第31話 自覚と資格4 =顛末=
その日の夜、お叱りの電話が自宅に入った──美沙子からだ。
君と僕が手を繋いだ写真と、音楽室で演奏する動画が、なぜか彼女宛に届いたらしい。
どうしてそんな物が美沙子の元に届けられたのか?
経緯は不明だったが「特殊ルートから入手してるの。克己くんは知らなくていいことだから」と質問の手を封じられる。
美沙子は一度言ったら意見をなかなか曲げない。これ以上訊いたとしても何も得るものはないと判断した僕は、無駄な足掻きをやめ、黙ることにした。
以前、どこで手に入れたのだろうと思っていた僕のクラスの時間割についても、おそらく美沙子はその特殊ルートとやらで入手したであろうことは容易に想像がついた。
そこから数日経過した入学式及び進級式当日。登校早々に数名の友人たちから「彼女ができたのか?」と唐突に質問をされる事態に陥った。
どうやら彼らも、君と僕が一緒に歩いていたという話を耳にしたようだ。
残念ながらそんな関係ではないので「幼馴染。兄妹みたいなものだよ」と伝える。
実際に、それ以上の関係ではないので、友人たちに嘘をついているつもりはない──僕が勝手に、君に対して好意を抱いているだけなのだから。
学校開始後も、君と僕は一緒に登下校をするでもなく、二人で親密な様子を見せるでもなかったため、いつの間にか「お付き合いをしている」という噂話は鎮火されていった。
人の噂は七十五日と言われているのに、僕たちの噂に関しては一週間も経たないうちに誰の口の端に上ることもなくなった。
この一件のあと、君と僕、それから美沙子を含めた三人の学校内での関係が変わることとなる。
三人が幼馴染であることが周知の事実となった今、美沙子は僕を避ける必要がなくなったと言って、廊下で出会う確率も増えた。すれ違えばお互いに挨拶もするし、手を振り合うこともある。
美沙子曰く「幼馴染だとバレたからには避ける労力自体が無駄と判断したのよ。省エネね」とのこと。
幼馴染の少女二人から避けられることがなくなった現況は、僕にとって大変喜ばしいものだった。
以前美沙子は、僕たち三人が学校内で会話をすることにより、君と美沙子自身が大変な思いをすると言っていたが、実際にはそこまでの大事にはならなかったようだ。
安心した僕は、母の言葉──女の子の関係は難しくて複雑──に対して懐疑的になり、美沙子についても「何だかよくわからないけど、気のまわしすぎだったのかもね」と本人を目の前にして何気なく伝えた……のだが、その瞬間、美沙子の右ストレートが飛んできた時はかなり肝を冷やした。
「克己くんは呑気クンか! こっちが事態収拾を図るのにどれだけ苦労したかわかっていないようね……ああ、そうだ。事後承諾になるけど、克己くんが自宅で撮影した制服写真──あれ、交渉のカードとして有意義に使わせていただいたから。悪しからず」
美沙子の怒りのパンチを両手で受け止めた僕は、その言葉に首を傾げた。
制服写真て、母さんが撮影した似非笑顔の?
──それよりも、交渉カードって?
わからないことだらけだったので、質問しようとしたけれど、苛々している様子の美沙子と会話を続けるのは得策でないこともわかる。だからその場は美沙子の苦労を知らなかったことを謝罪し、何があったのかの事実確認は君に問うことにしたのだ。
けれど、君の言葉もはっきりとしなかった。
「うん。まあ、色々とな。なんともなかったから、克己くんは気にするな。でも、ひとつだけ忠告しておく。美沙子に逆らってはいけない。絶対にだ。あれはコワイ女だ」
君の話す内容にも、僕の知りたかった情報は皆無で、なぜか美沙子への注意事項だけが伝えられたのだった。
どうやら僕の預かり知らぬところで、美沙子が動き、君と僕を助けてくれたことだけはわかった。
その詳細についても教えてもらえなかったが、今後何があろうとも美沙子だけは敵に回してはいけないことは、いくら僕でも理解できた。
美沙子が味方で本当に良かった。
おそらく僕は一生、彼女に対して頭が上がらないような気がする。
君と僕の学内騒動に関しては一件落着し、季節は夏を飛び越え、紅葉深まる季節が訪れた。
今年の夏の『クラシックの夕べ』は、美沙子をはじめ、君も僕も参加を見送ることになった。
その代わりに、君は米国で行われるミュージックキャンプに参加し、僕は北海道で行われるマスタークラスで自分の腕を磨くことに専念した。
約一月に渡るこの合宿は、世界を股にかけて活躍する名奏者や、音楽大学の教授から直接指導を受けられるまたとない機会だ。
音楽の道に進む同年代の音楽家の卵も参加するため、切磋琢磨できる環境に身を置く数週間を、お互いに別々の場所で過ごす夏となった。
美沙子については心の療養を兼ね、彼女の父親と懇意にしている東南アジアの某王国の王族所有の宮殿へバケーションに向かったようだ。
懸念事項であった君と美沙子の音楽への問題は、半分が解決し、残り半分は中途半端のまま。
解決した半分とは、君のピアノのこと。
君は音楽室での合奏後、再び音楽活動に打ち込み、大きなコンクールにも度々参加しては優秀な成績をおさめている。どうやら来年には、プロオーケストラとの共演も予定されているようで、その華々しい活躍は学内での生徒の会話にも上るようになっていた。
中途半端な、残り半分の懸念とは──美沙子について。
彼女は、今もまだヴァイオリンには触れることができないようだ。彼女の奏でる音色を聴きたいと願っても、その演奏を耳にできない日々は、終わることなく続いている。
惚れ惚れするようなあの音は、動画サイトの中にあるのみ。
今よりもあどけない姿の美沙子が、幸福に満ちた表情で奏でる映像でしか、残っていない。
次話
自覚と資格4
=邁進=







