第二話
「良かったの?子供達には身代金代わりに帰すって言ってたけど」
黒頭巾を脱いだサハルが黒髪をなびかせながらそんなことを聞いてきた。
表情は明らかににやけている。
答えが分かっていてわざと聞いているのだ。
「子供の前では、優しい兄ちゃんでいたい」
「中途半端ね、貴方。下衆になりきれば楽なのに」
「…そうだな。帰ろう」
戦争が始まって、参加すると言い出したサハル。
最初のうちは死体を見て吐いたりしていたものだ。
だが時間が経つにつれ、彼女は戦闘中に笑みすら浮かべるようになってしまった。
戦争が彼女を変えてしまった。
「さて、次はどうしましょう?長」
拠点に戻った二人はとある幕舎に入り、皺だらけの老人に会っていた。
彼はこの拠点の長である。
「うむ…ここから南に行ったところにあるハダリン族を知っているか?」
「我々ペドウィア族の交易相手の一つでしょう?無論知っています」
砂塵の民と呼ばれている彼らだがその実態は砂漠に住む複数の部族をティエップ王国の人間が纏めてそう呼んでいるのだ。
ラシドが属しているのはペドウィア族、遊牧生活を営み定住しない部族だ。
「彼らに何かあったのですか?」
「ティエップ兵が近くに現れたそうだ。彼らとは特に仲が良いというわけではないが、今はこういう時だ。助け合わねば生き残れぬ」
「分かりました。向かいます」
「頼む。とはいえ今は休むのだ。お前も人、休息は必要だ」
「はい。では、失礼します」
「…まずい。ティエップ兵はこんなもの食べてるのか」
「堅ッ」
幕舎の外に出たラシドはサハルや他の仲間達と一緒に食事をとっていた。
空は既に暗く、星空は満点の星で埋め尽くされ篝火が周りを照らしている。
そして食事の場ではティエップ兵から略奪した食料も食卓に上がっていた。
とはいっても評価は散々なものだ。
「鉄のように堅いパン。それと葡萄酒か」
「保存性は高いし、携行性も高い。けどこれじゃ到底足りないわ」
「だな。それとやっぱりここの飯の方が美味い。携行食料と比べるのは少しあれだがな」
ラシド達の一族は全員で集まって食事をとる。
そして現在食卓に並んでいるのは麦と鳥肉を羊の乳で煮込んだスープ、小麦で作った生地を薄く伸ばして焼いたパン、香辛料と空豆を細長い米と合わせて炊いたご飯などである。
「葡萄酒は美味しいわ」
「どんなだ?」
「んっ…」
革袋に入っていた葡萄酒を飲んでいるサハル、味に興味を持ったラシドが尋ねるとなんと口移しで飲ませてきた。
「ぷはっ!?お、お前!」
「何?」
何でもないように聞き返してくる。
「こういうのを人前でやるんじゃない!」
「いいじゃない。いつ死ぬか分からないんだし」
赤面しながら叱りつけるラシドだったが、次の瞬間には元に戻った。
サハルの瞳が光を失い表情までも失っていた。
「お前…」
「湿っぽくなっちゃったわね。ごめんなさい、ラシド」
「…酔いすぎだ、お前」
サハルの持っていた革袋を半ば無理やり取り上げ、一気に飲み干す。
さして酒精は強くないが、彼が酔うには十分すぎた。
「横になってくる。残りは食べていいぞ」
「だってさ」
振り返ってみると先ほどの言葉や表情などなかったかのように、サハルはラシドの残した食事にがっつく子供たちを優し気な顔で見守っていた。
「ラシドよ」
「長…」
夜風に当たろうと拠点から少し離れた岩場で星を見ながら寝っ転がっていると、長が話しかけてきた。
慌てて身体を起こし、長の方を向く。
酒のせいもあるだろうが少し不用心だった。
「サハルのことを考えていたのか?」
「…ええ」
先ほどの彼女の事、昔の彼女とどうしても比べてしまう。
ラシドとサハルは幼馴染でいつも一緒だった。
花でも愛でている方がよほど似合っているはずの彼女が豹変したのは、戦争のせいだ。
再び元の彼女に戻れるのか?
考えずにはいられなかった。
「戦争に参加すると言い出した時に止めるべきでした。あんな顔をするようになるなんて…」
「それは許可した儂に責がある。それにその言葉はあの時のサハルには効かなかったと思うぞ」
「……」
「ラシドよ」
「はい」
「この戦争がどんな結果に終わったとしても、儂は長の座を辞する。この戦争に多くの我が部族の若者を死なせたからな。お前には次の長の座を譲ろうと思うのだが、どうだ?」
突然の長からの言葉に彼は酔いが醒めた。
「な、なぜ私が?せめて理由を」
「皆が納得するだろうからな。力もある、皆からも信頼されている。まあ頭が少し足りないのと我先に飛びだしていく欠点はあるが、他の者と協力していけばその欠点も補えるだろう。」
「……」
「考えてくれるか?」
「少し、時間をください」
「分かった。…今宵は星が良く見える」
二人は星の輝く空を見上げながら、黙って暫くそこにいた。