絶対に離婚できない公国で今日も牧師は奮闘中~仕事人間は子爵令嬢の熱視線に気付かない~
コートウェル公国の全国民は、一度結婚すると離婚が出来ない。
500年ほど前の大公が自身の妃を深く愛し、またその妃がたぐいまれなる美貌を持ち十五歳も年下だったことから、自分が先に逝っても誰のものにもならず永遠に自分の妃でいて欲しいと願ったことから、コートウェル公国民は皆、死後も離婚は認められないという法を制定したとされている。
この法を維持し、国内外に広く周知し結婚による夫婦関係を絶対的なものとするため、国民たちは皆結婚式を執り行うことがこれまた法で定められており、結果的にブライダル業界は公国内で大きく力を持ち公国の一大産業となった。景勝地には大手の式場が立ち並び、手先が器用な少女たちはドレス職人として身を立てるために研鑽を積み、郊外には式場を彩る花々を育てる花農家が栄え、貴族も平民も数多くの者がブライダル業界に身を置いた。他国からは”コートウェル公国で新婚旅行中にウェディング衣装を着ると末永く夫婦円満でいられる”という風説を信じ多くの観光客が訪れるため、いつしか観光大国としても知られるようになった。
しかし、離婚が許されないという絶対的なルールを国民全員が「はいわかりました!」と素直に受け入れているはずもなく、挙式では様々な事件が起こるのが常となっていた―――
◇◇◇
「本日最後の挙式は五の鐘から、エスピア子爵家の令息アドル様とノルデン伯爵家の令嬢ソフィーア様の御式です。様々な困難を乗り越えて無事今日の日を迎えられましたが、既に”この挙式を中止しろ”という脅迫状が当式場宛だけでも三通届いております。皆さん気を引き締めて持ち場についてください!」
「「「はい!!!」」」
コートウェル公国には必ず結婚式を執り行わねばならない法があるため、式中に列席者の前で婚姻の魔術誓約書を記入することで、正式に婚姻が結ばれる仕組みとなっている。
各式場には必ず国家資格を持つ牧師が所属しており、牧師の問いかけに答える形で新郎新婦が誓いを交わし、魔道具のペンでサインをすれば婚姻が成立する。文字に宿る魔力で個人の識別が可能で、決して消えないサインとなっている上に牧師の手によって国に保管されるので、一度書いたら撤回も回収も不可能だ。
「子爵家の跡取り息子と、伯爵家の三女の結婚かぁ。新郎新婦は穏やかそうな人たちだし、子爵は野心家に見えるけど嫌な感じはしなかったね。伯爵も、可愛がってた末っ子がお嫁に行く寂しさはあるもののそれ以上の感情は見えなかったな」
「そうなると今日の挙式は、新郎新婦それぞれに懸想していた人たちを警戒するべきね」
「列席者は両家合わせて60名か。事前の調査で怪しい動きをしそうな者の目星はついてるから、何かあったら一網打尽にしてやろう」
「荒ぶりそうな列席者には事前に鎮静作用のある飲み物をお出しして、シェレンの演奏で心が穏やかになるようさりげなくピアノに近い席に誘導しましょうね」
シェレン・クラーサは国内有数の結婚式場であるアンテイア宮殿式場専属の演奏家で、挙式と披露宴でピアノやオルガンを奏でることを生業としている。彼女が奏でる音楽には人の心を穏やかにする魔術効果が付与されるギフト持ちだ。彼女の生家クラーサ子爵家は一族全員が音楽にまつわるギフトを持っており、演奏家として世界中を旅する者から魔術仕掛けの楽器を生み出す職人まで、その職種は多岐に渡る。中でもシェレンのギフトの効果は目を見張るものがあり、今日のような不穏な挙式ではその効果を最大限に発揮するのが常だった。
「一昨日、海沿いの大手式場で誓約直前の婚約破棄騒動があったそうだ。屋外挙式中に新郎の過去の交際相手が割って入り、愚かな新郎も「自分はそこまで彼女に想われていたのか」と舞い上がって、新婦を置き去りにしてその場から逃げ出したとな。表面上は穏やかに見えても内心どんな想いを抱えているのか目に見えない以上、くれぐれも油断はするなよ」
「ベイル牧師!もういらしていたのですね」
「あぁ、シェレン。お前はまだ年若く経験も少ないし、演奏中は無防備だ。襲撃者から身を守る魔法陣を必ず用意しておくようにな」
「はい、心得ています。牧師もどうかお気をつけて」
「ベイル牧師が居てくれたら百人力っす!エスピア家もノルデン家も、ベイル牧師が居るからうちの式場に決めたんじゃないっすかね~」
