれる人は誰一人としていない。唯一の返事は、翔がかけた施錠音だけ。

それもその筈。この家には翔しかいないのだ。

両親はともに海外で勤務中。二人いる兄も今は自立している。祖父母は幼い頃に亡くなり、その関係で親族とは疎遠。そのため実質、翔は早めの一人暮らしを強いられていた。

 だがしかし、翔は寂しいと思ったことはあれど、この環境にいることに嬉しさを感じていた。この環境が翔のある『趣味』を楽しむ上で、とても都合が良かったから。

翔は薄暗い廊下に消える声を見届け、段ボールを玄関に置いて靴を脱ぐ。

「さて、パパッと着替えるか!」

 先程の生真面目な印象から打って変わって、翔は荷物を抱えると同時に、ドタドタと音を立てながら二階の自室へ向かう。

 そして、あれほど口酸っぱく指摘していた制服を脱ぎ、ベッドへと放り投げる。皺など気にも留めず、下着姿になった翔は机からカッターを取り出し、胸の高鳴りを感じながら箱の封を解く。

 その中からゆっくりと姿を現したのは、可愛らしいフリルの付いたブラウスと、黒のプリーツスカート。所謂、地雷系と呼ばれるコーデのセットだった。

 翔は袋に包まれた服を取り出すと、なんの躊躇いもなく袖を通す。この工程も慣れたもので、スカートを恥ずかしがる様子もなく脚を通していく。

「ああ、やっぱり可愛い。地雷系はこうじゃないと」

 あまりの興奮に、思わず心の声が漏れる。だが、姿鏡に映るのはあくまで地雷系の服を着た翔でしかない。が、これはまだ変身途中、本番はここからである。

 翔はウィッグ用のネットを被り、床のミニテーブルの前に鏡やメイク道具一式を置くとアヒル座りをした。

「いざ、尋常に……」

 武士のように深呼吸をして、翔は背後に第二、第三の腕を召喚する。そして――

「参るッ!」

 カッと目を見開くと同時に、自分の顔にメイクを施していく。その勢いは凄まじく、本当にもう一対腕が現われたかのように動き、翔の顔が変わっていく。

 眼鏡をかけていた目元は、アイシャドウとラメに彩られ、ぱっちりとした二重に。長いまつ毛はマスカラでぴんと立ち上がり、ブラウンの瞳は、カラコンで翡翠色に変わる。

 肌はしなやかなで健康的なベージュに彩られ、小口のリップが小悪魔感を引き立たせる。

 最後に、ピンクのインナーカラーが入った黒髪のウィッグを被り、ハーフツインに整えた瞬間、翔の変身が完了した。

 鏡に写るのは、どこからどう見ても地雷系女子。一見してこれが男子、ましてあの生真面目優等生な風紀委員長、如月翔だと気付く人間は少ないだろう。

 そう、これこそ翔の持つ秘密。翔には、女装趣味があったのだ。

「やばい、めっちゃ可愛い……んんっ。めっちゃ可愛い!」

 声のチューニングを済ませて言い直す。その声は甲高く、早朝に響く小鳥のさえずりのように純粋で透き通るような美声をしていた。この声が、今年17歳になる少年の声だとは、誰も思わないだろう。

「さて、そろそろ行こっと!」

 翔は徐に立ち上がり、鏡の前で一回転して見せる。ふわりと膨らむスカート、蝶の羽のようにひらりと揺れるフリルやリボン。頭の両端でさらりと波を描くツインテール。

 その存分に愛らしさを振りまく姿を見て、翔は心の中で呟く。

(ボクは可愛い。ボクは女の子だ。可愛い女の子なんだ)

 これは、翔の自己暗示でもあった。

 生真面目でとっつきにくい風紀委員長だった如月翔ではなく、今は可愛いものが大好きな女の子なのだ、と。そうすることで、これから女装して外出する勇気を付けている。

 こうして一通りの儀式を終えた翔は早速、ピンクのショルダーバッグを持って玄関へ向かう。

 ウキウキとした足取りで階段を降りる度、ふわりとスカートが揺れる。普段の制服では絶対に味わうことのないスカートの感覚。それを太ももで感じながら、靴箱から厚底のヒールブーツを取り出す。黒単色に、リボンやハート型の留め具の付いたちょっぴりダークな雰囲気の靴。

