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15. まだ眠れない




 殿下に抱えられたまま走廊を渡る。方向的に私にあてがわれている桂花宮(けいかきゅう)へ向かっていそうだ。


 良娣(りょうてい)良媛(りょうえん)程の高位の妃には、それぞれ個人の宮をあてがわれる。それより下の妃は数名ずつで同じ宮を使うことになる。

 私には、後宮の西奥の桂花(きんもくせい)が咲き誇る桂花宮という宮を使うよう言われていた。

 

 殿下は庁堂(ひろま)を出てから終始無言だ。見るからにあれこれ無駄に喋る人ではなさそうだから、こちらも気まずいということはないのだが、何よりこの体勢が落ち着かない。長身の殿下の腕の中から見下ろす地面は結構高い。高所があまり得意じゃない私にとっては、ふわふわと足が揺れているのが恐い。足の痺れも取れてきたし、人目も気になるし、何より殿下に申し訳ないのでそろそろ降りたいところだ。

 

 無言で歩みを進める殿下をそろりと見上げる。


「あの……」

「なに?」


 先程までの苛立った様子はどこへやら、普段と変わらない淡々とした雰囲気に戻っている。私は降りようと殿下の胸元から身体を離す。


「もう自分で歩けるので大丈夫です」

「途中で倒れられても困るから、気分が悪いならこのまま――」

「気分?」


 そういえば立てなかった理由をまだ言ってなかった。殿下は本当に私の体調を案じて抱えてくれていたのか。あの場を離れるための口実に私を使ったのかもと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。

 

 足の痺れのときとは違う冷や汗が背中に流れる。こちらを見下ろす殿下のことをまともに見れない。


「あの、実は、足が痺れて立てなかっただけ、なんです、けど……ははは……」


 段々と尻すぼみになっていく。心配をしてくださっていたようで、申し訳なさと特大の恥ずかしさで目が泳ぐ。


「足の痺れ?」


 殿下の周りの温度が先程の桃春(とうしゅん)とのやりとりのときくらいに下がる。


「だから、足が」

「聞こえてるよ、聞き返したんじゃないから。はぁ、君の心臓には毛が生えているのかな」

「え?」


 殿下が呆れた顔をして私をぽいと腕から下ろした。いきなりのことで、私は前につんのめってたたらを踏んだ。


「殿下」

「僕は自室に戻る。君も桂花宮に戻りなさい。声が掛かるまでは余計なことをしないように。いいね?」


 そう言い残すと、殿下はこちらを振り返りもせず走廊を引き返して行く。そういえば殿下の私宮は桂花宮とは反対の場所にあった。

 

「……怒らせてしまったな」


 または呆れ返ったのどちらかか。

 あの場で足が痺れて動けない女なんて、ただの阿呆だろう。私もそう思う。早速やらかしてしまった。

 

 殿下の後ろ姿を見送りながら、私はしなしなと走廊の端にしゃがみこんだ。


柊月(しゅうげつ)……!」


 突然遠くから声を掛けられて、私はしゃがんだ姿勢のまま顔を上げた。そこには琉杏(るあん)玉鈴(ぎょくりん)がいた。人目を気にしてか、こそこそと小走りで私の側まで来た。


「大丈夫?」


 二人は心配そうにしている。経った数日なのに久々に二人に会う気がする。


「大丈夫です。それより二人は何故ここに?」

「どうしても柊月に会っておきたかったの。桂花宮に繋がるここなら待ってたらいつか会えるんじゃないかと思って」


 琉杏が眉を下げる。その眼尻に薄っすら涙が溜まっていた。


「あの日の宴で殿下に連れて行かれた日から、柊月のこと本当に心配してたのよ。そしたら突然今日異術妃に召し上げるらしいって話を聞いて、びっくりしたの」


 玉鈴も横で頷く。


「最初は嘘だって思ってたけど、今日の格好を見て本当なんだわって思ったわ」

「それは……その……」

「責めてるわけじゃないの。柊月に何か事情があって、色々隠してたんでしょう? 一緒に働いていたのに、何も気づかず貴女の力になれなくてごめんなさい」


 二人が泣きそうになっているのを見て、私は急いで首を振る。


「私の方こそ、黙っていてごめんなさい。責められるべきは私です。そんなふうに言わないでください」


 私は自分のことを恥じた。

 琉杏と玉鈴にどう思われているだろう、などと考えていた自分が恥ずかしい。二人はこんなに私のことを考えていてくれたのに、私は自分のことばかりで手一杯だった。


「柊月、応援してるわ。負けないで」

「頑張って! 私達はいつでも柊月の味方よ!」

 

