30.嵐は過ぎ去れど熱風が渦巻く
「では、我は帰るぞ」
唐突に現れた大魔王様は、唐突に去って行った。
魔王城内に、ざわつく微妙な空気を残して。
大魔王様が来訪して翌日。俺は四天王の火の間へとやって来ていた。
前回、マオたちとの戦いに割り込んだ事の詫びと、今後訪れるだろうベテラン冒険者たちを彼女へと通すだろうことの承認を得るためだ。
勿論、それも業務の一環なのだからカリンが拒否するなどとは思っていなかったのだが……。
ベシンと。
物思いに耽っている頭を、拳でどつかれた。
「あいたっ」
「集中しろ! 今が一番大事なところだぞ!」
「そう言われてもな……」
眼前では、熱く滾る溶鉱炉に照らされたカリンが赤々と熱された鉄をハンマーで叩いている。
注目しろと言われても、ハンマーを振るうカリンはいつも通りの無防備な水着のような姿だ。
張りのある浅黒い肌は止めどなく溢れ出る汗でしっとりと濡れ、ハンマーを振り上げるたびに形のよい胸が胸当ての中で小気味よく揺れるのだ。
手元の作業に集中しようにも、嫌が上にも目線はそちらへと吸い寄せられてしまう。
ああ、男とは何て悲しい性なのか。
現実逃避しようとする俺を、またしてもカリンの鉄拳制裁が引き戻すのだった。
「本当にすまなかった。俺に何か詫びは出来るか?」
事の始まりは、謝罪を素っ気なく受け取ったカリンにそう食い下がってしまった事だった。
まあ、つまりは全て俺の自業自得というわけなんだが。
カリンはしばらく思案して、気が乗らないという表情を隠そうともせずに「全く必要ないけど」と念入りに前置きをして、「アタシの作業を手伝うか?」と提案してくれた。
元より、四天王でただ一人、任された広間の中にさらにもう一つ作業部屋を持っているカリンの事は気になっていた。
二つ返事で承諾してしまった事を、俺は後悔している。
「む……。これでは使い物にならないな」
「す、すまん」
「気にするな。いつものように鋳潰すだけだ。しかし、手伝いを申し出て余所見とは感心できないぞ?」
鍛冶による火照りからか、いつもより幾分フレンドリーなカリンが不満そうな瞳で俺を見上げるのに、俺はどうにもどぎまぎとしてしまう。
「あ、いや……すまん。その、だな。お前のその恰好は、危なくないのか?」
「うん? 恰好……? ああ、なるほど」
自身の無防備な身体を見下ろしたカリンは、水着の紐を軽く引っ張って強調する。
いや、そういうのをやめろというに!
声に出せない俺の悲鳴など気付きもせず、カリンは苦笑いを浮かべて「すまない」と小さく頭を下げた。
「アタシは火の制御魔法を使っているから、燃える心配がなかったんだ。アンタにも必要だったね」
「それはまあ、助かるんだが……」
カリンが手をかざして魔法を唱えてくれるのを、俺はありがたく頂戴する。
というか。
「危ないんだったら、わざわざ魔法なんて使わないで、もっと普通の服を着ればいいんじゃないか?」
前にも似たような事を聞いた気がするが、この鍛冶作業を見て尚の事そう思う。
この質問に対する答えは、今回も「暑いから嫌だ」だった。
どうやら体温調整や気温調整は火系統魔法の範疇外のようだ。
まあ、なんというか……魔法の不思議よありがとう、だな。
内心で眼福だなぁと下心を持て余したまま、俺はカリンの鍛冶の手伝いを続けた。
「ふう……ありがとう。助かったよ」
その後、何時間もハンマーを振り続けたカリンがハンマーを置いて汗を拭うと、屈託ない笑顔を俺へと向けた。
驚いて思わず「俺なんて何の役にも立たなかっただろ?」と皮肉を口にしてしまうと、「そんなことは無い」とカリンは笑みを崩ずことなく首を横に振った。
「いや、手伝ってくれる人がいれば、それだけでやれる事が増えるよ」
「そうなのか? なら、誰かに手伝ってもらえばいいだろ?」
「残念ながらここにはいない……いや、いなかった、か」
カリンは苦笑して答えた。
ふむ。少し考えてみるか。
まず、同じ四天王の残りの二人だ。水のティアは水製造で忙しいから無理だろう。アリエルは……花の世話か。
次にメルフィアさん。こちらも一人で魔王城の管理を請け負っている。とても無理だろう。最後にリム。あいつならお手伝いをしたがりそうな気もするが……、アリエルかメルフィアさんが止めるかな。危ないし。
そうなると、俺くらいしか手伝える奴はいないのかもしれないが――
「うん。確かに難しそうだ。だが、無理を言えばアリエルくらいなら手伝ってくれるんじゃないか? あいつのアレはほとんど趣味みたいなもんだし」
「それも申し訳なくてな。アタシのコレも趣味なんだよ」
「なに?」
どういうことだ?
「趣味、なのか?」
「ああ」
「てっきりお前が魔王城内の金物を全て賄っているものだとばかり」
「それが夢ではあるけどね。アタシじゃまだまだだよ」
苦味の混じった微笑みを浮かべたカリンは、いくつもの試作品の包丁をメルフィアさんへと献上して、一本たりとも実用されていないのだと告白した。
話を聞く限り、どうもカリンは鍛冶師としては新人のようだ。
「何だって鍛冶なんかを始めたんだ?」
「昔から憧れてはいたんだ……。アタシの実家が鍛冶屋でね。でも、女だから修行はさせてもらえなかったのさ」
「それでスタークの所に侍女として?」
「少しは女らしくなって来いってね。そこで不貞腐れていたら、スターク様がこのお城に呼んでくれたのさ」
「いつかスターク様にも献上出来るようなものを打つんだ」とまるで夢見る少女のような瞳で、カリンが鼻息荒く遠くを見つめる。
あの熱視線の理由はそういうことか。
なんとも肩の力が抜けた気持ちで、カリンの語る夢物語に生返事を返すのだった。
難産というかなんというか、この30話は三回ほど書き直しました。
没にした理由は、「シリアス過ぎた」から。
いつもの調子で書いていたら、みんな真顔。
はて、何を書くためにこのシリーズを始めたんだったかと立ち止まって、全部削除しました。
まあ、この話に至るまでにちょこちょこ挟んでいた気もしますが。
これはラブコメだから! と自分に言い聞かせながら書いていこうかと思います。