 翔は慣れた手つきでヒールブーツに足を入れ、かっちりと留め具を固定して立ち上がる。

 そして、コツ、コツと玄関のタイルを踏み鳴らしながら、扉を開ける。

「行って来まーす」

 誰も居ない玄関に向かって言いながら、翔は駅へと向かった。


 石護市中央区は、まさにサブカルの聖地。映画館にアニメ専門店は勿論のこと、コスメショップにカフェなど沢山の店が並んでいる。

 しかしそれだけではない。中央区一番の売りはなんといっても、コスプレ。

(やっぱり今日もいる。いいなぁ、すごく可愛い……)

 駅から出た翔は、コスプレイヤー達の姿を見てときめく。

 平日のためそれほど多くはないが、それでもコスプレイヤーがいる。

 右にも左にもコスプレイヤー。その人数やクオリティはまさに、テーマパークでもないのに、不思議とアニメの世界にやってきてしまったのかと錯覚してしまうほど。

 だが、翔も負けてはいない。コスプレと土俵は違うが、翔の可憐さに目を奪われる人は数多くいる。

「え、あの子めちゃ可愛くない?」

「わかる。モデルさんかな?」

 通りすがった石高の女子高生達の声が聞こえてくる。その正体が風紀委員長だとも知らずに、翔のファッションを見て盛り上がっている様子だ。

 男子であれば貧弱そうに見える身体も、女装すればたちまち華奢で繊細な少女の身体になる。小柄で細身の体型も、地雷系ファッションによって強調され、モデルのようなシルエットを見せつける。

 姿勢はピンと胸を張り、歩幅はやや大きいながらもヒールブーツで音楽を奏でるようにゆっくりと歩く。そしてショルダーバッグは臍の下の位置で持ち、指先の神経まで意識を集中させる。

 気分はまさにランウェイを歩くファッションモデル。男であるために平坦な胸囲すらも、顔とスタイルでアイデンティティへと昇華している。まさか女子高生が「可愛い」と絶賛する彼が男だとは誰も思うまい。翔はそんな状況を楽しみながら、スマホを開く。

 今日の予定はカフェで優雅なティータイム。翔にとって、マジメ君を演じている自分へ「五日間頑張ったね」とご褒美を与える大切な日なのだ。

(偶には違うところ行くのもいいなぁ)

 画面に表示されるコーヒーカップのマークを見つめながら、翔は歩く。と、その時だった。

「カーノジョ、どこ探してんのぉ?」

 不意に肩を掴まれる。振り向くと、明らかにチャラそうな風貌の男が二人、ニヤニヤした表情を浮かべていた。

 身長は翔よりも頭二つ分以上高く、着崩したスーツにはブランド物のアクセサリーが光っている。髪は金に染められ、耳には大きなピアスが付いている。その風貌はまるで、ホストの客引きのようだが、本業の人間にしては少し顔が微妙だった。

 男は翔の顔を見ると驚いて口を開け、グイグイと距離を詰める。

「近くで見たらめっちゃ可愛いじゃん。お人形さんかと思っちゃった」

「これからカフェ行くの? いいねぇ、俺達と一緒に行かない?」

 男達は馴れ馴れしい態度で近付き、翔の首筋をそっと撫でる。もう一人の男もまた、徐に翔の手を握る。

 見た目こそ洗礼された格好良い男達。だが、翔は彼らの手つきから危険な香りを察知した。

「あ、あの。やめて、ください」

 翔は小さく抵抗しながら言うが、二人は手を離そうとしない。それどころか、更に距離を詰めて来る。

「そう言わないでよ。ホントは出会い目当てなんだろ?」

「安心しなって。変なことしないから、俺達と遊ぼうぜぇ?」

 二人は柔らかい笑顔を向けながら、翔を挟み込むようにして身体を当てる。

更に手も強く握られ、そのまま目的地とは違う方向へと進んでいく。

 両手を封印されているためスマホは使えない。だが、翔は二人の向かう先がどこか、薄々見当が付いていた。

(ヤバい、このままじゃイケナイことになる。でも……)

