幕間・勇者になる娘の旅立ち
マオ視点
わたしが三歳の時だった。
「おお、なんということだ! 我が村にも勇者が!」
村長のお爺ちゃんが私を抱き上げ、しわくちゃの顔がふやける程に涙を流した。
その日から、わたしは――僕は勇者になった。
僕の生まれた村は王国の中でも長閑で、辺鄙な田舎にあった。
生まれた村の子供たちはみんな、家業を継ぐか都会で兵士になるかのどちらか。
たまに冒険者になる人もいるけれど、元が田舎者だ。大成する事もなくどことも知れない場所で行方が分からなくなる。
数年に一度、教会の人が村を視察に訪れる。その時に村で新しく生まれた子たちがまとめて魔法の素質を鑑定される。
その素質によって家業を継ぐのか兵士になるのか、この村での未来が決まる。
でも、僕は違った。希少な光系統の素質があったのだ。
泣いて喜んだ村長のお爺ちゃんの所為でその日の内に村中に知れ渡り、次の日から僕は『勇者になる子』になっていた。
それで村の子たちから避けられたという事はなかったのだけれど、友達と遊んでいると「修行はどうした?」と窘められ、大きい子たちに混じって修行を始めれば「あの子は勇者になる子だから」と褒められることもない。
十二歳になった時、僕は村を出た。まだ早いと止められたけど、既に剣術だけでも僕は村で一番になっていた。
『勇者になれるのは冒険者だけだ』。依頼で村を訪れた冒険者のおじさんが子供たちに語って聞かせていた言葉だ。
どういう意味かはよく分からないけれど、そういうものらしい。
僕は大きな町で冒険者ギルドに入り、そこで色々な人に出会った。
口の悪い傭兵さん、ただひたすらに武術を極めようとする武道家さん、やたらと色気を振りまく炎魔法使い、悟りを求めて流離う神官さん。いつも仏頂面の魔導士さんもいたっけ。
村を出た事で色々な人に会う事が出来た。
時には辛い事もあったけど、それ以上に多くの人に助けてもらって無事に生き延びてきた。
でも、戦争も無ければ魔物の大繁殖もなくて、正直なところ僕は手柄に飢えていた。
そんな時、北の国境の外れで魔族を見たという噂を耳にしたんだ。
僕は藁をも掴む思いでその噂の真偽を確かめに、友人たちに別れを告げて北へ向かった。
最北の開拓村、チュスエルは故郷を思い出す程に静かな場所だった。
高ランクの冒険者は滅多に訪れる事がないというのも同じで、凄い歓迎をちゃったり。
おかげで、噂の詳細も聞けたけど。
魔族を見かけたのは村の子供たち。
森の中で迷子になって泣いていたら、村まで案内してくれた人がいたんだそう。
でも、村に着いてお礼を言うために振り向いたらもういなかったって。
なんだかよくある怖い話だった。あまり期待は出来なそう。
でも、この村には妙にそういう『突然現れて突然消える人』の話が残っていた。
よく来てくれる美人で礼儀正しく金払いの良い行商人さんが、何故か他の行商人さんたちは誰一人その人の事を知らなかったり。
何かある。そんな直観に突き動かされて森を突き進んだ僕は、古びた城を見つけた。
こんな近くに? 村の人は誰も知らないみたいだったのに?
僕は誘い込まれるようにその赤錆びた門を叩いて、そして――彼に出会った。
◇
「どうした? もう終わりか?」
「はぁ……はぁ……。まだまだ!」
飄々とした彼に渾身の一閃を叩き込むのだけど、それも手に纏わせた岩石にあっさりといなされてしまった。
横をすり抜ける彼を視線だけが追いかけて、言う事を聞かない身体はべしゃりと床に倒れ込んだ。
「大丈夫か?」
「…………うん」
気遣ってくれる彼に頷くのだけど、今はもう立ち上がれそうにもない。
お行儀が悪いけれど、床に寝転がったまま彼を見上げる。
服装は僕たちと変わらない。鎧を着ていない分、僕より軽装なくらいだ。
顔は……まあまあ。
「なんだ?」
「……ジロジロ見てごめん。やっぱり珍しくて」
「……ああ、これか?」
困ったように笑った彼が、茶色い髪の隙間から一本だけそそり立つ角を撫でた。
魔族の証である角。その色は魔物の持っている魔石に似ていて、透き通りながらも暗い色を放っている。
でも。
「かっこいい」
「そう、か?」
「うん。騎士様の兜みたい」
反応に困らせちゃったのか、口元をひくつかせた彼は、ポリポリと恥ずかしそうに角を掻いた。
少し体力が戻って来た所で、僕は随分と久しぶりにおんぶをされてしまった。
彼の背中は広くて……少し失礼だった。
◇
「出て行ってください!」
「っふぁい! ……あれ?」
怒鳴り声に思わず返事をしたのだけど、どうやら僕に向けられた言葉じゃなかったみたい。
キョロキョロと辺りを見回すと、窓から差し込む朱い夕日の眩しさに目をやられた。
「マオさん!? 目が覚めましたか!?」
「アンリさん? ってことは、ここはチュスエルの教会?」
教会のシスターのアンリさんが後ろ手に扉を閉めて、ガチャンと閂を掛けてこっちへ駆け寄って来る。
「僕はどうして?」
「は、破廉恥な魔族がマオさんをお、おぶって来たんです! もしかして、覚えてないんですか?」
「破廉恥って……そうか。僕はあいつにおんぶされてたんだっけ……」
何故だか憤慨するアンリさん。僕は僕で、彼の背中を思い出して何故だか顔が熱くなってくる。
「ふはぁ!? な、何ですかそのお顔は!? おのれ魔族、やはりマオさんに何か良からぬことしやがったのですね!? なんと羨ましい!」
「良からぬことって……何にもされてないよ?」
ていうか羨ましいってなに?
首を傾げていると、目を血走らせたアンリがこっちににじり寄って来た。
「アンリ? 何か怖いんだけど?」
「マオさんが彼奴に何かされていないか、じっくりと検査する必要がありますよね?」
「い、いや! 必要ないから!」
ゾクリと背筋に寒気が走った。
逃げ出したいのだけど、まだ身体がいうことを聞かずに椅子からずり落ちるのが精いっぱいだった。
アンリが突き出した両手の指をワキワキと蠢かす。
「はあ、はあ……大丈夫です。天井の染みを数えている間に終わりますから!」
「アンリが頑張って掃除が行き届いてるから染みなんてないよ! ていうか近寄るな!」
必死の抵抗も空しく、僕はアンリに全身隈なく触診されてしまった。結果は良好で休んでいればすぐに良くなる、と満足そうにツヤツヤしたアンリが診断してくれた。
この悔しさは、きっとあいつにぶつけてやる……。