1ー若き魔女との出会いー
「本当に......行っちゃうの?」
「ああ。今日で、お別れだ」
魔法学園をテロリストが襲う1日前、シンとミルフィーユが魔法学園に通いだしてから一週間が経った日のこと、学園の前でイスカとミルフィーユが別れのときを迎えていた。
本来なら学園を不合格になった時点でこの国・アストガルデを去ろうとしていたイスカだったが、ミルフィーユに引き止められてこの場に留まっていたのだ。
ちなみに泊まっている宿屋の代金はイスカ払いである。
数日はミルフィーユが自分の我儘なのだから自分が払うと言ってくれたのだが、イスカが遠慮したのである。
「私、貴方と別れたくないわ」
「無理だよ。
それに、一緒に居ると俺の方が辛いんだ」
「そんなこと言わないでよ。悲しくなるでしょ」
「済まない」
「謝らないでよ......」
このままじゃ平行線だな、と感じたイスカは決意を持ってミルフィーユに告げる。
「困ったことがあったら魔法で連絡してくれ。
じゃあな!!」
「あっ......」
ミルフィーユが何か言いかけているのを無視して、イスカは走り出す。
てっきりミルフィーユは追いかけてくるかと思ったが、手を伸ばした状態のまま立ち止まった。
それを横目に見て、少し悲しい気持ちになりつつも、イスカはやがてミルフィーユに背を向けて走り出した。
⭐︎
去っていくイスカの背中を見ながら、ミルフィーユは思う。
これ以上あの人に縋ってはいけないと。
自分が我儘を言いつづければ優しいイスカは必ず私の側に戻ってきてしまうと。
だからこそ、イスカの今後を思えばこそ、彼の足を引っ張ることは許されない、と思った。
⭐︎
イスカとミルフィーユの別れを見ていた第三者が居た。
その正体は遠隔視の魔法を使っているシンだった。
シンの横には学園長の姿もある。彼らは今、学園のとある一室に居た。
「今回のことはありがとう、学園長スレイヴ」
「いやいや、一人の生徒を不合格にすることなど、私の立場からすれば容易いことだよ、シン」
意味ありげに微笑むシン。
シンは学園長であるスレイヴと繋がりを持った家系に生まれていた。
そしてスレイヴに頼んだのだ。
イスカを不合格にしてくれと。
その理由は紛れもない。
ミルフィーユだ。
ミルフィーユのことを好いていたスレイヴが彼女を手に入れるために仕組ませた工作は見事に成功していたのだ。
全てはイスカとミルフィーユを遠ざけるため。
そしてミルフィーユと自分が結ばれるために起こした出来事だったのだ。
今となってはもう関係ないが、イスカの入試の点数は合格基準を余裕で上回っていたのだ。
それをシンはスレイヴに頼み込み、点数を改竄させていた。
しかしスレイヴも口で言うほど簡単に不正を行った訳ではなかった。
教員の目を盗み、テスト用紙をすり替えるのは危険を伴った行為だったのだ。
「しかし、今回のことは貸しにさせてもらうよ、シン」
いくら家系的な繋がりがあるとはいえ、シンとスレイヴは深い繋がりがあるという訳ではない。
何か用があれば今後このことを脅迫材料とする準備はできていた。
このことがバレればスレイヴは終わる。
しかしそのときにシンを共に沈める準備は整っていたのだ。
二人は今同じ船の上に乗った、いわば運命共同体。
しかしシンは、こともなげにその船を壊す。
「安心して下さい、学園長、今後このことで貴方を揺するつもりはありません」
「何を言っているのだね?
命綱を握られているのは君の方だよ?」
「何故なら貴方は......ここで死ぬのですから」
スレイヴがシンの言葉を最後まで聞くことはなかった。
その前に、スレイヴの首元を何かが引き裂いたのだ。
シンとスレイヴは同じ船に確かに乗っていた。
しかしシンは船が沈んだとしても問題なかった。
彼には水の上を優雅に飛べる翼が付いているのだから。
少なくとも彼はそう確信していた。
⭐︎
魔法学園のある国、アストガルデを離れ草原の中を歩いていたイスカは突然自分に向けられた視線を敏感に感じ取った。
学園前に居たときに感じていた視線とは別物。
その視線には好奇心のようなものが含まれていた。
学園前で感じていた視線のように、感情を隠すような意図は含まれていない。
それが逆にイスカを不安にさせた。
「誰だ?出てこい」
無駄だと思いながらもそう尋ねるイスカ。
すると意外なことに草むらの茂みの中から一人の女が出てきた。
水色の髪を肩まで伸ばしたその女はアニメに出てくる魔女そのままの格好をしていた。
それはアニメというものの存在を知っていることを決定づける証拠に他ならない。
「おまえ、転生者か?」
「ほう......ワシの視線に気づくだけではなく、正体まで見破るとはな。
やはりワシの直感は間違っていなかったか」
「直感?」
「お主が只者ではない、という直感じゃよ」
「......」
改めて魔女としか思えない女をイスカは観察する。
年齢は25前後。顔立ちも体型もかなり整っていた。
「そんなにジロジロ見んでくれ。
ワシも流石に照れる」
「自分のことをワシと言うような歳じゃないだろ、おまえ」
「おまえではない、フレアじゃ。
ワシのことはそう呼べ。
イスカ」
イスカは名乗った覚えはない。
しかし魔女のような見た目をしているからには魔法が使えるのだろう。
自分の名前はそれで知ったのかもしれない。
「それでフレア、俺に何のようだ?」
「単刀直入に言う。イスカ、お主は騙されておる」
「......」
「その顔、やはり心当たりはあったようだの」
「いや、何のことだか?」
「とぼけるでない。
お主の入試の試験のことじゃ。
お主のテスト用紙をすり替えた者の正体は分かっておる」
「聞きたくない」
「は?」
理解できないといった顔で疑問符を顔に浮かべるフレア。
それに対してイスカは言う。
「誰がどんな企みで俺を陥れたのだとしても、それを俺が知る必要はない。
俺はもうこの国に居座る気はない」
「いやいやちょっと待て!