 翔の恋愛対象は唯一の例外を除き、あくまでも女性。この女装趣味は学校でのストレス発散も兼ねたもので、特に出会いを求めているワケではない。

 だから、特に好きでもないこの男達に興味はない。今はただ単純に、恐怖心が勝っていた。

 しかし、翔の筋力は女子平均を下回るほど貧弱なもの。むしろ女子に押し倒されてしまうほど弱い。到底、小枝のように華奢な身体で男二人に抵抗するのは至難の業。とどのつまり、絶体絶命だった。

 気付けば翔は人気の少ないビル群へ連れられ、逃げ場は完全に封鎖されてしまっていた。

「なあ、どこでやる?」

「そうだなぁ、どうせなら奮発していいとこにする?」

 二人は翔を挟み込んで相談する。その表情は愉悦で満たされており、これから起こることに期待を寄せている様子だった。

 ――見誤った。こんな所で男だとバレでもしたら、何をされるか分からない。

翔は恐怖していたといえ、冷静な判断を下せなかったことに後悔した。

 だが後悔先に立たず。奇跡でも起きない限り、翔がこの絶望的状況から抜け出すことはできなかった。

(嫌……誰か、助けて……!)

 もう助からない。翔はこれから起こる最悪な展開、そして迫り来る死の危険に震えながら目を瞑る。

「おいお前ら。オレの彼女に何してんだ」

 その時、突然翔の手を握っていた腕が上がった。

 驚いて振り返ると、そこには白いパーカー姿の青年が立ち、男の腕を掴み上げていた。

「あ? 誰だお前?」

「その子の彼氏」

 男の問いに、青年は静かに即答する。勿論、翔に彼氏はいない。何なら初めましてだった。

 だが、青年は堂々とした態度で男の腕を握る。

 すると、眉間に皺を寄せていた男の顔が歪み、“カッコイイ”顔が苦悶の表情に変わった。

「いだだだだ! は、離せっ!」

「いいのか、離して?」

「うるせぇ! ぶ、ぶっころ――」

 そうはさせまいと言うように、青年は男が腕を引いたと同時に手を離す。男は勢い余って後ろへ吹き飛び、尻餅をついた。

「タケちゃん! テメェ、よくも――っ!」

 続けて、もう一人の男が翔から離れ、青年に向けて拳を振り上げる。だが、青年は男の拳を片手で押さえ込むと、鼻で笑いながら握りつぶした。

 ただ握りつぶすだけ。それなのに、男の手から万力で締め付けられる鉄のような音が聞こえてくる。

「ぎゃあああ! ほ、骨が! 骨が、砕けるぅぅぅ!」

 さっきまでの威勢と“男らしさ”はどこへやら、男は情けない悲鳴を上げ、青年から拳を救出する。だが、握りつぶされた拳は全体的に真っ赤に染まり、細かく痙攣していた。

「なんだあの力……」

「何なんだよコイツ。ゴリラかよ……」

 青年の力に圧倒した二人は、震えながら彼の方を見る。翔は何が起きたのか分からないまま、ナンパ男と青年を見比べる。

 青年の身長は186センチほど、腕は翔より少し太めだが、やや華奢。服装もパーカーにジーンズとラフな格好で、一見強そうには見えない。

しかし、そこに秘められた握力は万力ほど。

 突如現われた謎の男を前に、二人は怖じ気付く。だが、翔には彼の姿がスーパーヒーロ―のような、真の『漢』に見えていた。

「女の子との接し方も知らない、着飾っただけの張りぼてが。女の子舐めんな」

 青年は男達に近付き、ゆっくりとパーカーのフードを取った。その素顔を見た瞬間、男の目は丸くなった。

「う、嘘だろ……ど、どうしてお前が……!」

 翔も、思わず目を見開いて驚いた。

