『ドライ的支柱』
『ドライ的支柱』
㈠
俺はこのかた、ドライ的な精神で、人と関わって来たし、これからもそうであろうが、自己が意図的にドライ的なものを望んでいるのである。というのも、関係性が深まると、様々な問題が浮上し、人間関係に疲れるからである。
㈡
物事は簡単なようでいて、複雑である。そういう、俺の諸問題において、俺は実情、このドライでありたいという思いから、関係性を遮断することが、特に昔は多々あった。その、ドライであることが、精神の支柱になっていたからである。
㈢
そういうものを、含蓄した言葉が、ドライ的支柱、という訳である。何がどうでも、俺は一旦の不安を担いながら、ドライな状態で、人と接する。それは、とにかく、気楽なものだ。そう有りたい、と思っていたから、そうなれて正解だった。