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43. 事態は動く




 あの二人を残して出てくるのは気がかりだったが、悧珀(りはく)がいいと言うのだからよかったのだろう。

 先程までのやりとりを思い出しながら悶々と歩いていると、ついと後ろから袖を引かれた。


「そのまま直進すると柱に激突しますよ」


 緑紹(りょくしょう)の忠告に顔をあげると目の前が柱だった。ぼーっとしすぎだ。

 

「ありがとうございます」

「いいえ。憂慮が多いこと、お察しいたします。柊月(しゅうげつ)様とは久しくお会いしておりませんでしたが、随分後宮に馴染まれたようで安心しました」

「馴染む……そうでしょうか」


 一歩ずれて柱を避けて歩き出すと、三歩後ろを緑紹がついてくる。


「初めてお会いしたときよりも、柊月様は人との駆け引きがお上手になったかと」

「それは良いことなんですか?」

「勿論ですよ」


 いつも真面目な緑紹の下がりがちな目元が更に下がったので、多分本当に褒めてくれているんだろう。真意は読めないが、褒め言葉は有り難く受け取っておく。


「悧珀様も日々後宮の処理に追われております。太子妃選儀も今暫くは見送ることになるでしょう」


 ため息混じりの緑紹に、彼の苦労も透けて見える。

 

 (よう)の登場により、後宮への外廷の介入が顕著になりつつある。後宮は悧珀の庭だ。しかし朝廷に属するものである以上、後宮も政治の場である。才四家筆頭、異術家最高峰の金家の圧力は並々ならぬものと推察する。悧珀も緑紹も当然忙しいに決まっている。

 私は頭の中で元気にはしゃぐ瑶を思い出す。


「瑶様がこれからどう立ち回るかで状況は変わってきそうではありますが」

「そうなのですか……私はまだ事情を把握しておりませんので……後程悧珀様に確認いたしますね」


 緑紹と連れ立って桂花宮(けいかきゅう)へ続く走廊を抜け、四院(あずまや)を見ながら廊子を通る。思っていたより瑶のところに長居してしまっていたようだ。桂花宮を出るときには午の刻だったのだが、すっかり日が傾いてしまっていた。残してきた阿子と明睿がやきもきしている姿が目に浮かぶ。置き手紙は残していったので、以前市井に無断で降りたときほどの騒ぎにはなっていないと思うが。


「私は柊月様にお詫びと御礼を申し上げなければなりません」


 考え込んでいた私に、突然緑紹がおかしなことを言い出した。私ははてと緑紹を見上げる。


「改まるようなことって、何かありました?」

「あるのですよ」


 緑紹は私の前に回り込むと深々と頭を下げた。


「大変失礼ながら、私は柊月様のことを見くびっておりました。燕子であればなんでもいいと、悧珀様の邪魔さえしなければどんな方でもいいと思っておりました」


 正直な人だ。私は思わず笑ってしまう。

 

「しかし、想像以上に貴女様は後宮で役割を果たそうと太子妃になるべく努力なさっていた。悧珀様もそれを認め、柊月様に心をお許しになられた。柊月様が来られてから、悧珀様は穏やかになられました」

「そう、ですか……?」


 緑紹の眉が下がる。


「私や明睿(めいえい)でも悧珀様の理解者にはなりえませんでしたが、柊月様なら悧珀様も心を開けるのでしょう。覗見術(しけんじゅつ)のお力はあるでしょうが、ひとえに柊月様のお人柄が大きいかと。ありがとうございます」


 更に頭を下げる緑紹の顔を上げさせようと、私は肩に手を添える。


「やめてください。私は自分にできることをしただけです。そんな頭を下げられるようなことでは……」


 緑紹に畏まられると困ってしまう。

 緑紹とわたわたやりとりをしていると、自室の方から大きな音がした。バタバタと走る人の足音もする。


「何事でしょう」

  

 普段の調子に戻った緑紹が私の前に出ると、先に中を確認しに自室の方に向かう。遅れて私も入室する。

 入ると入口近くに割れた花瓶と生けてあった花が転がっていた。大きな音の出処はこれだったのか。奥に視線をやると、明睿がちょうど女官二人を取り押さえているところだった。その二人が見知った顔だったので、私は思わず声が出た。