 玉鈴と琉杏の言葉に、私の方も泣きそうだった。


「ありがとうございます」


 握った二人の手は温かく、嘘偽りなく私への心配と応援の気持ちで溢れていた。


 私のことを想ってくれる人がいる。それだけで、少し頑張れる気がした。 



* * *



「あの子、ただの阿呆だろう」


 むっすりとした表情をした悧珀が牀榻(ベッド)に腰掛ける。遅れて宮に戻ってきた緑紹は肩を震わせて笑いをこらえていた。


「それは、その、なんというか……肝が据わっていると言いますか」

「図太いの間違いだろう」


 悧珀の仏頂面は変わらない。

 

「周囲から酷く謗られて気分が悪くなったのかと思ってしまったあのときの自分を殴りたい」


 多少の化粧と服装で柊月の雰囲気が儚げに見えたこともあるのかもしれない。

 

 思った以上に彼女は化けた。手入れがされていないだけで、柊月は美人の部類に入る。あの格好で黙っていれば、まごうことなき深窓の令嬢だった。まあ黙っていれば、だ。口を開けば出会ったままの柊月だった。

 

 顔色悪く床にへたりこんだ姿を見て、気分が悪いのかと思ったのだ。

 項垂れて目頭を揉む悧珀に、緑紹がとうとう吹き出した。むっとした悧珀が緑紹を半目で睨む。


「笑うな、緑紹」

「ふふっ……これは失礼しました」


 ひとしきり笑ってから緑紹はこほんと咳払いした。


「にしても、悧珀様が存外柊月様にお優しくていらっしゃるので驚きました」


 悧珀が顔を上げると、緑紹がにこりと笑う。


「燕子であれば誰でもいい“お飾りの妃”を、勘違いとはいえ手ずから抱えてお運びするなんて思いませんでした。適当に放っておいたらよろしかったのに」


 緑紹は嫌味などではなく、純粋にそう言っている。

 

 緑紹は柊月のことを純粋に悧珀の道具としてしか見ていない。彼にとっていつだって悧珀が第一だ。悧珀以外はその他大勢くらいにしか認識していない。


「まあね。あの場でなければ僕も放っておいたと思うよ」

 

 悧珀はするりと自身の顎を撫でる。

 

「衆目に晒されて生まれや立場を差別され、謂われなく罵られる苦しさは僕にも経験がある。まあ後宮は特にそういう場所だしね。あそこで見て見ぬふりはしたくなかった、それだけだよ。僕の中の僅かに残った良心がそうさせたのかな」


 悧珀が肩を竦めると、緑紹が笑みを深くする。

 

「何を仰います。悧珀様はもともとお優しい方ですよ」

「その言い方だと嫌味ともとれるね?」


 悧珀は視線を逸らすと、髪留めを解いた。乱雑に髪を下ろすと髪留めを緑紹に渡す。


「今日は疲れた。夕餉はいらないと侍女らに伝えておいてくれ。早く横になりたい」


 緑紹は髪留めを受け取ると、布でくるんで牀榻近くの卓子に置いた。

 

「かしこまりました。……ですが、横になるのはほんの一刻ほどにしてください。夜はまた後宮へ足を運ばねばなりませんから」

「何故?」


 悧珀が横たえかけていた身体を起こす。緑紹は事もなげに言う。


「何故って、本日は初夜にございますよ」



* * *



 やっとやっとやーっと房間(へや)で一人になれたと思ったのに。すぐに大勢のお姉様方に囲まれて服を脱がされ湯浴みに突っ込まれ、また綺麗に化粧をされた。解いた髪を丁寧に梳いて髪油をすり込まれた。

