07 図書館-2-
ミシルの足が進んだ方向はカウンター。
慣れた動作でカウンターの中へ入り、後ろにある個室のような所へ入る。見ればそこは壁一面全部が本棚で、びっしりと隙間なく本が収められていた。色褪せたりしている物もあるが、全てが同じ色の背表紙、そして全てに、名前がなかった。
「履歴だよ」
辺りを見回すタキの方を一瞥してから、ミシルは説明を始めた。
「この図書館にある本達の名前が記してある。っても、ここにあるのは今から20年くらいの新しいヤツだけどな」
「まだあるって事ですか?」
「そういう事」
そんな会話をしつつ先導されるまま歩いていくと、目の前にはひとつの扉があった。そこを開くとすぐ地下へ続く階段が姿を現し、階段を下って漸くミシルは足を止める。
その場所は物が何もなく、ただ広い空間のみの部屋だ。
「……あの?」
「たまに、おもしろがってここまで入ってくる奴がいるんだ」
心底迷惑そうにミシルは言う。何がしたいんだか知らないがカウンターに司書がいないのを見計らって、入り込む生徒が多いらしい。
「んでここまで来る事は来るんだが、何もないこの空間を見て怪しいとは思っても何をやっても反応がない。拍子抜けしてここを出て、それを司書に見つかって怒られる、と」
いつものパターンな、そう言ってミシルは中央へと足を進めた。足音がやけに反響する。
「未解読書がある部屋への扉はな、この部屋の床全体」
コツコツと、つま先で蹴るように床を叩く。タキはミシルの言葉に床を見た。見る限りでは何の変哲もないただの床。仕掛けでもあるのかと見る角度を変えてみても、やっぱり床は床でしかない。
「……扉を開くには鍵がいるだろ? まずはご新規さん登録、ちょっと長いけど待っててな」
戸惑っているタキの様子をどこか満足気な表情で見てから、ミシルは種明かしを始め幾度か呼吸を繰り返した後、言葉を紡ぎ始めた。
「聴け、今は眠る語り部達よ」
囁く様に、詠う様にミシルが一文を発した。それと同時に、ミシルを中心に床全体を覆うほどの大きな陣が現れる。
「其の存在をまたこの世に確立させるため、今その地に探求者が降り立つ」
言葉に呼応するように、陣から淡い光が伸びる。それはオーロラのように色を変え、緩やかに回りながらミシルを囲んでいた。
「我は存在の肯定者にして追憶する者。我の言葉を信じ、その姿をここに晒し出せ」
ミシルが言葉を紡げば紡ぐほど、陣からの光は輝きを増し上へ上へと伸びていく。それと同時に、風が踊るようにミシルを包みその髪や服をなびかせる。その様はまるで……
「アドル、置いてかれるぞ。早く乗れ」
「乗って……良いんですか?」
「なぁに言ってんだ。言ったろ?この床は扉だって」
確かにそう聞いた。そして今の状況から見て鍵はおそらくミシル……というか、司書なのだろう。だがタキは、自分が立っているその場所から1歩でも前に進むのを躊躇った。
そこはまるで、ミシルのために作られた舞台のようだと思えたからだ。
目を細め、語りかけるように下を見て声を発し、その声は風に乗り部屋全体へ行き渡る。なんて出来すぎた情景だろう。
(……いいのかな)
そんな事を考えてしまう。だが、いつまでたっても動こうとしないタキに痺れを切らしたのか、ミシルはタキへ寄りその腕を掴むと、陣の中へ引き込んだ。
「わっ……」
その反動で足がもつれ思わず転びそうになるが、タキは何とかそこで踏み止まる。
「何やってんだよ。早くしないと、また初めっからになっちまうじゃねーか」
「あ……す、すみません」
「いや…謝られても困るんだけど……ま、いいか」
苦笑がちにタキの頭を軽くぽん、と叩いて、ミシルはまた中心へと戻る。
徐々に光が弱くなり始めていた陣に跪いて、手を床へ押し付けるように当てた。
「声に応じよ」