「おいシド、んな軽口聞いてる暇あったら段取りさらっとけよ!経験って意味じゃお前が一番浅いんだからな、見習い牧師!!」
そしてこのアンテイア宮殿式場の要ともいえるのが、ベイル牧師だ。
◇◇◇
国家規模の割に数多くの結婚式場があるコートウェル公国には、新郎新婦のあらゆる需要にこたえた個性豊かな様々な式場が存在する。そんな中でもこのアンテイア宮殿式場は、結婚にまつわる法を制定したかつての大公が長く居住した宮殿をとある大貴族が買い取り式場として改装したため、格式と堅牢さを兼ね備えていると評判が高い。スタッフも一流の人材が揃えられており、大国からヘッドハンティングされたブライダルパティシエや、国内外のありとあらゆる場所から顧客のニーズに応えた花を用意する敏腕フラワーコーディネーターに、シェレンのようなギフト持ちの演奏家といったあらゆる分野で一流の人材が揃う中、最も重要な存在なのがベイル牧師だ。
彼の経歴は式場の支配人しか知らないという謎の人物だが、どんな困難な挙式でも彼の手にかかれば必ず魔術誓約を結べるという実績を持ち、数多の新郎新婦を幸せに導いてきた。襲撃を未然に防ぐことが最も重要だが、防ぎきれなかった悪意の手を新郎新婦に決して届かせないための最終防衛ラインたるベイル牧師は、今宵どんな活躍を見せるのか―――
「うるせぇぞトーマ!発声練習のつもりなら他所でやれ。俺のことをそれっぽく語るな」
「それっぽくもなにも、事実しか言ってませんよ。ベイル牧師はアンテイア宮殿になくてはならない名牧師!オレが今日も面白おかしく披露宴の司会進行を勤められるのも、牧師がバッチリ挙式でキメてきてくれるお陰なんすから!!」
「そーそー!いよっ、アンテイア宮殿の幸福請負人の異名を持つ男!!」
「見習い、お前は牧師より司会の方が向いてるんじゃないのか?今すぐ異動届を出してやろうか?」
「いでででででギブブギブ!!勘弁してくださいよまじで!!!」
スタッフがそれぞれ持ち場に就く中、挙式後の披露宴の司会進行を勤めるトーマと今年配属されたばかりの見習い牧師シドは、ベイル牧師の補佐に就いていた。
「ったく。それで、ここまでの状況は?」
「大方の予想通り、新郎狙いの男爵家の令嬢と商家の娘がクロでした。男爵令嬢は元々新郎が警戒してほしいと言っていたので見張りを付けていたので、更衣室に忍び込もうとしたところを現行犯として確保。警備に引き渡しました」
「もう一人は長年新郎に懸想してたみたいで、新郎の遠縁の娘を買収した上で変装して成り代わってたみたいっす。ガチ恋でかなり思い詰めてたらしく、シェレンさんのピアノで張り詰めてたものが決壊したのか、急にボロボロ泣き出して懺悔し始めたって話です。自分は好きな人の幸せを祝福出来ずに新婦を害そうとした愚かな女です~ってな感じで」
裁かれることを覚悟の上で挙式中に新婦を害そうとドレスの内側に短剣を仕込んでいたその娘は、穏やかになれるピアノ演奏の効果で心を緩めた結果、胸の奥底にほんのわずかに残っていた罪悪感が刺激されたのか犯行前に自首したため、招待客に成り代わって侵入した罪のみを問われることになった。新郎との縁が薄く、家を代表して出席を予定してたはずがあっさり買収され式をすっぽかした令嬢も罰されることが決まっている。
「相変わらずシェレンのギフトは素晴らしいな。彼女がうちに来てくれたお陰で、多くの襲撃が未然に防げるようになった」
「本人は至って普通の控えめな子ですけどね。変に目立ってあちこちに目を付けられても危ないんで、全然いいんですけど」
「個人の演奏家になるんじゃなくて、ブライダル業界に来てくれて俺ら的には有難いっすよね~」
恋する相手が誰かと結婚してしまえば、自分と結ばれることは未来永劫あり得ない。公国の法では伴侶が亡くなった後でも離婚は出来ないので、伴侶の死後に他の者と再婚することも当然出来ない。現代では事実婚夫婦として伴侶亡き後に寄り添いあう者たちも存在し社会的にも認められるようになってきてはいるが、そうして想いを遂げるためには長い年月を必要とする。
そのため、愛する者が一生手の届かない存在になるのを防ぐために、強硬手段に出る者も少なくないのだ。新郎新婦自身はもちろん親族も式場スタッフも最大限の警戒をしてはいるが、シェレンの奏でるピアノの音色で心を穏やかにし、犯行そのものを未然に防いでしまえるのは有難いことなのだ。