 煤色真ん中分けの髪。気怠そうな印象のある垂れ目。無慈悲そうに見えて、どこか可愛げのある小さな口元。女性のように長く潤いのある指。

「嘘……ひ、ヒビキ、さん……⁉」

 翔が彼の名を言った瞬間、ナンパ男二人は口をあわあわと震わせながらヒビキを指した。

「ヒビキって、フォロワー500万人超えの、伝説のイケメンコスプレイヤーっていう、あのヒビキか……?」

「た、確か中学時代、街の暴走族を単騎で殲滅したとかっていう……」

 すると青年、もといヒビキは指の骨を鳴らし、ニヒルな笑みを浮かべて男達に近付いた。

「だったら、どうする?」

 純粋な質問に、二人は顔を青ざめさせ、仲良く情けない悲鳴を上げる。

「「お、お助け~!」」

 そして、プライドの欠片もなく、そそくさと駅方面へと逃げていった。

 ヒビキは大袈裟に逃げていく二人を眺めながら一言、「あれファンが勝手に言ってるだけなのに」と呟く。そこにこれといった含みはない筈だが、無意識な強者の余裕がにじみ出る。

「あ、あの……」

「……あ、ごめんね急に彼氏とか変なこと言っちゃって。怖がらせちゃった?」

 翔は小さく首を振る。確かに、いきなり現われた謎の男に彼氏と言われれば、恐怖心を抱くのは当然だろう。だが、翔は恐怖心よりも先に、憧れの『ヒビキ』に会うという非日常感に震えていた。

 そう、彼こそ翔が唯一乙女心をくすぐられた憧れの人、ヒビキなのだ。

 普段はコスプレイベントでしか出会えず、SNSでも500万人を超えるファンに愛される男。ただ企業案件はメイク紹介以外なく、コスプレイベント以外での素性は一切不明という謎多き男。その謎多き所もまた、ファンを惹きつける魅力なのだろう。

コスプレは見る専門、自撮り写真の保存用に作った非公開アカウントしか持たない翔にとって、彼は神にも等しい存在だった。

「あのさあ、ナンパされた後で言うのもアレだけど、カフェとか行かない? ほら、ここにずっと居るのもアレだし、オレ絶対手出さないから!」

 ヒビキはしどろもどろになりながら、翔に言う。だが、それ故逆に怪しく見える。

 ヒビキもすぐにこれでは怪しいと思ったのか、翔に名刺を渡す。そこには本名だろうか「古明治(こめいじ)(ひびき)」と記されていた。

「こめいじ、ひびき?」

「オレの名前。変なことしたら暴露系なり何なりに晒していいから。とにかくこんな卑しい場所から出よ」

「え、ちょっと待ってください。そんな、晒すなんて……」

「いいのいいの。元々オレ、今日は週末のティータイムしに来ただけだし。それに――」

 響は少し間を開けると、パーカーのフードを被り、空を見上げながら言った。

「この街の思い出を、あんなクズ男に穢されたくないから」

 そう言う彼の背中は、どこか寂しげで悲しげだった。だが、すぐに響は振り返り、翔に笑顔を見せた。

「さ、早くしないと席が埋まるよ。急ごう」

「あ、待ってください!」


 席に着くと早速、響はメニュー表を翔に渡した。

「大丈夫、好きなもの頼んでいいよ」

 開店して数日ということもあり、コスプレをした客で賑わう店内。まるで二次元世界から飛び出してきたキャラクターの酒場と化した店の片隅で、翔は震えながらメニューを開く。

 中にはイメージ画像とオシャレなスイーツの名前が載っており、どれも美味しそう。

(嘘……ボク、今ヒビキさんと一緒に、カフェに居るの⁉ やばい、心臓破裂しちゃう……)

