第15話 中学最後の夏6 =落胆と恋煩い=
「克己くん、すごいな。音を聴いただけで分かるって、相当な音楽バカだぞ? ちなみにどれだと思ったんだ? 当ててみて!」
やはり決まっていたのか。
そう思いながらも、僕は答える。
「ラヴェルの『水の戯れ』──でしょ?」
君は、僕の答えに満足したようで、拍手をしながら近づいてくる。
「正解! どうして、そう思った? 理由は?」
僕の座るソファの隣に腰掛けた君は、身を乗り出して矢継ぎ早に質問を繰り出す。
その様子に気圧された僕はその理由を口にする。
「音の一粒一粒がキラキラしていて、なんというか……」
そこで言い淀む。
勝ち負けではないけれど、素直に答えてしまうと完全に敗北した気持ちになるような気がしたのだ。
あれ?
でも、敗北って、何に対して?
自分の考えがわからなくなり自問自答しようとしたけれど、君はお構いなしで、僕のその先の言葉を促す。
「なんていうか? どう思ったんだ?」
──初めて君と出会った日。
二人で泳いだプールの水の、キラキラと煌めく水滴が、僕の心に連想されたのだ。
その映像と共に、あの事故のような口づけも再び鮮明に思い出してしまい、気恥ずかしくなった僕は慌てて人差し指を唇に当て、「秘密」とだけ返した。
君は、突然「おお!」と感嘆の声をあげたかと思うと、今度は目を輝かせながら更に詰め寄ってくる。
「克己くん、それ可愛いぞ! 『秘密』って、もう一回言ってみてくれ。『シーッ』のポーズもつけて」
君は「もう一回!」と再度口にする。
シャチのショーを見たあと、君が父親にねだった「もう一回」のポーズと同じだ。
あの頃と変わらず、顔の前で人差し指を立てた君は、今日は父親にではなく僕に向かってグイッと顔を寄せている。
でも同じなのは、ポーズだけ。
──君はとても美しく成長してしまったから。
「嫌だよ。『可愛い』って……僕、言っておくけど、君より年上の……一応、男なんだよ?」
至近距離で真っ直ぐ見つめられた僕は、君の仄かに色づいた薄紅色の唇から目が離せなくなる。
このままでは気持ちが爆発してしまいそうで──突然怖くなった僕は、君の肩を両手で掴むとグイッと後ろに押し除けた。
「紅ちゃん、あのね。好きでもない人にそんなに近づいちゃダメだよ」
「克己くんは、ダメダメばかりだな。でも大丈夫。克己くんのことは、ちゃんと昔から好きだから」
「ええ!? 昔って、いつから!?」
君の言葉に、僕の胸が高鳴った。
妹のような存在だったはずなのに、その言葉にドキリとして、僕の方が完全に翻弄されているようだ。
でも、知っている。君が言う好きは、家族に向ける好きと同じもの。
それでも、向けられる好意は素直に嬉しいと思う。
「会ったときからだぞ? 克己くんは、わたしの『一番』だ。だって仲間だろう? 音を楽しむ、音を愛する、とても大切な友達だ──……多分?」
君は最後に首を傾げ、なぜか考え込むような素振りを見せた。
対する僕は、どうしたことか──仲間と言われたことに、落胆を隠せなかった。
大切な友達と言われたら、本当ならとても嬉しいはずなのに。この残念に思う気持ちは、どこから湧き出したものなのだろう。それすらもわからない。
僕が君を『妹』だと思っているように、君にも『兄』と思っていて欲しかったから?
でも──それも少し……違うような気がした。
…
柊家を訪問したあと、僕の口からは毎日のように溜め息がこぼれるようになった。
母は「辛気臭いわね。何か悩みでもあるの?」と言って首を傾げ、父は「恋煩いか? 青春だな」と勝手なことをぬかしている。
「人の気も知らないで」と思った僕は、捨て台詞をのこして席を立つ。
「恋煩いじゃないよ! ただ、紅ちゃんのことを考えると、溜め息が出るだけだよ!」
断言した後で、しまったと思う。
また両親の前でいらぬ発言をしてしまったのだ。
「本当に恋煩いだったのね」
「そうか。恋煩いか」
両親の言葉に「違うから!」と伝えたものの、僕は内心激しく動揺しながら自室に引き上げた。
──これを……この気持ちを……恋煩いと、人は呼ぶのだろうか?
いや、違う。
だって君は妹のような存在だ。
今現在の二人の関係を壊したくなかった僕は、芽生えはじめた『可能性』に、無理矢理蓋をした。
僕はこの先もずっと、君の『兄』でいたいんだ。
家族のような立ち位置であれば──
そうすれば……きっと、ずっと君と一緒にいられる──そんな気がしたから。
次話
『選択肢 b. 恋の歌』