「新婦側の列席者は今のところ動きナシです。事前に警戒されていた新婦の従兄弟は両親にキツく注意されたからか、ふてくされた顔はしているものの大人しいものです。そのうちに着飾った他の列席者から可愛い子を探すことに意識を切り替えたようですね」
「もうすぐ人妻になる親戚のねーさんをいつまでも想ってるより、建設的でいいっすね!今日を新たな出会いの場にしてもらって、後日うちで式挙げてくれたら万々歳!!」
「見習いの言う通りだな。叶わない想いには早いとこケリつけて、さっさと次に行ってしまえばいい」
「式場内をキョロキョロ見回して、最終的にはピアノを弾いてるシェレンさんに釘付けになっていたと報告が届いてます」
「よし、その新婦の従兄弟のドリンクに下剤混ぜとけ。そしてピアノの音が届かない地下の手洗いに放り込んどけ」
「ベイル牧師マジ職権乱用~~~~~」
式場のスタッフは皆働き者でよく気が利くし、シェレンのように楽器を奏でたり讃美歌を歌ったりと人前に出る役割の者ほど身なりに気を使うので、独身の列席者に目を付けられやすい。中でもシェレンは音楽院を卒業して二年目とまだ年若く、パッと目を引くような美貌を持つわけではないが、可愛らしい顔立ちに楚々とした佇まいで極上の音色を奏でるのだから、人気が出るのも当然というもの。スタッフ一同にとっては得難い才を持つ上に勤勉なシェレンは皆で守り育てるべき存在で、とりわけベイル牧師は彼女を気に掛けていた。
◇◇◇
親族控室では和やかな挨拶が交わされ、列席者たちもあらかた揃いもう間もなく挙式が執り行われる。現時点でまだ来ていないのは新婦の友人夫妻で、幼い娘の機嫌が悪く到着が遅れると式場に連絡が来ていた。それ以外の招待客が全員揃い、先に退場した二名の女性以外の不審者は今のところ見付かっていないため、警戒レベルは十段階中の八でいくという通達が式場スタッフにあった。
リハーサルでは新婦の父親が既に号泣という微笑ましい光景が見られ、脅迫状の事もあり緊張の面持ちだった新郎は義父を宥めることに腐心し、新婦は呆れつつも父親の背中をさすっており、多少は気がまぎれたような様子だ。リハーサルから挙式までの間に起こった出来事は事前の希望に沿って新郎にのみ伝えることとなっており、新婦の衣装の最終チェックの間にベイル牧師が新郎に知らせると、複雑な表情を見せた。
「男爵令嬢は学園の後輩で、在学中に恋文を貰ったことはありましたが自分は既にソフィーアと交際していたので、丁重にお断りしたんです。それっきり何もなかったのですが、友人たちから彼女を警戒するようにと招待状を出した後に忠告されまして…」
「結婚式を挙げると聞かされて、尚且つ招待状まで届いたことで燻ってた昔の恋心に火がついてしまったのでしょう。よくあることなんです」
「今ではよき友人関係を築けているつもりでいたので、ショックではありますが何か起こる前に解決できてよかったです…。もう一人の女性に関しては、恐ろしいことに全く知らない人です…」
「それはホラーですね…。取り調べの際には動機や背後関係をしっかり聞き取りますので、内容は挙式後にお伝えいたします」
「ありがとうございます。既にこんなによくしていただいて、本当にこちらの式場に決めてよかったです!」
「お礼を言うのはまだ早いですよ。無事に魔術誓約を交わしたら、改めて聞かせてくれると嬉しいです」
安心させるように新郎の肩を軽く叩き、共に挙式会場へ向かう。列席者は既に入場しており、シェレンの奏でる美しいオルガンの演奏に合わせてベイル牧師と新郎は会場入りした。ベイル牧師がオルガンの方に目線をやると、柔らかい微笑みを浮かべて演奏に没頭しているシェレンが視界に入る。リラックスして臨めているようで、ベイルは肩を撫で下ろす。演奏中は無防備になる上、ベイルも牧師業に専念せねばならないため、シェレンだけを気に掛けているわけにはいかないのだ。
そちら視線を外し列席者を見渡すと、新郎の門出をにこやかに見守る親族たちや、親しい友人一同だと思われる面々の溢れる笑みが抑えきれないといったようなにやけ顔が散見される。
そんな中、新婦側の列席者に一名感情が抜け落ちたような表情の女性がいるのが見えた。わずかな間の事ですぐに微笑を浮かべていたが、一瞬の違和感を見逃さずにベイルは魔道具のメモにひっそりと女性の席番号を記入し、スタッフ全員に共有した。
