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第9話 『天球』にて5 =本当の音色を聴かせて=


 『クラシックの夕べ』最終日。

 僕は午前中早々に、自分の演奏を終えた。


 出来としては、可もなく不可もなくというのが個人的な感想だったが、観客席に座る祖父母の様子を目にし、彼らが僕の演奏を楽しんでくれたことが伝わると、口角が自然と上を向く。


 奏者控室から僕の演奏を聴いていた君も、舞台裏に戻った僕を拍手で迎え「良かったぞ」と笑顔を見せる。


 君の隣にいた美沙子は「ふぅん、さすが『TSUKASA(ツカサ)』の御曹司ね。なかなかやるじゃない」と口にして、一応は褒めてくれたのだろう。


「でも熱意がまだまだ──かな? 今のところ、わたしがヴァイオリンで唯一勝てないのは、同年代では葵衣(あおい)だけってことか」


 独り言のようにブツブツと呟く美沙子の口から、昨日耳にした名前がこぼれた。


 ──葵衣。


 神童と呼ばれる美沙子が敵わない相手?

 けれど僕は、その人物のことも、演奏も、まったく知らない。


 美沙子は自分のヴァイオリンを手に持ち、舞台に向かって歩き出す。僕の横を通り過ぎるとき、一度立ち止まった美沙子は、真剣な眼差しで僕の双眸を見つめた。


「克己くん、あなたはいつ本気になるの? あなたが望んだら、きっと他の誰の追随も許さないヴァイオリニストになれるのに……勿体ない」


 驚いた僕は、美沙子の言葉に何も返せなかった。

 そんなことを言われるとは、思いもよらなかったから。


 美沙子はそれだけ告げると「じゃあ、わたし、演奏してくるわね。二人とも、ちゃんと聴いていてよ」と言って、そのまま舞台に歩いていく。


 僕は、自分の指先を黙って見つめた。


 僕が?

 追随を許さないヴァイオリニストに?


 過去、美沙子の演奏を聴いて動けなくなってしまった僕が、彼女をも凌駕する奏者になれると──彼女自身がはっきりと口にしたのだ。


 しばらく動けずにいた僕の足元に、淡い影が落ちる。

 顔を上げると、そこには君が立ち、気づくと僕の手は、君の掌に包まれていた。


「美沙子は少し子供っぽいところもある。だけど、音楽に対してだけは本当のことしか言わない。克己くんの本気の音色が聴きたくて、あんな言い方をしたんだと思う。もちろん、わたしも、いつか克己くんの本当の音が聴いてみたい」


 僕の本当の音。

 この指先で生み出す音色は、まだまだ未熟だ。

 これから先、もっと研鑽を積んだとしたら、僕の音色はどう成長していくのだろう。


 聴いてみたい──と、お世辞ではなく望んでくれる人が、家族以外にもいた事実がとても嬉しく、どこかこそばゆい。


「はじまる。美沙子の演奏を聴こうか」


 僕は君と共に、美沙子が出ていった扉に視線を移した。その扉の奥はチャペルに繋がっている。


 開け放たれたドアからは、大きな拍手が届く。

 美沙子の登場に客席から送られた応援の音だ。


 拍手が止んでシンと静まり返ったあと、ヴァイオリンの音色が『天球館』内を席巻していった。



 初めて彼女の演奏を聴いたとき、高度なテクニックに裏打ちされた音色は正確で、どこか冷たさを感じていた。僕は、怖いとさえ思い──動けなくなった。


 けれど今、再び耳にした美沙子の音楽は、技巧はさることながら、音を楽しむ喜びで満ちている。


 ガゼヴォの森を歩き、練習棟へと向かった『天球』滞在の初日。あの日、美沙子が見せた誇らし気な笑顔が脳裏に浮かんだ。


『今はね、楽しいよ。だって、わたしには紅子がいるから。友達と一緒に弾く音楽が、わたしの一番の幸せ。それがやっと分かったの』


 美沙子の演奏を聴く君が、噛み締めるように呟く。



「ひとりで弾くのも楽しい。でも、友達と奏でる音楽は、もっともっと楽しいんだ」



 美沙子が見せた幸福感に満ちた眼差しと同じ輝きが、君の横顔に浮かぶ。

 共に音の高みを目指し、手に手を取り合って歩む仲間に出会えたきみたち二人は、今とても幸せなのだろう。


 君はその嬉しさを隠すことなく、優しい眼差しを美沙子へと向ける。


 上気したその頬は薄紅色に染まり、美沙子の演奏を心から楽しんでいることが伝わった。



 薄紅(うすべに)色──それは、やはり君の色だ。



 名前と同じ(くれない)は、君が幸せを感じたときに見せる、特別な色なのかもしれない。






次話


 中学最後の夏1 =美沙子と『口実』=


を予定しております。


(中学生に成長です)

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『くれなゐの初花染めの色深く』
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