影探偵の逢魔が時
電車は前の駅を過ぎてから、山とトンネルを何度も繰り返す区画へと入っていた。
夕日も落ちかけ、時間と季節が相まった寒さが、渡海風華には響いていた。
「うぅ…さぶさぶ…」
ぶるると歯を軋ませる。
そんな事をつぶやいて目を逸していたからか、前方からトンネルの天井が来ていることに気づかなかった。
「ひゃっ!!」
ぶつかる!そう思った瞬間には、風華の影がどろりと伸び、風華の頭を絡めとった。
そして、乱暴に風華の頭を、電車の天井に叩きつける。
電車がトンネルを通過し、また夕日の下に出る頃には、顔を真っ赤にひりひりさせた風華が目尻に涙を浮かべ鼻を擦っていた。
「いぃらい、いらい。いたいよ、にいちゃーん…。うち、自分で避けれたって〜」
風華の影は輪郭を揺らがせ、声を返す。
「ギリギリになる前に出来てから、そう言え。日中は本当に危なっかしい…」
「ごめん…」
本当に、咄嗟に避けれるのに。なんて心の内で呟くも、風華は電車の屋根の上を再び匍匐で進み始めた。
「この先の屋根に、染み付いちゃったんだよね?」
「ああ。この所のホームでの事故の場所、時間を考えると合ってるはずだ」
風華は、前方で右へ左へと揺れ動く車両を見ながら、なるほどと頷き返す。
「うちらの力で、これ以上する前に止めないとね」
「風華!」
自分の影から声がして、風華も釣られて気がついた。
一つ先の車両。そこの電線と接している所謂パンダグラフという装置の付け根に、まるで黒ずんだジャムのような粘着質の塊がくっついていた。
「うひぇえ。あったよ。あいつら感電もしないんだねぇ…」
「日がだいぶ効いてる分。マシだとは思うけどな」
風華はゆっくりと電車の上で立ち上がる。
そして、両足で電車の天井を踏みしめると、前方の塊を再度見直した。
「夜までに、喰えるぐらいには弱らせてくれよ」
「オッケーよ。祭園兄ちゃんが出るまでには、やってやるっての」
そう言って、風華は塊がある次の車両へと飛び移った。
その瞬間だった。
パンダグラフの根本に居るそれは、自分の領地に入り込んだ侵入者を捉えたらしく。その塊から、一本の触手を風華目掛けて撃ち込んだ。
「うっ! はぁっ!!」
ざしゃり。風華の裾を掠る音が鳴る。風華は自らに飛んできた触手を外側にいなした。
そして、いなした触手に今度は腕を絡ませると、力まかせに触手を自らの方へ引っ張った。
鉄が唸る音を響かせ、塊はパンタグラフから引き剥がされ、風華の方へと飛んでくる。
飛んでくる塊は、今度はその表面をウニのようにトゲだらけに変形させると、風華の顔目掛けて飛んでくる。
「むだっ!」
風華は、棘が顔に刺さる直前で手で抑え込んだ。
風華の両手にはトゲが貫通し、血が車両の後方へと、向かって尾を引く。
しかし、風華は痛みを感じさせない様にか、反射的に掴んだその塊を床に叩きつけた。
塊が衝撃でひしゃげ、ぶぶぶと空気が漏れ出すようなうめき声をあげる。
「更に!」
そして、そのまま塊を踏むと、風華は宙返りで跳んだ。その手には、先程塊が飛ばしてきていた職種が再び握られている。
「電線。柱にご注意!」
風華の下、塊の頭上スレスレを電柱の橋が通った。
そして、橋は触手に引っかかり。そのままブチッと千切れた。
「ーーーー!!」
塊は激しくその場で変形しのたうち回った。
「どーよ!うちが鈍臭いとでも思った?」
風華は着地し終えると、えへんと塊を見返す。
塊は、千切れた部分から空気中に蒸発する霧を発生させていく。目も鼻も無いが、それはゆっくりと脈動しつつも、目の前の自慢げな少女を睨んでいるようだった。
「いいぞ、風華。もうすぐ日没だ。もうちょい弱らせてくれれば、日没になっても…」
「兄貴に任せられるね?」
「そうだ」
パンっ!と音をたて、風華は拳を胸元で打った。
「おし!最後の仕上げ、任せてよ兄ちゃん!……なっ!」
風華は、目の前を眺めてぎょっとした。
ずっとそこで眺めていた塊が、徐々に形を縮めていくのだ。
風華は慌てて駆け寄るが、その場にたどり着く頃には、塊を残さず溶けきっていた。
「溶けた!まさか、電車の中に逃げ込んだのか!」
「違う!あいつはかなりキレている。車両の壁面を張って、お前を襲いに来る気だ!」
風華は、影、祭園の言葉にハッとすると車両の中央へ後ずさった。
夕日がほぼ沈み掛け、オレンジの輝きが徐々に交代しつつある中。電車の車輪の音ばかりが聞こえる、静かな時間が続いた。
「………………」
ふと、後ろからじゅるりと音がした。
「そこか!!」
風華は咄嗟に回し蹴りをする勢いで振り返る。
しかし、その瞬間。風華の全方位から無数の触手が跳びだした。
「なっ。うそっ、こんなに…!わっ!」
空振った回し蹴りに触手が絡み、そして逆さ吊りにされる。そして、それに続き風華の四肢を何本もの触手が絡みつき、縛り上げた。
「っ!風華!!」
