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9. 顔合わせの宴②



  

「さっむい……」


 啓蟄(けいちつ)といえど、まだまだ日中は防寒具が手放せない。特に今日は着飾るために機能性より見栄え重視の薄着だ。

 私の前にいる侍女達は、みっちりくっついてさながら押しくら饅頭状態。爪先立ちでなんとか前方の視界を確保しようと頑張っている。


 あそこの真ん中にいればきっとあったかいだろうな。皇太子に興味はないが、暖を取るために前に行きたい。


 私は欠伸を噛み殺して、腕を擦って侍女の群れの一番後ろにくっついた。


「見て、悧珀(りはく)様よ!」

「噂通りお美しい方……眼福ね眼福!」


 どこぞの妃の侍女達がきゃあきゃあと小声で騒いでいる。その声につられるように、他の侍女も首を伸ばして皇太子を見ようとする。


「皇太子って珍獣みたい」


 私のところからは皇太子の姿は見えないが、侍女らの反応を見る限り、綺麗な人であることには間違いないのだろう。


「あっ、こっちに来られるわ!」

 

 前に詰めるようにして見ていた侍女達が、急いで整列しだした。髪の毛を触ったり服を整えたりしながら、自分たちの女主人の後ろに畏まって並ぶ。つられて異術妃達もそわそわとしながら居住まいを正しだす。おかげで人垣に隙間が空いて前が見えるようになった。


 そろっと隙間から覗くと、どうやらこれから皇太子が舟をつかって池を一周するようだ。舟遊びというやつか。池の畔に観覧席がある異術妃達のもとにも、もうしばらくしたら皇太子がやってくる。


 私も並んだ方がいいな。


 悪目立ちはしたくないので、そそくさと桃春の侍女達に混ざって並ぶ。

 

 皇太子を乗せた舟が池を滑るように進む。池の円周に沿うようにゆっくりと進み、徐々にこちらに近づいてきた。こちらから皇太子の顔立ちや服装まで目視できるほどに近い。


 なるほど、これが噂の皇太子様か。


 艷やかな黒髪に、白い肌、冷徹そうにも見える切れ長の目に、形のいい唇。黙っているとその顔はまるで作り物の人形のようだ。濃紫の盤領袍(ばんりょうほう)から伸びる手足はすらりと長く、高い鼻や抜けるような白い肌は、瑠杏の話通りどことなく西方の胡人の血を感じさせる。

 母の血を色濃くひいた美貌の皇太子殿は、女達の熱い視線の中、やや気怠げに舟の上で前を見据えている。中性的な容姿からは『変わり者の第三皇子』なる険は感じられない。


 これは納得だ。宮女らが騒ぐのもわかる気がする。


 私が皇太子の観察に夢中になっていると、くいと前から袖を引かれた。気づいて視線を落とすと、桃春(とうしゅん)の侍女のひとりが私の袖を引いていた。


「なんでしょうか?」

桃春(とうしゅん)様があなたを呼んでますわ」

「私を?」


 桃春の姿を探すと、確かに私の方へ目配せをしていた。何事だろうか。こっそりと人垣を縫って前へ行く。桃春の真後ろまで行くと、目立たない程度に腰を屈めた。桃春は薄っすらと笑いを浮かべ、僅かに私を振り返った。茶がかった瞳がきゅうっと細められる。

 視界の端では皇太子の舟がゆっくりとこちらに近づいてきていた。


「役立たずの貴女が私のために役に立つ機会を差し上げるわ」


 どういう意味か計りかねて、私は表情を強張らせた。

 

「桃春様?」

「ふふ、いなくなる前に少しは役に立ってくださいな、お姉様」

「一体何を――」


 するつもり、と私が言い終える前に、ぐらりと桃春の身体が前に傾ぎ、池へと落ちていく。皇太子に見とれていた他の妃達が桃春に気づいて、声を上げる。


「きゃあ! 藍妃(らんひ)さま!」

「桃春っ」


 私も突然のことで落ちる桃春を捕まえられず、無駄に手だけが虚空を掻く。


 ばしゃん、と大きな音と水飛沫を上げて桃春が池に落ちた。衆目が一斉に桃春に集中する。皇太子の舟はもうすぐ側までに来ている。


「いやあっ、助けてぇ!」


 桃春の悲鳴が響く。沈みそうになりながら、かろうじて顔だけ水面から出す桃春。


 桃春は泳げないのだ、このままでは溺れてしまう。


 慌てて近くから数名の衛兵が池に飛び込んだ。ぐったりとする桃春を抱えて岸まで運んでいく。


「藍妃さま! 大丈夫ですか!?」


 岸に引っ張り上げられた桃春に侍女や妃らが駆け寄る。

 全身びしょ濡れの桃春は、カタカタと震えながらすすり泣いていた。三月の池はまだ極寒だ。桃春の唇の色はすっかり真っ青になっている。


 私はそれを人混みの中から呆然と見ていることしかできなかった。


「何事かな」


 落ち着いた静かな声が割って入る。桃春に釘付けになっていた私や周囲の人達は顔を上げた。


 中性的な外見から想像していたよりもずっと低い皇太子の声は、彼の立場と相まってこちらを萎縮させるには十分な迫力があった。黒髪が風になびいて彼の細い輪郭を撫でる。


 皇太子悧珀殿下は、舟上から桃春をじっと見下ろしていた。


「殿下、ううっ……」


 皇太子の雰囲気にのまれることなく、桃春が途切れ途切れに話し出した。髪から雫がぽたりぽたりと落ちて草を濡らす。


「いきなり誰かに背中を押されて、池へ突き落とされたのです……!」

 

 桃春がわあと大袈裟に泣き崩れた。しかしその視線は私の方にしっかり向いていた。

 

 私は自身の血の気が引くのを感じた。


 あのとき桃春の背後にいたのは私だ。桃春は私を犯人に仕立てようとしているのだ。

 

 桃春の話を聞いた妃達が、まさかという表情で私のことを振り返った。

 あまりに酷いやり口に言葉が出ないまま、私は愕然とした。手が震え、立っていられなくなって膝をついた。耳の奥を打ち鳴らすように心臓が音を立てている。


 桃春はここまでして私をだしにするのか。このままでは私は異術妃を殺しかけた女となってしまう。解雇どころではない、厳罰が下ることになる。

 

 私の周りにいた人達が何事か囁き合いながらじりじりと私から距離をとる。ぽっかりと人垣にあいた空間に、私だけが取り残されてしまった。


「後ろにいたのは私の侍女です。疑いたくはないのですが……でも……」


 桃春の訴えは続く。

 皇太子はしばし桃春を見つめていたが、小さくため息をついた。


「わかった。妃は一度部屋に下がりなさい。その侍女は捕縛した上で話を――」


 淡々とした物言いに、興味もないといった雰囲気が感じられる。

 そんな皇太子が僅かに視線をずらして私を見た。



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