「それではこれより、エスピア子爵家アドル様とノルデン伯爵家ソフィーア様の挙式を執り行います」
ベイル牧師の開式宣言があり、新婦入場の流れとなる。当代ノルデン伯爵の父親と共にゆっくりと入って来た新婦ソフィーアは、夢見るようなプリンセスラインのドレスに新郎の瞳の色の薄緑のサッシュベルトを付けており、誰の目から見ても幸せいっぱいな花嫁だった。真っ赤な絨毯を一歩一歩しっかりと踏みしめて、父親から新郎へバトンタッチするその時、事件は起こった。
「ソフィのばか!!!!嘘つき!!!!!!」
悲痛な叫び声と共に新郎新婦を目掛けて何かが投げ込まれた――――が、それが二人に届くよりベイル牧師の動きの方が早く、あらゆる攻撃を防ぐ魔法陣の刺繍入りストールが投げ込まれた不審物を全て受け止め、ガウンの内側に隠し持っていた捕縛用の魔道具を声がした方に向かって素早く放った。
「きゃっ!!!!」
「―――やはりあの女性か。アドル様、ソフィーア様、もう大丈夫ですよ」
ストールを投げ込む直前に展開した魔術盾のお陰で新郎新婦には傷一つないが、新郎にしっかりと抱き留められた新婦の瞳は驚きで彩られていた。
「……ミレナ!?そんな、どうしてあなたが…」
「……ソフィの裏切り者っ!!!!!」
灰紫のドレスの裾を魔道具により床に縫い留められ、動けなくなった女性はわっとその場に泣き伏し、そのまま警備の者に連れ出された。
◇◇◇
女性はソフィーアの幼馴染で、ノルデン伯爵領に隣接する領地を治める子爵家の次女だった。彼女はソフィーアに並々ならぬ執着を抱いており、幼い頃に交わした『いつか結婚式を挙げるときは一緒にやろうね』の約束を反故にされたと怒り狂い、挙式を妨害しようとこのような犯行に及んだという。披露宴も終わり両家も完全撤収した後のアンテイア宮殿式場のスタッフルームは、本日最後のこの式の話で持ちきりだった。
「ソフィーア様は式の招待状を送る際に「おばあ様が元気なうちに花嫁姿を見せたくて、先に挙式を挙げることになってごめんなさいね」と謝罪していたそうですよ」
「一方ミレナさんは、『一緒に結婚式をやろう』の意味をソフィーア様とは異なる意味でとっていたらしくて…」
「つまりミレナさんは、ソフィーア様の婚約者のつもりでいたってこと?」
「我が国ではまだ少ないけど、同性婚もここ10年くらいで増えてきたものねぇ」
「そりゃ、なんとしてでも魔術誓約前にぶち壊そうと気合入ってたワケっすね!」
ミレナが投げ込んだのは球状の魔道具で、空中で破裂し幻惑を見せる効果のある煙を吹き出す恐ろしい物だった。この道具自体がコートウェル公国では生産されておらず、輸入禁止物の該当品だったため、そちらの面でも厳しく裁かれることになる。
「新郎新婦に向かって投げられたのが三個で、スカートの内側にも五個隠し持っていたそうよ」
「式場内にぶちまけて、関係者たちが幻惑で朦朧としている間にソフィーア様を連れ去る手筈だったんでしょう」
「少し離れた場所に馬車を待機させていたらしい。完全な個人の犯行ではなく、ノルデン伯爵家かエスピア子爵家に思うところがある者が唆した可能性が高いと見られるな」
「いやー、無事に誓約出来てよかったっすね!長い一日だったなぁ!」
ミレナの退場後、一刻も早く誓約を交わし正式な夫婦となってしまいたいという新郎新婦の希望により、短い休憩時間を挟んで挙式を仕切り直した。新郎とミレナの瞳の色が同じ薄緑だったため、衣装スタッフの機転により新郎の髪色を思わせる紫鳶の物にサッシュベルトが付け替えられ、甘やかで清廉な雰囲気から一転してどこか大人びた力強さを感じる装いになり、そこにはこの結婚を誰にも邪魔させないという新婦の強い意志が込められているようだった。
「休憩中はシェレンさんのミニコンサートみたいになってて、列席者も大盛り上がりでしたね」
「まだ未熟者ですが、皆様の気持ちを切り替える一助になれたらと思いまして…喜んでいただけたならなによりです」
「普段のお式では弾かないような、明るくて元気な曲が中心だったわね。お陰で前向きに仕切り直せたんじゃないかしら」
「聖歌隊の皆さんが提案してくださったんですよ。せっかくだし明るく盛り上げていこう!って」
