第46話 【余話・紅子】エピローグはプロローグ
花びらが、フワリフワリと宙を舞う。
薄紅色の幸せが降り注ぐさまを、わたしは静かに眺めていた。
昨日、プリスクールで先生から読んでもらった絵本の中にある『花の妖精』のダンスのように見えた。
ああ……これは多分、夢だ。
そんな『匂い』がする。
「──紅ちゃん」
誰かに呼ばれて振り向くと、わたしの隣には見知らぬ大人の男の人が立っていた。
落ち着いた色あいのシルバーグレーのジャケットを羽織り、胸には薄紅色の花を挿している。
まるで『王子様』のような出で立ちだ。
彼がわたしに向ける微笑みは、優しくて温かい。
──ああ、この人の笑顔……好きだな。
ひと目見ただけで、そう思った。
見上げた空は、綺麗な水色だ。
薄紅色の花びらは、その青色の中で更に際立ち、美しさを増す。
わたしは、花嫁さんの着るような白いドレスを身に纏い、その男の人と腕を組んで歩いている。
花びらの雨の中を進んでいくのは、とても面白くて──幸せで──やっぱりワクワクした。
ふと目に入った自分の腕の長さに、首を傾げる。
王子様と組む手も、その指も、いつもよりも長く見え、まるで大人の女の人のようだと感じたからだ。
「──紅ちゃん」
また、誰かに呼ばれたような気がした。
そして、目が覚めた。
薄暗い部屋の中で目を開けたわたしは、突然窓の外が気になりだした。
なぜだろう。
海の向こうの空から、何かが近づいてくるような『匂い』がする。
その正体を確かめたくて、居ても立っても居られなくなったわたしは、慌ててベッドから飛び起きた。
木製のブラインドをスライドさせ、窓を開けると、急いでベランダへ飛び出す。
「──うわぁ! 綺麗……!」
朝方は毎日のように濃霧に包まれる丘陵地帯。だからベランダに出たとしても、白い雲のようなものだけが見えるはずだった。けれど──
今日に限って──その霧がない。
それだけでも驚いたのに、丘の上にある自宅からは、遥か遠くに横たわる水平線までが見渡せた。
後方から射し込む朝日に照らされ、海が魚の鱗のようにキラキラと輝いている。
まるで「おいで、おいで」と手招きされているようだ。
「──『匂い』がする!」
それも、とびきり楽しい『匂い』が。
自分に関わる大切な『何か』が、少しずつ近づいて来る気配に、小さな胸が高鳴った。
「あら? 紅子? もう起きているの?──それじゃあ、朝ご飯を食べたら、早目に空港まで行きましょうか」
そうだ。
今日は両親の友達家族が、日本から遊びにやって来る日だ。
先ほどの夢で見た、あの優しそうな王子様の顔が、唐突に思い浮かんだのは、どうしてだろう?
食事を済ませると、父がわたしの歯を磨いてくれた。
母は、その横で、わたしの洋服を選んでいるようだ。
「あ! それ、着たい」
わたしは先ほどの夢で見た、『花の妖精』のダンスを思い出し、それと同じ薄紅色のワンピースを着たいとせがんだ。
空港に到着すると、父がわたしを抱き上げてくれた。車での移動中、少し眠っていたからか、まだ身体が重い。
「晴子、出てきたぞ。あれじゃないか? 謙介と雪乃さんと……あ! あの小さいのが克己くんかな?」
「本当だわ。荷物が出てくるのが、きっと早かったのね。早めに来て正解だったわね」
わたしの視線は、両親の友達夫婦と一緒にいる、少し年上の男の子に注がれた。
ああ──この子だ。
あの『匂い』は、この男の子との出会いを指していたのだと、すぐに分かった。
この子が、わたしの『一番』になるのだと、胸の真ん中が告げる。
でも、『一番』て、なに?
仲良しになるってことでいいのかな?
夢の中の王子様の面影を残す男の子が、わたしの前に一歩近づいた。
「ご挨拶と自己紹介をなさい。克己のほうが少しだけお兄さんなのよ」
母親らしき人に促され、男の子がこちらに目を向ける。
挨拶──『一番』の仲良しにする、挨拶?
それって、どんなもの?
どうすれば、いいのだろう。
でも、もしかしたら──
離れて暮らす両親が、空港で再会するたびにする『仲良し』の挨拶をすればいいのかもしれない。
わたしは克己くんと呼ばれた少年に近づくと、彼の首に両手を回した。
──確か、ここだった……はず?
両親の『一番』の挨拶を真似て、わたしは克己くんの口に、自分の唇をくっつけてみた。
ん?
なんだ!
そうか!
いま……わかった!
心の真ん中も、それが正解だよと笑っている。
わたしとこの子は、これからすごく仲良くなって、いつか本当の家族になる。
口をくっつけた途端、そのことがストンと理解できた。
家族になるって、兄妹になれるのかな。
それもきっと楽しいだろうな。
だけど──なんとなく、少しだけ違うような気もする。
いまは、まだ正解はわからない。
でも、わたしが大きくなって、お姉さんになったときに、正しい答えが見つかるはずだ──それは確かな『匂い』。
わたしは、この『匂い』と言う名の予感を、今まで一度も外したことがない。
だからこれは、間違いなく──運命の『匂い』。
わたしの『一番』を見つけたこの日、自分が存在する意味を初めて知った。
うん。間違いない。
わたしは──きっと、
この子と出会うために
──生まれてきたんだ。
【完】
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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克己と紅子のその後は『この音色を君に捧ぐ』シリーズの別の物語でも触れております。そちらも楽しんでいただけると嬉しく思います。
改めまして、最後まで読んでいただきありがとうございました。
(次の最終ページには、使用した宣伝イラストと関連作品情報が掲載されております。)
青羽根 深桜







