第45話 『くれなゐの初花染めの色深く』
ヴェールを上げた君と、指輪の交換をする。
誓いのキスは──唇ではなく、互いの指先に贈りあった。
大学院で学びながら『TSUKASA』米国本社でも働くようになった頃の僕は、多忙な毎日の中でもヴァイオリンだけはつづけていた。
コンクールに参加することはなくなったけれど、その経験で学んだことも多く、今後はそれを仕事で活かすのが僕の役目だと思っている。
君はそれを理解してくれた。
そして、演奏旅行で君が僕のもとを訪れるときは、二人で苦心しつつも会う時間を捻出し、音を重ねることでその仲を深め──気持ちを確かめあうことも多かった。
演奏に興じたあと、その音色を生み出す互いの指先に感謝する、あの儀式が習慣化されていた僕たちにとって──誓いのキスの場所に、指先を選んだのは自然の成り行きだったように思う。
…
挙式のあと、二人で腕を組んで教会の外へ進むと、そこには家族と友人たちが左右に並んで花道をつくり、僕たちを待っていた。
皆の手の中には、既に花びらが握られているようだ。
式に対してこだわりのなかった君が、唯一希望したのは──フラワーシャワー。
「子供の頃からの夢だったんだ。『花の妖精』の踊る──フラワーシャワーの中を『王子様』と一緒に歩くのが」
花弁の色にこだわっていた君は、プランナーに「薄紅色だけで」と頼んでいたことを知っている。
その色は僕にとっても、忘れ得ぬ──二人の出会いの色。
そして、僕が自分の想いの変化に気づくことになった──『選択肢b.』──あの和歌を読んだときに感じた色でもあった。
隣を歩く君が、僕の顔をのぞきこんだ。
「そういえば……恒ちゃん先生、式に出席できなくて残念がっていたな。学校の新入生保護者会に校長が出ない訳にはいかないからなぁ」
「そうだね。小清水『校長先生』になったからね。ああ……でも、紅ちゃんがドレスの支度中に、美沙ちゃん宛に連絡が入ったみたいだよ──先生、二次会には来られるって」
その言葉に、君が喜ぶ。
「そうか。良かった! 恒ちゃん先生は、克己くんの次に、わたしの恩人なんだ」
「僕の次の──恩人?」
その問いに、君は自分の指先を見つめた。
「昔、音楽室の使用許可を出してくれただろう? 泣いていたわたしと、克己くんが職員室に乱入したときに──あれが、ピアノを再開するきっかけのひとつだったから。あのとき先生が、もし許可してくれなかったら、ピアニスト柊紅子も、今日の日も、迎えられなかった気がするんだ──それに……そこで大切なことに初めて気づけた……だから先生は、わたしの恩人だ」
そんな日々もあったなと、僕も君の指先を見つめる。
あのとき、その爪先で存在感を主張していた白い三日月は、ずっと姿を消したままだ。
「恩人──か、それなら僕にとっても同じようなものかもしれない……あのテストの和歌──小清水先生が出題した問題を解いているときに、君への気持ちの変化を自覚して──」
「ちょっと待て、克己くん! なんだ、その面白そうな話は? 初耳だぞ!」
君は僕の言葉に被せる勢いで、その和歌を教えろとグイッと身を乗り出してくる。
「誰にも話したことがないからね。僕の秘密だよ。だから──」
人差し指を唇に立てた僕は、君に「内緒」と伝える。
「いや、そこをなんとか! 結婚のご祝儀ということで、是非ともその和歌を教えてくれたまえ! わたしの……旦那さま?」
僕だって、ご祝儀をもらう側なんだけど?──と思いつつ、悪戯に笑う君の笑顔には、やはりかなわない。
「僕の奥さんは、相変わらずおねだりが上手で、本当に……困る」
僕は君の肩を抱き寄せ、その耳元で囁くようにその歌を詠んだ。
静かに耳を傾けていた君は目を潤ませると──芳しい花のような微笑みを僕に向ける。
「わたしの色……くれなゐの──恋の歌……」
感極まった君は、それを隠すように僕の胸元をグイッと引き寄せ、この唇にキスをした。
仲睦まじい新郎新婦の様子にシャッター音が鳴り、周りからは歓声があがる。
時を同じくして、薄紅色の花弁が、雲ひとつない青空に一斉に舞った。
思い出の色が降る、暖かな春の日差しの中。
晴れて夫婦となった君と僕は、歩調を揃えてゆっくりと歩き出す。
──これは、はじまりの第一歩。
二人の物語は、ここから新章を迎えるのだ。
…
僕は今日──君のすべてを託された。
「気負うな、克己くん。幸せは二人で掴むものだ」
君は笑顔で言うけれど、今日の佳き日に抱いた覚悟と、君に誓ったこの愛は、一生色褪せることなく、僕の胸に──在りつづけるだろう。
『くれなゐの 初花染めの 色深く
思ひし心 我忘れめや──』
薄紅色の心は、君と共に──
互いの『思ひ』を育み
確かめあった日々を
僕は永遠に──忘れない。
次回(最終話)
【余話・紅子】エピローグはプロローグ
を予定しております。