その一言を紡いだ途端、陣の光は凄まじいものになりタキは目を開けていられずに硬く閉じる。
「……アドル、目ぇ開けろよ」
「…………え」
声にならなかった。
ミシルに呼ばれて目を開くと、そこはさっきの部屋ではなく薄暗い書庫のような場所だった。
どのくらいあるかわからないほどの本棚にびっしりと並べられている重厚な書物。それが部屋いっぱいに広がっている。面積的には、さっきいた図書館の1階部分よりも狭いだろう。だがそれでも、この眼前に広がる書物全てが未解読だと思うともう唖然とするしかなかった。
「これ……全部?」
「そ。これぜぇんぶ未解読書」
タキの言葉を引き継ぐようにミシルは言う。
「ここは図書館の地下にあたる所だ。扉はさっきののみ。入るためには司書が同行しなきゃいけない。盗難防止と監視のためだな。制限時間とかは特にないが、長居はよろしくないと思うぞ~。…質問、ある?」
「……こんなすごいものがあるのに、どうして生徒である貴方までが鍵なんですか?生徒代表だからと言って、盗まないという保障なんてないでしょう」
「司書にも制限はある。ここには1人で入れないってな。仮に入った2人が共謀して持ち出そうとしても、今度は扉を通れなくなるんだ。扉は人を通すが本は通さないからな」
「俺たちが使用してる最中にまた誰かここを利用したいって来たら……?」
「その時は一旦司書だけ上に戻って連れてくる。まあここの存在知ってるやつ自体本当に少ないから、追加入場に出会ったことはまだ一度もないけどなー。……あ、司書が中にいる奴置き去りにするってこともないから安心しろよ。ここに来るための階段前のドア、あそこここの扉が開くと鍵が閉まる仕組みになってんだ。閉まってるところを開けられるのは、司書か一部教師だけな」
よく出来てるだろう、とミシルは少し得意気に締めくくった。
「さ、こっからはお前の好きにしていい。俺はここにいるから、戻りたくなったり何か聞きたいことができたら言ってくれ」
そう言ってミシルはその場近くの本棚からてきとうに本を取り出しひろげはじめる。タキは驚きつつも、一番近い棚の手近な本を引き出してみた。
ずっしりとした重みのある本を開いて、ページを捲る。
古代書なので文字が擦れたりしていないかが心配だったが、保存状態が良く所々の汚れやページを繋ぐ糸が取れかかっているのを除けば、読むのに支障はない。
だが
(……読めない)
半ば予想していた事とはいえ、現実に直視すると落胆を隠せない。
数ページ捲ってみるものの、タキの頭にある古代文字の中での合致はなかった。
(でも……字の形が似ているものもある……時代が違うだけって言う事なのかな……)
それだけ考えると、タキは本を閉じて元あった場所へ収めた。そして次の本を手に取る。文字を確認して少し思考した後、本を戻しまた違う本を取った。そんな行動を何度か繰り返し、一段落したところでふと、タキは時間が気になった。
この書庫には時計がない。それどころか窓もないため、外を見て知ることも出来ない。
持っていた本を棚に戻して、少し足早にミシルの所へと戻る。
「すみません、今何時間くらいですか?」
「ん?ああ、えーっと……2時間は経ってるかな」
ミシルは本に飽きたのかその場に座り込んで本棚に身を預け目を閉じていたが、声をかけると同時に目を開けてズボンから時計を出した。
「……2時間もすみません」
「気にすんな。これもお仕事ですから」
心底申し訳なさそうな顔でタキは言う。しかしミシルは全く気にしていないとでも言うような笑みで返し、立ち上がって軽く伸びをした。
「で? もういいのか?」
「はい。今日は確認だけのつもりでしたから」
「そか。んじゃ戻るとすっかね」
そう言ってミシルは来た時とほぼ同じ場所に立ってまた言葉を紡ぎ始めた。