 あとは寝るだけだと思っていたのに、こんな格好じゃ寝れない。


「あの、私もうそろそろ寝たいな、と思っていたんですけど」

「柊月様? 何を仰ってるんですか? 今晩は戦ですよ」

「いくさ?」


 私、一体何と戦わされるんでしょう? 異術妃の仕事で戦闘があるとは聞いたことはない。

 

 首を傾げる私の前に長身の侍女が膝をつく。初めて見る顔だ。


「柊月様、よろしいですか? 房事について知識はお有りかと思いますが、実際にそのときになると慌ててしまい、頭が真っ白になってしまうものです。大切なことは――」

「あ、ちょっ、ちょっと待ってください」

「大丈夫ですよ。恥ずかしく思うのは最初だけですから。変に知識に頼らず、全て殿下にお任せてして――」

「だから! 待ってください!」


 今房事って聞こえた。戦ってその戦?

 

「わ、私今から殿下のその……アレのお相手するんですか?」

「房事です」

「そんなはっきり言わなくても」

 

 そうか、今晩は初夜になるのか。

 

 妃の冊封も終わり、今日から後宮が正式に機能し始める。となると、当然これからは度々夜に殿下のお渡りがあるはずだ。少なくとも、初夜にあたる今晩は必ず来るはずである。


「でも、誰のところにいらっしゃるかはわからないですよね? 私のところと決まったわけでは」

「いいえ、いらっしゃいますよ。殿下、柊月様のことをあんなに熱烈に抱き上げ介抱なさっていたじゃありませんか!」

「熱烈に、介抱……」


 どこから回ってきた話なのかわからないが、話に尾鰭がついている気がする。とんだ勘違い話が後宮に飛び回っている予感。また胃が痛くなってきた。


「それに、殿下が柊月様を太子妃にと仰っているとも聞きましたよ! ならば、今晩も確実にいらっしゃいます!!」


 私は燕子というだけのお飾り妃なので目をかけてもらえないと思います、とは言えない。


「柊月様の侍女一同、柊月様の幸せをお祈りしております! 今晩は頑張りどころですよ!!」

 

 女官達はあれこれと教えてくれるのだが、申し訳ないことに私には半分も理解できなかった。妃教育や花嫁教育を受けていない私には房事など縁遠く知識も全くないため異国の言語を聞いているような気分だった。

 

 殿下にとって私はただの燕子の女で、愛しているわけでも特別なわけでもない。殿下に『異色の女が産んだ子が欲しい』などと言わない限りは、これといって彼に必要とされることはないはずだ。どうぞ後宮の他の女性のもとに行ってほしい。


 女官達の房事講座が一通り終わった頃、窓の外はすっかり夜の帳が落ちていた。私は欠伸を噛み殺してそろりと立ち上がった。

 

「いつまで起きていればいいんでしょうか?」

「通常なら、あと半刻もしないうちに殿下がいらっしゃると思いますが」

「なるほど。それ以降は気にせず寝ちゃっていいということですね」


 あと半刻起きていればその後はゆっくり寝られる。あと少しの我慢だ。

 

 そう思って伸びをしたとき、外から慌ただしい足音が聞こえてきた。振り返ると、外の見張りに立っていた侍女が駆け込んできたところだった。


「柊月様っ! でっ、ででで!」

「でっででで? 落ち着いてください」


 でを繰り返す侍女が、胸に手を当てて息を整える。彼女の頬は紅潮し、目が輝いている。


「柊月様っ! 殿下のお渡りですっ!!」

「……………………え」


 やんややんやと喜ぶ侍女達の後ろから、私より頭一つは優に越える長身が姿を現れた。相変わらず人形のように整った顔だが、その表情は死んでいる。

 

 およそ男女の逢瀬のために足を運んだ男とは思えない相貌で、悧珀殿下は私のところへやってきたのだった。


 

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