シェレンの演奏の効果によりざわついていた列席者たちも落ち着きを取り戻し、その後恙なく式は進行。無事に魔術誓約は交わされ、誓約書は今夜中にベイル牧師の手により国に届けられる。
「時間が押した分、パティシエたちも気合入れて持ち帰り用の焼き菓子を増やしてたし、ここの皆ってイレギュラーなことに対応するの好きよねぇ」
「好き嫌い以前に、この業界に居たらそのスキルが嫌でも鍛えられるもの。この国の挙式ってぶっちゃけトラブル多すぎ!他国ではどうなのかしらね…?」
一生涯で必ず一人しか伴侶を得られず、大勢の前で魔術誓約を交わすことで婚姻が成立するこの国では、とにかく挙式中のトラブルが後を絶たない。そのため式場スタッフにはありとあらゆるトラブルへの対応力が求められ、国内トップクラスの人気を誇るここアンテイア宮殿式場には挙式を成功に導くエキスパートが揃っているのだ。
「ベイル牧師はもう出られたんですか?」
「披露宴の終わりも待たないで、さっさと出て行ってたわよ」
「牧師は披露宴でやることないもんな~」
「いつまでも誓約書を持っているのは落ち着かないんでしょう。しかも直帰じゃなくて、支配人と明日の打ち合わせしに戻ってくるみたいよ」
「まじであの人仕事大好きですよね…」
「二十七歳独身でしたっけ?顔もいいし高給取りだしでモテそうなのにな」
「本人に聞いたことあるけど、今は付き合ってる相手もいないみたい。なまじ牧師なんてやってると、結婚に夢見れないんじゃないかなぁ…」
「違いない!」
ベイル牧師の話題で盛り上がる中、シェレンは一人かの人に想いを馳せていた。
(ベイル牧師、お付き合いされてる方はいらっしゃらないのね。あんなに素敵な方なのに)
驚きと共にほのかな喜びがシェレンの胸を温める。自分みたいな世間知らずな小娘の手が届く相手ではないとわかってはいるが、毎日のように顔を合わせて挨拶を交わし、時には雑談をする仲になれた今、もっとお近づきになりたいという気持ちが日増しに強くなっている。
(お姉様方は『もっと積極的におなりなさい』とアドバイスをくれたけれど、一体何をすればいいのかしら…?)
かつて見習いだったベイル牧師に窮地を救われて以来、シェレンは彼を一途に想い続けていた。
◇◇◇
「いよっ!ベル兄さん大活躍!!お陰様で今日も無事に夫婦が三組も誕生したね!!」
「うるさいぞ、エミール。お前の兄さんは忙しいのでさっさと受理してくれ」
「忙しいって、今日の挙式はエスピア家とノルデン家で最後だろ?一緒に帰って一杯付き合ってよ」
「俺はこの後職場に戻って、支配人と明日の挙式の打ち合わせがあるんだよ。最初の一組目が、披露宴だけならまだしも挙式でもやたら凝った演出をしたがるもんだから、しっかり段取りを確認しとく必要があんだよ」
「ひえぇ、すっかり仕事人間になっちゃって。父さんも母さんも就職してからなかなか顔を見せてくれなくなったって嘆いてたよ」
「何言ってんだか。俺らがいつまでも城に居座らないようにしたのはあの人たちだろうが」
「まぁ、嘆きつつも褒めてたよね。ベルナルドが一番うちの公国に貢献してくれてる大公子だってさ」
「何一つ嬉しくねぇな…」
ベイル牧師ことベルナルド・フォン・コートウェルは現コートウェル大公家の五男で、現在は身分を隠してアンテイア宮殿式場で働いている。
コートウェル公国はブライダル産業を大きく発展させ、国土は小さいが年間を通して温暖な気候を生かし、美しい海と建造物を目玉に観光客を呼び込み、更には全国民が生涯にたった一人しか伴侶を選べないという縛りを美しく飾り立てた「最愛の人と永遠の愛を誓いあう愛溢れた公国」などという宣伝文句が大当たりし、新婚旅行客が数多く訪れるようになった。
その結果ありとあらゆる場所で深刻な人材不足に陥り、大公家の一員だろうが成人すると有無を言わさず結婚か就職の二択を迫られた。身体能力に優れたギフト持ちで、大公家の一員らしく魔力量も多いベルナルドは、牧師の国家資格を取得し成人後すぐに大叔父が支配人を務めるアンテイア宮殿式場に就職した。
「そこで騎士じゃなく牧師になるところが兄さんらしいよね」
「俺みたいな協調性に欠ける人間に騎士団生活は向かないんだよ、残念ながらな。大叔父の事は昔から好きだったし、人に感謝される仕事はなかなか悪くないぞ」
「ぶっきらぼうだけど優しくて、目つき悪いけど思いやりのある兄さんにはピッタリだと思うよ!」
