23.過重積載は危険です。
扉を開けて笑みを張り付けた仮面がぬっと顔を出すと、ラフローネが小さく悲鳴を上げて腕にしがみ付いて来た。
温かく柔らかな感触に思わず頬が緩みそうになるが、今はそれどころではないと慌てて戒める。
「師匠、どうかした?」
「急にすまん。ティア、こいつを治療してやってくれないか?」
「こいつ?」
仮面を外したティアが俺の視線を追って、俺が抱き上げているマオへと意識を向けた。
「……人間? ヒドイ火傷……。これはカリン?」
「ああ。実は今日、こいつらに負けちまってな」
「そう」
俺の情けない報告にも、ティアは興味が無さそうに無感動な瞳を重傷のマオへと向けている。
そして無言で差し出された手から温かな光が溢れだし、マオを包み込んだ。
光が収まると、焼け焦げた衣服の下からは瑞々しい肌が露出していた。大事な部分は鎧の装甲で隠されているとはいえ、妙な艶めかしさが――
「おわった」
「っ!? ティア、ありがとうっ!」
「綺麗に治してもらって良かったわね、マオ……。私からもお礼を言わせて。本当にありがとう……ティア、さん?」
「どうということはない」
淡々としたティアの声に我に返って、無防備な寝顔を晒すマオにマントを掛ける。
改めてティアに頭を下げると、声を震わせたラフローネも俺に続いて頭を下げた。
魔力不足でマオの治療が出来なかった事を気にしていたみたいだからな。
これで安心して村へと送り届けられる。
俺が足を踏み出すと、ティアが「師匠、そっちは……」と戸惑いながら呼び止めると、何事かと後に続こうとしたラフローネが小首を傾げた。
「何かありますの?」
「あー、いや。お客さんたちは通さない、俺たち用の通路なんだ」
「治療は必要だと判断した。でも、流石にそれは見過ごせない」
固い声色で首を横に振ったティアだが、俺も今回は引き下がるわけにもいかないのだ。
「すまん。今はカリンと顔を合わせにくいんだ。責任は俺が取るからさ」
「……師匠に取れる責任なんてない」
「…………はい」
そういえば、俺一番下っ端でした。
ああ、ラフローネが白い目で俺を見ている!
しょうがないだろ! 新参なんだから!
すっかり縮込まってしまった俺を冷めた目で見つめていたティアは、小さくため息を吐いた。
「私も行く」
「いいのか?」
「ん」
「メルフィアさんに怒られるかもしれないぞ?」
「…………それは師匠の仕事」
「っくっく、はいはい。ありがとよ」
「ん」
あっさりと俺に責任を投げ出したティアに苦笑して、彼女も引き連れて通用路の扉を開けた。
先へと続くのは、順路とは一転して小奇麗に磨かれた石造りの回廊だ。明かり取りの窓も大きく作られていて、まるで吹き抜けを歩いているかのように日差しが心地いい。
背後ではそんな魔王城の秘密を目撃してしまったラフローネが目を丸くしていた。
「ここの事は秘密な?」
「は、はい! 分かりましたわ!」
挙動不審なラフローネに僅かばかりの不安を感じながらも、俺たちは広間へと足を速めた。
道中では、ラフローネにとって意外だったらしい清潔な通用路の話に始まり、何故四天王なのかという質問に俺が知る限りの話を伝えた。
人間が持ち込んだ文化だと伝えると、ラフローネはとても驚いていた。エルフだから知らなかったのだろうか?
並行して魔族の話になり、綺麗な二本角のティアを平均的な魔族として紹介すると、ラフローネは興味深そうにティアの頭を眺め、いきなり笑顔の仮面を被られて飛び退いていた。
ティアはティアで、顔をジロジロと見られたようで恥ずかしかったのだろう。後で謝らねば……。
そういえば、ティアを始め魔王城にいる皆は角が綺麗な形をしている。魔王様の従者ともなると、その辺も選考基準に入っていたのだろうか?
そうなると、片角の俺なんかが部下どころか幹部になれるだなんて……。
いや、この考えは止めよう。誰も幸せにならない気がする。
幸いにして、誰にも見咎められる事もなく広間へと戻って来る事が出来た。
踵を返して戻っていくティアにラフローネと並んでお礼を述べて、俺たちは広間を出た。
外は日が傾いて敗北した冒険者の山がオレンジ色に染まっていた。
「あ……。どうしよう」
「どうかしましたの?」
「うん、いつもはマオを背負ってね、このリヤカーを引いていたんだけど」
「はい。それが何か?」
「ラフローネをどうするか考えてなかった」
「わ、私ですか!? わ、私は歩きますので大丈夫ですわ!?」
「でも、魔力残ってないんだろ? じきに日も暮れるし危ないぞ?」
「ですが……」
「それに、君たちを村まで送り届けるのも俺の業務の内なんだ。俺を助けると思って」
「うう……」
困り顔で戸惑うラフローネは、しかし絶対に嫌だと拒絶する様子もない。
一度断った手前、ばつが悪いのかもしれない。
ここは俺が強引に決めてしまうか。
「うん。決めた。いつもマオにしている事だし、今日はラフローネが俺の背中に乗ってくれ」
「えっ?」
「さ、早く! 日が暮れると(俺の晩御飯が)危ない!」
「は、はい!」
両腕にマオを抱き上げたまま、ラフローネへと背中を向けて腰を落とした。
急かされたラフローネが恐る恐る俺の背中に身を預けると――
形容しがたい質量が伸し掛かって来た。
それは温かく、柔らかく、しかし張りがあり、包み込むように――っていかん!
「やっぱりマオを背負おう! いつもそうしてるから!」
「……そう。分かったわ」
固い声音で妙な間を置いて、スルリとラフローネが背中から降りる。妙な寒気を覚えながら、いつものようにマオを背中に担ぎ上げて、その慣れた感触にほっと一息吐いた。
「それで、私はどうしたら?」
「えーと、そうだな……」
冷え冷えとしたラフローネの問いに答えるために視線を巡らせるも、あるのは男ばかりでむさ苦しい事この上ないリヤカーだけだ。とても妙齢の女を乗せられるものではない。
「あー……さっきまでのマオみたいに、でいいか?」
「…………」
俺の提案に、ラフローネは無言で小さく頷いた。
次からは、リヤカーではなく馬車ならぬ人車にしよう。
気恥ずかしいのだろう、顔を背けるラフローネのふにゃりと柔らかい肢体が胸にもたれ掛かって来るのを抱き上げて、俺は夕暮れの森を駆け抜けた。
少々時間が掛かりました。気長にお付き合いください。




