7.教会
とりとめもない事を話しながらマオを背負って木々の隙間を駆けていると、差し込む日差しが朱く染まって来ていた。
このままではマオを送るのはともかく、城へと帰りつくのが深夜になってしまいそうだ。
「少し飛ばすぞ」
「え? っっっ!?」
マオの声にならない悲鳴に聞こえないふりをして、鬱蒼とした森を駆け抜ける。
魔法で強化した体で道無き道をぶち破り、新たな獣道を作り出すつもりで愚直に進み続け、やがて森が開けた。
「おっ。本当に村がある」
温かな夕餉の準備の煙の立ち上る、小さな村だ。家は数える程しかないのに、その周囲を俺の背丈を越える木の柵でグルリと囲んでいるのは、魔物の多い危険な場所だという認識があるからだろう。
村の出入り口には門番もいるかもしれない。こっそりと入らせてもらおう。
「よっと……」
足元から垂直に地面を盛り上げて、ひょいと一足飛びに柵を飛び越える。後ろ足で土のタワーを崩していくのも忘れない。
村の中は夕暮れという事もあって、外に人気はない。背中でいつの間にか眠っていたマオは宿にでも預けようかと思っていたのだが――
「宿屋がないな」
見渡す限り、看板が出ていない。村にあるお店は酒場が一件あるきりだ。もしかしたら、あそこが宿も兼任しているのかもしれないが……疲れ切っている年頃の娘さんはそんなところに置いていけない。
夕闇が濃くなる中、こそこそと村を散策していると、見慣れないマークを掲げた建物を見つけた。
覗き込むと、何やら熱心に祭壇に祈りを捧げる女の子が見えた。年の頃は、マオと同じくらいだろうか。
ここは、もしかして教会か?
人間たちは自分たちに神託を下す神を祀っているという話を聞いた事がある。
大昔には魔族にも信仰を広めようとしたのだが、魔族に神託を受けた者が一人もいなかったので浸透しなかったそうな。
基本的に神様に忠誠を誓っているそうだし、中にいるのは女みたいだ。ここにマオを預ければ大丈夫だろうか。
「邪魔するぞー」
「こんな時分にどなたですか? 声に聞き覚えが……ひっ!?」
扉を開けて中に入ると、跪いて熱心に祈っていた黒衣の女が振り返り、俺を見上げて悲鳴を上げた。
「ま、魔族!?」
「そういうのはいいから。こいつを預かってもらっていいか?」
「何を――マオさん!? あなた、その人に何をしたんですかっ!?」
「何もしちゃいねえよ」
教会内に並ぶ長椅子にくーくーと寝息を立てるマオを置こうと身を屈めると、黒衣の女がポカポカと叩いてくる。
マオの拳と違って痛くはないのだが、うっとおしい。
「ちっ」
「ひっ!? ま、マオさんを放しなさい!」
「すぐ放すから落ち着け」
思わず舌打ちをして睨んでしまったのだが、女は怯みながらも俺を睨み返してくる。
マオと親しいのだろうか。
肩を震わせながらも気丈に振る舞う姿がおかしくて、思わず苦笑が漏れてしまう。
「ああ、マオさん! どんな酷い事をされてしまったのですか!」
「何もしてねえって」
ペチペチと眠るマオの頬を叩く女に呆れていると、むにゃむにゃと呑気なマオの寝息に毒気を抜かれたのか、幾分落ち着いた様子の女が眉尻を下げてこちらに向き直った。
「あの、どうしてマオさんをここに?」
「そこら辺に置いて行ったら危ないだろ。マオも女の子だし」
「それはわざわざありがとうございます……? 私はこの教会のシスターのアンリです。でも魔族の方がどうして……?」
不思議そうに首を傾げるアンリに、俺は緊張を解すために努めて明るく振る舞った。
「マオを疲れさせたのは俺だしな。これぐらいは当然だ」
「なっ!?」
「あ、でも合意の上だぞ? ちゃんとマオも納得ずくで――」
「で、出て行ってください! この変態!」
「うぉ!? いてっいてっ。わかった! 出てくって!」
突然顔を真っ赤にしたアンリが、何処からか取り出した棍棒のようなロザリオでべちべちと俺を叩いて来た。
流石に柔らかい拳よりは痛いので、眠るマオに別れも告げれずに教会の外へと放り出されてしまう。
「ふぅ……。バレる前にずらかるか」
外まで追いかけてきそうなアンリの剣幕に、俺は早々に退散する事にした。
他の村人が来る前にと柵へと駆け寄り、行きと同じように土魔法で飛び越える。
すっかり日の落ちた暗い森の中を、城へと駆け戻る。
◇
「た、ただいま戻りました……?」
夜もとっぷりと更けた頃、俺はようやく魔王城へと帰りついた。勿論出迎える人などいるわけもなく、真っ暗な広間に俺の独り言が消えていった。
とりあえず空腹を満たそうと、ぐぎゅるるるると雄叫びを上げる腹を押さえて通用口へと向かっていると、視界の隅に何かが映った。
はたと立ち止まって明かりの魔法で照らした先には、誰が作ったのか言うまでもない不格好な石の戸があり、その前に何かが置かれている。
「何だアレ?」
それは、辞書くらいの大きさの箱だった。
開けてみると、中には白いオニギリが二つばかり詰め込まれていた。
そして、紙切れが一枚。
『時間厳守――おかえりなさい」
前半は定規を当てたようにお手本のように四角い筆跡で、後半は逆に柔らかく拙い。
誰が書いたのか、何となく察せられる。
生真面目そうなメルフィアさんのことだから、恐らく夕食の時間の過ぎた食堂には何も残されていないだろう。
「いただきます」
俺は不出来な戸の前に腰を下ろして、厚意に感謝した。
塩だけのシンプルなオニギリは、すっかり冷めて冷たくなっていたけれど、疲れた身体に染み入る美味さだった。