「さりげなく悪口混ぜてないか?」
「嫌だな、心の底から褒めてるんだよ?」
十八歳から見習いとして二年間勤務した後、一人前の牧師として単独で挙式をこなすようになって更に七年が経過し、今や国内有数の当日成婚率を誇る敏腕牧師となった。
コートウェル公国での挙式は、大陸を生み出したとされる創世の夫婦神に祈りを捧げ魔術誓約を交わすことで夫婦関係を絶対的なものとするが、このやり方は公国独自のものだ。絶対に破棄できない誓約にするため神に誓う形を取り、またそれが貴族も平民も関係なく広く国民に浸透したことから、国民たちは幼い頃から神に祈りを捧げるのが当たり前の行為だと認識し、結果的に大変信心深い国民性が生まれた。そのため神々の覚えがめでたく、大公家やクラーサ子爵家のように生まれつき神からのギフトを授かる者が、他国とは比べ物にならない程多い。
「ベル兄さんみたいに身体能力が高く生まれてきたかったな。そしたら僕ももっと華々しい仕事に就けたかもしれないのに…」
「エミールのギフトが今の大公家じゃ一番凄いと思うぞ?書類の正誤を一目見ただけで判別できるなんて、ギフトが備わってないと不可能だろう」
「そのせいで毎日毎日書類仕事で忙殺されてるんだけどね…はぁ、せめてシャロン姉さんみたいに汎用性が低いギフトだったらここまで忙しくなかったかも」
「ソレ、シャロン姉さんの前で言うんじゃないぞ。自分がいる場所の明日の天気を絶対に外さないギフトなんて、一年中暖かいコートウェル公国内じゃ大して役に立たないとか言った日には命が危ういぞ」
「僕そこまで言ってないけど!?」
ベルナルドは五感や身体能力が常人より高いというギフト持ち上に、大公家の嗜みとしてあらゆる危険から身を守る魔術を習得しているため、厳戒態勢で挙式をこなし、時には不審人物の捕縛や新郎新婦の身の安全を確保することを求められる牧師の仕事をするにはうってつけの人材だった。
「偽名なんて名乗ってないで”継承順位第六位の大公子が牧師を務める式場!”って宣伝しちゃえばいいのに」
「大叔父さんの意向だ。それに、ただでさえ忙しいのにこれ以上はごめんだね」
「あー、それはそうだね。明日も一日の上限いっぱい挙式予約が入ってるんだよね?」
「ここに着いた時オーナーから連絡があって、二組目が当日キャンセルになりそうだとよ。いつの世も男女の関係は複雑なこった…」
「ひえぇ…当日キャンセルってキャンセル料金ほぼ全額だよね?誰が払うんだろう……」
雑談を交わしながらも、二人は魔術誓約書の確認と受理を済ませる。
「真ん中が一組抜けたら余裕が出来るんで、明日の一組目の登録は見習いにやらせるかもしれん。もし見掛けても変に絡みに行くんじゃないぞ」
「兄がいつもお世話になっております~って言ったらだめ?」
「だめ。そして俺がお世話してる側なんだっつーの」
「ちぇー。じゃあまた今度時間あるときゆっくり飲みに行こ!仕事の話もっと聞かせてよ」
「おー、お前が結婚に夢見れなくなるような話をたっぷりしてやんよ」
「それはやめて!!??」
弟に背を向けひらりと手を振り、ベイル牧師は役所を出て転移魔術で職場付近まで移動した。明日の一組目の挙式では新婦入場時に新郎が光の魔術でライティングの演出を行う予定だが、リハーサル時に魔術にゆらぎがあり思うような演出に仕上がらなかったため、早めに会場入りして再度リハーサルを行う手筈となっている。緊張からなのか、目に見えない何らかの魔術的な妨害を受けているのか
判別がつかなかったため、念のため体内の魔力をを浄化し整えるためのドリンクをスタッフからの差し入れと言う形で渡した。就寝前に飲むと式当日はリラックスして臨める効果があると伝えさせたので、きちんと飲んでいれば明日には正常に魔術を扱えるだろう。公私ともに順調な新郎を妬む誰かの悪意が見え隠れするので、気を引き締めて挙式を執り行わねばならない。
◇◇◇
「ベイル牧師、遅くまでお疲れ様です…!」
「シェレン?こんな時間まで残っていたのか」
支配人との打ち合わせを終えたベイル牧師が会議室を出ると、とうに仕事を終えたはずのシェレンが待ち構えていた。
「い、いえ。一度帰ってまた来たのです。今日はベイル牧師が遅くまで打ち合わせしていると聞きまして」
「俺に用事があったのか?披露宴中に役所に行ってしまったから、声を掛けるタイミングを逃したんだな。こういうときは遠慮せず魔術通信のメモを使っていいんだぞ」