琉杏(るあん)玉鈴(ぎょくりん)!一体何があったのですか?」


 琉杏と玉鈴は私に気づくと、さっと表情が強張った。


「柊月様、お知り合いですか?」


 明睿が後ろ手に縛り上げながら二人を見下ろす。その表情はいつに増して険しい。


「彼女達は桂花宮に断りもなく侵入した挙げ句、柊月様の私室に入り込もうとしておりましたので、取り押さえているところです」

「断りもなくって……」


 それよりも、明睿が最初に言った『お知り合いですか?』の言葉の方が気になる。


「明睿、以前二人を桂花宮に通してくれましたよね?私の息抜きのための話し相手に、と」


 確か悧珀に皿を探しのため市井に連れて行かれる直前まで、私は琉杏達と会話していた。そのときに二人が言っていたのだ、私を元気づけるために明睿と阿子が中に入れてくれたのだと。

 明睿は訝しげに首を横に振った。

 

「いいえ、覚えがありませんし、そもそもありえません。柊月様のお側に上げる人間は悧珀殿下によって決められております。ましてや藍桃春の侍女など、決して近づけません」


 そんな……琉杏達ははっきりとそう言ったのに。

 思わず二人を見やると、無言で顔を背けてしまった。顔色が悪い。

 

 この態度ではっきりした。あのときの理由は、嘘だったのだ。

 

 私達のやりとりを見て、明睿は一段と表情を険しくした。 


「まさか、柊月様は彼女らとここでお会いになったことがおありですか?」

「……一度だけ」


 明睿は舌打ちをすると、琉杏達を床に引き倒した。床に肩から潰れた二人の悲鳴とくぐもった声が聞こえる。


「明睿、乱暴は……!」

「乱暴? こやつらは一度ならず二度も無断で燕良娣の居室に立ち入ったのですよ。しかも一度目は虚言で貴方を騙した。目的は何だったのかはわかりませんが、賊と同じです」

「そんな……何か理由があったんだと思います!」


 明睿の言いたいことはわかる、わかるのだが。


 見下ろす先の二人は黙って床で俯いている。

 琉杏も玉鈴も私の友人だった。友人と思い込んでいるのは私だけかもしれないが、少なくとも相手を傷つけることを好んでする人達ではなかった。

 何か理由があるはずだ。今二人が弁解しないということは、何か口に出すことが憚られる理由が。


 そうだ。彼女達が口に出せなくても、私は知ることができる。

 私は二人の前まで行くと膝をついた。緑紹が咎めるように声を上げたが、気にせず二人に手を差し出す。

 

「手を」


 久しぶりに会った二人は前よりも一層痩せたように見えた。隈も酷い。

 二人は困惑した様子だったが、気にせず玉鈴の手を取った。すぐに頭の中に玉鈴の感情が流れ込んでくる。

 後悔、怯え――そして、桃春に対する憎悪。私の居室に侵入した理由もすぐわかった。

 ああ、これはどうしよう。事情がどうであれ、重罪ものだ。

 

 私が何をしているかわかっている緑紹と明睿が探るような視線を向けてくるが、口に出すと大事になるため今は黙っておきたい。


「これから悧珀様がこちらに来られるので、この件について相談します。なので、今は二人の身柄を押さえるだけに留めることはできませんか……?」


 一度琉杏達に騙された身の私が言っても、二人がすぐに引いてくれるとは思えない。が、悧珀の名が出たことで渋々だが納得してくれたようだった。

 

 私は立ち上がる前に玉鈴の上衣の懐から小瓶を取り出した。中の液体が私の手の中で揺れる。


「預かっておきますね」

 

 瓶を見て更に二人の顔色が悪くなった。 

 瓶の中身は毒だ。しかも私に盛る予定だったもの。


「琉杏と玉鈴の意志でないことはわかってます。今日私に全て話すつもりだったんですよね。……悪いようにはしませんから」

「ごめんなさい…………」


 か細く震える声。可哀想に。桃春に脅されて嫌でもここに来るしかなかったのだ。

 

 二人は前回桂花宮へ忍び込んだ際に私に助けを求めようとしたようだが、悧珀の登場で叶わなかった。あのとき何か言いたそうなのは、この件だったのか。

 今回は桃春に毒を盛れと命令されて泣く泣く来たようだか、少なくとも覗見術で見る限り玉鈴に毒を盛る気はなかった。今回は処罰覚悟で私に全て話すつもりで来たのだ。


 なんとか助けてあげたい。 

 よろよろと警邏(けいら)につれて行かれる二人と入れ替わるように、瑶のもとから戻ってきた悧珀が室内に入ってきた。

  


 

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