第34話 大人への階段2 =それぞれの夏=
盛夏──六月末から実施された期末試験を終え、夏期休暇に入るまで、残すところ二週間弱。
君は海外で行われるミュージックキャンプに参加するため、一足早い夏休みを学校側に申請し、欧州へと旅立って行った。
君に遅れること一週間の後。僕は高校生を対象にした米国大学主催のサマーキャンプへ向かった。
キャンプとは言ってもアカデミックエリアでのサマースクールだ。
大学が閉まる長期休暇に合わせて開催され、参加者たちは集団で寮生活を送る。
多国籍に渡る高校生が生活を共にし、国際交流の場にもなる。
僕がサマースクールの申し込みを検討していた大学には、併設されたコンサバトリー(音楽学校)もあった。ものは試しと、駄目もとで大学側に交渉してみたところ、一部の授業を音楽科の教授からの個人レッスンに変更することも可能であるとの返答をもらい、即参加を決めたのだ。
君と僕の現在通っている都内の私立高校は、学生本人の糧となる有益な活動であると学校側が判断すれば、通常の授業期間であっても課題を提出することである程度の融通がきく。
課題とは、学校欠席期間中の活動内容を、体験レポートにすることなのだが、君は二週間を、僕は一週間を出席扱いにしてもらえ、単位としても認定してもらえるのだ。
学校側に提出したレポート類は、他の生徒にも閲覧が許可され、在校生の今後の進路と将来の選択肢の幅を広げる一助にもなっているようだ。
参加学生本人の見聞を広める機会になるだけでなく、その周囲が触発されることで生徒全体の意識を底上げする効果も認められ、学校側にとっても大きなメリットがあるのだろう。
また、美沙子については外務省がとりもつ海外青年協力隊の活動に参加し、夏休みを迎えてすぐに発展途上国でのボランティア活動に出発すると聞いている。
どうやら彼女は、去年の夏に家族で訪れた某王国にて、現地の言葉をわずか数週間でマスターした実績があったようだ。その特異な語学の才能をいかそうと、海外での人道活動に興味を向けたらしい。
複数の言語を取得したいというのが最終目的であれば、僕の参加するサマースクールも例年70カ国以上の参加国実績があるため、念の為彼女にも声を掛けてみた。が、彼女が重きを置いていたのは『人の役に立つこと』──よって、勉強ではなくボランティアを選んだのだと本人は言っていた。
「色々な国の人と仲良くなって、数ヶ国語をマスターして帰ってくるわ」と、音楽以外の活動に闘志を燃やす彼女。
その様子に対し、寂しさを覚えはしたものの、美沙子が前を向いて自分の道を切り拓こうとする姿を見て、安堵したのもまた事実だった。
夏休みの間、僕たちは別々の場所で、それぞれの未来につながるための活動に励んだ。
親元を離れた生活は楽しくもあり、不自由でもあった。
通信設備は整っていたので、週に一度ではあるが、三人でビデオチャットをして互いの近況を伝えあうこともできた。
三人での報告会のあとは、お互いの課題に真摯に取り組む姿に触発され、次の一週間を乗り切る原動力になっていたように思う。
四週間のサマースクールを修了し、日本へ帰国した僕は、そこから『クラシックの夕べ』に向けての準備を開始する。
今年は祖父母も両親も参加できないとのことで、僕ひとりが『天球』に滞在の予定だ。
よって、練習がしやすいように、本館ではなく練習もできる宿泊棟での滞在を希望していた。
君は例年と変わらず、母親の晴子さんと一緒に参加すると聞いている。
今年の僕の個人発表は協奏曲。伴奏は晴子さんが弾いてくれることになった。
そして最終日には君との合奏が控えている。
僕の伴奏者が、柊家の面々だと知った『天球』オーナー葛城氏の計らいにより、お互いの練習の行き来がしやすいよう、隣り合う棟をおさえてもらうこともできた。
…
『天球』に到着した僕は、森の中に林立する宿泊棟エリアに歩いて向かい、指定された棟の扉を開けた。
玄関を開けると、入口側にはソファとテーブルセットが設置され、その奥には『TSUKASA』のアップライトピアノが目に入った。
室内楽の練習をするのに、適した広さであることを確認したあと、僕は更に奥の扉を開けた。
そこは、クイーンサイズのベッドが置かれた寝室だった。
僕はベッドの横を通り過ぎて窓辺まで進み、木枠の窓を開ける。
新鮮な空気を部屋に呼び込むと、白いカーテンが爽やかな風と遊びはじめた。
窓の外の緑と、その隙間から射す陽光を眺めながら、僕はこの一年に及んだ自分の軌跡を振り返る。
美沙子が過去、入賞を成し遂げた大規模コンクールで、僕は幸運にも結果を出し続けることができた。
それは幼い頃から指導してくれた先生の言葉と助力があってのこと。
『音の世界』に棲む君の隣で、音色を奏でる資格はできたのではないかと自負している。だが、この気持ちを伝える準備は──まだできていない。
この気持ちは、君への裏切りになってしまうのだろうかと、尻込みしている自分がいるのだ。
窓を開けると、鳥の羽音が耳に入った。
その方向に目を向けると、大きな木の枝に一羽の小鳥がとまっている。
その昔、木の根元で遊ぶ三羽の鳥を、三人の少女に見立てたことがあったなと懐かしむ。
君がもし、目の前の梢にとまっているこの鳥であるのなら、僕はその羽を休めるための止まり木になりたい──ふと、そんな考えが過った。
世界へ羽ばたこうとする君の背中を鼓舞し、その疲れを癒やしに帰る場所が、僕の隣であれば……──と、願ってしまうのだ。
僕は、ヴァイオリンケースを開け、自主練習の準備に取り掛かった。
個人演奏の曲は、既に仕上げてある。
だから、この『天球』滞在中は、最終日に君と共に奏でるあの曲を完成させるために費やすつもりだ。
手早く調弦を済ませた僕は、森の中に響けと、万感の想いを込め、飴色のヴァイオリンを歌わせた。
次話
大人への階段3
=ありがとう=