「こ…個人的な用件ですので、仕事の道具を使ってはいけないと思いまして!」
「…ひょっとして、今日の挙式が怖かったのか?不審物がすぐ近くに投げ込まれたし、簡単に持ち場を離れられないシェレンは怖くて当たり前だよな。気付くのが遅れてすまない」
「あ、いっ、いいえ!そういうわけでは!!」
「遠慮しなくていい。そうだ、そこで少し待っていてくれ」
シェレンをスタッフルームの椅子に座らせたベイル牧師は、部屋を出て転移で馴染みのティースタンドに向かい、手早く商品を受け取り戻った。その手にはフルーツがたっぷり入ったアイスティーが二つある。
「シェレン、お待たせ。これでも飲んで少し話そうか。帰りはもちろん送っていくからな」
「わざわざ買ってきてくださったんですか…?はっ、すみません!お代は!?」
「俺の仕事後の一杯に付き合わせているのだから、何も気にしなくていい。今日も一日お疲れさん」
目を輝かせてフルーツティーを受け取った直後、大事なことを思い出して俄かに慌て始めるシェレンが愛らしい。挙式中は楚々とした佇まいながら自分の演奏への確かな自信を感じさせる力強さも秘めているのだが、こうして職務を離れるとまだあどけなさが残る少女といった印象が強い。出会った当時はまだ十三歳だった彼女も、今年ついに二十歳となる。
「シェレンはこの秋で二十歳になるんだったか。まさかあの時のご令嬢がうちに就職してくれるなんて、当時は思ってもみなかったな」
「はい…今年で、あの日助けてくださった当時のベイル牧師と同い年です。牧師はあんなにご立派だったのに、同じ年齢を目前にしても追いつける気がちっともしないのです」
「何を言ってるんだ。シェレンはいつも周りをよく見ているし、式場内の空気を読み取って演奏曲を変えたり、落ち着いて対応しているじゃないか。今日だって列席者の心を和ませてくれて、支配人も感謝していたぞ」
「…ありがとう、ございます。よく気に掛けてくださって、いつも感謝しております。ベイル牧師が傍にいるから、安心して演奏に集中できるのです」
「…この国の結婚式は、独特だろう。なんとしてでも魔術誓約前に破談させるために、人は思いもよらない凶行に及ぶこともある。それだけじゃなく、シェレンの姉さんのときのような事件がまた起こる可能性もある。辛いときは、誰か信頼できる人に必ず話すんだぞ。もちろん俺でもいいから」
シェレンは十三歳の頃、六歳年上の姉の結婚披露宴の最中に誘拐されかけた過去がある。
シェレンの姉はバイオリン奏者で、人の心を鼓舞する魔術効果を付与するギフト持ちで、そのことは広く世に知られていた。そのせいで国内外のあらゆる組織から狙われており、彼女の挙式は公国騎士団から警備に何名も駆り出される厳戒態勢の中執り行ったにも関わらず二桁の人数が取り押さえられる事態となり、無事に魔術誓約を交わした瞬間会場全体が安堵に包まれた。
だからこそ、油断したのだろう。
まさか一族の末子のシェレンが挙式のひと月前から脅迫を受けており、指定の場所へ来なければ披露宴をぶち壊し魔術誓約書をバラバラに引き裂くという脅迫文を何通も受け取っていただなんて、誰も気付いていなかった。家族に話した瞬間姉に危害を加えると書かれていたためシェレンはそのことを誰にも相談できないまま当日を迎え、姉のお色直しで誰もが慌ただしくしている中一人会場を抜け出し、誘拐犯にその身を差し出し姉の披露宴を守ろうとしていた。偶然居合わせた当時見習い牧師だったベイルが、彼女を窮地から救い出した。
何人もの大人に取り囲まれ抵抗することも出来ず、真っ青な顔で馬車に押し込まれそうになっていた彼女を素早く助け出し、馬車の動きを止め犯人グループ全員を縛り上げてすぐさま公国騎士団に引き渡した彼は、この活躍が決め手となり見習いから一人前の牧師へと昇格し、今でもアンテイア宮殿式場を守り続けている。
「脅迫文を真に受けて、誰にも告げず一人で早まった行動をした己を恥じ入るばかりです…」
「一度交わされた魔術誓約書を引き裂くのは不可能だし、仮に誓約書が損傷しても交わされた誓約が損なわれることはないからな」
「あの時ベイル牧師がいてくださらなかったら、どうなっていたか…牧師は私の恩人というだけでなく、我が一族の恩人です」
