第43話 出立の日3 =誓いの接吻=
「ごめん。紅ちゃん」
僕は大反省のもと、君を横抱きにして移動中だ。
すれ違う人の目が、僕の心に突き刺さる。
「いや、克己くん。申し訳ないのはこっちだ。自分でも驚いたけど……それよりも──重いだろう?」
君も気まずいようで、僕の胸に顔を隠している状態だったりする。
「紅ちゃん自身は、重くないよ。どちらかと言うと、僕の心のほうが申し訳なさで重いというか……本当に、ごめん」
それにしても、母と晴子さんに、この状況を何と説明したらいいのだろう。
「アンタたち、何やってるのよ?」
聞き覚えのある声が、突然届いた──美沙子だ。
戻って来ない僕たちを、探しに来たのだろう。
振り返ると、美沙子は仁王立ちで腕組みをし、少し機嫌も悪いようだ。
「電話連絡を入れても通じないし、どうしたんだろうって皆で心配してたのよ」
タクシーに乗った際、スマートフォンの音を消していたことを思い出し、やってしまったと慌てた僕だ。
「は? バカップルか! キスのし過ぎで紅子を腰砕けにさせるって……克己くん──アンタ、どんだけガッツいたのよ! ケダモノか」
美沙子の呆れを帯びた声に、僕は反論できずに縮こまる。
「面目次第もない……つい……その──我を忘れて……」
言い訳なんてできない状態で、そのときの気持ちを包み隠さずそのまま伝えると、美沙子の溜め息が聞こえた。
「まあ、今日くらいはね……いいんじゃないの。わたしも少し言い過ぎたわ。悪かったわね………ごめんなさい」
そこに、君の嬉々とした声が横入りする。
「いや、それがな、美沙子。聞いてくれ! すごく気持ちが良かったぞ! ビックリしたが、またしたい! 多分、わたしと克己くんは、そっち方面も色々と相性がいいみたいだ! これからの進展が今から楽しみだ!」
君が興奮のあまりに出す無邪気な声と、語っている内容のギャップに、聞いているこちらが非常に居た堪れない気分になる。
「紅子……幸せ過ぎてついつい話したくなるのかもしれないけど、親の前ではその話題は厳禁よ! いい? わかった!? 言っている意味、ちゃんと理解してるわよね」
「ごめん、紅ちゃん。僕からもお願いします……」
「お? ……おう?」
美沙子の勢いと、萎れる僕の様子に気圧された君が、首を傾げて大人しくなる。
待ち合わせ場所に着くと、母親二人は、君が僕に横抱きにされて運ばれて戻ったことにかなり驚いていた。だが、君が無事だとわかると安堵し、深く追及はされなかった。
何かを感じとっていた母と、物言いたげな晴子さんの様子は伝わってきたが、今日のところは目を瞑ってくれたようだ。
出発ロビーで、見送りに来てくれた生徒会の面々と小清水先生にも無事会えた。
先生からは、僕の進学予定地域に先だって留学をしている卒業生や、その地域で仕事をしている卒業生の連絡先リストをもらった。
すべて先生の教え子で、現在も遣り取りのある信用のおける人たちとのことで、何か困ったことがあればコンタクトするようにと言われた。
ちなみに、僕に連絡先を渡すことは、先方にも確認済みらしい。
「海外生活は、人と人の繋がりも大切だからな。現地での生きた情報も得られるだろうから、連絡してみるといい」
僕は先生に感謝の言葉を告げ、頭を下げながらその用紙を受け取った。
やっとひとりで立てるようになった君が、そのリストに興味を覚えたのか折り畳まれた紙を凝視する。
「恒ちゃん先生、そのリストって、女の人は載ってるのか?」
「小清水先生、わたしもそこは気になるわ。後々、面倒な事態に陥るのは避けたいんですよね。教えていただけますか?」
君と美沙子が同時に質問する。
「あの……僕、別に好んで女の人に連絡なんてしないよ?」
君という大切な人がいるのに、そんな不埒な真似をする人間だと思われているのなら、かなり心外だ。
美沙子は先ほどの僕の行いを知っているので、心象が良くないのかもしれない。
でも、それは相手が君だったからこそなのに──そこまで僕の信用は地に墜ちてしまったのだろうかと、かなり落ち込む。
「そんなこと知ってるわよ! 克己くんのことじゃなくて、もし相手がアンタに入れ込んじゃったら困るでしょう!? あのね、優しくするのは本当に命とりなんだから、程々になさいよ──血の雨が降るのは御免だわ」
「なんだか……物騒なことばかり言うよね。美沙ちゃん──いま、顔がすごくコワイよ……」
僕たちの遣り取りを聞いていた先生が苦笑する。
「柊も月ヶ瀬も心配性だな。リストには男しか入れていないから安心しろ。一応、鷹司のことはずっと見てきたからな、その辺りは心得てある。まあな、本人が無自覚だからこそ、お前たちは心配しているとは思うんだが、そういう鼻にかけないところがコイツのいいところだろう」
なんだかよくわからないが、僕の評価としては、下げてから上げてもらえた……のだろうか?
