17.忠臣
「なあ、ティア。お前がリムを泣かせたのっていつのことなんだ?」
朝食の席で一緒になった仮面の娘。相変わらずの無表情で食事を進める彼女に、ふと気になった事を訊ねてみた。
ティアは眠たげな瞳を俺に向け、「30年くらい」と素っ気なく答えた。
「随分と古い話だな」
流石にそれだけ昔なら、あいつも見た目通りの小娘だったんだろうか。
「そんな昔から仕えてるのか?」
「うん」
「そうです。私たちはリム様がお父様の下にいらっしゃった頃からの主従なんです!」
長テーブルの遥か向こうから、アリエルが声高に主張する。
「……ティア、ありがとう。アリエル、お前には聞いてない。っていうか喋るなら近くに来いよ」
「い、嫌です!」
ティアと並んで食堂に現れたかと思えば、この扱いだ。
そのくせ、俺とティアが話していると何とも寂しそうな顔をする。
そんなんだからあの魔王様のお気に入りなんだろうな……。
「従者って事はメルフィアさんみたいなメイドさんだったのか? お前らが?」
「ううん。違う」
「護衛を兼ねた近衛です! そもそもメルフィアだって――」
「うふふ、アリエル? あちらにお席を移動したいですか?」
「ひっ!? も、申し訳ありません!」
いつの間にかアリエルの背後に佇んでいたメルフィアさんが、にこやかな微笑みを浮かべてアリエルの視界に入り込むと、悲鳴を上げたアリエルが椅子から転げ落ちそうになりながら謝罪を口にした。
そこまで嫌がらんでもよかろうに。
掻き込むようにして食事を終えたアリエルとそれに引っ張られるようにしてティアが逃げるようにして食堂を後にすると、一人残された俺は食後のお茶を優雅に頂くことにした。
どうせ今日はマオも来ないだろうし。今日こそ部屋作りを進めるか……。
「申し訳ございません。少しお時間を頂いてもよろしいですか?」
「メルフィアさん? もちろん、いいですよ」
お茶のお代わりと新たなカップを手にしたメルフィアさんに快く頷くと、彼女は珍しく俺の対面に腰を下ろした。
普段は立場がどうのと頑なに同席を拒むメルフィアさんが?
思わず目を瞬かせていると、苦笑したメルフィアさんがお茶を入れ終わる。
「どうしてもリム様についてお話ししておきたい事がございまして」
「リムについて?」
「はい」
メルフィアさんが神妙な面持ちで頷いた。
話ってなんだろうな……。まさか、あの腹黒娘の正体についてだろうか?
メルフィアさんが味方になってくれれば、あの魔王様ももう少し落ち着いてくれるかもしれない。
そんな俺の淡い期待は、予想外の形で裏切られるのだった。
「実はリム様は……」
「はい」
「寂しがっているはずなんです」
「はい……はい?」
どういうことだ?
リムは『寂しがっているから無垢な少女のフリをして皆をからかっている』のだと、メルフィアさんは思っているのか?
思わず訝しむ目をメルフィアさんに向けてしまうが、その顔は至って真剣に憂いを帯びている。
「リム様が年齢の割に小さな容姿をしていることはお聞きになりましたか?」
「ええ……。お父様譲りの膨大な魔力の所為だとか?」
「はい……っ。くすくす」
俺も真剣なメルフィアさんに釣られて真面目な態度で話していたのに、突然メルフィアさんが噴き出してしまった。
何事かと目を丸くしていると、メルフィアさんは「ご、ごめんなさい……」と謝罪しながらも肩を震わせ続け、結局しばらく話は進展しなかった。
「こほん。お待たせして申し訳ありません」
「もう、何なんですか」
「いえ……。リム様には気さくなのに、そのお父様に対しては畏まられるのがおかしくて……」
またしても肩が震え出すメルフィアさんにゴホンと露骨な咳払いで抗議すると、ぺこりと小さく頭を下げられてしまった。
俺としては魔王様とお呼びしたいのだが、そうするとリムが怒るのだから仕方なく妥協してるだけなのだが、魔王陛下に畏まって何が悪いというのか。……その娘でも、リムは別だというのはあまり良くないのか。いや、しかしな……。
少しばかりの反省をするべきか腹の内で迷っていると、今度は一転して慈しむような微笑みを浮かべたメルフィアさんが、「どうかリム様には今までのように接して差し上げてください」と深く頭を下げてきた。
「リム様は気丈に振る舞っておられますが、あのお姿こそが寂しさを現してらっしゃるのです」
「というと?」
「魔力が高い事による寿命の長寿化は、過去の魔王様を始めいくつかの実例から間違いのない話なのですが、それと成長の遅さに因果関係はないはずなんです」
「えーと、つまり?」
「長命だったとしても、魔族としての平均的な成長から外れるわけではない、ということです」
なるほど?
よくわからないが、リムの腹黒さに言及するわけじゃないことだけは分かった。
「そういうものなんですか」
「ええ。私も……魔力が高くとも他の魔族の子らと同じように成長した例を知っていますので」
「ふむ?」
それが誰なのか……は置いておいて。
メルフィアさんの言葉をまとめると、リムが幼い見た目なのは魔力が高いからではない。
……つまり、リムはただの先天的なチビで幼稚な子なんだと言いたいのか?
ゾワリと全身に鳥肌が立つ。
いくら内心で人を小バカにする腹黒娘とはいえ、メルフィアさんが笑いながら主君の陰口を叩く人だったなんて!
別にリムに忠誠なんぞ誓ってはいないが、流石に可哀想に思い批難の目でメルフィアさんを見つめると、その瞳は憂いに濡れていた。
これは陰口じゃないのか?
遅まきながらに気が付くと、メルフィアさんは悩まし気にため息を吐き、
「リム様のお姿が幼いままなのは、今も幼くありたいというリム様の内心の現れではないかと思うのです」
「幼く……ですか。なんでまた? あのくらいの年の子なら、早く大人になりたいと思ってるもんなんじゃ?」
現に、リムの中身はほとんど大人だ。
「リム様のお父様は、お忙しくてリム様とほとんどお会いできていないのです。そして、稀にお会いになられる時も、『すぐに大きくなってしまうな』と何だか残念そうで……。リム様も、それを感じていられるのではと」
「親に可愛がられたいが故に子供の姿のままだと?」
「私はそう見ています。精神まで引きずられて……」
メルフィアさんが悲し気に顔を伏せる。
ああ、これはメルフィアさんはリムの正体は知らないな。
もしも知っているのなら、最後の言葉は酷い皮肉だが、そんな素振りは微塵も感じられない。
俺はこんな真摯な女性を疑ってしまった事を内心で反省して居住まいを正した。
「それで、俺はどうすれば?」
「これまで通りに。リム様のお傍にいてください」
「それだけ?」
拍子抜けだ。
肩透かしを食らった俺にメルフィアさんは一つ頷いて微笑み掛けてくれる。
「貴方と一緒にいるリム様はとても楽しそうです。きっと、リム様の心を癒すことが出来ると思います」
「はあ……」
なんだか重たい太鼓判を押されてしまった。
返事に困った俺を見て、メルフィアさんはクスクスと楽しそうに笑っていた。