 翔はまだ落ち着いていなかった。とっくに恐怖も消え失せ、むしろ安心しているはずなのに。翔は心臓が張り裂けそうな感情に呼吸を乱す。

 だが、いつまでも震えて沈黙を貫いていては、憧れの響にまた余計な心配をさせてしまう。翔は一度深呼吸をして、偶然目に留まったティラミスを指す。

「あ、あの。これで……お願いします」

「他にはいいの?」

 響に訊かれた翔は、黙って首を縦に振る。響は翔の照れる姿を見ながら、通りかかった店員を呼ぶ。その間、翔は響の姿をじっと見つめ、頬を赤らめていた。

 店員に対しても丁寧に接する姿。カスタムを頼むときに小さく動く手。絶えず活き活きとした笑顔。どれを取っても、響の周りに広がる輝きが消えることはない。

 それは少し経って、翔のもとにティラミスが来た時も同じだった。

 響は店員に丁寧なお礼を言って、再び翔を見つめる。

「遠慮せずに食べな。オレの奢りだから」

「は、はい。いただきます」

 震える手でフォークを持ち、小さく切ったティラミスを口に運ぶ。響はコーヒーカップの持ち手を摘まみ、翔から視線を逸らしてコーヒーを飲む。

 顔も良ければ行儀も良い。非の打ち所のない、むしろ粗を探す方が難しいほどに完成したカリスマ性。翔は指先の神経にまで行き渡った彼の仕草とティラミスのビターな味わいに、どこかほろ苦い感情を抱いていた。

 それは向かいの響も同じだった。

 ぱっちりとした丸目。絹のようにしなやかな肌。弾力のある頬。少し力をかければ折れてしまいそうな、繊細で華奢な身体。そして震えながらも、その小さな口で美味しそうにティラミスを頬張る仕草。

 まるで小動物を愛でているような感覚。守ってあげたい。いや、今よりもっと可愛く、それこそアニメのキャラクターが嫉妬するほどに可愛くしたい。響もまた、翔の愛くるしい仕草とコーヒー豆の芳醇な風味に、どこかほろ苦い感情を抱いていた。

 ただ一つ違う点があるとすれば、響の中では”炎”が滾っていた。

「ね、ねえ君……えっと、名前は……?」

 静寂を最初に破った響だったが、どう呼べばいいのか分からず固まってしまう。

 翔は瞬時にそのことに気付き、一瞬硬直する。

(どうしよう。流石に「翔です」なんて言えないし、偽名はえーっと……)

「……翼。晴也(はれや)(つばさ)、です」

 翔から鳥の羽を連想させ、即興で考えた偽名。響はその名前を聞くと、思わず前のめりになった。突然の出来事に、ビクッと身体が飛び上がる。

「つ、翼ちゃん。お、オレと……コスプレしよう!」

「……へ? えええええっ⁉ 私がですか⁉」

 あまりに唐突な誘いに、翔は驚いて声を上げる。が、すぐ周りの視線に気付き、声を小さくして響に訊く。

「ど、どうして急にそんなことを? コ、コスプレなんて、似合わないですよ」

「そんなことはない。こんなにも可愛いんだから、絶対才能あるって。オレが保証する」

 響の目は本気だった。お世辞ではなく、本当に翼のことを可愛いと思い、コスプレの才能がある。そう確信した目をしていた。

 そして何よりも、響は翼、もとい翔に嫉妬心を抱いていた。

(こんな絵に描いたような可愛い子がコスプレをしないなんて勿体ない。こんな最強の逸材、さっきの奴らみたいなのに食われて終わるくらいなら、いっそ……)

「でも私、コスプレしたことないので……」

「大丈夫、オレが1から10まで全部教えるから。自分に自信を持って」

 自信のない翔を元気付けるように、響は満遍の笑みを向ける。

 刹那、翔の胸になにかが突き刺さった。心臓がまた強く動き出し、頬がぽっと赤くなる。

(カッコイイ……。しかも男らしくて、強くて、優しい……。ボク、男なのに……)