この出来事を大公は重く受け止め、既に広く知られているものや公表した方がよいものを除いたギフトの内容を、公にせず秘匿する方針を固めた。相手の狙いは初めからシェレンで、類稀なるギフトを持つ彼女を他国に売り飛ばし多額の金銭を得る計画があったのだ。そのためこの事件以降は、我が子にギフトが発現したら親は詳細を伏せてただ発現したことのみを役所に申請し、後日専門家との面談で今後のギフトの取り扱い方を決めることが定められた。既にギフト持ちだと知られているクラーサ家のような人々は、公の場でギフトを行使する際には公国騎士団が必ず警備に就くことになり、血筋の悪用防止のため婚姻には大公の承認が必要となった。これにより才能のある者の他国への流出が激減し、結果的に優秀な人材が国内に多く留まることとなった。
「それで、俺への個人的な用事を聞いてもいいか?」
「あ、はい、えっとですね…その……」
「今日はもう後ろに予定もないし、落ち着いてゆっくり話してくれ。もし言い出しにくいことなら、後日改めて時間を作っても構わないぞ」
「…そ、それであれば、大変恐縮ですが次のお休みの日に少々お時間をいただけないでしょうか?その日までにお話しすることをきちんとまとめておきますので!」
ベイル牧師の申し出にこれ幸いと飛びついたシェレンは、首尾よく休日に共に出掛ける約束を取り付けた。
「シェレンのようなきれいな子と休日に出かけるなんて、緊張してしまうな」
「きっ、きれいだなんて!とんでもないです!!」
「落ち着いて話せるような店を抑えておこうか。生憎若い女の子が喜ぶような店に心当たりがないんで、支配人や妹に聞いておくとしよう」
「牧師には妹さんがいらっしゃるのですね。…もしかして、それで私のことを気に掛けてくださるのでしょうか?」
「いや、それとこれとは全く関係ない。うちの一族の女性は皆逞しくて、俺の助けなど必要としないんだ」
「それはすごいですね…」
ひとまず今日はこれでお開きとし、アンテイア宮殿のすぐ近くにあるクラーサ子爵邸までシェレンを無事に送り届けたベイル牧師は、そこから転移で自宅に戻った。
◇◇◇
一人前への昇格を果たしてから住み始めた自宅は大叔父の持ち物で、古いがしっかりした造りでベイルのお気に入りだった。なかなかの高給取りではあるが、なにぶん兄弟姉妹が多く全員分の毎年の誕生祝やいずれ執り行うであろう結婚式の際に支払うご祝儀の金額などを考えたら、無駄遣いは出来ない。働き者な上に質素倹約を常とする堅実な第五王子であった。
「はぁ、今日も一日疲れたな」
就寝前に、その日の仕事の詳細をまとめるため机に向かうのが彼の日課だった。
「今日は休日なので、一日の上限いっぱいの三組の挙式。一組目は俺と新郎の入場と同時に新婦の元恋人が雇った狙撃手からの攻撃があったが、魔術盾で跳ね返し事なきを得る。二組目は途中まで和やかに進んだが、魔術誓約のサインをするためペンを握ったところ新郎の足元に大穴が空く。ストールを投げ込み即座に引っ張り上げたが、間に合わなかったらと思うとゾッとするな…」
犯人は宝飾店に勤める新婦の同僚の男で、石材の加工のための魔術を駆使し大理石の床に大穴を開けたというのでベイルも驚いた。挙式当日に新婦への想いを自覚するも時すでに遅し、幸せそうな二人を見ることに耐え切れず、誓約前にぶち壊したい衝動にかられ咄嗟に魔術を展開したと供述している。恋愛感情はかくも人を愚かにするものだと呆れるが、だからこそ遠い昔の先祖はこのような法を定めたのだと妙に納得してしまう。
かつての大公に深く愛された美貌の妃は、この法をどう受け止めたのか。記録が残されていないため、それは誰にもわからない。そして数多くの問題を孕みながらも法が廃止されないのは、コートウェルの一族もまた嫉妬深いからなのだろうか。ベルナルドにはまだわからないことだが、いつか花嫁を迎える日が来る頃には遠い先祖の気持ちを理解することが出来るのだろうか。
「俺も、年齢的にそろそろ真面目に考えねぇとな…はぁ。どこかに素敵な女性との出会いが転がってないもんかね」
ぼやきながら机上を片付け、寝台に寝転がる。
明日も一日、忙しくなりそうだ。
知人の結婚式でインスピレーションを得てガーッと書き上げました。中編の執筆を再開しますが、思いの外楽しく書けてよい息抜きになりました。お楽しみいただけますと幸いです。