テストじゃぞ?
魔法学園のテストで自分を陥れた者の正体じゃぞ!?
普通知りたいと思うだろう?」
「いや、思わない。
その事にはもう自分の中でケリをつけた」
「ケリって......どういう事じゃ?」
「言いたくない」
そう言ってフレアから離れるイスカ。
魔法を使った全力疾走を前に、フレアはなす術もなく引き離される。
⭐︎
......筈だったのだが。
「はあ、はあ......何故ついてこられる?
というか何故ついてくる?」
「お主に少し興味が湧いての」
こともなげに言うフレア。
イスカの息はもう切れ切れだというのに、フレアは汗ひとつかいていない。
「理由をどうしても聞きたいと思ったのじゃよ。
どうせ今後会うこともない他人同士じゃろ?
話してもいいんじゃないかね?」
「......」
「ホレホレ、ホレホレ」
肘でイスカの胸を突っついてくるフレア。
ウザい。
「はあ、分かった、話しますよ」
「賢明じゃの」
「一言で言えば、俺は誰も恨みたくないからだ。
自分を陥れた連中だとか、自分を不幸にした原因だとかを他者に求めることはしたくないんだ」
「嘘こけ」
「は?」
「嘘じゃと指摘したんじゃ。
ワシの目は誤魔化せんぞ、イスカ」
「......いや本当のことなんだけど」
「ならお主は本心を誤魔化しているだけだ。
そもそもお主はそんな聖人君主なのか?
自己犠牲を率先して行える心の持ち主なのか?」
「会ったばかりのおまえに、何が分かる」
「分かるんじゃよ。
お主のことはお主以上によく知っておる」
「なら俺の本心とやらにも、気づいているんじゃないのか?」
「薄々ならの。
しかしそれはお主の口から語られてこそ意味のあるものになる。
胸の内で燻らせておくとロクなことにならん類のものじゃからの。
誰かに吐露してこその言葉というものじゃ」
「よく分からないことを言う魔女だ......」
「魔女とは、久しぶりに言われたの」
「違うのか?」
「いや、その通りじゃよ。
ワシは魔女であり、魔女を名乗っておる。
そのことに後悔はない。
だからお主も、後悔のないように自分の気持ちに区切りを付けよ」
「どうしてそんなに俺のことを?」
「なに、同じ転生者のよしみというやつじゃ。
それにワシと対等に語り合える存在に会うのは久しぶりじゃからの」
「対等ねえ......」
さっきの駆けっこでは勝負にすらなっていなかったが。
とイスカは思った。
⭐︎
それから半日程、イスカはフレアと一緒に過ごした。
フレアの住処に案内され、一緒に食事を楽しみ、川の水を魔法で沸かした風呂にも入れてもらった。
途中でフレアがイスカの裸を覗き見ようとした出来事もあったが、概ね充実した半日だった。
⭐︎
時間は深夜。
イスカは自分の心に整理をつけ、フレアのいる部屋のドアをノックした。
「おお、お主か。入れ入れ」
「他に誰か来るのか」
「魔女の元には猫が来るわい」
「本当かよ......」
疑問に思いながらも部屋に入るイスカ。
「何をしていたんだ?」
「よい質問じゃ。これから全裸でオナ」
「分かった。もういい」
「ハッ!うぶな奴じゃのう!」
「少しは恥じらいを持ってくれ」
「何をドギマギしておるお主、ひょっとして歳上好きか?」
「いや、歳下好きだが」
「なら何も問題なかろう。ワシは25じゃ。お主は見たところ、17、18じゃろう?」
「いや転生する前は35だったからな。
余裕で25はストライクゾーンだ」
「......」
「そこで頬を赤らめるな!」
⭐︎
「いや、失敬失敬」
「全く......」
「それで半日自問自答してみて、何か分かったか?」
「ああ。だが分かったというのとは少し違うな。
元々分かってはいたんだ。それを見ず知らずのアンタに話すのを躊躇っただけで」
「ほう?」
「でも半日一緒に過ごしてみて分かった。
アンタは信頼できる奴だ。
だからこそ、話してみようと思う」
「......」
何か言いたげな目をしているフレアだったが、何も言ってこなかった為イスカは話し出した。
「俺には好きな女の子が居た。
好きと言っても恋愛的な好き、じゃない。あくまでも幼馴染としての......」
「ああ、そこら辺のことはもう知っておるからよい」
「......そんなことも知ってるの?」
「ああ」
こともなげに言うフレアだが、並大抵の技術ではない。
しかしここで話を脱線させるのもどうかと思い、イスカは核心だけ話す。
「要するに、俺はその幼馴染と離れる理由を探していたんだ」