「やられた!これじゃあ、殴るも蹴るも…ひゃっ!」
触手は、風華を拘束したまま宙にあげる。
風華はハッとする。
見れば、前方にて再びトンネルが待ち構えていた。
このままいけば、風華は壁の染みと化すのが間違いないのが目に見えていた。
「じょ、冗談じゃない…。さ、祭園兄ちゃん!!」
風華は、夕日が沈み切ったその瞬間。暗がりに混ざっていく自分の影を見下ろしていた。
「完璧じゃないが、バッチリだ」
その瞬間、風華の影の中から誰かが浮上してきた。
それは人の形をしていた。
焦げ茶色の髪に、済んだ顔つきをした男。
そして、その肌は人間の者とは思えないほどに白く、冷たく輝いてる。
更に何よりも。上半身が影から出たところで、大きなコウモリの翼を、背中から羽ばたかせた。
蒼白とした男は、尖った爪を構えると、円を描いて周囲を薙ぎ払う。
そして、そのまま空へと風のように飛び上がった。
「きゃっ!」
男は風華をだき抱える。そして、その直後に風華を縛っていた触手は、根本から全て千切れた。
悶える塊。二人を置いて、トンネルの中へと入っていく電車。
月に重なるように飛ぶと、風華は月明かりが、自分を抱きかかえた相手の顔を移したのに気がついた。
「………祭園、兄ちゃん」
そこには、安心したような、優しい笑みを浮かべる。吸血鬼と呼ぶのが相応しい、祭園の顔があった。
「ぎりぎりまで、よく頑張ったな。今のでちょうどだ」
祭園は線路の先の方へと翼を羽ばたかせ、列車の後を追う。
「これで、あいつも俺もハッキリと出れる時間。一気に決着を付けれる」
「うん…!」
二人は、下に広がる景色を見返した。
二人が空から後を追っていたところで、電車がトンネルを抜けた。
そこには、触手を何本も切断され、電車の天井に飛び散った黒い染み。
「ーーー。ーー」
しかし、その黒い染みは1箇所に集まるように集合していく。
そして、黒い水たまりに、月明かりが反射する。
その瞬間。黒い水たまりから手が飛び出した。
それは、沼に溺れて、もがいているような姿で、ゆっくりと。ゆっくりと浮上してくる。
真っ黒な人型をそこに見せていた。
「肉体が…!」
見下ろしていた風華が、焦り声をあげる。
「降りるぞ」
祭園は、風華を抱えたまま、電車の上に着陸した。
そして風華を電車の上にうつ伏せに寝かせると、黒い人型目掛けて飛びかかった。
「うおおぉぉぉ!!らぁっ!!」
鋭い爪を、黒い人型の左胸目掛けて刺しこんだ。
「ーー!!!」
刺した瞬間。黒い人形は大きく1痙攣を起こす。
そして、祭園は何かを掴み取ると、そのまま引き抜いた。
ばしゃぁと、水の音を立てながら引き抜いたそれは。どくん、どくんと。脈動している。
心臓だった。
「…………」
祭園は、目の前で固まったその人型を見つめる。
そして、少しの後に……。脈動している心臓を噛み砕いた。
祭園の口元で黒く弾け飛ぶ液体。それに合わせて、目の前の人型は形を崩し、空気中へ霧散するように蒸発し、消えていった。
「…………」
「祭園兄ちゃん!」
「ん…」
祭園は後ろへ振り向く。
そこには、風華が立っており。
「……やったね!!」
風華は、にっこりと親指を立てた。
電車が、駅のホームに入っていく。
その様子を、風華と祭園は離れた線路際の土手に腰掛け、眺めていた。
「あの塊…。吸血鬼は、どうだった?」
風華は、眼前の灯りをぼんやりと眺めている祭園の顔を伺う。
祭園は、少しして首を横に振った。
「俺を噛んだやつじゃ、なかったな」
「…そっか」
風華は、俯き小さく呟く。
「だが…。目的は果たした。これ以上の事件が起きる前に、あの吸血鬼は倒せたわけだ。依頼人も満足してくれるだろう」
そう言って、祭園は立ち上がる。
「本当にお疲れ様。今日は仕事祝いにパーッと食べに行こうな。回転寿司とかでも。好きだろ?」
「もちろん!」
風華もぴょんっと立ち上がり、二人で歩きだす。
「………兄貴!」
「……ん?」
風華の呼び声で、祭園は振り向いた。
風華は月明かりでほのかに明るい顔を見せ、にっこりと微笑む。
「兄貴を噛んだやつ見つけて。絶対、一緒に太陽の下歩こうね!」
「……ああ、もちろんだ」
祭園は、血の通ってない冷たい肌で、暖かい笑みを返した。
この街は、吸血鬼が蔓延っていた。暗がりに混ざっては、夜に本性を見せ、牙を向ける怪物達。
それに立ち向かう探偵が居た。吸血鬼である兄を影に潜ませた、影探偵。
夕方の終わり頃から夜の始めまで。兄妹は吸血鬼を探して、戦い続けていた。
普段書いているストーリーのキャラ達のifみたいな。今のものを抜いて、好きに現代ファンタジーやってみたらどうなるかなと思って書いてみました。
風華は、本来だったら人狼で人外の兄妹。とかいうコンセプトな話やってるのですが…。案外、最低限必要な設定に削ぎ落としてみると。書きやすいし楽しかったですね…。