 この時翔は気付いた。この熱い感情が、憧れから来る恋心なのだと。

 男でありながら男に恋をする。それも、憧れのヒビキに。その夢のような状況に、翔の脳はオーバーヒート寸前まで熱くなった。

「そ、それでどう? オレのコスプレ仲間って言うのかな? 一緒に、やってみない?」

 きっと響も初めてで緊張しているのだろう。言葉に詰まりながら、翔に問いかける。

 その答えを出すのに、翔は少し時間を要した。

 このまま彼のもとでコスプレの修行をするべきか、否か。

 しかしこれまで画面越しに見てきたヒビキと、ナンパされた所を助けてくれた響の姿を見ていた翔は、憧れとはまた別の感情を抱いていた。

 同じ男同士なのに、何故こうもボクとヒビキさんは違うのだろう、と。

 生真面目を演じているだけで、本来の性格は控えめで、容姿からしても男らしくない翔。対するヒビキは勇敢で紳士的、容姿も抜群でそれは翔が思わず惚れてしまうほど。

 一体どのようにすれば、自分もヒビキみたく男らしくなれるのだろうか。その謎が、翔の心に火を付けた。

(ヒビキさんのもとで修行したら、ボクもきっと……)

「……は、はい。ビシバシ鍛えてください、師匠」

 翔は言って、響の誘いを受け入れた。

 まさか受け入れられる、しかも早速『師匠』と呼ばれると思わなかった響は、驚くあまり言葉を失う。だがすぐに笑顔を見せ、翔の手を取って言う。

「勿論、オレと一緒にテッペン目指そう」

「は、はい」

 こうして、響と翔、もとい翼は出会った。

 だが、二人はまだ知らない。これが二人の”仮面恋愛”の始まりだということを。そして、仮面に隠れたその正体が――

 ――毎日口論を繰り広げている相手だということを。


「ただいまー」

 カフェを後にして、最初はSNSのメッセージで連絡すると約束した響。彼はどういうワケか、「天道」の表札がかかった家に堂々と入っていく。

「おかえりー。もうお風呂沸いてるから、早く入ってらっしゃい」

 玄関扉の閉まる音に気付いたのか、居間の方から母親の声が聞こえてくる。響は少し疲れたように伸びた返事をしながら、階段を駆け上がる。

 そして、二階の自室を開ける。そこには可愛らしい装飾がついたコルクボードに「あやねのへや」と書かれている。

「……ふう。なんか凄い一日だったわ」

 響は言いながら、髪に手を掛ける。すると煤色の髪は響の頭から離れ、中からネットに包まれた金色の髪が現れた。

 それに続いて、響は服を脱ぎ、パンダの絵がついた愛くるしい部屋着に着替える。

 変身を解除して現れたのは――天道綾音だった。

 そう。古明治響、彼のその正体は石高のギャル・天道綾音だったのだ。

 男装を解いた彼女は糸の切れた操り人形のようにベッドに倒れ込み、早速翼のアカウントを確認する。

「ああ、ヤバいって何あの子。めっちゃ可愛かったぁぁぁ……! 翼ちゃんって言ってたよね。どうしよう、あんなの絶対アタシより可愛くなっちゃうじゃん! もうダメ、アタシの心臓爆発しちゃうってぇぇぇ!」

 綾音は翼から教えて貰ったアカウントの写真を見つめ、ぬいぐるみに相談しながらベッドで悶えた。

 非公開アカウントのためフォロワーは響一人。だが、そこに投稿された翼の自撮り写真は、神々しさを覚える程に可愛いオーラが放たれている。

 そして気付く。こんな可愛い子とコスプレ仲間になったのだと。これから彼女のコスプレの師匠になるのだと。そう思い返すと、心臓の鼓動が早くなる。

「どうしよう。アタシにあの子を幸せにできるのかな……」

「綾音ー! お風呂入らないのー? 早くしないとご飯も冷めるよー!」

 今日の出会いに一喜一憂する綾音。彼女の耳に、母親の声は届かなかった。


いかがだったでしょうか。

生存報告も兼ねた読み切り掲載です。いつかこれの本格版を掲載できるよう、頑張りまする!

てか、さっさと三月からエタってるコピー記を再開しろって話なんですが。まあリアルの武者修行で色々あり、ハロワにハローしなければならない緊急事態でもありまする故、しばらくお待ちくださいましッッッッッ!

必ず帰るから、皆信じて待っていてくれッ!!

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