第2話 出会いの色2 =人魚姫と水に遊ぶ=
その日、僕たち家族は、柊家にお邪魔することになっていた。
空港からニ台の車で海沿いを南下すること一時間。
まず最初に父所有の別荘に到着した僕たちは、日本から持ってきたトランクを一旦運び入れる。
両親が出かける準備を手早く済ませると、家族全員で再び車に乗り込んだ。
この別荘から更に三十分ほど進んだところに、柊家はあるのだと、教えてくれたのは母だった。
道中、日本では目にしたことのない木を幾度となく見かけた。
絵本に出てくるココナツの木とよく似ている。確認したくなった僕は、後部座席から両親に質問をした。
「あの木は絵本の木? ココナツ?」
「ん? ああ、あれか? あれは、椰子の木だ」
──椰子の木?
「それって、ココナツの実がなる木のこと?」
僕の質問に、今度は母が答える。
「似ているけれど、椰子の木はPalm Treeと言って、ココナツの木とは違うのよ。どちらの木にも、実はなるんだけどね」
遠目からは似ているけれど、木の幹の色も葉の形も違うのだと、両親は教えてくれた。
僕は両親にお礼を伝え、再び窓の外を眺める。
白いカモメが青空を飛び回り、ビーチにはたくさんの人が見えた。
海の波間で浮いているのは、サーフィンに興じる人たちのようだ。
路肩には色とりどりの車が停まり、自転車専用レーンにはロードバイクで走る人々が所々で列を作る。
父の運転する車は、自転車の集団を何度も何度も追い越した。
車の窓から見える海の輝きと、人々の様子に、やはりここは外国なのだな、と改めて実感する。
日本の穏やかな色合いの景色とは違い、目の前に広がる風景は目にもあざやかだ。
しばらく海に沿って移動したことで、僕の中に生まれたその感動も、少しずつ落ち着きはじめる。
すると今度は、急激な眠気が僕の瞼を襲った。
車の揺れの心地良さに、疲れた身体は抗えず、いつの間にやら僕は眠ってしまったようだ。
…
見知らぬ家具に囲まれた大きなソファの上で、目が覚めた。
瞼を擦りながら、人の気配のする方向に歩いていくと、どこからともなく漂ってくるのは美味しそうな匂い。
両親の話し声が聞こえ、裏庭へと続く網戸をのぞくと、大人たちはバーベキューの準備をしているようだ。
「あ! 克己くん、起きた!」
いち早く僕に気づいた君は、嬉しそうに駆け寄ってくる。
その小さな手で網戸を勢いよく開けると、今度は僕の腕を掴んで外へ走り出す。
両親が僕に声をかけた。
「おお! 克、起きたか。水着になってプールで遊んでくるといい」
「紅子ちゃんの泳ぎをみてコツを掴めたら、あなたも泳げるようになれるかもしれないわね」
照りつける日差しの強さに、目の前に広がる大きなプールはとても魅力的だった。
僕の通うスイミング教室の水槽より小さいけれど、自宅にあるものとしてはかなり大きい。
急いで水着に着替えた僕は、プールへと誘われるように白い階段を慎重に降りていく。
身体を浸すと、水面がユラリと波打った。
太陽の光で白く輝く水面は僕が割り入ったことで波紋を刻み、その歪みが重なりあうことで水底に濃紺の影が描かれる。
水がつくる模様と、肌に感じる清涼感を楽しんでいたところ、その静寂を壊すドボーンという激しい音が聞こえた。
そちらに顔を向けると、ちょうど大きな水飛沫が垂直に上がったところだった。
水の柱ができた位置から、ほど近い場所に、君がフワリと現れる。
水面に浮かび上がった君は浮き輪もつけず、とても楽しそうに泳いでいた。
僕がそちらに行くと思ったのか、父が慌てて浮き輪を投げる。
「克! 紅ちゃんの泳いでいる方には、浮き輪なしで行っちゃ駄目だ。そっちは深いから、お前はまだ足がつかない」
僕はまだ、ほんの少ししか泳げない。
だから背の立たない水深のところに行く勇気もない。
父から渡された浮き輪に乗って、プールの上をプカプカと漂いながら、君の泳ぎを興味津々で眺めた。
君は怖がる素振りもなく、魚のようにスイスイ泳いでいる。
時折舞う水滴は空中でキラリと輝き、光を宿したまま、再び水面に吸い込まれていく。
輝く滴たちは、まるで君の周りではしゃぐ、小さな太陽のように見えた。
その様子を目にして思い浮かんだのは──アンデルセンの人魚姫。
泡となる前の人魚姫も、こんなふうに海の中を楽しく泳いでいたのだろう。
何ものにも縛られず、今を楽しむ君の様子は、自由そのものに見えた。
君には人の目をひきつける、引力のような特別な何かがあるのかもしれない。
僕は君から目を離すことができず、その笑顔を目にするたびに、何故かとても嬉しくなったのだ。
…
プールの隣にある小さな円形ジャグジーで「身体を温めよう」と誘われた僕は、君に手を引かれてそちらに移動する。
ジャグジーの内壁には回転式のスイッチがあり、君がカチリとまわした途端、水中からボコボコと泡が湧き出した。
ゴルフボール大の泡が、そこかしこから生まれては弾ける様子に、僕は心底驚いた。
君はその泡を集めて遊ぶ作業に夢中になってしまい、僕のことはまるで眼中にないようだ。
少しだけ淋しさを覚えたけれど、僕は君よりも年上だ。
だから兄になったつもりで、君が泡とたわむれる姿を見守ることに決める。
君の表情はクルクルと変わった。
笑ったり、驚いたり、少し拗ねたりと忙しい。
いつの間にか僕は、君を目で追うだけで楽しくなっている自分に気づき、不思議な気持ちでその様子を観察していた。
君から放置されていることは残念だった。
けれど、泡と遊ぶ君の様子を見ていると、なぜか心が温かくなり、口角が自然と上がっていった。
どうやらこのジャグジーには身体だけではなく、心まで温めてくれる『特殊な効果』があるようだ。
次話
出会いの色3 =君の夢と僕の夢=
を予定しております。