「......」
「アイツは俺のことを好きで居てくれている。
でも俺はその気持ちに応えることはできない。
少なくとも、前世の記憶を持っている限りな。
俺はアイツを、自分より35歳歳下の少女としか見れない。
だからこそ、何かアイツの心を傷つけない方法でアイツから離れられる方法はないか考えてた。
もちろん試験には全力で臨んだけど、それとは別の所でそう考えていたんだ」
「今のこの状況が、彼女を傷つけない方法だと信じておるのか?」
「......どういう意味だよ」
「彼女から離れ、真実を自分の胸の中に隠しておくことが正解だと、本当に信じておるのか?と問うておる」
「......」
沈黙するイスカ。
そんなイスカを見て、フレアは告げる。
「前世では35歳だと言っておったが、お主もまだまだじゃの。
女の勘というものを甘く見ておる。
きっとお主と離れた彼女は、その離れた理由とやらも察しておるに違いないぞ」
「......なら俺に、どうしろって言うんだ」
「決着を付けにいくぞ」
「決着?」
「お主とその少女の問題に、じゃ」
そう言った魔女、フレアの自信に満ちた顔は、イスカの目にとても魅力的に映った。
⭐︎
同時刻、魔法学園の学園寮の一室。
シンの部屋に招かれたミルフィーユは部屋の中をぐるっと見渡した。
「へー。やっぱり男子の方の部屋も女子部屋と変わらないね」
「......そうだな」
呟くように答えるシン。
しかしその瞳孔は妖しげなまでに光っていた。
「昔行ったイスカの部屋とは全然違って綺麗。
そう言えばイスカの部屋は本だらけで退屈だったなあ。
足の踏み場もないぐらいで。
って比較するものでもないか。
シンは一週間前に引っ越してきたばかりだもんね。
私もそうだけど。
部屋が綺麗なのは当たり前だよね?」
「何、泣いてるんだ?」
「へ?」
唐突に告げられた一言。
ミルフィーユは自分の目元の拭う。
そこにはシンの言った通り、涙が一雫ついていた。
「アレ?私、何泣いてるんだろう?
おかしいな......」
「当ててやろうか」
「え?」
「俺はおまえの考えていることなら何でも分かるんだ。
ずっとおまえを見てきたからな」
「ちょっと......シン?」
動揺するミルフィーユ。
自分の考えを見透かされているような気がしてきたからか、もしくはシンの気持ちに気付きはじめてきたからか、頬はほんのり赤く染まっている。
「おまえは今、これからの俺たちの生活に想いを馳せていたんだ。俺たちの新しい一週間が終わったことで、これから始まる三年間に向けて溢れる期待を止められないんだ」
「......違う」
見当違いの事を言われて、ミルフィーユは凍りついた表情で呟く。
それは自分に向けられた言葉。
自分に言い聞かせるための言葉。
だからこそ、ミルフィーユは気づかない。
シンが罠を張っていたことに。
シンの術中にハマっていることに。
「......私、私は寂しかった。
もうイスカが居ないことが分かって、どうしようもなく辛かった。
あれだけ邪魔だと思ってた床に散らばった本が、今は恋しかった。
私は、私は、心の底からイスカが好きなんだって、気づいたから......」
「ミルフィーユ......」
そっとミルフィーユを抱きしめるシン。
その胸の中でミルフィーユは泣いた。
ミルフィーユは誤解していた。
シンのその行動は優しさからくるものだと。
シンは勘違いをしていた。
ミルフィーユが泣いたのは自分に心を許したからだと。
そして決定的な破滅の瞬間は、すぐに訪れた。
泣き腫らした顔のミルフィーユ。
その唇にキスしようとするシン。
そして唇と唇が触れ合う直前、ミルフィーユは身を引いた。
「......シン?」
「......」
「どういうこと?今、何をしようとしたの?」
その言葉でようやくシンは気づく。
もう終わってしまった関係のことに。それはイスカとミルフィーユの関係ではない。
自分とミルフィーユの関係だということに。
そっとミルフィーユの肩を抱こうとするシン。
その手を振り払ったときには、ミルフィーユの表情から既に涙は消えていた。
「......やめて」
「俺は......おまえが......」
「やめて!!」
そう叫んで部屋を出て行こうとするミルフィーユ。
そんなミルフィーユのことを道具のように見たシン。
それは第三者の視点のようだった。
ミルフィーユを襲う自分の姿も、壊れていく関係も、シンには他人事ようにしか認識出来なかった。