「あの……紅ちゃん、お言葉ですが……君こそ他の人と、必要以上にスキンシップをしたりしないでね。そっちのほうが僕は心配で──」
その言葉に君はニコッと笑い、美沙子が溜め息混じりで語り出す。
「克己くん、それは大丈夫よ。紅子はね、確かに人との距離感を色々と間違ってるところはあるんだけど、男の人とそんなことしたの見たことないから──あ、でも、克己くんを除くと一人……いや? 二人を除いてだけどね」
「え!?」
待って。
ひとりは、おそらく父親だ。
「もうひとりって誰なの!?」
僕の焦った顔に、美沙子がフフッと楽しそうに笑う。
「貴志よ──わたしの弟」
そういえば、君は月ヶ瀬邸を訪問するといつも貴志を探し出し、あの頬に吸い付いていたっけ。
貴志自身は君からのスキンシップに酷く怯えていたことも同時に思い出す。
泣きべそをかきながら、僕に助けを求める姿は庇護欲をかき立て、僕にとっても弟みたいな存在だ。
どうやら美沙子にからかわれたようだ。
でも、そのことを怒るよりも、語られた内容にホッと胸をなでおろした僕だ。
気心の知れた仲間との和やかな時間は、あっという間に過ぎ、その様子を見守っていた母から声をかけられる。
「克己、楽しい時間でしょうけど、出国手続きが混むといけないから……そろそろ──」
母の遠慮がちな声は震えていて、その目には涙が溜まっていた。
「え!? 母さん? なんで泣いてるの!?」
驚いた僕は、隣にやって来た母の顔をまじまじと見つめた。
「いや……だって、あんなに小さかったのに、もう手元を離れちゃうなんて……いざその時が来ると、やっぱり色々と思うところがあるのよ──ああ……心配しないでね。ちょっと寂しくなっちゃっただけたから。それよりも──気をつけて、行っていらっしゃい。頑張るのよ。それと、向こうに着いたら、お友達に連絡したあとでいいから、ちゃんと自宅にも連絡してね」
「一番に連絡を入れるよ」
泣いていた母が、今度は呆れたように笑う。
「馬鹿ね……一番に連絡するのは紅子ちゃんでしょう。克己にとって大切な女性なんだから、そこは順番を間違えちゃ駄目。将来の練習よ」
「将来?」
僕が首を傾げると、母が僕のコートの襟を整えながら口にする。
「考えているんでしょう? 紅子ちゃんとの将来も含めた今後のプランを──あなたの進路や、今までやってきたことを見ていればわかるわ。だって──母親だもの」
母は何でもお見通しのようだ。
この先も変わらず、君が僕の隣を選んでくれたなら、その先の未来で──僕は、君と共に、長い人生を歩んでいきたい。
君は、これから世界に羽ばたく女性だと、理解もしている。
だから僕は、君が羽を休めるために帰る場所であれたらいいなと思っている。
そして、気がはやいと笑われるかもしれないけれど、もしも二人の間に愛する家族が増えたとき──安心して、守り育てる礎をしっかりとつくっておきたいのだ。
君は、母と僕の話していた内容を聴いていたのか、その話が終わると少し緊張した声で僕の名前を呼んだ。
「克己くん! あの交渉権の『お願い』──やっぱり今使いたい」
「今?──なんだろう?」
僕は君に、首を傾げながら訊ねた。
「その……お願い、だ。絶対に帰ってきて──真っ直ぐ、わたしのところに。わたしの『願い』は小さな頃から変わらない──克己くんと、本物の家族になりたい。それがわたしの叶えたい『望み』──それ以外はいらない」
そう宣言すると、君はつま先立ちになって僕の頬を両手で包んだ。
君の顔が近づき「これは、誓いのキスだ」と囁き、その唇を僕の口に重ねる。
驚きのなか、君からの口づけを茫然と受けとめた僕は、そのまま君の身体を抱きしめる。
「──だから、克己くん。これは二人の『約束』──ここにいるみんなが証人だ」
初めての口づけは十年以上も昔のこと。
それは、君と出会ったときの薄紅色の記憶。
今日交わした『約束』は、その昔君が贈ってくれた歓迎の『挨拶』を彷彿とさせた。
けれど、あの時と、ひとつだけ違ったことがある。
今日、僕たち二人が重ねた誓いの接吻は、誰から注意されることも、止められることもなく──二人の未来へ向けての舵をとる──出立の『挨拶』となった。
次回、
華燭の典
を予定しております。







